己を殺し

有原ハリアー

本編

己を殺し

 私は、白い服を着た姿で、ビルの上に立っていた。

 もう一人の黒い服を着た私、いや“わたし”も、同様にしてビルの上に立っていた。


「よく来たね、私」


 “わたし”は私に向けて、嬉しそうに声を掛ける。


「ああ。君を殺すためにね、“わたし”」


 私は無意識のうちに、言葉が口から出ていた。

 と、右手を宙に掲げる。


 次の瞬間、私の右手には、抜き身のナイフが握られていた。

 金色の柄をし、淡い紫をした刃が鈍く輝く、飾りに使うようなナイフだ。


「へえ。それでわたしを刺して、殺すんだね?」

「そうだよ。君を生かしてはおけないのさ、“わたし”」

「わたしを殺しても、君の心に存在する悪意は消えないよ?」

「知ってるよ。けど、このままでは許しておけない。私は私自身を許せなくなる。だから」


 私は言葉を区切り、“わたし”に、はっきりと告げる。


「今ここで、君を殺す」


 そして私はナイフを構え、“わたし”の心臓目掛けて駆け出す。

 動かない“わたし”目掛け――




 ズンッと音を立てて、刃が“わたし”の体に沈んだ。




 私は念入りに、“わたし”の心臓を、首を、腹を何度も刺し、確実に息の根を止める。

 数十回だろうか、そこまで刺して、私の殺意は収まった。


「ふふふ…………。やった、これで私は…………。あ、あれ?」


 私は急に襲ってきためまいによって、意識を奪われたのである。


     *


「ん、ここは……?」


 気が付くと私は、部屋にいた。

 テーブルの前の椅子に座っており、テーブルに乗せられた皿の上にあるを見ていた。


「何だ、これは……」


 皿の上に乗っかっている




 それは、“わたし”の体を構成していたものであった。

 具体的には、皮膚、筋肉、そして血液の3点だった。




「……ッ!」


 私は反射的にナイフを握りしめ、皿の中身に刃を突き立てていた。


「……?」


 と、そこで不思議な事が起こる。


 ナイフを突き立てられた皮膚が、全て、レタスの葉に変わったのだ。


「まさか……」


 私は他の皮膚にも、そして筋肉や血液にも、ナイフを突き立てる。

 すると、筋肉は牛肉らしき肉に、血液はコンソメスープらしき液体に変わっていた。


「…………美味しそう」


 不意に、言葉が口をついた。

 さっきまで人体を構成するものだったはずなのに、何故か、食べたくて食べたくて仕方がなくなってしまったのである。

 不意と、に、ガチャリという音がした。


「……?」


 音のした方向を見ると、そこにはナイフとフォークがあった。

 私は何の疑いも抱かずにそれらを手に取ると、目の前のを、食べ始めた。


「……美味い」


 最初の一口を食べると、私はつい、感想を漏らしたのである。

 そこから私は、一心不乱に、さっきまで“わたし”だった食事ものを食べて、いや貪り食っていた。


     *


 私は最後の一口を食べ終えると、満足して椅子に体重を預ける。

 と、私の左手には、ナイフが握られていた。


「えっ?」


 私がいくら思考しても、左手が勝手に動く。

 遅れて、右手が左手に添えるようにして、ナイフを握っていた。


「……あっ、そうか」


 この行動、いや、異変の意味。

 私は何故か、それを理解していたのだ。


「最後に、めないとね。私に、いやこの体に」


 またも私の口は、勝手に言葉を紡いだ。

 そして、私の両手は、私の胸にナイフを突き立てたのであった。


     ***


「……!? はっ、はぁっ、はぁっ……。夢、か……」


 私はベッドから跳ねるようにして起きる。

 そして私の胸を見る。血は、ナイフは、無い。


「良かったぁ……。けど、恐ろしくリアリティのある夢だったな……」


 そう。

 何故か、味覚まで正確に再現された、そんな感じの夢であった。


「それに、なんか心がスッキリする。何だろう、私の中の悪意が無くなった……違う」


 そう。

 悪意はある。


 理不尽な物言いばかりをする上司に対する、どろどろとした悪意。


 しかし、決定的に違うものがあった。


「そうか。私は、んだ!」


 そう。

 昨日までの私なら、悪意を抱いた私を、私自身が憎悪していた。


 しかし、今は違う。「悪意も私の心のうち」だと、何故かすんなり理解しているのである。


「まさか、この夢は、これを気づかせるために……?」


 私の心に、疑問が浮かぶ。

 と、私の口が、勝手に動いた。


「そうだよ。悪意というどす黒いもので構成されたわたしも、“私”という存在なんだ。けど、安心して。今の、わたしを許すなら、もう苦しんだり悩んだりすることはないからさ」


 私の口が止まった後、今度は私自身の意思で、言葉を紡いだ。


「そっか。そうだね。なんか救われた。ありがとう」


 私は窓から見える青空のように晴れ晴れとした気分で、朝御飯の支度を始めたのであった。

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