第四話「見えない傷痕」

1.ゆく年くる年~あるいは埋められない年月

 早いもので、美遊が黒木家へ帰ってきて早三週間。

 世間では年末が迫り、仕事納めへの追い込みに忙しい人、既に休みに入りゆっくりしている人、年末年始こそ忙しくなる人など……様々だ。

 無職の僕は、いつもと変わらず庭いじりと家の補修に勤しんでいるので、あまり関係ないのだけれども。


 美遊はと言えば、相変わらず勉強の時以外は僕にべったりだった。

 その勉強も、既に中学一年の内容をほぼ終えてしまっている。年明けからは、中学二年の内容に移る予定だ。

 この分だと、高校の勉強にもすぐ手が届いてしまうだろう。


 昨日は、ユーキとの年内最後の面談へ行ってきた。彼女も美遊の学習速度の速さに驚くばかりだった。

 「高認」試験は夏と冬との年二回あるらしいけれど、このままのペースなら、夏の試験にも間に合ってしまうかもしれない。

 ――そのことに、何となく危うさを感じてしまうのは、僕の考えすぎだろうか?


 美遊はまだ十六歳なのだ。あまり事を急ぎすぎる必要はない。

 僕とは違って、まだまだ時間があるのだから……。


   ***


 そして、美遊が帰ってきて最初の大晦日がやってきた。

 祖母も老人ホームから家へと戻ってきて、僕らは三人で年越しをすることになった。


「この人知っているわ! 私たちが子供の頃にも歌っていたわよね?」


 お茶の間でこたつに入りながら、三人で「紅白歌合戦」を観ていた時のことだ。

 それまで「全く知らない人ばかりだわ」と、少しシュンとしていた美遊が、あるベテラン歌手が登場した瞬間に、パッと表情を明るくしたのだ。

 ……子供の頃は、その年にヒット曲もないベテラン歌手が紅白に出ていることを、不思議に思っていた。けれども、今では何となく、その意図が分かるような気がする。


 例えば、普段テレビを観ない人が久しぶりにテレビを観たとして、出演者の中に知っているタレントが一人もいなかったとしたら、どう思うだろうか? 人によっては、そこで観ること自体をやめてしまうかもしれない。

 でも、見知ったベテランのタレントが一人でもいれば、美遊が今見せたような、嬉しそうな表情を浮かべられるのではないだろうか?

 ふと、そんなことを思った。


   ***


『あけましておめでとうございます!』


 そのまま「ゆく年くる年」を観ながら、一月一日を迎えた。

 三人揃って「あけましておめでとうございます」を言えた――ただそれだけの事なのに、僕は少し泣きそうになっていた。

 というか、隣に座る祖母が既に泣いていた。


「お、お祖母ちゃん、どうしたの?」

「ああ、いや、ごめんよ。ただただ、嬉しくてね……美遊が帰ってきてくれて、また一緒に『あけましておめでとう』を言えるだなんてね……。頑張って、長生きしないとねぇ」


 ここで「もう思い残すことはない」等とは決して言わないのが、祖母の優しいところだろう。

 とは言え、祖母もぼちぼち四捨五入すれば百歳になる。いつ何があってもおかしくない歳だ。


 もし今、せっかく再会できた祖母を失ってしまったら、美遊は一体どうなってしまうのだろうか。

 そのことを考えると、僕は心穏やかではいられなかった――。


   ***


 「元旦」という言葉は、今では「元日」と殆ど同じ意味で使われているけれども、本来は「元日の朝」を指す言葉だったのだとか。

 そんな、どこで得たのかも覚えていない知識をぼんやりと浮かべながら、僕は美遊と「初詣」に来ていた。祖母は足が心配らしく、家で留守番だ。


 鎌倉市民らしく鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐうへ――といきたいところだったけど、美遊が「人混みは苦手」というので、やめておいた。

 ……そもそも、年末年始の鎌倉では、市街地への自動車の乗り入れが制限されているので、八幡宮に行くのも一苦労なんだけど。


 そういうわけで、僕と美遊は鎌倉ヶ丘で唯一の神社である「鎌倉ヶ丘神社」へと足を運んでいた。

 神社と名がついているけれども、立派な社殿がある訳じゃない。こじんまりとした山間の平地に、これまたこじんまりとしたほこらが建っているだけの、小さな小さな神社だ。

 なんでも、鎌倉に古くからある由緒ある神社から分祀ぶんしされたものらしい。


「ふふ、懐かしいわぁ……この神社。昔、よく皆でお参りに来たわよね?」

「……そうだね。僕らが小学校低学年くらいの頃までは、皆で揃って来てたっけ」


 同じ「懐かしい」でも、僕の認識と美遊のそれとでは、度合いが違うのだろうな――そんなことをぼんやりと考えながら、神社の石段を上る。

 わずか十段ほどの石段は、手入れをしている人がいるのか、思いの外綺麗に掃除されていた。

 水道も通っていないような場所なのに……お疲れ様だ。


「はい、美遊。五円玉を用意しておいたよ」

「あら、ありがとうせーちゃん。うふふ、じゃあ私は、せーちゃんとの『ご縁』がもっと強くなるようにお祈りするわね?」


 五円玉を渡すと、美遊はまたそんな事を言いながら、僕に色っぽい視線を送ってきた。

 ……その視線に、先日ユーキから言われた言葉が蘇る。


『――清十郎のことだから心配してないけど、間違っても今の美遊に手を出さないようにね』


 ユーキに言われるまでもなく、僕が美遊に手を出すことはない。

 美遊は僕にとって大切な従妹であり、初恋の人だ。今現在も魅力的な少女だと思う。ドキッとさせられることも多い。

 けれども、僕らの間には「年齢差」という大きな溝が横たわっている。親子ほどの年齢差という、飛び越えられない溝が。


 もちろん世の中を見渡せば、親子ほど歳の離れたカップルは珍しい存在でもない。でも、あれは成人同士の――いい大人同士の恋愛の結果だ。

 僕と美遊の今の関係は、おそらくその年齢差通りの「親子」に近い。

 「異世界」とやらから命からがら帰ってみれば、祖父も両親も既に死んでいて、僕と祖母しか残っていなかった……そのことが美遊の心に与えた影響は、計り知れないだろう。

 美遊がやたらと僕にくっついてきたり、誘惑するような素振りを見せるのは、きっとその喪失感を埋めたいが為なのだ――あくまでも、僕が勝手にそう思っているだけではあるけど。


 このまま何事もなければ、僕は美遊よりも何十年も早く死ぬことになる。必ず、美遊を置いて先に死んでしまうのだ。

 もし美遊が僕に依存したまま、この先の人生を送ってしまえば……今度こそ、美遊は一人ぼっちになってしまうかもしれない。それでは駄目なのだ。


 美遊にはもっと、広い世界へ目を向けてほしい――。

 初詣の願い事は、自然とそんな内容になった。


「――ねえ。せーちゃんは、なんてお願いしたの?」


 二拝二拍手一拝し終えると、美遊が僕の腕に抱きつきながら、そんなことを聞いてきた。


「ん? 家内安全、交通安全、無病息災……あと、美遊の学業成就かな」

「……恋愛成就はないの?」


 僕の答えがお気に召さなかったのか、美遊がプクーっと頬を膨らませた。

 その姿があまりにも可愛らしすぎて、思わず抱きしめたくなる衝動に駆られたけれども、ぐっと我慢する。

 僕は、美遊の「保護者」で有り続けなければならないのだ――。

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