第6話 嘘

「ただいま」



 春馬が帰宅したのは21時近くだった。玄関で靴を脱いでいると奥から母親が顔を出した。



「おかえり春馬。ずいぶん遅かったわね」

「今日は生徒会の手伝いがあって……友達のお兄さんに送ってもらったんだ」

「そうなの? 生徒会も大変ね」

「う、うん」



 春馬は母親を心配させまいとして嘘をついた。生徒会の手伝いなんてしていない。母親は春馬を疑うことなく微笑んだ。



「お母さんとお父さんも夕食がまだだから一緒に食べましょう」

「え、待っててくれたの?」

「当たり前でしょ。今日は春馬の誕生日なんだから」



 母親は張り切って答える。やがて、春馬が手を洗ってリビングルームへ入ると家族での誕生日会が始まった。



「どうだ春馬。高校は順調か?」



 春馬の正面に座る父親が尋ねた。



「うん……生徒会の手伝いが始まって忙しいけど順調だよ。それに……今日、女の子に告白されてデートに誘われたんだ」

「本当か!? どんな子だ?? スマホに写真とかないのか??」

「……あるよ」

「ちょっと、お母さんにも見せて!!」



 春馬はスマホを取り出して小夜の写真を見せた。



「美人さんじゃないか!!」

「本当に素敵なお嬢さんね。今度、お母さんにも紹介してちょうだい」 

「う、うん……」



 春馬は今日も両親に嘘をついた。それは何度も繰り返される慢性的なやまいだった。嘘のなかで春馬は友人が多く、人気者で生徒会も手伝っている。さらには小夜に告白されたと嘘を重ねた。


 みんなにしたわれて異性に告白される……それは春馬が理想とする高校生像だった。最初は『友人ができた』という程度の嘘だったが、嘘を積み重ねるうちに春馬の虚像は現実離れしたものになった。



──いつからこんなに嘘をつくようになった?



 春馬はぼんやりと食卓に視線を落とす。そこには春馬と両親の食事が並んでいる。本来であれば夏実の食事も並んでいるはずだった。


 春馬の妹、成瀬なるせ夏実なつみ……夏実は2年前、『マオイの丘公園』というピクニックパークを家族で訪れたときに突然、昏倒して意識を失った。そのまま昏睡状態となり、鍵屋かぎや市内の総合病院に入院している。



──そうだ。夏実が入院してからだ……。僕は父さんと母さんに余計な心配をかけたくないから、すべてが上手くいっていると嘘をついたんだ。



 そう思うと同時に心の中でが声を上げる。もう一人の春馬は激しく自分自身を糾弾した。



──本当にそれだけか? 虚栄心で嘘を並べ立てただけだろ? 誰も理解しようとしてくれない、からかわれてばかりの高校生活。少しでも鬱憤うっぷんを晴らしたいから両親に嘘をついたんだろ? お前は感心されたいだけなんだよ!!



 違う!! と、打ち消したくても打ち消せない心の声。春馬の箸が止まると母親が心配そうに声をかけた。



「どうしたの春馬。大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ。なんでもない」

「そう? 顔色が悪いわよ……あ、そうだ」

「何? 母さん」

「春馬は今日が誕生日でしょ……ハイ、誕生日プレゼント」



 母親はテーブルに包装された二つの箱を置く。そして、プレゼントを開けるように急かした。



「17歳おめでとう!! さあ、開けてみて!!」

「う、うん……!?」



 誕生日プレゼントは高級筆記具メーカーのボールペンとタイピンだった。春馬が驚いていると、ずっと黙っていた父親がおもむろに口を開く。



「春馬もそういう物を持っておいた方がいい。大人になるための準備だ」

「お父さんね、タイピンを選ぶのにとても悩んだのよ」

「お母さん、余計なことを言わなくていいから……」



 父親が照れ臭そうに笑うと母親も笑顔になる。二人とも春馬を心から祝福していた。



「父さん、母さん、ありがとう。大事にするよ……」



 春馬は精一杯の笑顔で喜んでみせる。そうすることが最大限の親孝行だと考えていた。あんじょう、喜ぶ春馬を見て両親は満足そうにうなずき合っている。



──まるで、最初からずっと三人家族だったみたいだ……。



 春馬は胸が苦しくなった。家族の間で『夏実』の名前が出ることはない。それでも春馬は知っている。


 母親がパート帰りに必ず病院へ立ちよって、夏実の手を握りしめながら涙していることを。


 父親が夏実の映るホームビデオを真夜中に一人で何度も見ていることを。


 両親は計り知れない悲しみと苦しみを抱えている。二人の苦悩は夏実が眠り続けているかぎり延々と続く。そして何より、家族に一番会いたいのは夏実のはずだった。



──どうして僕や家族がここまで追いこまれなきゃいけないんだ? もし、夏実の昏睡がやまいによるものじゃなかったら? 何者かの仕業で眠ったままだとしたら……。



 春馬は『雨傘女あまがさおんな』や『宿やどおんな』と対峙して幽霊を再認識した。現代医学では説明がつかない夏実のやまいも、幽霊が関わっていると考えれば説明がつく。春馬は山高やまたか帽子ぼうしをかぶった老紳士を思い出した。



──夏実を昏睡させたヤツがいるなら僕は復讐したい。そう、復讐してやるんだ。


 

 春馬の瞳が憎しみに染まり、心の奥底でくすぶっていた復讐の炎が勢いよく燃え盛る。



──徹底的に痛めつけて、僕の家族に手を出したことを後悔させてやる。



 春馬は口に入れた食べ物を必要以上に噛み続ける。暗い感情を押さえこみ、楽しそうに笑顔をつくった。両親は息子の異変に気づかない。一家の団欒はいつまでも続いた。



×  ×  ×



 ささやかな誕生会が終わると春馬はシャワーを浴び、飲料水の入ったペットボトルを持って2階の自室へ向かった。スチールラックの上にペットボトルを置いてベッドへ横になる。机を見るとペンケースとタイピンが置かれてあった。



──そういえば、バットももらったんだっけ……。



 春馬は寛にもらった特殊なバットを思い出した。結局、『幽霊狩り』でバットを使うことはなく、車に置いたままだった。



──僕は幽霊を見て気絶した。何も覚えていないけど、夏実のことは鮮明に思い出せる……。



 春馬は夏実を想った。夏実が倒れたとき春馬は『奇怪な老紳士が夏実に触れた』と何度も大人たちに訴えた。だが春馬の話なんて誰も信じない。『妹が目の前で倒れたショックで幻覚でも見たのだろう』と、相手にされることはなかった。そうしていつしか春馬自身も老紳士の存在を忘れていた。しかし、今は違う。



──夏実の病状にはあの老紳士が必ず関わっている。もし、小夜さんや寛さんについていけば何かわかったんじゃ……。



 『幽霊狩り』を踏まえると可能性がゼロとは言いきれない。春馬は『デッドマンズ・ハンド』への誘いを断ったことを悔やんだ。



──どうして僕はいつも後になって気づくんだ。



 悔やむ気持ちは夏実を思い出すたびに大きくなる。春馬は後悔を嫌って強くまぶたを閉じた。そうして静かに眠りへ落ちていった。



×  ×  ×



 どのくらい眠っただろうか。春馬は暑さと喉の渇きで目が覚めた。ペットボトルを手に取り、一気に飲み干して喉の渇きを癒す。



──今、何時だろう……。



 スマホを確認するとちょうど午前1時を過ぎたところだった。涼しい風を求めて窓を開けると夏の夜風が頬をなでる。ふと、春馬は外へ出かけたくなった。特に理由があるわけではない。なんとなく夜の街を散策してみたくなった。



 両親の寝室は一階にあり、起きている気配はない。春馬は着ていたジャージとTシャツを脱ぎ、ジーンズを穿いてVネックのTシャツを着る。夏用パーカーを羽織はおると、財布とスマホをジーンズのポケットに押しこみ、クローゼットを開けてスニーカーを取り出した。



 春馬はベランダの柵を越えて家の屋根へ降り、そこから納屋なやの屋根、塀と伝って道路に飛び降りる。寝静まった住宅街にストッという乾いた着地音がこだました。



 街灯が照らし出す街並みに人影はない。ときおり、遠くの国道を走る大型車の走行音が聞こえてくるだけだった。とりあえず、春馬は近所のコンビニへと向かうことに決め、パーカーのフードを目深まぶかにかぶって歩き始めた。



×  ×  ×



 春馬はコンビニでアイスバーを買って近くの公園へ向かう。年季の入った小さなブランコに座り、アイスバーを咥えたまま夜空を見上げた。



 満天の星空。



 湿気を含んだ土の匂い。



 夜風にざわつく樹々きぎの葉。



 静けさは春馬の荒んだ心を癒してくれる気がした。静寂にひたっていると突然、隣のブランコがキィと音を立てて揺れる。



「はーるまっ!!」

「うわッ!!??」



 いきなり視界へ小夜が飛びこんできた。驚いた春馬は危なくブランコから転げ落ちそうになった。

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