第十五章

第513話 対空砲座でのひととき

 朝日が射し込む北ベイス島、第十六対空機関砲座。


 物騒な兵器に、一人の若い女がしな垂れかかっている。


 女は白いブラウスに赤いタイトスカートを身につけているが、普段は軍服と皮鎧をまとっている女性兵士。


 その女の前に置かれたキャンパスに向かって、一心不乱に絵筆をふるっているのはカルル・エステス。


 そんなカルルの脳裏に、声が聞こえてきた。


『水彩画とは、なかなか良い趣味をしているな。カルル・エステス』


 もう、すっかり馴染んでしまったレム神の声。


 五年前、初めて頭の中でこの声が響いた時、カルルは気が狂いそうになった。


 突然身体の主導権をレムに奪われ、数日の間レムから主導権を取り戻そうとしてあらがい続けていた。だが、抵抗はいつまでも続かない。やがて、疲れ果てたカルルは、レムの支配を受け入れてしまったのだ。

 

 それから五年間、カルルはレム神の支配下にある。


 カルルは絵筆を止め、モデルの女に声をかけた。


「俺はこれから独り言のような事をつぶやくが、気にしないでいてくれ」


 女はそれを聞いて、カルルに畏敬いけいの眼差しを向ける。


「それって、レム様の声がかかったから?」


 帝国では、レム神と会話できる者は一種のエリート扱いなのだ。


「まあ、そんなところだ」


 だが、当の本人にとってはあまり良いものではない。


 それはつまり、ブレインレターで無理矢理レムと接続されたという事だから……


 カルルは、脳内に話しかけてくる存在に返事を返す。


「海斗の艦隊が来るまで、三~四日かかるのだろう。この絵は、それまでに描き上げる」

『いやいや、カルル・エステスよ。私は別にとがめているわけではないのだよ。私も芸術には関心があるので、見に来ただけだが、邪魔だったかね?』

「聞かなくても、俺の心を直接のぞけばいいだろ」

『そういう無粋な事は、控えるようにしている。どうやら邪魔をしてしまったようだな』

「見たければどうぞ。絵は人に鑑賞してもらってこそ価値がある。あんたは、人ではないかもしれないが」

『気を悪くしたのなら謝るよ。それにしても、君は絵が上手いな』

「こう見えても、俺のオリジナル体は日本の美大を出ているのでね」


 美大を出た後、カルルはデザイン関係の会社に就職していた。数年はそこで働きながら、同人誌やネット小説のイラストを描いて副収入を得ていた。


 だが、ある日会社が倒産。


 金に困っている時に同人仲間の鹿取かとり香子きょうこから、報酬五十万のモニターバイトを紹介されて飛びついてしまった。


 その結果、電脳空間サイバースペースにもう一人の自分が生まれてしまったのだ。


 そのデータを元にプリンターから生み出され、この惑星に降りたコピー人間が今のカルル。


 電脳空間サイバースペースでは抑制できていた香子への恋心は、肉の身体を得たことによって抑制ができなくなり、香子へ結婚を申し込んでしまった。


 結果は失恋。


 やけになったカルルは、最前線で戦う事を希望した。


 そこで華々しく散ってやろうと……


 だが、そこで彼を待っていたのは死よりも辛い運命。


 レムに身体を乗っ取られてしまったのだ。


 今でも本来の意志は残っているが、肝心な時にはレムによって作られた疑似人格が目覚めて身体を乗っ取られてしまう。


 今は疑似人格の方が眠っていて、カルル本来の人格が目覚めているが、レムから監視されている状態で逆らう事はできない。


「まさかと思うが、俺が絵に変な暗号でも隠しているのではと思って見に来たのか?」

『まさか。そんな事は思っていないよ』

「この絵は、俺が生きていたあかしだ」

『証?』

「そうだ。俺が自由意志で動ける間にできる事は、絵を描くぐらいだからな。この絵は、俺が死んだ後も残るだろう。その時にこの絵を見た者に、カルル・エステスという男が生きていたという事を知ってもらいたい。この絵にメッセージが込められているとしたら、そういう事だ。それとも、そういう事まであんたは禁止するのか?」

『いやいや、禁止はしないよ。ただ、ここはもうすぐ戦場になる。せいぜい大切な絵を焼かれないように気をつける事だな』


 レムの声はそこで途切れた。


「言われなくてもそうするさ」


 カルルは再びキャンパスに向かって筆を走らせる。


 描きながらカルルは呟く。


「海斗……ミクを、守ってやってくれ」

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