アイリッシュ・スタンバーグ

 アイこと、アイリッシュ・スタンバーグは転生者である。


 転生前も今と同じ、趣味は物作りであった。


 趣味に耽るあまり、食事を摂らないことも多々で、外出先といえば、ほぼ決まってホームセンターである。


 お洒落をすることはなく、家では、寝るとき以外は、つなぎ服。髪も重く黒々しい剛毛であった。


 会社から帰宅後に、趣味に没頭することも多く、そういう時は限って徹夜であった。


 そしてこの運命の日も二徹後の退社途中であった。


 目の前から道路に飛び出してきた白い猫を助けようとしたのだが、そこに酔っ払い運転で蛇行してきた車が突っ込んできたのだ。


 目が覚めたアイの側にいた老人から、助けたのが猫ではなくビニール袋だと教えられて彼女はショックを受ける。哀れに思った老人が「転生させてやる」と言うも、アイは「生き返らせて」と申し出る。


「それは決まりで無理なのじゃ」

「決まりがなによ! あと少しで完成するところなのに、こんなのじゃ未練タラタラだわ! せめて完成するまででいいから!」


 それでも老人は無理だと言う。


「そもそもお主がぐっすりと寝ていたのもあり、体は既に荼毘だびに付されておる」

「ええっ!?」


 それが二徹のせいであると彼女は気付き、大きく項垂れた彼女は転生の道を選ぶしかなかったのであった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 新たに生まれ変わった彼女は、前世の記憶を持っていたことに驚く。そして、アイリッシュ・スタンバーグと名付けられ、蝶よ花よと育てられる。


 鏡で見た自分の姿の愛らしさにアイ自身驚く。前世と違いふわふわとしたエアリーなピンク色の髪に、クリッとした目、桜色の小さな唇。これは将来的にも期待出来る、前世とは違い恋愛もいっぱいしようと自信を持つ。


 ところが両親の愛情は五年後に生まれた弟へと移る。伯爵家として大事な跡取りである。当然といえば当然なのだが、放って置かれたアイは趣味の物作りへと没頭し始めた。


 決して両親はアイへの愛情を失くした訳ではなく、放任的なところがあっただけであり、アイの好きなようにとさせていた。


 ところが外出は物作りの為と、社交界に一回出たきり。結婚適齢期となっても家を出ようとしないアイを心配した両親は、結婚相手の候補を探すのだが、ことごとく断られてしまう。


 とある子爵の次男坊は戦争から帰って来なかったり、とある男爵家の長男は力の弱いスタンバーグ伯爵家を下に見て、愛人にしようとしたりと相手にも問題はあったが、何よりアイの要求が大きすぎるのも原因の一つでもあった。


 “そこそこ見映えよく、年齢は少し上か年下、清潔感があり、財力もある。何より趣味に没頭させてくれる”


 一番最後の条件が何より結婚相手を探す両親を悩ませたのである。何せこの世界の貴族の女性は、お茶会や社交パーティーなどで、普段表に出ないような情報を収集して旦那に伝えるのが大きな役目なのだ。


 趣味といえば、自宅で開くパーティーで恥をかかないように、花を育てたり、自らを綺麗に着飾ることが主であった。


 物作りの趣味を理解しろというのが、そもそも難題であったのだ。


 初めこそは、伯爵家との繋がりを狙って色好い返事を貰えていたが、それも年齢を重ねるにつれ減っていく。それと同時にアイも消極的になっていった。


 それでも根気よく両親は探し続け、ようやく色好い返事が貰えたのが現在アイが滞在している領地、ブルクファルト辺境伯領からであった。



◇◇◇◆◆◆◇◇◇



 アイの相手、名前はリーン・ブルクファルト。年齢は十一歳だと聞いていた。周囲からの評判も良く、ブルクファルト家から久しぶりに傑出した跡取りが出来たと言われていた。


 自分の年齢で、そんな相手が見つかるとは思いもよらず、うまい話に裏はあるものだと思っていたが……当たりであった。


「はっ! もしかして……彼は何かのお仕置きでもされていたのでは……? って、そんなはずない。だって彼、めっちゃいい顔していたもの……」


 天井に縛られ吊るされていた彼の悦に入った顔が脳裏に焼き付いて離れないアイは、僅かな望みも断ち切られた気分になり、顔を両手で隠してさめざめと泣く。


「もしもし、そこに子猫ちゃんはまだいるかい?」

「いません。子猫じゃありませんし」

「良かった。まだ居たんだね。ちょっと助けてくれないか?」


 扉の向こうからの声に思わず反応してしまい、渋々彼女は扉を開く。どうしても目を合わすことが出来ずにキョロキョロと気まずそうに視線を逸らしてしまう。


「助けるって、縄をほどけばいいのですか?」

「ああ。お願い出来るかい?」


 天井から壁に備え付けられたフックに伸びる縄。固く、くくりつけられており中々外すのに手間取る。


「あ、外れた!」


 壁のフックから外れた縄は天井へとスルスルと向かい、背後でドスンと音がした。


 それが何の音か彼女はすぐに理解する。いきなり縄を外したのだから、それが床に落ちるのは当たり前の話であった。恐る恐る、彼女が振り返ると、そこには縄に縛られたままのリーンが顔面を床に押し付けてピクリとも動かずにいた。


「だ、大丈夫ですか?」

「ははは!! 君は過激だね。出会って間もないのに……さすが僕が見込んだだけはある」

「全く嬉しくない」


 ちょっとだけ、鼻先が赤くなっていたリーンは、何事もなく巾着状態の足の縄を解いて立ち上がると、スルリと容易に縄から抜け出してみせる。


「初めまして、僕はリーン。リーン・ブルクファルト。婚約者なんだし気軽にリーンと呼んでくれ。それが嫌なら“このゴミがっ!!”でも可」


 キラリと光る白い歯を浮かべるも、その顔立ちにはやはり幼さが残る。


「リーンでいいわね。それと、いい加減ズボンを履いて欲しいのだけど……」

「ふふ……さっきからチラチラと見るなんて興味津々なんだね」

「違うわよ! 嫌でも目に入ってくるの!」


 リーンは少し残念そうに口を尖らしながらも渋々とベッド横に綺麗に畳まれたズボンを履き始めた。


「やれやれ、君は怒りっぽいね。僕の何が不満なのさ」

「変態っぽいところ」

「あーはっはっは。僕が変態だって!? ……当たりだよ」

「自覚あるんかい!」


 やれやれと肩をすぼめるリーンにアイは自分の方がおかしいのかとさえ思えてきた。


「君は、結婚に対して幾つか条件を挙げていたよね? 僕はそれに全て当て嵌める事ができると思うのだが?」


 アイが両親に出した条件。まずは、見映え。要は外見である。


 リーンは確かに美少年の部類に入るだろうし、アイから見てもリーンの裸は細身ではあるが決してガリガリという訳ではなく、むしろ少年にしては鍛えられ無駄がないのがわかる。将来的にも有望といえ、とりわけ彼女にとっては好みと言ってもいい。


 次に年齢。少し上か年下。これもちょっと年下過ぎるが問題なくクリアしていた。


「あとは、財力と清潔感と君の趣味に関してだったね。財力は、まぁ、見ての通りって感じかな? 問題ないよね。それと清潔感だって……」

「はい、そこ! そこが引っ掛かるのよ!」と、アイは素早く指差し指摘する。


「何故だい!? 清潔感の塊のような僕が!」

「どこがよ! その……えっと……とりあえずフケツよ! フケツ!!」

「やれやれ。君は見落としているね」


 おもむろにリーンは床に落ちている自分が縛られていた縄をアイに差し出して見せる。


「それが、何?」

「見てわかるだろ……これはまだ新品だ!!」

「わかるか!」


 リーンから縄を取り上げると、床に叩きつける。リーンはショックを受けたように目を丸くしていた。


「下着だって君が来るから新しいのをおろしたのに……風呂だって毎日入っているというのに……」


 アイの眉がリーンの言葉に反応してピクリと動いた。


「風呂? お風呂……あるの?」

「ああ。休火山だが近くにあるのでね。そこから温泉を引いているのさ」

「お、温泉……」


 温泉の魅惑にアイの後ろ髪が惹かれた。毎日お風呂を沸かすとなると、人件費と大量の水が必要となる。たとえ小さなお風呂であっても、この世界では珍しく、大概は沸かしたお湯で体を拭く程度。アイの実家も多分に漏れず。


 伯爵家とはいえ必ずしも裕福とは限らないのである。


 ましてや温泉となると、アイはここに生を受けてこの方聞いたことがなかった。


「最後に君の趣味だが……物作りだそうだね? それも問題ないさ。むしろ僕に出来る事があれば協力しようじゃないか」


 アイにとっては破格の条件である。しかし、そんなにうまい話があるわけもなく「ただし──」と続いたリーンの言葉に、アイはやっぱり取引を要求されるかと、そう思った。


「ちょっと一日に一回、僕をぶってくれれば──」

「一日0回でお願いします」


 アイは、これでもかと言うくらいに深々と頭を下げる。


「はっはっは。わかった、そこまで言うなら一日二回でもいいぞ。こう見えても僕は忙しい身だからね」

「増えてるじゃない! やっぱり、この話はなかったことに──」


 ピンクの長い髪をなびかせ、急いでアイが部屋を出ると、後ろからリーンがついてくる。


「わかった。それじゃ、君は鞭を使ってくれてもいい!」

「お願い、話を聞いて! 素手とか鞭とかどうでもいいのよ!」

「何!? 僕に選ばせてくれるのか!? 君はなんて優しいんだ!」

「だから、話を聞けぇ!!」


 白を基調にした壁に、どこまでも続く真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を、ズカズカと足音を立ててアイは、両親を探す。何事かと行き違う使用人達は、アイの迫力に蹴落とされ、何も言えずにいた。


 なんとしても両親にリーンの本性のことを話をして、破談にしなければならないと歩みを急ぐ。


「いた!」


 これでようやく破談に出来ると、リーンの両親である辺境伯夫妻と歓談している両親を見つけて、アイは胸を撫で下ろすのであった。

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