第309話 一パーセントの可能性

「主治医に、会わせてほしい」


 僕の要請に応じて、病室にやって来た医者は、細い金フレームの眼鏡をかけた清楚な雰囲気を漂わせる中年の女医だった。

 

「主治医のリーウ 魅音ミオンと申します」


 柳 魅音!? ひょっとして……


「あの……失礼ですが、先生は、朱雀隊の?」

「そうですけど……チャンさんから、昔の話でも聞いたのですか?」

「ええ……《朱雀》に乗って戦った時の話を……」

「まあ!」


 女医は少し顔を赤らめた。


「な……何を聞いたのです!?」


 突然、そんな事を叫んだのは女医の背後にいた中年の女性看護師。ネームプレートに目をやると『趙 麗華』と書かれている。


 という事は彼女が……


「私の黒歴史をペラペラと……」


 やはり彼女が、チョウ 麗華レイホーか。あの時の事は、彼女にとって消し去りたい恥ずかしい過去なのだろうか?


 さらに聞いてみると、趙 麗華とワン 博文ブォエンはその後結婚したらしい。

 王は日頃ヤン 美雨メイユイの店で料理人をやっているが、いざとなったらカルカ防衛隊の隊長を務めているそうだ。

 芽衣ちゃんが言っていた隊長というのは王のことだったようだ。


「北村さん。用事と言うのはなんでしょう?」


 僕は女医にタブレットを見せた。

 そこには、カルル・エステスらがリトル東京から盗み出したマテリアルカートリッジのリストが表示してある。


「これは!?」


 女医は目を皿の様にしてタブレットを見つめた。


「この中に、ナノマシン製造に必要なカートリッジは揃っていますか?」


 女医は頷いた。


「確かにあります。しかしこれは盗まれた物ですよね?」

「そうです。でも、まだ使っていないかもしれない。可能性はゼロではない。そこで聞きますが、今からこれを取り戻したとして、チャン 白龍パイロンの治療は可能ですか?」

「可能です。しかし、すぐに決断しなければなりません」


 女医は章 白龍のベッドに歩み寄り、眠っていた彼を起こした。


「章 白龍。決断して下さい」

「何を?」

「このまま治療を断念して、残り数日の余生を過ごすか? 一パーセントの可能性にかけて、もう一度、冷凍睡眠コールドスリープするか?」


 話を聞いた章 白龍は首を横にふった。


 なぜ?


「どうして!? 白龍君! 助かるかも知れないんだよ!」


 食って掛かったミクに対して、章 白龍はゆっくりと首を横にふる。


「ダメだ。少ない可能性にかけるのはかまわない。しかし、敵に奪われたカートリッジを取り戻すとなると、味方に犠牲が出る。僕のために、これ以上人が死ぬのは……」


 そういう事か……


 僕はベッドに歩み寄った。


「その点は気にすることありません。どのみち、僕らは帝国と戦います。そのついでにカートリッジを取り戻すだけの事です」

「しかし……」

「ここであなたが治療を断念しても、犠牲はどのみち出る。戦いの結果、カートリッジを取り戻したとしましょう。その時に、あなたが死んでいたら、みんながどれだけ落胆すると思いますか?」


 章 白龍は暫く考え込んだ。


「白龍君。冷凍睡眠コールドスリープして。あたしとお兄ちゃんで、必ずカートリッジを取り戻すから」

「しかし……」


 レイホーが父に腕にしがみ付く。


「父さん! 冷凍睡眠コールドスリープするね! 私も一緒にカートリッジを取り戻しに行くね」

「お前に、そんな危険な事をさせたくない」


 それも、そうか。


「それでは、レイホーさんはカルカに残るという事で……」

「冗談じゃないね!」


 う! レイホーから睨みつけられた。


「自分の父親を助けるのに人に危険な事をさせて、実の娘が安全なところでのうのうとしているなんてできないね」


 確かに……


「あなた……」


 楊 美雨が章 白龍の肩にそっと手を置いた。


「美雨……」

「三十年前、まだ少年だったあなたに私は言ったわね。君が死んだら、私が悲しむと。今でも気持ちは同じよ。それに、三十年の間にあなたは英雄になって、そして父親になった。あなたが死んだら悲しむ人は、あの時よりもっと多いのよ」

「……」


 女医と看護師も詰め寄った。


「章さん。あなたが死んだら私も悲しいです」「私だって悲しいわよ! それにデブだって悲しむわ! いや……今では大分痩せちゃったけど……あいつが涙なんか流したら、恰好悪いじゃないの! カルカ防衛隊の鬼隊長に、そんな恰好悪い事させたいの!」

「いや……その……」

「このままだとあんた、リトル東京を探しに出かけたアーニャと美玲メイリンが戻ってくるまで身体がもたないのよ。二人に別れの言葉もかけられないのよ」

「それは困るな」


 章 白龍はようやく首を縦にふった。


「分かった。一パーセントの可能性にかけよう」


 一時間後、章 白龍はみんなに見送られながら、再び眠りについた。


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