第10話 彼女の記憶

 気がつくと、私は広々とした花の咲き乱れる丘の上にいた。


 雲ひとつない空を見上げれば、お日様のまぶしい陽気な晴天。


 耳をすませば川のせせらぎが聞こえ、息を吸うと新鮮な空気で肺を満たせた。


 ここは、どこだろう。

 どうして、私はこんな場所にいるのだろう。


 だけど、ここには私しかいないらしく、答えは帰ってこない。


 そうだ。

 どうせ分からないなら歩いて探索してみよう。


 ──足元は広々とした砂利で埋まり、しばらく歩いていくと、遠くには巨大な壁が地平線上に並んで建ち、道を塞いでいた。


 あの壁の先には何があるのだろう。

 もしかしたら、美味しいお店があるのかも知れない。


 そうだとしたら、

あの人と一緒に行きたいな……。


 あれ?


 あの人って誰だったかな……。


 思い出せないけどいいよね。


 忘れているという事は大したことじゃない証拠。


 今はただ、この一時を楽しもう。


****


「〇〇!!」


 のどかにお花畑を散歩していると、どこか遠くから誰かの声が聞こえてくる。


 もしかして、私の名前を呼んでいるのだろうか。


「○○!!」


 ごめんなさい。

 私には何を言っているのか、分からないの。


「〇〇!!」


 それでも遠くからその声が聞こえる。

 まったく内容はわからないけど、声は男性のようだ。 


 どこか懐かしさのある温かく優しい声……。


『ユミ!!』


 はっとして、私の目が覚めると、

傍に龍牙さんがいて私の肩を揺さぶっていた……。


****


「……ユミ!!」


 龍牙が顔をぐちゃぐちゃにして、

悲痛の表情でユミを力強く抱きしめていた。


「あの、龍牙さん!?」

「お前までいなくなったら俺は……」

「龍牙さん、真剣に痛いです。

このままでは私が潰されます!?」


「……俺は、どうやって生きていけばいい」

「だから、苦しいです!?」


 ユミが龍牙の抱きしめホールドにより、完全に体を固められている。


 これではユミは1ラウンドKOは間違いなし。


 男女無差別系格闘選手権の終焉しゅうえん


 ユミが一方的にギブアップするのは間違いないだろう。


 ──苦しくて我慢できないユミ挑戦者が、ポンポンと龍牙選手の左肩を叩く。


「えっ、ユミ!?」


 動転してりきんでいた龍牙の腕の力が緩んだ。


****


 その後……。


「……まったく。疲れていたから少し横になっていたら、いつの間にか寝てしまっただけです。

大袈裟ですよ」

「……ごめん。来たら倒れていたから何かあったのかと」

「そういう時は、これがありますから」


 軽く微笑みながら後ろ側に隠していた物を見せるユミ。

 あの龍牙の頭を悩ませたベートベンの肖像画だった。


 そうか、究極の音楽家を装備してしまったか……。 


 これも『運命』だからなせる技か。


 ……それに気のせいか、こちらを見ながら、『お前に私の大事な娘はやれん!』

と、がんを飛ばしているようにも見えなくもない。


 その肖像画の角枠がナイフのようにぎらりと光っていた。


 あれをやられたら今度こそ生死をさまよいそうで怖い。


 龍牙がブルブルと細かく身震いをする。


「それはそうと、ありましたか……?」

「えっ、何の事だ?」

「……あれを探しに行ったのですよね?」

「はぁ?

あれって何だ?」


「……もう、龍牙さんのスケベ!

女の子に何て事言わせるのですか!」


『ガガコーン!!』


「びでぶ!?」


 まるで大型バスが横転したかのような激しい音を立てて、

龍牙の顔面めがけて例の肖像画が『カモーン、エブリバディー♪』とぶち当たる。


 そのまま、ピューと鼻血を吹きながら龍牙はその場で即倒した。


「きゃー、龍牙さん!?

一体、誰にやられたのですか!?」


 ……いや、ユミがやったのだからね。

 無意識の条件反射って恐ろしい……。

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