賞金稼ぎと金色の復讐者
イチニ(御鹿なな)
序章1
ついていない。
いや、ついていないというより、最初から脈などなかったのか。
丁度一月前。王都ライノールに旅芸人一座『
知人に誘われ、舞台を観に行ったタリスは、一人の女に目を奪われた。
一座の看板である歌姫ではなく、群舞の中にいた女に恋をしたのだ。
際立った容姿ではなかったが、優しげな面立ちをしていて、初恋の相手に少し似ていた。
三十手前になるが、妻子はなく独身で、恋人もいないタリスは、積極的に、その女を口説いた。
熱烈な恋文や、高価な花や宝石を贈った。
公演場の裏口から出て来るのを、待ち伏せしたりもした。
相手にその気がなければ迷惑この上ない行為だったが、昨日までは、脈があった。いや、あるように見えた。
夜の公演後、女と落ち合う約束をしていたタリスは、一張羅を着て、待ち合わせの場所に向かった。
『もう来ないで下さい』
会うなり告げられた。
何を言っているのか、とぼんやりと見返していると、顔を見たくない、ときっぱり言われた。
踵を返し走り去る女の後ろ姿に、高揚は絶望へと変わった。
それなりに恋愛経験はあった。
女にすげなくされるのは、初めてではない。だけども、本気で愛したいと、運命の女だと思った相手に振られ、タリスはかつてないほどの痛手を受けた。
二人で行く予定だった酒場で酒を呷ったが、いくら呑んでも今夜は酔えそうにない。諦めて、家路をたどった。
今宵は満月で、夜と呼ぶには明る過ぎた。
夏なので夜でも肌寒くない。蒸し暑いくらいだ。
タリスの孤独感を感じながら、とぼとぼと歩く。
大通りから、脇道に入る。
畦道から獣道へと踏み込んだ時、背後に気配を感じた。
夜盗だろうか、と腰にぶら下げている剣に手を掛ける。
タリスの家は山間にあった。
舗装された道もあったが、遠回りになるので、いつも険しい道順を選んでいた。
女ならば……いや剣の腕に自信がなければ治安の悪い区域を選びはしないだろう。
剣技を本職にしている自分を狙うなど――。
タリスは夜盗の愚かさを鼻で嗤う。
女にふられて機嫌が悪いので、手加減し、逃がしてやれそうもない。ついてなかったな、と少しだけ哀れんだ。
背後の気配が襲いかかってくる間合いを計り、タリスは抜刀する。
叫び声が木霊した。だが、しとめてはいない。剣は空を切っただけだ。
(マズイな……)
つい先刻まで、悠長に構えていたタリスの額に汗が滲んだ。
キィィッと響いたそれは人間の放ったものではなかった。
甲高い絶叫のようなそれは、妖獣の鳴声に違いない。
妖獣といえども小物ならば、獣と大差ない。力量のある夜盗を相手にするより楽だ。だけども……。
近頃、この界隈には、ランクの高い妖獣が棲み着いているらしく、足や腕のない無惨な死体が見つかっていた。
そういう噂を小耳に挟んではいたが、ランクの高い大物ならば、タリスの手には負えない。自分には関係ないことで、別の奴の担当だ、と聞き流していた。
今になって思い出しても手遅れだ。
一度剣を抜き、攻撃の態勢を取った人間を、妖獣は決して見逃さない。
妖獣の生態は謎の部分が多かったが、遭遇した時は『焦らず、無視して、立ち去る』のが最善の対処法とされていた。
それでも襲われることもあったが、逃げ切れる確率は上がった。もちろん、狩れるなら狩った方が良い。だけども皆が皆、剣や斧を持ち歩いているわけではないし、そこそこ腕に自信がある程度で立ち向かって適う妖獣など、そう多くはない。
剣を向け切りかかった相手を、妖獣は敵と見なす。
後は、妖獣を殺すか、タリスが殺されるか、だ。
走れば逃げ切れるかもしれなかったが、その可能性は低く、戦って勝つ可能性の方が若干高い気がした。
タリスは、そちらに賭けることにした。
(噂になっている高ランクの妖獣でなければ……助かる可能性もある)
柄を握り直し、タリスは心を落ち着かせようとする。
仄明るかった周囲がふいに暗くなった。
先ほどまであった月が消えていた。
闇に紛れ、妖獣の姿は見えない。だが、気配は感じられる。
かさ、かさ、と草を踏む音が近づいてきた。耳を澄ませ、その音に集中する。
右斜め後方から荒い息がした。
そこだ、とタリスは剣を振り上げた。
だが、またもや剣は空を切っただけで、確かな感触はない。
(……しまったっ!)
左から饐えた匂いがし、避けようと躰を捩らせた。回避したかと思った。しかし背――左腕がぶちりと鳴る、音を聞いた。
「ぐっ……」
倒れ込む。
剣はその反動で、指から滑り落ちた。
右手で腕を押さえる。滑った感触がした。そして、あるべきものを失っているのに気づく。
左腕を、肘あたりから失っていた。
だが動揺している場合ではない。このままだと間違いなく命もなくす。
慌てて、右手で剣を探した。暗いので、手探りだ。
(ついてない。今夜の俺はついてない。女にふられ、妖獣に喰われる)
妖獣が近づいてくる気配に、諦め掛けた。その時だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます