第12話 依頼人

「はいはーい」


 インターホンの鳴る音に、ミティがどたどたと玄関へ向かって走っていった。

 ミティが居候を始めてはや半年、いつの間にか依頼人の出迎えはミティの仕事になっていた。が、今日に限ってなかなか応接間に依頼人を伴ったミティが現れない。

 不安を覚えた庸介が玄関を覗いてみると、何故か尻もちをついた依頼人と思わしき人物にミティが何かを言い聞かせているシーンにでくわした。


「あ、庸介。依頼人の人、ドアが開いたのに驚いちゃったみたいで……」


 よく分からない言い訳をしているミティと、それをチラチラと窺う依頼人らしき風体の怪しい人物。

 とりあえずこのままではと思い、庸介は人物に敵意がないことを確認し、立ち上がらせようと手を差し伸べた。


「ありがとうございます」


 来所前に掛かってきた電話口の女性と同じ声。だが、果たしてこの人物の性別は外観で判別できなかった。

 黒いつば広帽が影を落とすその顔は、首元まで包帯で隠され、目元にはサングラサン。厚手のロングコートとデニムで身体は足元まで隠れている。

 庸介の手を取ろうと伸ばした手は革手袋。袖口にもまた包帯。

 どこぞやなミステリー漫画に出てくるミスリード役の怪しい人物さながらの風体。


(Vamp症感染者、か)


 手を取った体重の軽さを感じながら、庸介はそう断定した。



 この仕事を始めて四年以上経つが、庸介の元は依頼に訪れるVamp症感染者が皆無かといえばそうでもなかった。だが、全てが依頼かといえばそうでもない。中には依頼以外の目的で庸介に近付いてくる者もいる。そのために、応接室は南面に大きな窓のある日当たり良好な部屋を選んである。


「市来です」

「おおた–– いえ、橋元です。ブリッジの橋に、げん・・のほうの元で橋元」


 どこか怯える様子の依頼人が自分の名前を間違えたことで、庸介は逆に警戒心を薄める。襲撃者なら、こんなミスとすら言えない失敗をする筈もない。逆にこの程度の失敗をするような相手なら、警戒の必要もない。

 庸介の警戒心の微妙な変化を感じ取ってか、依頼主と思わしき女性は、緊張感を少し和らげ身の上を語り出した。


「ご承知のように私は感染者です。かつて家族ともども感染者に襲われ、私だけ生き残り感染者として生きるようになりました」


 そこで一区切りした女性の言葉には、哀愁はあっても怒りや復讐の色はなかった。一息ついて「でも、その件は今回の依頼とは関係ないのです」と続けたその言葉に偽りを感じないほどだった。女性は続ける。


「当時、まだ学生だった私は施設を転々としながらも公的支援を受けて生きていくことができました」


 ご存知でしょうか、と女性が続けた、Vamp症患者に対する公的支援の数々。

 もちろん、庸介自身仕事柄そういった情報に触れることも多く知っていたが、今朝のテレビの状況から、世間一般的にはあまり認知のされていない情報だろう。

 Vamp症患者に対する情報提供、就業斡旋、セーフハウスの提供、そして……吸血衝動に対する定期的な血液摂取、その支援としての指定病院での血液の経口補給。

 彼女はそこで一人の男性と出会ったことを語った。


「彼は–– 橋元幸雄さんは、死んだように日々を過ごしていた私と違い、夢を持ち、明日を夢見ていた人でした」


(なるほど、それで橋元)


 家族の死を語った最初の彼女の言葉と違い、橋元のことを語る彼女の言葉には魂がこもっていた。彼との出会い、惹かれていく道程、恋仲になり過ごす日々の思い出。彼の事を「忘れていた太陽の光」と語る彼女の話は、正直どうでもいい他人の恋路の話であっても、心に響くものがあった。


「でも、あの日……あの日全てが……」


 だからだろう、庸介は依頼人が本題に入ろうと思い、そして声を詰まらせたタイミングでカーテンを引き、陽の光を遮った。


「……あの日、私たちの家に男たちが押し入りました。『夜の王』の血族を名乗る男たち。無法の噂は聞いていましたが、あの日までは自分たちとは違う世界の話だと思い込んでいました」


 淡々と、だからこそその裏に真っ黒な感情を感じさせる声色。彼女は続けた。

 何の関係もない自分たちを攫い、嬲り、おもちゃにしたその振る舞いを。感染者の生命力を試すように、普通の人間では死ぬような苦痛を笑いながら与えるその所業を。

 その肩は、恐怖でも嗚咽ではなく、怒りに震えていた。


「夜明けも近付く頃、彼等は飽きたのでしょう。開放を仄めかしたその言葉に、愚かも私たちは感謝の言葉さえ述べました。そんな私たちにアイツらは––」


 いつの間にか隣に座っているミティは、庸介の手をぎゅっと握る。


「アイツらはあの人の四肢を切断して屋外に投げ捨てたんです」


 血の涙を流さんばかりの感情の籠った一言。

 サングラス越しにでもその瞳の色がはっきりと分かるほどだった。

 悲鳴をあげ、大切な人の命が失われていく姿をただ見ていることしかできない無力、絶望、怒り。そう語る姿は、まるで庸介自身の鏡写し。腕の中で冷たくなっていく妻を抱く自分を見ているようだった。


「アイツらの拘束を振り解き、陽に焼かれながら崩れていく彼を抱きしめ泣き叫ぶ私を、アイツらはまるで面白いものを見る目で笑って見ていたんです」


 彼女は腕を捲り上げ、顔の包帯を剥ぎ、焼け爛れた皮膚を露わにする。まるで憎悪の印だと言わんばかりに。


「私が生き残っているのは、今際の際の彼の––」


『今までありがとう。アナタは生きて』


 その言葉は、庸介の中の大切な言葉と重なり、その後も憎悪を吐き出す依頼人の言葉よりも余程、庸介の心を揺さぶった。

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