セッション4-1 居酒屋の一幕
TRPGをやっていると実感するんだけれども。
人間は期待や予想の範囲外の状況が目の前に現れると、驚くとか怒るとかよりも先に虚無になる。
そういう光景を、セッション中によく見てきた。
「……えっと……この人が?」
「娘さんにはお世話になってます」
睦美ちゃんのお父さんもまさにそんな感じだった。
約束をした居酒屋に、睦美ちゃんと一緒に入ってきた俺の姿を見た瞬間、お父さんの表情が消えていた。
まばたきは増え、目はフラフラと泳いでいた。
俺が目の前に座った時には、冷や汗と動揺でかけた眼鏡が曇っていた。
「……その、随分と。なんと言うか」
そして、絞り出すように言う。
本当に絞り出すみたいな声だった。
「はは。まさか同年代だとは思いませんよね」
というか、俺の方が年上だった。
すみません。
本当にすみません。
さすがにお父さんが年下とは、俺も思っていませんでした。
「ちょっとお父さん。オーバーだよー」
お父さんは震える手で懐を探り、タバコを取り出し口につけ、それで日中は禁煙だと気付いて箱に戻す。
そんな父親の動揺を、当の娘は何かのネタだと思っている。
つらいなぁ、お父さん。
「睦美の父です……」
ようやく浮かべた愛想笑いでお父さんが言う。
もう何か、当初想定していた対応は完全に吹っ飛んでいるらしい。
まあ、そうなるよね。
俺が逆の立場でも、多分そうなる。
気の毒にと思いつつ、俺も丁寧に挨拶を返す。
「よろしくおねがいします。お父さん」
「き、キミにお父さん呼ばわりされる覚えは無いなぁ……ですよ?」
なんだかテンションがおかしくなっている。
「まあ、とりあえず。ビールでも頼みましょうか」
丁度、ランチタイムの居酒屋でもあるわけだし。
お父さん的には、居酒屋という自分のホームで事を有利に進めたい感があったんだろうけど、魚も肴も出すこの居酒屋チェーンは、俺もよく使う訳でして。
むしろ俺のホームと言ってもいい。
「……はい……」
「ここは俺がおごりますから。ここはゆっくり」
「すみません」
もう、俺もお父さんも仕事帰りの飲み屋みたいになっている。
漏れ出る愚痴の聞き役は、まあ俺の仕事になるよなぁ。
「ま、一杯」
「おっとっとととと……それではご返杯」
「はい。いただきます」
「昼間っからビールのむお父さんって……」
俺はいいのか睦美ちゃん。
「……彼はいいのか……」
「普段は呑まない人だし」
「お父さんも晩酌は時々しかしないんだけど」
俺は基本的に宅飲みはしないんだよなぁ。
「それで。お父さんは詳しくは知らないんだけど。彼はどういう人なんだい?」
「うん。ゲームで知り合った人なんだけど」
なんだか、そう聞くといかがわしい関係に聞こえるな。
最近だと、スマホのゲームで知り合った子供にわいせつな事をする中年もいるというし。
「アナログゲームと言いまして。実際に顔を合わせて、コンピュータなんかを使わないゲームなんですが」
「ああ、トレーディングカードゲームとかそういう」
「大体そのような感じのものです」
なんとなく分かったようなお父さん。
ちょっと一言、と言いたくなるけどそこは我慢。
ここでTCGとTRPGの歴史とかを話して混乱させてはいけない。ようやく落ち着いてきたお父さんの混乱が増すばかりだ。
TCGとTRPGの歴史は長く、そして複雑なのだ。
「昔、睦美にカードを買ってあげた事があったんだ」
「あったねー。お年玉の代わりにって無理言っちゃった」
「それ、実は本来もらうはずのお年玉より高額だったりしない?」
「うん。実は」
ぺろりと舌を出す睦美ちゃん。
いやはやしっかりしていらっしゃる。
「お父さんとしては、そんなお金がかかる遊びは関心しないなぁ」
「TRPGは違いますよね?」
「お金がかからない訳では無いけれど、レアカード買い漁るみたいな事は無いですよ」
そう。そこがTRPGの良い点でもあり悪い点でもある。
メンバーの誰かがルールブックを買ってしまえば、後は金がかからないのだ。
金の無い学生には嬉しい仕様なのだが、大人になるとクリエーターへの還元が難しい事に気付いてしまう。
大手出版社は、シナリオ集や追加ルール、メディアミックス等で回収するビジネスモデルを作ったけれど、それにだって限界がある。
そもそも、大手でないと出来ない手段だ。
プレイするにはルールブックの所持が必須。みたいな但し書きを入れて非難轟々だった会社もある。
とにかく、金が絡む事となると、ナアナアなお仲間感覚では済ませられない。
一応、俺は出来るだけ業界に還元できるように新規ルールブックは出来るだけ購入はしているけれど、他の人にそれをやれとまでは言えないし。
これからずっと、D&Dとその派生ルールだけをプレイする。なんて、割り切った事も俺には出来ないし。
なんかこう、すごいビジネスの天才が、業界にお金が回るシステムを作ってくれないものか。
「俺も年長者の立場ですからね。睦美ちゃんの教育に悪いような事はしませんよ」
「本当かね?」
「結構厳しいよね?」
「ええ。もちろんです」
そう、そこだ。
業界の浮沈しかり。人間関係然り。お金のやり取りと言うものは、避けては通れない重要な話なのだ。
ぶっちゃけ話として、月に2、3回程度の集まりならば、社会人の俺や、おけさん、エルフ師匠が持ち回りで、むにむにさんとラッシュ君を奢る、というのも、そんなに難しい話ではない。
ただ、それはやってはいけない事だと、エルフ師匠は昔から言っていた。
「お金が無いから奢られるのが当然。そんな風に思う人にはなって欲しく無いですから」
同じ事をエルフ師匠は二人に言った。
同じ事を学生時代に俺は言われた。
「経済力の差がありますからね。俺が多めに払う分にはいいと思います。ですが、睦美ちゃんは睦美ちゃんの、出来る範囲で出来る事をしてもらっています。飲み物を買ってくるとか、つまむお菓子を用意するとか」
ただ奢られるだけ、与えられるだけ。それが当然だと思うと、人間は卑しくなる。
エルフ師匠はそう言っていた。
俺もそう思う。
むにむにさんやラッシュ君には、卑しい人間にはなってもらいたくない。
それでいつか、経済力がついたなら。その時には同じように若い子にしてやって欲しい。
出来れば、業界にお金を回すようになって欲しい。
そんな願いが俺たちにはある。
「それで睦美。最近クッキーを焼いたりしているのか」
「まだ失敗ばっかりだけどね」
「失敗作でもお父さんは嬉しいぞ」
うんうんと頷くお父さん。
娘の自主性の芽生えは父親として嬉しいような寂しいような。そんな感じだろうか。
「だがね」
そこでぐびりと、ビールを一口。
挑むような目で俺を睨むお父さん。
「私はキミと娘の交際を認める訳にはいかんのだ!」
ランチタイムの居酒屋に、響き渡るおじさんの叫び。
これが別の場所だったら。
もしくは相手が若者だったら。
せめて手に中ジョッキが無かったら、それなりに格好がついたかもしれない。
「お父さん。なんか、お酒の席で愚痴を言ってる人みたいだよ」
昼間っから深酒が過ぎて錯乱した人にしか見えない。
お父さんも大変だ。
「睦美は黙っていなさい」
「まあまあお父さん。ここは一つ落ち着いて。ほらツマミも来たんで今度は日本酒でも行きましょうか」
とりあえず、酔わせて誤魔化す事にした。
当事者の片方は俺だし。
お父さんの評判を無駄に落とすのも何だし。
俺の評判まで落ちるのは避けたいし。
「いや、私は酒は呑まんぞ」
「それじゃ焼酎にしましょうか。ここの芋はいいのがあってですね」
半ば無理矢理酒を注ぐ。
「はいはい。乾杯乾杯ー!」
ぐびりとコップ酒を口に含むと、つられてお父さんも酒を煽る。
ちなみに俺は、舌を濡らす程度にしか呑んでいない。
「いやぁ、いける口じゃないですか。なめろう食べましょうなめろう。ここのは美味しいんですよ」
ついでにお父さんの横に座る。
それで呑ませて食わせて呑ませてやる。
「いやぁ、なんだか悪いねえ」
酒が回ってきたお父さん。いい気分で、そんな事まで言っていくる。
慣れていますから、酔っぱらいの相手は。仕事で。
言ってて悲しくなってきた。
「まあ、あれですよ。今度また呑みましょうよ。今度は差し向かいで。娘がいると話しにくい事もあるでしょう?」
「うん。まあそうだなぁ」
「よかった。お父さんも気に入ってくれたみたい」
ランチメニューの海鮮丼を食べながら、睦美ちゃんもご満悦。
「これなら、お母さんと会っても大丈夫だよね。お父さん」
え、なにそれ聞いてない。
「うん。そうだな」
「一週間後、家に呼ぶってお母さんに連絡しておくね!」
それ、全然聞いてないんですけど……。
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