4-13. 【PLAN75】社会福祉みたいな顔をして「死」がやって来る【映画感想文】

 私は高齢者が主人公のコンテンツが大好きだ。そちらについては、前に以下の記事で触れた。


4-11.シニア本はいいぞ【読書感想文詰め合わせ】

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892430828/episodes/16816927862911471767


 高齢者が創作物の中で生き生きしているのを観るのが好きだ。高齢者ギャグを言って笑い合ったり、若者を揶揄ってみたり、時に自分の人生を振り返って涙を流したりする。そういう姿を観ていると、自分の将来に少しだけ希望を持てる。心が軽くなる。


 だから、映画『PLAN75』を鑑賞するのにはかなり勇気が必要だった。

 試写会の抽選募集を見た時も、ギリギリまで悩んだ。せっかくの機会だから観てたい、でも怖い……。

 そしてありがたいことに抽選に当たった。私は『PLAN75』から逃げられなくなった。


※以下、物語の結末に繋がる重大なネタバレは記載していないが、予告編や公式サイトで開示されている程度の情報、結末には繋がらない世界観を説明する情報に若干言及している。どんな情報も得たくない! という映画鑑賞前の方は、閲覧しないようご留意頂きたい。



● 映画『PLAN75』とは


 本作は、2022年カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に正式出品されたことで話題になった。そのため、すでに概要をご存知の方も多いとは思うが、あらためてあらすじを振り返っておこう。


【あらすじ】

 少子高齢化が一層進んだ近い将来の日本。満75歳から生死の選択権を与える制度<プラン75>が国会で可決・施行された。様々な物議を醸していたが、超高齢化問題の解決策として、世間はすっかり受け入れムードとなる

(公式サイトより引用)


 この内容から十分わかる通り、「PLAN75」は私が好きな高齢者コンテンツとは真逆だ。真逆どころか、観たら心が折れそうな映画。

 実際、鑑賞後の私の心はズタボロだった。メンタル回復のために、しばらくM-1グランプリをNetflixで流し続けたくらいだ。


 それでも私は、「PLAN75」を鑑賞し終えてこう思っている。

 鑑賞してよかった。本当にいい映画だ。

 でも、私にはもう一度観る勇気なんてない。

 だから、たくさんの人に観て欲しい。



● 「高齢者コンテンツあるある」をシリアスに極振りした映画


 私が好きな高齢者が主人公になるコンテンツには、だいたいこんな「あるある」がある。


・割と気軽に「死」について登場人物が話す

・登場人物の長い人生の歴史とそれゆえの喪失感

・なんやかんやで高齢者が孤独感を抱いている

・心身の衰えが随所に描かれる


 そうした要素をコミカルに描くかシリアスに描くか、感動的に描くかシニカルに描くか。それによって高齢者コンテンツのノリは変わる。

 例えば、こうした要素をコミカルかつドラマチックかつ感動的に描いた映画が、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の映画『最高の人生の見つけ方(2007年)』だ。


 余命半年のガン患者が病室で知り合う。貧乏と金持ち、誠実な男と傲慢な男。共通点のない二人は友情を育み、死ぬまでにやりたいことをまとめた「棺桶リスト」を実践していく。

 心温まるヒューマンドラマ、くすっと笑えてほろりと泣ける。「高齢者映画」と言えば多くの人の頭に浮かぶ名作だろう。(2019年に、日本版リメイク映画も公開されている。)


 『PLAN75』は、『最高の人生の見つけ方』の対極にある。あらゆる「高齢者コンテンツあるある」を取り入れながらも、表現がとんでもなくシリアスかつ穏やかかつ悲壮的。その潔さが素晴らしい。

 劇中では、高齢者の「死」は極めて事務的に扱われる。ドラマチックな感動もお涙頂戴な演出もない。大袈裟な表現がない分、高齢者という存在のリアルさが、映画の始まりから終わりまでずっとヒリヒリ続いていく。



● 社会福祉みたいな顔をして「死」がやって来る


 『PLAN75』の一番不気味なところは、比較的そう遠くない未来を舞台に、「高齢者の自死を国が支援する制度」が描かれている点だ。本来、社会福祉とは国が国民の生活を支援するためのものであって、提供されるのは「生きるための制度」のはずなのに。

 制度「PLAN75」は、面と向かって「75歳以上の人は死んでください」とは決して言わない。その代わりに、「未来を守りたいから」という名目で高齢者にやんわりと死を迫る。

 既にYouTubeで公開されている劇中CM映像でもわかる通り、まるで社会福祉の一環のような顔をして「死」が語られ、「死」を手助けする制度を国が提供してくる。


 人を生かすためにあるはずの国が、高齢者という理由だけで「死」を意識させ選択させる。それがどれだけ残酷なことか。



● 『ミッドサマー』と『PLAN75』はどちらの方が残酷か

※以下、映画『ミッドサマー』の内容(結末のネタバレは含まない)を含む。


 私は『PLAN75』を観ながら、ホラー映画『ミッドサマー』のことを思い浮かべていた。「祝祭がはじまる」「明るいことがおそろしい」というキャッチコピーでお馴染み、アリ・アスター監督の手腕が光り輝く一本だ。


 この映画の舞台・ホルガ村にはアッテストゥパンという儀式があり、72歳で住民は自ら死に、それが命の循環が行われるという価値観の元に彼らは暮らしている。

 この、「年齢で区切られて死ぬ仕組み」は『PLAN75』にも通じるものがある。


 だが、そこで私は考えた。

 果たして、『ミッドサマー』と『PLAN75』はどちらの方が残酷なのか?


 先述のホルガ村では、アッテストゥパンの儀式ははるか昔から行われており、村人の眼前で72歳の高齢者は崖から身を投げる。彼らの村にある「命はリサイクルされるもの」という生死観に基づいて行われている儀式だ。

 これは確かに、ホルガ村の外に居る私たち、そして映画の主人公たちからすると極めて残酷でグロテスクだ。しかし、価値観と儀式が紐づいているからこそ、72歳の高齢者は身を投げ村人はそれを見守る。

 村人たちにとってアッテストゥパンは自らの意思ではなく、72歳で訪れる自然な死とも言える。この儀式を経て、彼らの中で命は循環する。


 一方、『PLAN75』ではどうか。ここで描かれる制度「PLAN75」は、ある日突然施行された制度であり、あくまで「75歳以上の人が死を選んだ場合、国が支援する制度」だ。

 映画の舞台となる日本は、「PLAN75」の存在を除けば私たちが生活する現実世界と変わらないように見える。つまり劇中の人たちの価値観や生死観は私たちと変わらないのに、「自らの生死の選択」をしなければならないわけだ。そして死を選べば、社会福祉の顔をした死が眼前に現れる。

 国が提供する死の儀式は、ホルガのそれとは違う。自ら死を選んだ高齢者は、社会にとって不要なものとして死ぬ。不自然に、命はそこで途絶える。


 『PLAN75』には、『ミッドサマー』のようなグロテスク表現は出て来ない。美しい映像の中で映し出されるのは、あまりにもありふれた日常の景色だ。その中で、私たちと変わらない価値観や生死観で暮らす孤独な高齢者たち。そんな彼らが、生死の選択の末に死を選ぶ世界。


 『PLAN75』は、見方によっては『ミッドサマー』よりもずっと残酷だ。



● 「PLAN75」が導入された国に希望はあるのか


 私が高齢者コンテンツをどうして好きなのか。その理由は先述の通り。小説や本の中で活躍する高齢者と自分の未来を重ね合わせて、「あんな風になれたらいいな」と思えるからだ。

 これは、現実世界でも当てはまる。愚痴ばかり言う年上の人たちより、何かしら楽しそうな人と一緒に居た方が、年を取ることに希望が持てる。


 そう思うと、制度「PLAN75」が導入された日本に暮らす若者たちはどんな気分なのだろう。自分は若いから関係ないと思っていても、祖父祖母や両親、親しい人たちがその選択をしたとするならば。

 「死なないで」と言うのは簡単だ。しかし高齢者の孤独感や痛み、そして現実的な経済状況などを知った時、その全てを背負った上で「死なないで」と言える人は少ないだろう。親しい人の死を止められない無力さが、どれだけ遺された人の精神を傷つけるのか。想像するだけで苦しい。

 そして何より、どれだけ若いうちに頑張っても、75歳を過ぎれば国からやんわりと死を提案されるなんて。そんな国に、希望はあるんだろうか。


 実際、劇中では「PLAN75」が施行されて2年経過した段階で、経済効果は1兆円を超えたと表現されている。学者はこの状況を「高齢化が進む日本の明るい兆し」と評し、国は「対象年齢を65歳に引き下げる」検討を進めているらしい。

 その目先の1兆円に釣られて制度を評価している人たちは、国全体の精神状態が悪化していくことに、きっと最後まで気付かない。そして(これは私の想像だが)、多分彼らは「PLAN75」を利用して死んでいく高齢者を「弱者」だと見下しているのだろう。


 ちなみに、本作がカンヌで上映された際、フランスの人からこんな感想が出たらしい。(※試写会後のアフタートークで聞いたお話なので、正確な内容や出典が示せなくて申し訳ない)


「フランスでPLAN75を実行しようとしたら、フランス人は絶対に抗議活動をする。だけど、劇中の日本人はこの制度を受け入れている。その点が興味深い」


 ゾッとした。

 確かに私は、『PLAN75』を怖いなぁ不気味だなぁと思いながらも、心のどこかで「あり得そう」と思っていた。恐らく、映画を鑑賞した日本人の中には、無意識にそう感じた人が多いのではないだろうか。

 怖がりながらも「この制度、リアルだな……」と考えてしまう現実世界そのものの方が、実は映画よりもずっと怖くて不気味だ。



● 終わりに:ちょっとポップな感想


 ここまでは、ざっくり言うと「私、『PLAN75』っていうしんどい映画を観たんですよ」という感想文だったが、最後にちょっとポップな感想を。


 倍賞千恵子さん、めっちゃ声いい……!


 映画の割と前半、彼女が演じる主人公ミチが、同世代の友人たちと一緒に話している場面がある。見た目こそ高齢者に紛れているものの、倍賞千恵子さんの声は突出して澄んでいて本当に美しかった。

 最初は、彼女の声だけが前に出て聴こえるよう、音響が調整されているのかな? なんて思ったけれど。劇中でミチが声を褒められる場面で、私は心の底から「それな」と思った。


 ミチさん、めっちゃ声いい……!


 「倍賞千恵子さんと声」という観点で思い出してみれば、彼女はジブリ映画『ハウルの動く城』でヒロイン・ソフィー役を演じていた。

 『ハウルの動く城』は2004年の映画。20年近く時が経っても、彼女の美声は健在だ。それは、『PLAN75』で私が見つけた数少ない明るい要素だった。



● 元気な時に観に行こう


 『PLAN75』は重たくて心がヒリヒリして苦しくて、私はもう二度と観たくないけれど、本当にいい映画だ。だからたくさんの人に観てほしいと、心から願っている。

 ただし、割と精神に来るので、出来る限り元気な時、そして昼間に観ることをおすすめする。

 映画館を出た後、日中の景色を目にして心を落ち着かせ、親しい友人と甘いものでも食べながら「現実世界にPLAN75が無くて良かったね、今時点では」と語り合ってほしい。後は、「倍賞千恵子さんめっちゃ声いいね」とか。


 映画『PLAN75』は、2022年6月17日公開。

 もしあなたがこの映画をご覧になったなら、もう一度この記事に戻って来て頂きたい。私がいかにズタボロな感情をオブラートに包んでこの記事を書いたのか、実感して頂けると思うから。

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