第63話

「羽柴課長、人事課の依頼の資料上げておきますね」

「あ?ありゃ来月末で良かっただろ」


 楚良がいつも通りにメールを送った後、課長席に居た羽柴へと声を掛ければPC画面を見ていた男が視線だけを上げる。


「今見る。紙でチェックしたいからそっちで頼めるか。画面が空いてない」

「分かりました。…嗚呼、でもそれこそチェックは後でも」

「然程の量じゃないだろ、忘れない内に手放しとく」

 告げられれば直ぐにプリントアウトのボタンを押した楚良が、長い裾を揺らして立ち上がる。頬杖をついた羽柴はまた視線を画面の方、直ぐに戻って来た楚良が何枚かある紙の縁をホッチキスで留めた。


「去年の資料がサンプルなんだよな?」

「はい。色合い的に見辛い所を変更しましたし、規約や会社の概要など変更があった所は手直しして欲しいとの事でしたので」

「うん。予想通りだがそれはアッチの仕事だからな。何で君に文章チェックまでさせてるんだか…テキストで出せと言っとけ今度から」

 溜息を吐きつつその中身を見れば随分見やすく纏められていて、テキスト位置だけではなく文章もポイントが分かりやすく手直しされていた。人事の人間が直接彼女に頼み込んで居たと思ったが、あれもこれも頼んでいるのは明かだ。


 出来れば営業に移動したい希望を出している羽柴が、その辺りのマネジメントを鳴海と彼女に任せているが、彼女が断っている光景は見たことがない。本当にそうでなくても楚良はこの部署で多分一番仕事が多いのだから、是非余計な仕事は増やさないでやってほしいと羽柴が溜息を吐いた。


 流石に映像絡みや規模の大きい仕事はそれなりに苦戦している様だが、あの事件以来だろうか、彼女の仕事は随分幅が広がったと思う。元から柔軟な人間ではあったが色使いのレパートリーが増えた。

 少しだけ彼女に上を任せるのは勿体ないと羽柴も思う位には、本当に良く伸びる。余計な仕事を任せるのではなく、それこそ好きに絵を描かせてやればもう少し伸びそうな気がする。


「ったく、色味のチェックしてくれなんて言うと思ったら丸投げかよ」

「資料は全部頂いていますし、人事は四月に向かって山がありますから…。それで良ければメールで出しておきますね」

「嗚呼、見たら俺が送る。――――しかし、入社の季節か。お前も覚悟しとけよ?」


 自分の席に戻って付箋紙を幾つか剥がした楚良が終わった仕事の資料をファイリングしつつ、羽柴の言葉に首を傾げた。いつもの様に項で結ばれていた髪が肩を滑る。

「覚悟ですか?」


「そー、春はねー。女の子が頑張っちゃう季節だからね」

 問いかける楚良に答えたのは羽柴ではなく同じ島の女性社員。おんなのこ、と、楚良がまた首を傾げれば近くから本当に気をつけろとかそうだそうだと声が上がった。


「一條課長は滅茶苦茶モテるからな」

「いや、それは流石に知っています。何処に行っても目立つ方ですよ」

 それが何かとでも言わんばかりの楚良に、周りから溜息が漏れて彼女が疑問符を顔に張り付かせてまた瞬いた。

 それに羽柴の大きな溜息が重なる。


「春になると一條に女が集るんだよ。入社したての新入社員とか、移動してきた奴とか」

「毎年ですか?大変ですね」

「お前のその一切興味のなさげな所はどうにかならないのか」

 大変ですねという言葉には嫌そうな雰囲気は一切含まれておらず、PC画面を見つめている彼女には今日の天気の方が余程興味のある話題な気がして、また重ねる様に羽柴の溜息が漏れれば楚良の顔がやっと上がった。


「恋人に他の女がベタついてるのは嫌だろ?」

 隣の席に座っていた男性社員から声を掛けられて、やっと楚良がそういう事かとばかりに、そうですねと小さく呟く様に声を上げる。


「私がイライラとしても何も解決になりませんし、一條課長は普段からそんな方ですからきっと慣れていらっしゃいますよ。それに職場でそういう諍いは不要です」

「お前本当にドライだな。一條が可哀想だろ」

「どこが可哀想ですか…」


 何てことを言うんですかとばかりに楚良の唇から言葉が漏れたが、それよりは周囲からの溜息の方が早かった。

 普段通りにしていてと一條には言われたが、普段通りにしていると一方的に一條だけが熱を上げている様な評価になってしまうので、そろそろ以前不要と断じた恋愛の一般論辺りを調べてみないといけないのではと思う。


 こう、人の言うデレ、という奴を。


「仕事は互いにキッチリやってるんだから、隠さなくても文句言われる筋合い無いだろ」

「隠している訳では…」


 普段通りなだけですと言おうとしたがまた溜息を吐かれそうだったので、こういう時は可愛い嫉妬でもしてやれば良かったのかと口を閉じた。いや、そもそも可愛い嫉妬ってどうやるのだろうか、と、一瞬仕事以外に思考が流れかけてこれは駄目だと軽く頭を振った。

 気付いたら一緒に寝ている現象は兎も角、普段から双方接触はないしプライベートでも付き合っていないからこの様なものだし。本当に会社では二人ともに普段通り、の、筈なのだが。一條的にはあの評価で本当に満足なのだろうか。


「鳴海。空木さんちょっと借りていい?」

「何だいちゃつくなら外でやってくれ」

「羽柴に聞いてないし…いい加減仕事の話だって理解してくれるかな」


 考えなければならない事は沢山あるのに一條の事を考えている暇は今のところ無い気がすると思ったが、ふと自分の名を呼ぶその声に気付いて顔を上げる。

 楚良が其方を見上げてみれば鳴海の側にその男が立って見下ろしていた。


「Chevalierの話なら空木がやると言ってるんだから気にするな」

「そうはいっても納入遅れてるし本人の話を聞きたいんだけど」


 軽い溜息を吐き出した鳴海が椅子の音を立てて立ち上がり、一條の方へと向き直れば一瞬部屋の中が静まりかえる。

 流石にこの雰囲気を見て穏やかな話し合いに見える者は居ない。


「まだ締め日は先だろ」

「今まで無かったでしょ、此処まで引っ張ったの。どうなってるかだけでも聞いておきたい」

「――――……空木」

 また一つ溜息が漏れて鳴海が一度彼女の方へと視線を落として小さく名を呼べば、楚良はもう既に席から立ち上がる処だった。


 机の上へと置いてあった幾つかの書類を手に取り纏めた彼女がミーティングルームを指して歩き出せば、その後ろに一條が続く。羽柴はやはり動かず、その代わりに舌打ちを一つした鳴海が続いた様だった。

 ミーティングルームへと入れば楚良が机の上へとファイルを置いて、正面の椅子を一條へと勧め腰を下ろす。

 横の椅子を引いたのは鳴海の為で、ドアがばたりと背後で音を立てて閉じた。


「上月から聞いたけど、戻ってきたんだって?」

「そうです。…でも上月さんは悪くありませんよ、此方の要望は最大限叶えて頂いていますから」


 つい先週、というよりついこの間。Chevalierは一條の手から離れて部下の方へと渡している。

 デザイン課で安定的に仕事をこなしているブランドだから、その中継役は彼の部下である上月に任せても問題無いという判断だったが、その直後に楚良が初めてChevalier側からデザインの没を出されたのが一週間前だった。

 指示が抽象的なのはいつもの事、香水の中身を教えて貰えていないのもいつもの事、サンプルを受け取った楚良がいつも通りそこから着想を得て、コンセプトアートを描きいつもの通りに提出したのだが、それはその日の間に本当に楚良が手がけたのかという疑問と共に戻って来た。


 流石に楚良にしてもそれはショックで、少し気分転換に他の仕事を手がけてはいるが、新しいイメージが捉えられたかと言われればそれは否だった。

 やはり一條の力だったのか等と言われるのは上月としても本意では無いし、仕事を引き継がせた立場の一條としても黙っていられる立場ではないだろうというのは、楚良も承知の上だ。


「指示は?」

「ナイトキャップパフュームとの事でした。ただ……香りが強すぎる様な気もしますし、甘すぎるという気もします。これはどちらかというと落ち着く香りではありませんでしたから、刺激的な夜を求められての事かと思ったのですが」

「君の苦手な分野だね」


 きっぱりと一條に言い切られて、そうです、とまた楚良が静かに頷いた。ずっと楚良の感性に頼ってきた仕事だし、そういう評価はいつかは受けるものだと思ってはいたから楚良の答えに躊躇はない。


「どうするの?他に振る?」

「いえ、もう一度だけ描きます」

「苦手な分野なら他人に渡した方が楽だよ」

「――――それは」

「営業課長が空木を信じられないという判断なのか?」


 一條の問いかけに答えようとした楚良の言葉が最後まで紡がれる前に、その言葉を遮った男が楚良の隣で軽く机の上、身を乗り出した。

 一瞬の沈黙、そして一條が息を吐いて指先が伸び机の上に置かれていたサンプルを指で叩く。


「相性はいいって言っても当然全てが100%合う訳じゃないし、此方としては想定範囲内なんだけど」

「一條」

 悩むまでもなく告げられた言葉に、一瞬だけ楚良の瞳が細められたがやはり言葉はなく、代わりに口を開いたのは鳴海の方だった。


 一條の言葉は楚良の実力不足を責める様な風にも聞こえるし、例えそれは事実だとしてもこの時期に彼女からChevalierを奪うというなら羽柴の代わりにという話も危うくなる。

 今のところ彼女はそれにイエスとは答えていないが、羽柴が手を引いた仕事は殆どが鳴海と分け合っていて異論も無い様に思えた。


「Chevalierさえ取り上げれば空木の昇進を断れると思ってるのか?まあ実際そうだろうが」

「実際それには反対だけどそうじゃ――――」


 鳴海の言葉に首を振った一條だったが、一瞬言葉が詰まり喉の辺りへと手を置いて小さく咳払いをする。

 そして軽く息を吸って二人の方へと向き直った。


「彼女からChevalierを取り上げたいと思ってはないよ、そこは誤解しないで」

「だが言ってる事はそうだろう」

「いえ、鳴海主任。遅れているのはその通りです。営業課の方がそう判断されるのでしたら」

「だからそういう意味じゃなくてね――――っ、……」


 しかし一條がもう一度言葉を止めて空咳を一つ。首を振った瞬間だった、椅子から腰を上げた楚良が何も言わずに机越し、身体を伸ばして一條の額へと触れる。


「……熱は無いよ」

「微熱がありますよ」

「いや、さっき計ったけど平熱だったよ」

「今はありますよ。私の指は確かです」


 きっぱりと言い放った楚良が手を引いて告げれば、一條がそんな馬鹿なとばかりに自分の額へと手を置いてみる。

「鳴海主任、ちょっと額をお借りしても?」

「……は?」

「触れるだけです。私に熱がなさ過ぎるという可能性も」

 告げる楚良が許可と取ったのか鳴海の額へと軽く触れて、思わず二人の男が凝固する。


「鳴海主任は普通ですよ」


 するりと鳴海の前髪を掠って楚良の指先が離れ、小さく溜息を吐いた彼女が自分の前にあったファイルを閉じて重ねて置いた。

 確かめる様に自分の額へと手を置いた鳴海だったが、直ぐにその手を下ろして頭を振る。


「さっき計ったという事は元々体調が優れなかったのでしょう?」

「――――…そうだね。今日はここまでにしておこうか、ただ、言わせて貰うけど本当に君からChevalierを取り上げたいって事じゃ…」

「もう良いから帰って寝てろ」

「だから」


 違う、と言いかけた一條がまた声を止めて咳払い、鳴海も流石にそれを見れば話は終わりだとばかりに溜息を吐いて立ち上がった。

「空木さん――――あのね」

「喋るな。空木に移る」

 部屋を出ようとした楚良へと声を掛けようとしたが、それよりは鳴海が割って入る方が早かった。


 一條よりも大柄な鳴海に阻まれれば、楚良の姿は殆ど見えない。

 その合間に先に行けとばかりに背中を押された楚良が、扉の向こうへと追いやられた様だった。


「この話下手に動かさな、…いでね。ちゃんと根回しはするから」

「空木から仕事を取り上げる為にか?」

「だから、そうじゃなくて。ちゃんと…確かめてから、……っ、――――ごめん」

「話にならないな」


 鳴海の言葉の意味は一つではないのだろうが、喋ったからだろうか先程よりは格段に喉の調子がよろしくない。

 これは本当に不味いのか、と、珍しく一條がネクタイを指一本分だけ緩め、自席の方へと戻って行く。

 大きな声を出したつもりはないが、そう言えば昨日取引先で担当者が随分咳き込んでいたと記憶に上がればこれは本当に警戒した方がいいと思った。


「…大丈夫でしょうか?」

「さあな。こっちに持ち込まなきゃそれでいい」

 心配そうにその背中を見つめながら問いかけた楚良に、鳴海は相変わらずの声。まあ鳴海がそう言うのは、確かにそうなのだろうが。


「結局どうだった?Chevalierだろ?」

 鳴海と楚良も併せて席に戻れば羽柴が問いかける。ガラス張りのミーティングルームだから遣り取りは羽柴も見ていたのか、最後まで話が終わったとは思わない。


「一條が潰れた」

「熱計ってたな。相当だったのか?」

「微熱ですよ、七度五分程度だと思います」

「細かいな!」

 触診で鍛えていますと楚良が手を開いたり閉じたりしていて、何だ俺も計ってくれと羽柴が笑いながら顔を近づける。俺も俺も等と皆が寄ってくるのに律儀に対応している彼女だったが、デザ課に発熱を抱えた人間はいないらしい。


「鳴海主任、Chevalierなのですが、今回は主任にお任せしても?」

「――――…まだ時間はある、お前でも問題無いだろ」

「いえ、一條課長の言う通りサンプルに対してあのイメージ以上のものが沸かないのに、逃げ回っていたのは事実ですから」

 楚良がファイルを纏めて一番上へとサンプルを乗ながら、それを鳴海の方へと差し出して軽く首を傾げれば、一瞬皆のデスクから会話が消える。


「それが一條の判断だったのか?」

「……多分」

 羽柴に告げられた言葉に楚良がまた小さく首を傾げて先程の言葉を思い出し、多分そう言う意味だと頷いた。

 他の人間に任せた方が楽、とか、苦手な分野だ、とか。多分適切に割り振れという意味ではないだろうかと思えば楚良の口からはそれを肯定する声。


「了解した。この件はお前達で調整つけてくれ」

「分かりました。多分鳴海主任の方が得意な香りだと思います」

「だといいが」

「何か気になる事でも?」

「いいや」


 羽柴は何か思うところがあるのだろうかと問いかけて見ても確たるものは返ってこず、結局楚良はそのままファイルを鳴海へと手渡して自分の椅子へと腰を落ち着ける。


 スマホを引き寄せながらその表示を確かめれば、一條から病院に寄ってから帰ると言う風なメールが届いていた。

「お前、間違っても看病なんて仏心を出すんじゃないぞ?」

「え、仏心って何ですか」

「一條の所に行って看病なんてしたら一発で貰うだろ」

 医者は夜に呼ぶので家にそのまま帰って眠っていて下さいと送り返し、スマホを裏返して傍らへと置きながらChevalierの資料の入っていたファイルを全て圧縮して鳴海の方へと送って置いた。


「なるべく貰わない様に気をつけますが一條課長とは一緒に住んでいるので、看病はしますよ」

「――――――――おい、今、お前何って言った?」


 帰りに必要なものを幾つかピックアップしておこうと考えて、定時辺りに上がらなければと今抱えている仕事のリストを作り直そうと表を立ち上げる。

 一気に静まりかえったデザイン課のデスクの中で羽柴の凍り付いた様な声が聞こえて、楚良が顔を上げた。


「看病はしますよ」

「そうじゃない。お前、一緒に住んでるって何だ!?」

「何だって。防犯上の流れから入院しない私の世話などで一條課長が仕方なく」

「いつから」

「少し前からです、正確には良く覚えていません」


 流石に勅使河原どうこう辺りからと言うのは言わない方が良いのだろうかと、再びPC辺りへと瞳を向ける事にした。

 皆に見つめられて視線に居心地の悪さを感じるが、口から出てしまったものは今更撤回は出来ない。


「お前ほんとにすごいな。どれだけ一條を手懐けたらこの短期間でそうなるんだ?てっきり俺はまだ通ってる程度だと思ってたが」

「私ではなく私の兎が手懐けたのです。色々あってお世話が捗らなくて見かねてだったかと」

「まあ…お前にはそれが一番効くのかもなあ…」


 全くだ等と周りからも言われているらしい楚良がまた肩を竦めて寄越した。勅使河原の一件から一條と楚良が付き合ってるなんていうのは常識が如く広まったが、会社で見ていれば関係も距離感も相変わらずだったから、一瞬本当は付き合っていなかったのではなんて噂も広まりかけたが。

 一條や楚良に聞いてみれば否定などもされず、頻繁に家を行き来しているなんて内容も広まっていてとっくに同棲済みなのではみたいな話も聞いた。

 まさか本当にそうだったのか。楚良はどうか知らないが、羽柴の知っている一條というのは余り女性にプライベートに踏み込まれるのは嫌っていた気もしてならない。


「じゃあもしインフルエンザならお前が次の可能性が高いのか」

「気をつけていればそう簡単に掛かりはしないかと。ただ部署内で流行るなら変な時にかかるより営業が止まってる間に貰えれば良いかと思うのですが」

 もしインフルエンザならばという前提だが、一條が動かなければそれ程件数は増えないだろうと思う。その合間に色々と片付ける暇が出来たのは幸運だとしか楚良は考えていない。


「今日は熱が上がりそうなら定時で帰ろうと思うのですが」

「何だ、お前の事だから看病も外注かと思ってたが」

「そうするのが一番でしょうけれど。知り合いのお医者に訪問治療を頼もうと思っているので、その位で上がれれば良いなと。どうせ今病院に行っても検査は陰性でしょうし、熱が上がるかも分かりませんしね」


 流石に毎日自分が早く帰る訳にはならないし、まさか鳴海に仕事を押しつけるだけ押しつけてから帰るという訳にもならないだろうから今日だけでもと羽柴に声を掛けてみれば、是かも否かもつかない答えが返ってきた。


「お前のそういう合理的な所は俺も好きだぜ?」

「はいはい、私も終わった端から仕事を押しつけてくれる課長が大好きでしたよ」

「早速浮気な上に過去形かよ」

「無事一條課長に殺されて下さいね。まぁ、本当は全て外注したい所ですが病の時に知らない人間は嫌でしょうし、診察だけですよ。それで、今日は帰って良いんですか?」


 問いかけて見ればうーん、と、間延びした声が上がって直後に羽柴が鳴海の方にどうなんだ等と声を掛ける。すっかり自分の仕事に入ってChevalierの資料を確認していた鳴海が一度だけ視線を上げ、そして直ぐに戻してから脇に詰まれてあったファイルを手に取った。


「これが終わったら」

「……魔法でも使わないと無理ですよ。持ち帰りでいいなら定時で帰ります、申請は上げておきますので後でチェックして下さいね」

 渡されたファイルの中身をちら見した楚良が大きく溜息を吐いていて、これは大きな仕事が彼女に渡ったのではないかと予想する。


 それでも断らない辺りは彼女は流石だと皆が思っているし、仕事を渡した鳴海にもそれは想定内だ。


「それにしても、お前に看病なんて出来るのか?」

「どういう意味ですか。インフルエンザの看病なんて誰がやっても同じですよ、珍しい病気でもあるまいし」

「一條が哀れに感じるからそういうのは辞めてやれよ…」

「え、何がですか」


 どうやら本気でこの物言いである事を思えばまた羽柴が一つ溜息を零す。だが少し考えれば彼女らしい答えだとも思えて、一條頑張れと心の中だけで応援しておいた。


 失礼ながら普段から家事などしないし料理もしていないと言って居た彼女だから、ソレを考えれば同情的になる。外注が一番効率的などと言われれば余計、彼の病状は長引くのではないか、等と皆が失礼な事を考えて居ることなど知らず、楚良が後ろから申請書を一枚手に取りそれを最後まで、埋めた。

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