4-45. 『ファミレス行こ。(上)』のラストシーンに思いを馳せる

【 はじめに 】


● ネタバレの範囲


 この感想文は、『カラオケ行こ!』ならびに『ファミレス行こ。(上)』のネタバレを含む。気になる方は読了後にお読み頂くようお願いしたい。



● この感想文の内容について


 今から綴る内容はあくまで私個人の感想であり、これが最適解だとか唯一解とかいう主張をする気は全くない。更に、誰かと議論したいと思って書いたものではないし、自分と違う感想を批判したいという意図のものでもない。


 もしあなたが、「自分とは違う感想文を読んで面白がるのが好き」だったら、私の稚拙な感想文にぜひお付き合い頂ければ幸いだ。

 そして何か思うところがあったなら、この記事のことなんか捨て置いて、あなた自身のアカウントのSNSやブログなどで感想文を書き綴って欲しいなぁと思う。きっと、その方が楽しいから。



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【 『ファミレス行こ。(上)』と自分 】


 さてさて。前置きが長くなったが、早速『ファミレス行こ。(上)』の話に進みたいと思う。 

 本作は、和山やま著『カラオケ行こ!』の続編マンガ。現在(2024/2/13時点)は、ビームコミックスにて不定期連載中だ。(以下あらすじはいずれもAmazonページより引用。)



・『カラオケ行こ。』あらすじ

 合唱部部長の聡実はヤクザの狂児にからまれて歌のレッスンを頼まれる。彼は、絶対に歌がうまくなりたい狂児に毎週拉致されて嫌々ながら歌唱指導を行うが、やがてふたりの間には奇妙な友情が芽生えてきて……?


・『ファミレス行こ。(上)』あらすじ

 大学1年生の岡聡実くんは、東京で「普通の大人」になるべく学業に勤しんでいた。しかし、ひょんな出来事から始めた、深夜のファミレスのアルバイトをきっかけに奇妙な縁は、再びめぐり始める。バイト先のファミレスに現れるマンガ家・北条先生、マンガオタクでバイトの先輩・森田さん、そして、あの夏の日に出会ったヤクザ・成田狂児など、個性豊かなメンツが聡実くんの日常に関わってきて……。



 私はマンガを読むのがあまり得意ではないのだけれど、『カラオケ行こ!』は人生で好きなマンガ5作品の中に選ぶほど好みで、単行本を買ってあっという間に読んでしまった。(下の記事ではまだ『カラオケ行こ!』について書く前だが、ここに含まれている。)


4-43. 消えない「自分を構成する5つのマンガ」を四象限で味わう(前編)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892430828/episodes/16818023212029279829


 そして、『カラオケ行こ!』では中学生だった聡実が大学生になった『ファミレス行こ。』の単行本が出版されるのも首を長くして待っていた。(そしてあっという間に読んだ。)



⚠️この後からは、『カラオケ行こ!』の内容および『ファミレス行こ。(上)』のラストシーンについてのネタバレを含みます。ご注意を⚠️




【 “触れる”に意味がある 】


 そして、『ファミレス行こ。(上)』を読み終えて最初に思ったことは、「続きはどこ……?」だった。


 だって、『カラオケ行こ!』から『ファミレス行こ。(上)』の最後に至るまで、ほとんど物理的な接触がなかった狂児と聡実が、バックハグをしているんだから(聡実から狂児に後ろから抱き着いている)。


 この、“二人がほとんど物理的に接触しない”というのは結構意図的なもの(もしくは純粋な流れかもしれないが意味があること)だと私は思っている。

 というのも、二人が物理的に接触する瞬間は、物語の山場な気がするから。


『カラオケ行こ!』で二人ががっつり接触するのは、118頁。交通事故で狂児が死んでしまったと勘違いした聡実が『紅』を歌って声変わりした直後。その場面は、『カラオケ行こ!』でも屈指の名場面だ。

 この直後、狂児がスッと表れるのだが、その際に彼は「地獄は暑かった」といった旨のことを言いながら、聡実の肩にどかっと腕を置いている。


 これまでも狂児は、カラオケの室内は背もたれ(聡実の背中の方)に腕を伸ばしたり、聡実に顔を近づけたり、(血飛沫からかばうために)聡実の顔の前で手を広げたりはしてきた。だけど、こんなに狂児から聡実にがっつり接触するのは『カラオケ行こ!』では初めてだった。


 それに対して、聡実は”狂児の頬をぺちんと叩いて、本当に生きているか確かめる”という仕草で応えている。(ただ、聡実はそれまでの間に、驚いたり怖がったりして狂児の腕を掴む・触れるといった描写があった。)


 この後、狂児から意図的に聡実に触れるのは131頁。大学進学を控え上京するために飛行機を待つ聡実と、狂児が再会した際だ。

 この場面も、“その後”を語る短いパートの中における山場だ。狂児が聡実の肩を指先で叩き「こっち見て」と言った直後、『カラオケ行こ!』本編は最後の一コマを迎えるのだから。


 つまり、“触れる”という行為は本作において重要な意味がある。山場でなければ、狂児と聡実は物理的に接触しない。意味がなければ、触れ合わない。



 先述の通り、『カラオケ行こ!』の聡実はちょっとした拍子に狂児に触れる描写があった。それは中学生という子どもっぽさが故の、”ちょっとした拍子”。反射的な反応が多くて、そこまで意図があるようには見えない。


 だけど狂児の場合は、“馴れ馴れしいが決して触れない”距離感を自ら保っているように見える。職業柄、威圧感を与える・ある程度相手の懐に入るための手段として、人生を通して(意識的・無意識的に)身体を動かしているような印象だ。


 狂児が相手(例えば聡実)に触れる時、それは本当に伝えたいこと・伝えなければいけないことがある場合だけなのかもしれない。だから、伝えたいことがない場合・何も伝えたくない場合は誰にも触れない。


 この、なかなか接触しない距離感が『カラオケ行こ!』と『ファミレス行こ。(上)』における雰囲気に大きな影響を与えているし、リアルで少しシュールな空気感、そしてどこか漂う緊張感や危うさを作り上げていると思う。




【 びっくりしたけど納得した 】


● 触れた聡実と触れない狂児


 そんな二人が、『ファミレス行こ。(上)』ではあんな終わり方を迎えた。

 聡実に後ろから抱きしめられた時、狂児は首だけで振り返り「なに?」と聞くだけだ。身を翻して聡実を抱き締め返したり、頭を撫でたりといった反応は示さない。表情からも、彼が少なからず戸惑っている様子がうかがえる。


 この時の聡実は大学生だ。もう、『カラオケ行こ!』の時のような幼さはない。更に言えば、狂児に抱き着く前に彼が一瞬ためらうような手元の描写もある。聡実は『ファミレス行こ。(上)』のラストで、意識的に狂児に抱き着いた。そして、狂児は聡実に触れなかった。


 狂児の反応は、なんとなく読者の気持ちの一部を代弁しているようにも思う。この場面を最初に見た読者の多くは、狂児と同じような顔になっていたんじゃないか。(私はそうだった。)


 私も狂児同様に、とにかくえらいびっくりした。でも、結構自然に納得した。なぜなら、自分のとある経験と聡実の心境がなんとなく重なったからだ。



● 聡実に重なった自分の経験


 それは、私が初めて海外旅行をした時のこと。めちゃめちゃ蒸し暑い気候・並ばず順番を守らない地元住民・埃っぽい空気……と、当時の私は友人との街歩きを楽しみつつも結構疲弊していた。


 特に言葉。その国の言葉は高~中音が強く、皆大声で話すので音のアタックがキツい。意味のわからない言葉を大音量を聞かされ続けるのはなかなか大変だ。

 私は友人と二人で旅をしていたので、日本語で会話できるのは友人だけ。だから、急に自分の世界が狭くなったような息苦しさを覚えた。自分の存在が世界から消されたような不安感、焦燥感。

 当時の私は、それも含めて旅の醍醐味だと楽しめる余裕がなかった。


 そんな時、偶然見つけたスターバックスに入店した。天国だった。

 店内は清潔でクーラーがきいており、利用客はレジの前にちゃんと並び、メニューは英語表記。前から知っているスターバックスという安心感。

 更に、私の拙い英語でも店員さんは注文を聞いてくれたし、色々話しかけてくれた。やっと私は、友人以外の人とそれなりに会話が出来た。世界が少しだけ広がって、息が出来た気がした。


 店内で過ごす客の多くは英語話者らしく、口ぶりは穏やかで言葉の音は中~低音が強い。その音色に私は癒された。少しだけ意味の分かる音にほっとした。

 もうここにずっと居たい……そう思ったのを覚えている。



● 聡実が抱き締めたのは自分の欠片かもしれない


 聡実が狂児に抱き着いているのを見た時、あの経験が私の脳裏を過ぎった。もしかしたら、当時の私がスターバックスに抱いた感情に近いものを、聡実も狂児に感じたのかもしれないと。


 作中では、聡実が関西弁でぽろっと「ちゃう(違う)」と言ったのを大学の同級生に揶揄われる場面がある。そもそも、日々にしんどさを覚えている描写が大変多い。

 その時の聡実の心情を、私は、かつての自分が感じた”旅先を歩きながら自分が消えているような感覚”に重ねた。音が違う言葉を話す人たちの中、周りとの距離感が掴み切れない焦燥感。


 彼の生活の中で、同じ関西弁を話す狂児は(聡実は認めないだろうけど)自分が自分であると確かめられる唯一の存在だったのかもしれない。

 私が異国の地で、前から知っているスターバックスに安堵したように。聞き慣れた言葉の音に息を吹き返したように。会話で自分を取り戻せたような気がしたように。


 だから、聡実は狂児を抱き締めた。大袈裟な言い方をすれば、聡実の中であの時の狂児は”自分が自分であること”を証明するためのパズルのピース、自分の欠片みたいな存在になっていたのかもしれない。

 自分の欠片がどこかへ行ってしまいそうだったから。それを自分で手放そうとしているから。ずっとここには居られないけど、いつか手放さないといけないから。


 もちろん、聡実と狂児の関係性は、私とスターバックスの関係なんかよりずっと深いものだけど。あの経験があったから、聡実の行動に驚きつつも私は結構すんなり納得出来た。


 ああ、そういう気持ちにもなるよな。


 劇的な心境の変化というよりも、積み重なったものが人の身体を動かした。それって、リアルな人生だなと私は思った。



【 ヒューマンドラマが光る『ファミレス行こ。』 】


 シュールギャグな雰囲気が強かった『カラオケ行こ!』よりも『ファミレス行こ。(上)』はどちらかと言えばシリアスだ。『カラオケ行こ!』では聡実もシュールな笑いの一部だったが、『ファミレス行こ。(上)』のギャグ要素は聡実の周りの人の方が強い。主人公がギャグの外側に居ることが多いという、不思議な構造になっている。


 それは、『ファミレス行こ。(上)』の聡実が東京でしんどさを覚えながら生きているからだろう。アウェイな環境で、彼自身が外側から世界を見ているからだろう。

 人間関係、言葉、お金、将来……。あらゆる現実に一人で立ち向かっている彼が、シリアスな心境のまま日々を過ごしている。これではなかなかギャグにはならない。


 改めて、『カラオケ行こ!』の時の聡実は本当に子どもだったんだなあ……としみじみ思う。だからこそ、ヤクザたちの姿はポップに見え、そんな彼らとカラオケをするという行為がギャグになる。

 中学生の聡実にとって、“ヤクザ”はファンタジー的な“悪者”だったかもしれない。でも本当はそうではなく、彼らは社会的な“悪”だ。法律を勉強している聡実は、それを嫌と言うほど実感しているはずだ。


 更に大学生というのは、就職という人生の転機を目の前にしている。こうなってくると、かつて”ヤクザ”に言われた「受験と就職失敗したらウチ来たらええわ」の現実味を聡実は痛感するに違いない。


 聡実の憂鬱が晴れない限り、『カラオケ行こ!』のようなコミカルさは『ファミレス行こ。』では見られないのかもしれない。でも、だからと言って聡実が言う通り、もう二人が会わないようにすることがプラスになるかはわからない。


 これってもう、ギャグマンガと言うより人生では?


 面白そうだなあという気持ちで読み始めたシュールギャグ漫画が、こんな境地に辿り着くとは! それでいて、クスッと笑える瞬間もあるんだからずるい。

 シュールギャグでありながらも、ヒューマンドラマとしての色が強くもある『ファミレス行こ。』からますます目が離せなくなってしまった。


 大学生の聡実と、かつてより年を取り役職も上になった狂児の人生が、今後も楽しみで仕方ない。



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 そして、最後に改めて。これまでの内容はあくまで私個人の感想であり、これが最適解だとか唯一解とかいう主張をする気は全くない。更に、誰かと議論したいと思って書いたものではないし、自分と違う感想を批判したいという意図のものでもない。


 もしあなたが、私の稚拙な感想文を読み終えて何か思うところがあったなら、この記事のことなんか捨て置いて、あなた自身のアカウントのSNSやブログなどで感想文を書き綴って欲しいなぁと思う。

 きっと、その方が楽しいから。

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