第105話 関係

「久しぶりね政宗君。貴方のお母さんのお墓参りの時以来ね」


「ご無沙汰してます三咲さん。忙しい人なんだから別に無理して来なくてもよかったんですよ?」


 コーヒーの芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。喫茶店にはあまりいかないから知らなかったが、店にあるメニュー表に書いてある値段はどれも少し割高に感じた。


 バイトが終わった後、俺はその足で三咲さんとの集合場所である喫茶店へと向かい三咲さんと向き合っていた。


「そんなに嫌わなくてもいいじゃない。結構心配してたんだから」


「はぁ……。でもこの通り俺はピンピンしてまますよ。後遺症とかもないですしね」


 俺とほぼ顔を合わせる事がない三咲さんが何故俺を呼び出したのか。その理由は俺が澤田先生との一件で怪我をした事にある。


「それならいいんだけど……。腕に結構深い傷を負ったらしいけど、凄い勢いで転んだのね」


「え、えぇ……。転んだ時にちょっと尖った所に擦っちゃいまして」


 三咲さんは上品にブラックコーヒーに口をつける。


 三咲さんは一応俺の保護者という立ち位置になっている。だが澤田先生の一件に関しては全てを話していない。俺が道で派手に転び、傷を縫う程の怪我を負ったという事にしている。


 まぁ一応保護者な三咲さんとしては、一度俺の様子を見ておかなければといった所だ。


「三咲さんはお仕事帰りですか?」


「ええ。最近結構忙しいから肩が凝って仕方ないわ……」


「えっと……三咲さんのお仕事って確か……」


 俺の記憶が確かなら三咲さんの仕事は……、


「忘れたの? ――芸能事務所よ。ブラックな界隈よ全く」


 そうだ。そうだった。子供の頃、有名な芸能人と一緒に三咲さんが写っている写真を沢山見たのを思い出す。


 しかも三咲さんはその事務所の中で中々高い位に位置する役職だったような……。


「そ、そうでしたね。思いだしました」


「まぁ政宗君にあまり仕事の事を話した事はなかったしね。……そういえば政宗君、あの子は元気にしてるのかしら」


「……あの子っていうのは彩乃先輩の事ですか?」


 三咲さんは「そうそう」と言いながら、隣の椅子に置いていた高そうな鞄からある書類を出す。


「えっと、これって……」


「今日政宗君に会いたかった理由は二つあってね。一つは貴方の怪我の具合を見たかったから。そしてもう一つは――」


 俺は机に置かれた書類に目を通す。


 そこに書かれていた事は衝撃的なものだった。


「あの子に興味があってね。少しお話してみたいなと思ったのよ」


「……それってあれですよね。所謂スカウトって話ですよね」


「スカウト……そうね。私が働いている事務所は色々な仕事をやっている人間が多数所属しているわ。私も芸能スカウトを専門に働いていた時期もあったし。――まぁ簡単な話、あの子を見た時にビビッときたのよね」


 彩乃先輩が、芸能の世界へ。


 確かに彩乃先輩のスペックなら何でもこなせる。ルックスや体型だってそこら辺のなんちゃってモデルなんて蹴散らしてしまう程だ。


 自分の事ではないのに何故か逸る心臓。


 一旦落ち着く為に苦いコーヒーに口をつける。


「いきなりあの子を呼び出すのもあれだからね。今日は取りあえず恋人である政宗君からその書類を渡しておいてもらえたらいいわ」


「ブ――ッ!!」


 苦いコーヒーが机上に飛び出しそうになるが、口回りの筋肉を総動員させ何とか堪える。


 最近こういった感じの勘違いが多い気がするのは気のせいだろうか。


「っ! ち、違いますよ。俺と彩乃先輩は別に付き合ってる訳じゃ……」


「あらそうなの。てっきりもうくっついてるのかと思ってたわ」


「と、というか芸能の世界に引き込もうとしてるなら色恋沙汰はご法度なんじゃないですか」


「私がいる事務所はそんな古臭い体制はしいてないわ。ぶっちゃけた話、芸能人なんて遊びまくってる人ばかりだし」


 三咲さんは「その度に私たちが火消しして回ってるのよ……」と闇に染まった顔で呟く。


「まぁ取り敢えず渡しておいてくれないかしら。返事はまた聞かせてくれればいいから」


「は、はぁ。分かりました」

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