4-27. 【映画感想文】言葉は無くとも孤独は鳴る

※本感想文は、以下の作品のネタバレを含みます。


映画『コンパートメントNo.6』

エッセイ『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』




─────




 「寂しい」と言わずとも見え隠れする、ひりひりと心身を蝕む孤独がある。互いの過去は何も知らず、背景も知らず、それでも寝台列車の小さな個室には孤独がひしめき合っている。


 『コンパートメントNo.6』は、そんな孤独な二人の相席を描いた映画だったのかもしれない。でも、観客が寝台列車に見た孤独は元々どこから来たのだろう。感じ取ったすべてが、観客自身の中にあったとしてもおかしくない。

 真っ白な豪雪を突き進む無愛想な電車の音が、偶然同じ個室席に居合わせた二人の間を埋め尽くす。孤独には音がある。言葉は無くても、孤独は鳴る。




【 映画のあらすじ 】


 1990年代のロシア・モスクワ。フィンランド人留学生のラウラ(セイディ・ハーラ)は北端の地・ムルマンスクにあるペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、大学教授の恋人イリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)にドタキャンされてしまう。一人で旅立つことになった彼女が寝台列車に乗り込むと、6号コンパートメントには先客のロシア人労働者リョーハ(ユーリー・ボリソフ)がいた。モスクワの知人たちとは正反対の粗野な彼に嫌悪感を抱くラウラだったが、長い旅を共にするうちに二人は心を通わせていく。

(Yahoo!映画サイトより)




【 鑑賞しながら一冊の本を思い出した 】


● 脳裏に浮かんだのはロシアが舞台のエッセイ


 この映画を観る前から、私は少しだけロシア文学や映画に触れて来た。そんな中で偶然、『コンパートメントNo.6』を鑑賞する寸前に読んでいた本もロシアを題材にしたものだった。

 著者・奈倉有里さん(現在は翻訳家として活躍中)が高校卒業後に単身ロシアに向かい、ロシア国立ゴーリキー文学大学に進学し奮闘するエッセイ『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』だ。


 『コンパートメントNo.6』を観ながら、この本で読んだロシアの普通の若者や大人たちの空気感を思い出していた。特に、酔いどれ先生こと、文学研究入門を教えるアレクセイ・アントーノフ先生についてのことを。


※以降、『コンパートメントNo.6』と『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』の内容・ネタバレに触れるので閲覧注意。



● まるで似ていないよく似た二人のロシア人


 先述の通り『コンパートメントNo.6』に出てくるロシア人男性は、初対面では酔っ払ってセクハラ発言までしてくる粗野な若者・リョーハ。『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』のアントーノフ先生も、大学構内や学生寮、近所の公園をビール片手に歩いている酔っぱらい。片や肉体労働者、片や文学研究者。アントーノフ先生は、どちらかと言えば『コンパートメントNo.6』の主人公・ラウラに近い。


 だけど、リョーハとアントーノフ先生にはよく似たところがあると感じた。その身に纏う孤独と、内包する優しさだ。


 リョーハの細かい素性は、最後の最後までわからない。道中で車を盗んでまで会いに行く老婆との関係もわからないし、どうして鉱山の仕事をしにわざわざ寝台列車の個室(一番安い席ではない)に乗っているのかもわからない。

 列車が走り続けるにつれ、最悪な初対面の印象が少しずつ覆されていく。リョーハは逆接の接続詞の塊みたいな人だ。無愛想だが自分を頼る人を無下にしないし、ラウラと打ち解けた後には表情を緩ませ彼女を待ち侘びていたような顔をする。ラウラが踏み込んで来ると距離を置くが、抑え込んだ何かに耐えかねたように一度だけ淡い涙を浮かべる。そのくせ突然姿を消すし、だけどラウラのピンチには当たり前のように登場し、彼女のために時間も(多分金も)かけてくれる。


 彼は自由奔放で気楽で口うるさい粗野な男に見えるが、その実、自分の気持ちをほとんど口にしない。強いて言うなら、ラウラのカメラが盗まれた後に言った「みんな死ねばいい」や、ラウラから住所を渡されそうになった時の「そういうのはいい」、そして最後の最後にラウラに渡した手紙の「ハイスタ・ヴィットウくたばれ」ぐらいだろうか。(この手紙に至る最初の方のやり取り好きですね……。)


 そんな姿は、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』のアントーノフ先生によく似て思えた。

 普段酔いどれのアントーノフ先生は、授業中は雰囲気が一転しまるで舞台役者のように生き生きと語り続ける。奈倉さんは先生の授業のメモを取るために速記を覚えたほど、その内容に魅了されていた。二人は文学を通し交流を続け、約束のような偶然のようなお喋りを楽しむこともあった。

 そして、奈倉さんが帰国直前に書いたレポートを読み個別にフィードバックの機会を設けた折。最後の最後の指導の中、先生は泣き出しそうな声で「あなたはすぐに発ってしまうんですか」と奈倉さんに訊いた(P252)。

 奈倉さんは返事が出来ず、最後はアントーノフ先生が「あなたのご活躍を祈っています」とかすれた声で告げた(P254、つまりこの数ページ分著者は黙っていたことになる)。


 リョーハとアントーノフ先生には同じように、自分の領域に入って来た人には惜しみない優しさを向け、最後の最後にようやく胸の内の一部をそっと見せてくれる。

 そして同時に、彼らの中には「寂しい」と言わずとも見え隠れする、ひりひりと心身を蝕む孤独があった。それを直接的に表現する言葉は無い。しかし、言葉は無くても孤独が聞こえる。孤独に音があるのなら、きっと彼らのように鳴るのだろう。

 こうしたコミュニケーションや人との距離の取り方が、ロシア人の気質なのか男性の気質なのか、はたまた両方なのかはわからない。それでも、(私たちに見える部分という意味での)物語の向こう側にある彼らの人生に、どうしても観客は思いを馳せてしまう。自然と想像や視野が広がる作品、私はとても好きだ。


 『コンパートメントNo.6』で、リョーハがラウラに見せる緩んだ表情。タクシーの後部座席で、ラウラと顔を見合わせて肩に頭を預ける仕草。あの時だけは、リョーハから孤独の影が抜け落ちたように見えた。そのほんの一瞬の光が、リョーハという人間を立体的なものに見せ、その影を見てはとても切ない気持ちになる。

 二人の別れは、寒さに曇るタクシーの窓ガラス越し。ほんの少しだけ、見つめ合う二人の顔から孤独の影が消えていたように見え、すぐに二人はエンドロールを迎える。孤独はこの先も、二人の中で鳴るのだろうか。それとも消え去ってくれるのか。そんなことに思いを馳せる物語の終わりだった。


 この気持ちは、「切ない」という感情で合っているんだろうか。いや、もしかしたらこれは「共感」なのかもしれない。

 しかし、観客はリョーハに共感出来るほど彼のことを知らない。彼は最後までささやかな謎に満ちた、逆接の接続詞だらけの人だった。




【 自分に開いた「孤独の穴」と彼らを重ね合わせる 】


 『コンパートメントNo.6』の主人公・ラウラも実は孤独感を抱いている。恋人は大学教授で、いつも仲間に囲まれ忙しそう。今回の旅だって、本当は二人で行くはずだったのにドタキャンされてしまった。道中、ラウラが電話をしても上の空で、来訪者が居たり仕事が入っていたりする。


 ラウラの孤独感は作中で明確に描写される。更にラウラ自身も孤独感を自覚しており、言語化出来る。もし彼女と同じような境遇にある人からしたら、その痛みは苦しいほど伝わって来るはずだ。恋人や家族、友人に対する愛と劣等感の間で苦しむ人は少なくないだろう。

 だが、上記の現象よりも何よりも。彼女の一番の孤独感を示しているのは、劇中で彼女が一度も「ラウラ」と呼ばれていないことにあるような気がする(多分、字幕で一度も名前を見なかったと思う)。まるで誰からも姿が見えていないような心地。ラウラの孤独感は、観客にとって手に取るようにわかり、指先から体に浸透して染みわたる。


 一方で、リョーハの孤独感の原因は最後までわからない。わからないからこそ、観客は自分が抱えている孤独感を彼に重ねることも出来る。

 もしかしたら彼は、親元を離れ出稼ぎに出た労働者なのかもしれない。彼の言葉の通り、本当に事業を立ち上げるための資金稼ぎをしに来たのかもしれないし、家族と死別したばかりで移住したのかもしれない。もしくは、ただ繊細なだけかもしれない……。

 語られないリョーハの背景を想像しながら、自分自身の心に開いた孤独の穴に似た形を彼に浮かべる。それが時々ぴたりと重なるような気がするから、リョーハのちょっとした仕草に、言葉に、視線に感情を締め付けられる。


 そして、ラウラとリョーハという孤独な二人が真っ白な雪に吹き流されかき混ぜられていくのを、観客たちはスクリーンのこちら側から眺めている。

 二人から孤独の影が消えたのは、豪雪をもろともせず無邪気にはしゃぐひとときだけだ。あの時間が永遠に続けばいいと思ったのは、きっと私だけではないだろう。



【 『コンパートメントNo.6』は人生の中で大切な映画になった 】


 『コンパートメントNo.6』を映画館で鑑賞する時間は、どこか慰めのような癒しのような時間でもあった。平たく言えば「ただ見知らぬ人と寝台列車で乗り合わせた」という単純な話なのに、あまりにも強く心を鷲掴みにされた。鑑賞から時間が経った今でも、好きな場面を思い浮かべてはパンフレットを開き、余韻に浸っている。


 こんなに心揺さぶられたのは、タイミングよく『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』を読めたことや、かつてフィンランド旅行をして自分も雪の中走る電車に乗った記憶も影響しているだろう。自分の今までの経験が、『コンパートメントNo.6』を観るためのあの時間に繋がっていたと思うと、不思議な気持ちになる。

 そうした意味でも、この映画は自分の人生の中で大切な映画の一本になったと思う。


 『コンパートメントNo.6』は、2023/2/10(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開。もし叶うなら、映画館で是非ご鑑賞頂きたい作品だ。(2023/5/20以降も、全国で公開が決まっている。)



【 おまけ 】


 映画会社Aamu Film Companyの公式インスタアカウントでは、撮影中のオフショットをいくつか見られる。監督含めたスリーショットは心温まる写真の一つ。役が体から抜けた二人を見るとなんだかホッとする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る