第170話 愛別離苦

 突然、降ってわいたように僕達の前に現れたミク。


 そのミクが、僕らと過ごしたのは、たったの三日間。


 三日間のはず……なのに……


 なぜ……涙が止まらない?


 いったい、どういう事なんだ?


 さっきから、頭の中にミクとの思い出が怒涛のごとく蘇ってくる。


 オボロから草原に落ちたミク、Pちゃんの膝枕で涎を垂らしているミク。


 これは分かる。先日あった事だ。


 しかし……、ケーキを頬張っているミク、僕と釣りをしているミク、ローラースケートをしているミク。


 知らない! こんなの見たはずがない。なのに、なぜ頭に湧いてくる?


『ご主人様』


 通信機から響いたPちゃんの声が、僕の思考を中断させた。


『現場付近を菊花で捜索しましたが、ミクさんは発見できませんでした』

「そうか」


 僕は何をやっているんだろ?


 Pちゃんとミール、キラやダモンさんまでがミクを探しているというのに……


 岩山の上で蹲ったままだ。


 僕も捜索に行かなきゃと思っているのに、足が動こうとしない。


『菊花は間もなく燃料切れですので引き返します』

「分かった」


 通信が切れると入れ替わりにミール(分身)が岩山に登ってきた。


「カイトさん。ダメです。分身を総動員して探したのですが、ミクちゃんの遺体はどこにもありません」  

「そうか」

 

 あの飛行物体は、どんな攻撃をしたんだ?


 女の子の身体を、跡形もなく消し去るなんて……


 僕はバイザーを開いてミールの方を見た。

 

「カイトさん! 大丈夫ですか!?」


 心配そうな顔で、ミールが僕の顔を覗きこむ。


「ミール……おかしいんだ……ミクとは、三日前に初めて会ったはず。なのに、まるで数十年も連れ添っていたような気がするんだ」

「それは……仲良くなるのに、一緒にいた時間の長さは関係ないと思いますけど……」

「そうじゃないんだ! 違うんだよ」

「どう違うのですか?」

「思い出が、蘇ってくるんだよ」

「思い出?」

「ミクと過ごした思い出……一緒に食事をしたり、ハイキングに行ったり、その帰りにミクをおんぶして帰ったり、トランプをしたり、泣いているミクを慰めたり……そんな、思い出が湧いてくるんだ」

「それは……」

「変だろう? ミクとは三日しか過ごしていない。そんな体験をしているはずない。なのに、体験していないはずの思い出が、次々と……」

「ご主人様。落ち着いて下さい」


 いつの間に岩山に登って来たのか、Pちゃんが僕の背後に立っていた。


「Pちゃん?」

「ご主人様。それは、おそらくブレインレターの影響です」

「ブレインレター?」

電脳空間サイバースペースのご主人様が、ミクさんと過ごしていた記憶が、ブレインレターで送り込まれたのだと推測されます」

「なぜ?」

「編集段階で削除し忘れたのか、あるいはこの先ご主人様がミクさんと一緒に行動するのに必要と判断されて、意図的に混ぜられたのかは分かりません」

「削除できないのか? このままでは辛すぎる」

「残念ながら、一度混ざり合った記憶を、分離する事はできません」

「僕は乗っ取られたのかな? 電脳空間サイバースペースの僕に……」

「それは無いと思います。電脳空間サイバースペースのご主人様に、そのような事をするメリットはありません」

「しかし……こんなの辛すぎる。ブレインレターっていったいなんなんだよ!? 誰がこんな物を作ったんだよ?」

「基本的な技術は、二百年前にもありました」

「なに?」

「元々は学習期間を短縮するために、人の脳に直接情報を送り込む目的で開発された技術でした。開発したのは国立科学研究所の田崎優梨子たざきゆりこ博士。研究の途中、田崎博士は、交通事故で息子さんを亡くされました。悲しみにくれた博士は、自分の研究を使って息子を蘇らせようと目論んだのです。単なる学習目的ではなく、息子の記憶を他人の脳に送り込み人格を乗っ取ってしまおうという恐ろしい計画でした。しかし、当時の技術では難しく、結局その時は猫に息子の記憶を移植したそうです」

「猫? 結局人間にはできなかったのだろう? 誰だよ!? こんな物を人間に使えるようにしたのは?」

「人間に記憶を移植するのに成功したのはそれから数十年後。レム・ベルキナ博士の手によってでした。ベルキナ博士の開発したブレインレターは、現在のものとほとんど変わりありません。しかし、その後ベルキナ博士は逮捕されています」

「なぜ?」

「ブレインレターを使って、非人道的な人体実験を繰り返したことが発覚したからです。その後、ベルキナ博士は獄死しましたが、彼の人格は今も電子データとなって、どこかに残っているという噂があります。まあ、都市伝説のようなものですが……」

「そんな悪党の開発したものを、なんで使い続けるんだよ?」

「便利だったからです」

 

 便利か……その一言のために、これまでどれだけ悪魔の発明が生み出されてきたことか……


「ご主人様。悲しいのですか?」

「ああ」

「その悲しみを、ご主人様はブレインレターのせいだと思っていませんか?」

「違うと言うのか?」

「ご主人様。仮にブレインレターの影響がないとしても、ご主人様は平気でいられますか? 三日間一緒に過ごした女の子が、目の前で死んでも……」

「それは……平気なわけ……ないだろう……」

「そうでしょう。実は、私も先ほどから感情が切断カットされているのです。ミクさんの死に、私の感情回路が耐えられなかったようです」

「……」


 僕は、この惑星に来てから、大勢の人間を殺してきた。


 もう、人の死に何も感じなくなってきたと思っていたのに、ミク一人の死がこんなに辛いなんて……


「ミクを、行かせるべきじゃなかった」

「ご主人様。自分を攻めてはいけません」

「いや。矢那課長のグループが、敵にいるのは事前情報で分かっていた。帝国軍を攻撃すれば、出てくることは十分予想できたはず……それなのに、僕は攻撃してしまった」


 こんな事になったのも、僕がSNSにつまらない事を書きこんだせいか?


 いや……悪いのは……


「カイトさん! いけません!」

 

 声の方に目を向けると、ミールが岩山に登って来たところだった。


 服装から見て、分身ではなく本体のようだ。


「ミール……」


 ミールは僕の傍に駆け寄ると、僕の肩に手を伸ばした。


 カチ!


 ヘルメットの着脱ボタンの音?


 ミールはロボットスーツのヘルメットを外して持ち上げると、むき出しになった僕の首を抱きしめてきた。


「ミール! こんな時に……」


 ミールは構わず、僕の顔を胸の双丘にうずめる。


「カイトさん。心を憎悪に委ねてはダメ。それこそあいつの思う壺です」

「え?」

「心の汚れた人間は、心の清らかな人間を嫌います。だから、相手の心を汚そうとするのです」


 ミール……いったい、何を言って?


「あの男は、カイトさんの心を汚したいのです。そうしないと、憎悪と嫉妬の塊である自分が惨めだから……」

「待ってくれ、ミール。それじゃあ、僕が心の清らかな人間みたいに聞こえるけど……」

「そう言っているのです」

「違う! 買被りだ!」

 

 僕だって、狡いことは考えるし、女の子を見たらエロい妄想の一つや二つするし、こんな奴が清らかであってたまるか!


「言い方が、分かりにくかったかもしれませんね。カイトさんは人と比べて物欲が少ない方ですし、人を傷つけて楽しいなんて思う人じゃない」

「ああ、人を傷つけたって嫌な気分になるだけだ」

「でも、それが楽しくてしょうがない残忍な人間もいます」

「それは、分かっている」

「あの男が、まさにそうです。人を傷つけるのが楽しくてしょうがない残忍な人です。でも、そういう人間にとって、カイトさんのように優しい人間は許しがたいのですよ。近くで見ているだけで、自分を全否定されているように感じるのです。だから、カイトさんの心を憎しみで汚したいのですよ」

「そんな理由で……」

「あの男は、カイトさんを自分と同じような残忍な人間にしたいのです。だから、奴の思惑なんかに乗らないで下さい。優しいカイトさんのままでいて下さい」


 僕は……いったいどうしたらいいんだ?


 ミクを失った悲しみを、何にぶつければ……


「カイトさん。気をしっかり持って下さい。奴はカイトさんの大切なものを、すべて奪ってやると言っていましたね? それなら、次に狙われるのは、あたしとPちゃんです。このまま、手を拱いているおつもりですか?」


 は! そうか、僕にはまだ失うものが一杯ある。守るべきものが一杯……


 今は、悲しみに暮れている場合ではない。


「ありがとう。ミール」

 

 僕はヘルメットを被りなおし、Pちゃんの方を向いた。


「Pちゃん。ミクにぶつかった飛行物体は、どうなった?」

「廃墟に降りていくのを、レーダーで確認しています」

「その場所は、どの程度の範囲で割り出せる?」

「半径五十メートル以内です」

「よし! そこへ行こう」


 矢那課長。僕はあんたを憎んだりはしない。


 憎んでなんかやらない。


 なぜなら、あんたには憎む価値もないからだ。


 たが、降りかかる火の粉は払うぞ。


 あんたがどうあっても僕への復讐をあきらめないなら、僕はあんたを殺す。

 

 憎いから殺すのではない。


 僕自身と、僕の愛する人達を守るために、あんたを世界から消し去ってやる。

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