85. 王の決心
「倒れた……?」
何を言われているのかしばらくわからなかった。
あの剛健なグラントーマ王が、倒れた?
ジゼルは、変わらず口をへの字にしたままで言う。
「意識もない。このままではいつ、どうなるかわからん」
「何でそんな急に……」
「とにかく、こっちに来い」
そう言って、ジゼルは俺の腕を掴むと城内へと引っ張っていった。
* *
「いやあ! 意識不明になってしまった!」
剛健なグラントーマ王は、ベッドの上で耳鳴りがするほど大きな声でそう言った。
「……」
「どうした勇者殿。もっと心配してくださらぬか!」
上半身を起こした王はニコニコしている。
王の周りには、召使いたちがずらりと揃って着替えの支度や食事の片付けをしている。
ココはなぜか無表情、フィオナ姫は申し訳なさそうな顔をして枕元に佇んでいる。
どういうことだ。
俺がジゼルを睨み付けると、彼女はすこぶる微妙な表情で説明した。
「お前が旅に出ている間、兵士の教育法を陛下に献上する話は以前したな。剣術の指導法について、最初に陛下ご自身が学びたい、と仰せになった。
普段、陛下みずから兵士に指導なさることも多いからな。
それで中庭で私がお教えしていたところ、陛下は足元に転がっていた石に蹟かれて転倒なさった。
打ち所が悪く、その時は気を失われて、どうなるかわからず、私は大変慌てた」
だからさっき言ったのは嘘ではない、とでも言いたいのか。
ジゼルは話し続ける。
「すぐに寝室で休まれたら小一時間で目を覚まされた。
すると、陛下は何やら深くお考えを巡らせ、自分ももう長くはない、と仰せになった」
「その通り。長くはなかろう!」
陛下はそう言うと大アクビをした。
「いやあ、ベッドの上にいつまでもいると退屈だ!」
「……長いだろう」
どう見てもあと五十年は生きそうだ。
俺がボソッと言っても、ジゼルは無視してさらに話を続ける。
「長くはない、ということで、私たちを集めると、こうおっしゃったのだ……『自分は退位し、次なる王にこの座を譲る』と」
「ほう……え?」
次なる王?
王はベッドの上から暑苦しい眼差しで俺を見据えている。
「そうだ! イネル殿。この度の人事不省で、私ももう若くないことを思い知った。
先日の魔族の襲撃に際しても、私はろくに役に立たず、イネル殿のおかげでこのグラントーマは救われたのだ……実にこれはいい機会、私が倒れたのも、神の思し召し、天命なのかもしれん。
もう決めた。私は一ヶ月ののち、退位する。
そして、その後は次代の王、すなわち、イネル殿に王の座を譲ろう!」
「……え、えぇ!?」
俺は自分が勇者であることを過去最高に忘れ、完全に情けない冴えない無個性なサラリーマンの叫びをあげた。
* *
「……一切聞き入れてくれんのだ」
俺、ジゼル、ココが王の寝室を離れ、人目の少ない廊下の隅で立ち話を始めると、すぐにジゼルがそう言い出した。
「何かこう、ひらめきのようなものを得てしまったらしい。
私だって出来る限りの事はした。そんなことをいきなり言われても勇者も困るでしょう、とか、せめてもう数年、とか。
しかし頑として譲らない。だらだら先延ばししても詮方ない、来月にしよう、と」
「でもそんな急な……」
まあ、あと三年で、と言われても「そんな急な」と思うだろうが、しかし来月というのはどうかしている。
バイトの交代要員ではない、一国の王なのだ。そんなひょいひょい入れ替われるものでもないだろう。
「いや、そうでもない」
ジゼルがとんでもないことを言う。
「実質、国家の運営の実務は大臣たちがこなしていて、王は話を聞き入れて許可を出したり、署名を書いたりするのが仕事だからな。
お前に真面目に学ぶ気持ちがあるなら、一ヶ月は短いが不可能とまでは思わん」
「そんなお飾りみたいな……」
「お飾りでいいのだ」
ジゼルは間髪入れずに言い返してくる。
「お前の母君も言っていただろう。人を率いる人間は、細かいことを気にするのではなく『旗』を振れる人間でなければならない、と。
事務仕事をする人間はいくらでもいるが、旗振り役はそうはいない」
「でも俺は……」
俺は正体のことを口走りかけたが、慌てて口をつぐむ。
横にはまだ俺の「真実」を知らないココが立っている。
ココはさっきから、黙りこくっていた。
ジゼルはさらに言う。
「先だっての魔族の襲撃をお前が撃退したことで、兵士たちも、国民もお前に対する信頼をとても強くした。
だから、お前がいない間にあっという間に、王の譲位のご意思は兵士づてに国民に広まり、結果としてお前が帰ってきたときのあの歓迎に繋がった」
あの城下町での「おめでとう」は、このことについてだったか……!
俺が砂漠で一人思い悩んでいる間に、あれやこれやが既成事実にされていたわけだ。
城下町の人々も皆すでに知っている決定、となると、ここから先、対処にも苦慮しそうだ。ただ断るというのももしかすると、難しいかもしれない。
唐突に、先ほどからずっと黙っていたココが何も言わないまま歩み去ってしまった。
え、と思って声をかけそうになったが、ジゼルにとっさに止められて、俺もすぐに理由に思い至る。
「バカ。あの子はことさら衝撃を受けているのだぞ。あの子の気持ちをなんとかする方法を考えていないなら、迂闊に話しかけるな粗忽者」
そう。
ココは俺、ではなく、イネルのことが好きなのだ。
そして、俺が王になるとすれば、自動的にフィオナ姫との婚姻も進むことになる。
通りすがりの召使いや執事たちの視線が気になり出したので、俺たちもこの場からはとりあえず離れることに決めた。
「なんにせよ……これから猛烈に大変になるぞ。覚悟しておけよ、勇者殿」
ジゼルは言って、手を振り去っていく。俺はため息をついた。
その時、強い視線を感じて振り返る。
廊下のはるか向こう、突き当たりに一人の少女が佇んでいるのが見えた。
魔王・マヤが笑みを浮かべて、こちらを見据えていた。
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