髪切り男

ふじゆう

第1話 遭遇

 空が白々明るくなってきた。腕時計を確認する。余裕を持って少し早く出てきて正解だった。始発に間に合いそうだ。早く帰って、布団に飛び込みたい。僕は無遠慮に大きくあくびをした。

 大学のサークル仲間との飲み会を行い、終電を逃してしまった為、そのままカラオケボックスへと流れて行った。喉を押えて、軽く咳をした。喉の違和感を隠せない。

 駅のロータリーに到着し、円に沿って歩いていくと、駅の改札へと向かうエスカレーターがある。僕はあくびが原因で生まれた涙を指ですくう。もう一度、あくびが出そうになって、空を見上げた時に、反射的に動きを止めた。視界の端に何かが映った気がした。歩く先にある交番を眺める。ぼやけた視界を擦り、交番を凝視した。やはり、気のせいではなかった。今は警察官が出払っているのだろう。無人の交番の前で、女性が座り込んでいる。

 厄介ごとに巻き込まれるのは迷惑なので、交番から離れて歩いた。チラリと視線だけを送り、通り過ぎようとした。

「あれ? あの人、寝てるのか?」

 女性は交番の壁に背を預け、口をぽっかりと開けて眠っている。酔いつぶれたのだろうか? さすがに、女性があんな無防備な姿で眠っているのは、可哀そうだ。お嫁にいけなくなる。僕は小さく溜息をつき、女性に歩み寄ろうとした。

「君? 何か用かね?」

 突然背後から肩を掴まれて、飛び上がりそうなほど、驚いた。慌てて振り返ると、制服を着た初老の警官が立っていた。

「あ、いや。交番の前で寝ている女性がいたので、心配になって」

 僕が答えると、警官は僕の肩越しに覗き込むように首を伸ばした。

「あーあー! 酔っ払いか? まったく、困るなあ!」

 警官は僕の横を通り過ぎ、女性の傍で座り込む。

「ちょっと! お嬢さん! こんな所で寝ていたら、風邪ひくよ。彼に襲われちゃうよ」

 警官は、女性の肩を叩きながら、僕に向けて親指を向けた。何を言い出すのかと驚いて、無意識で駆け寄ってしまった。僕が警官の背後に立った時に、女性は目を覚まし、目を丸くした。

「なんですか!? あなた達!? 警察呼びますよ!」

「はいはい、お呼びですか? お嬢さん。こんな所で寝ちゃダメだよ」

 警官は、敬礼をして、にこやかに微笑んだ。

「え? あ・・・え? す、すいません」

 女性は慌てて立ち上がり、尻を叩いている。状況が飲み込めていないようで、辺りを見回したり、カバンの中身を漁ったりしている。

「昨晩は、飲み過ぎたのかな? ほどほどにしときなさいね」

「え? あ、いえ、私お酒飲めないので・・・あの、ご迷惑をおかけしました」

 警官の問いに、女性は片手を振り、頭を下げた。頭を元の位置に戻した女性は、カバンから鏡を取り出して、覗き込んだ。その瞬間に、大きな悲鳴を上げた。まるで、鏡の中に幽霊でも映り込んだかのような叫び声だ。

「か、か、髪が! 私の髪が!」

「ど、どうしたんだい?」

 取り乱す女性を宥めながら、警官は女性を交番の中へと連れて行った。一体何事かと、気にはなったのだが、さすがに部外者が首を突っ込むわけにはいかない。後ろ髪をひかれる思いで、僕は駅へと歩き出した。

 昨日の日曜日は、目が覚めたら夕方で、一日寝て過ごした。夕方から美容院の予約を入れていたのだが、仕方なくキャンセルした。今度は、明るめのブラウンで、パーマをかける予定だ。行きつけの美容院は、なかなかの人気店で、今度の予約を取れたのは次の日曜日だ。自業自得は分かっているのだが、お預けを食らうと、現在の髪が無性に嫌になってくる。頭頂部の周辺だけが黒くて、まさにプリン状態だ。気になって仕方がない。

 月曜日、大学の講義後、サークル活動が終了し、仲間達とファミレスへと向かう。時間が経つのも忘れて、友人達と談笑した。店を後にし、仲間と別れ、一人で駅の改札へと向かっていた。平日の夜ともなると、人通りが少ない。僕は透き通る星空を眺めながら、のんびりと歩いていた。

「お! 流れ星!」

 真っ黒の空のキャンバスに、スウと光が伸びて消えた。久し振りに見た流れ星に、少し心が躍った―――その時だった。背後からタックルを食らったような衝撃を受けた。口元に何かを押し当てられ、抵抗する間もなく、意識が途絶えた。

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