第六章
第59話 夜這い
フロントガラスに叩きつける雨粒はますます激しくなり、ワイパーもほとんど役に立たなくなってきた。
「ち!」
運転席でハンドルを握っていた、カマキリを連想させる男は、思いっ切り不機嫌そうに舌打ちをする。
「まったく、なんで俺がこんな雨の中で運転しなきゃならないんだ。てめえなんかを助手席に乗せて」
僕だって、あんたの運転する車なんかやだよ……とは言えず……
「すみません」
「ああ!? なんだ? 聞こえねえよ。デカい声で喋れよ」
「あの……運転代わりましょうか?」
「ああ!? てめえ、何を企んでる?」
企む? 何を疑ってるんだ? あんたが運転したくないというから、代わろうかと言ってるのに……
「運転代わって、川にでも飛び込む気か? てめえが自殺すんのは勝手だが、俺を巻き込むなよ。それと会社の車は使うな。飛び込むならてめえの車でやれよ」
「自殺なんてしません」
「なんで自殺しないんだよ? てめえ自分が何やらかしたか分かってるのか?」
さっき僕は顧客の前で挨拶一つ出来ず、過呼吸で倒れてしまった。
気が付くと、車の座席に座らされていた。
「まったく、ここまで使えない奴とは思わなかったぜ」
もう嫌だ。
こんな所から逃げ出したい。
外国でも、異世界でもいいから、この……この……あれ? 上司の名前が思い出せない。
とにかく、この名前も思い出せないカマキリ男のいないところへ行きたい。
雨の音がさらに強くなる。
ん? 雨の音? なんか変だ?
車の屋根というより、テントに叩きつけるような……
目を開く。
あ! テントだった。
そうか、僕はとっくに異世界ならぬ、異惑星に来ていたんだったな。
いや、来てはいない。
僕の本体は、地球に残って天寿を全うしたんだ。
僕はそのコピーに過ぎない。
なんのためにコピーされたか知らんが……
それにしても、なんであの時は挨拶一つできなかったんだろうな?
ここ数日、ナーモ族や帝国人相手には普通に話ができたのに……
自分で勝手にコミュ症と決めつけていただけで、やろうと思えば普通に会話できたのだろうか?
まあ、いいか。もうあのカマキリ男と会わずに済むのだから……
バサ!
突然、テントの入り口が開いた。
人影が立っている。
「わあ! ごめんなさい! かま……じゃなくて、
あ! とっさに名前を思い出した。矢納課長だ。
てか、なんでこんなところに?
「カイト▲☆@♯♪×○▽」
あれ? 女の子の声? ナーモ語? なんだ、ミールか。
だよね。二百年後のタウ・セチ星系まで、矢納課長が追いかけてくるわけないし……
手探りで翻訳機を取った。
「カイトさん。大変です」
ライトを灯すと、ミールがびしょ濡れになっている。
バスタオルを彼女に渡して、僕は背を向けた。
「そっちは見ないから、早くそれで身体を拭いて」
昨日の昼、僕たちがミケ村を出発した時、夜はどうするか話し合った結果、僕は外にテントを張って、ミールは車に中で鍵をかけて寝る事にしたのだ。
鍵をかけないと、僕に夜這いされるから……するつもりはないぞ!……とPちゃんに言われてミールはそうしていた。
今夜もミールは車の中で寝ていたはず……
「なんだって、こんな雨の中で出てきたの?」
「車から出た時は、降ってなかったのですよ。途中で降りだしちゃって……」
テントはトレーラーの上に張っている。そんなに離れてはいないと思うが……
「じゃあ、雨は今、降りだしたの?」
「そうですよ」
背後から衣擦れの音。
振り向いちゃダメだ! 振り向いちゃダメだ! 振り向いちゃダメだ!
それにしても、雨音のせいで雨の夢を見たと思っていたけど逆だったか。
雨の夢を見ている途中で、本当に雨が降ってきたんだな。
「しかし、こんな夜中にどうしたんだい?」
「実は気になる事があって、なかなか寝つけなかったのです」
「気になること?」
「海斗さんが夜這いにくると、Pちゃんが言っていたじゃないですか」
それで、怖くて眠れなかったのか? すまん、Pちゃんには明日きつく言っておく。
「だから鍵を外して、お待ちしていましたのに、いつまでも来てくださらない」
おい……
「このままでは、眠れない。そこで、夜這いを待っているのではなく、あたしの方から夜這いに……」
なんのエロゲーだ! それは……
う!
ミールが背後から僕の首に腕を絡めてきた。
ヤバい! 心臓が爆発しそうだ!
背中に何か柔らかいものが当たる。
うわわ! 理性が……! 理性が!
「ミール……」
僕は、そうっと振り向いた。
ん? なんだ?
ミールの背後にあるテントの入り口。そこには夜の暗闇があるだけなのだが、その暗闇に、鬼火のような光が二つ並んでいる。
「ミールさん。笑えない冗談は、やめてくださいね」
鬼火と思ったのは、Pちゃんの目だった。
メイド服の上に、雨合羽を羽織ったPちゃんがテントに入ってくる。
「ご主人様。しばらく、後を向いていてください」
「あ……はい」
言われたとおりにした。
「ミールさん。これを羽織ってください」
「ええ!」
「ええ! じゃありません。女の子がはしたない」
僕が振り向いた時には、ミールは赤い雨合羽をまとっていた。
Pちゃんは、いつも通りのメイド服姿。
「まあ。夜這いというのは冗談ですが」
「冗談なら、服まで脱がないで下さいね。ミールさん」
「濡れちゃったのだから、仕方ないでしょう。それより、大変なこと忘れていたのですけど……」
「大変な事?」
「この車って、太陽の力を使って走るのですよね?」
「そうだよ」
「曇りや雨の日は、ダメなのじゃないのですか?」
「そうだけど」
まあ、だから雨が降ってる間は、備蓄した水素を使うわけだが……
「それを聞いて思い出したのですよ」
「何を?」
「この地方って、もうすぐ雨期に入るのです」
なに?
「だから、雨が降り始める前にその事を伝えなきゃと思って来たのですが……」
ミールがテントの入り口の方を振り向く。
「手遅れでしたね」
おい!
そのすぐ後、Pちゃんが水素の残量を調べたところ、三十%しか残っていなかった。
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