Ranaway~激突の森~
環 旅斗
プロローグ 森 学生達
十五分も歩くと、野原は林になり、そして森になった。
もう何年も前から「元」という頭文字が付いているハイキングコースは、人が気軽に足を踏み入れることを良しとしていないらしい。
鬱蒼とした草木や薄気味悪い暗さ。ねっとりとした不安感を呼び起こす空気。それらが、人知を越えた何かが潜んでいるのではないか、と思わせる。
大久保雅俊は、これ以上先に進むことは無理だと感じ足を止めた。
四人ともちょっと暇つぶしに歩いてみようという感じで道の駅から出てきただけで、歩き難いがけして険しい道ではない。なのに、身体を不快な疲労感が襲ってきた。疲れたのではなく、言い知れない不安が押しよせてきて、身体に残っている力を蝕んでいくような感覚に襲われる。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
先頭を歩いていた阿田川伸也が振り向いて言った。
「もう戻ろう」
立ち止まり、応える大久保。
「そうしよう」
後ろを歩いていた北沢絵里香が言った。心なしか、彼女の声も震えている。
「気分でも悪いのか、二人とも?」
「大丈夫?」
阿田川に並ぶようにして歩いていた戸沢梨沙が、絵里香の方に歩み寄った。
「何だか、妙な気分なんだ。胸の奥から冷たい気分が湧いてくるというか、意味はないんだけど、とっても不安になってきた」
「私も……」
絵里香が、同じ感覚の者がいるのを喜んでいるかのような表情になった。
「二人揃って気分が悪くなるなんて、変だな。高山病になるほどの高地じゃないし、妙なガスが出るような地域でもないのに」
首を傾げる阿田川。彼と梨沙は何ともないらしい。
「とにかく帰ろう。二人とも休んだ方がいい。道の駅に戻って、お茶でも飲もうよ。何だか雨が降ってきそうだし、風も強くなってきたし」
梨沙が言った。
ドライブの帰りだった。
阿田川の車で四人が住む横浜から伊豆方面をまわってきた。そして、静岡県と神奈川県を結ぶあるバイパスを通り、途中の道の駅「天童」に立ち寄り休憩した。
道の駅の下に鬱そうとした森が見えたのと、昔はハイキングコースがあったという店員の言葉を聞き、興味を持った阿田川がちょっとだけ行ってみようと提案してみんなを引っ張ってきたのだ。
「まあ、仕方ないな。戻ろう」
これ以上進んでもおもしろいものはなさそうだからか、阿田川はあっさりそう言った。
天候が崩れていきそうなのもあるだろう。それに、もう夕方でもあり、おそらくすぐに夜の闇がやってくる。四人は戻り始めた。
「おっ」と阿田川が急に声をあげた。
「なに?」
妙な動物でもいたと思ったのか、梨沙が叫ぶように訊く。阿田川の腕を掴もうとした。だが、阿田川はそれに気づかず、目についた物の元へと駆け寄った。
それは、赤ちゃんくらいの小さな石像だった。
木でできた粗末な祠――四隅に柱があり屋根があるだけの物だ――の中に鎮座している。小さな地蔵かと思ったが、形はちょっと違う。人型であるようにも見えるし、人ではなく、何か別の生物のようにも見える。
不思議な印象があった。
目がまん丸で大きい。そして、口の部分には穴が開いていて、頭の向こうまで貫通していた。鼻らしいものは見られない。
「何だか、気味の悪い置物ね」
絵里香が言った。梨沙もしきりに頷いている。
阿田川がその石像に手をやる。何をするつもりか、と訝っていると、何と持ち上げようとした。
「なにやってんのよ? やめなよ」
絵里香が言う。梨沙も顔を顰めていた。
しかし阿田川は「まあまあ」と意に介さない。
石像と祠とは古い紐で結びつけられている。阿田川はそれを苦労してほどき、ついに石像を持ち上げてしまった。
「ズッシリしているけどこのくらいなら持って帰れる。知り合いに民俗学をやっている人がいるんだ。その人によると、こういう土着の物は、結構高く売れるみたいだよ。研究者の間では。単なる地蔵じゃなくて、こんな変わっているのならなおさらだ」
「おまえ、まさかそれを持って帰って売るって言うのか?」
「ああ。この場所もきちんと記録して、買う人に教えておく」
「よせよ。この辺の人たちの信仰とかに関係あるかもしれないじゃないか」
「こんな所に放っておかれているんだぜ。大切にはされてない証拠さ。それに、誰かに調査とかしてもらえるかも知れない。その方がいいだろう。単なる物好きに売るんじゃなくて、ちゃんとした研究者に売るんだし。必要なら戻してくれるだろう」
「無くなったら心配になったりして、困る人がいるかもしれないだろう」
「この天童地区には、人は住んでいないそうだ。バイパスの休憩地として道の駅があるだけで、そこで働く人も、両隣の村からわざわざやって来るらしい」
それはさっき、道の駅の案内板を見たので大久保も知っている。だが、この石像を見ていると、何かいわくがありそうで気になった。
「本当に、こんな物を買い取る人がいるの?」
梨沙が、怖々覗き込むようにしながら言った。
「ああ。その土地特有の珍しい慣習や何かに関わる物だとすると、結構高く買いたがるらしいよ。売れたら、もちろん、四人で山分けにしようと思うけどね」
阿田川は、石像を抱えたまま歩き出した。大久保ももう何を言っても無駄だと思い、続く。絵里香と目を合わせた。不思議なことに、お互いに不安感が和らいできたようだ。
大久保はもう一度石像を見た。自分と絵里香が感じていた不安感と、石像の間に何か関係があるのだろうか? そんな気が一瞬した。だが、すぐにうち消す。
気分に余裕が戻った大久保は、去ろうとしている森の奥に目をやった。そして、仲間達に順番に視線を送る。梨沙が同じように森の奥を見つめていた。そして、急に息を呑み、身体を硬直させる。
「どうしたの?」
ただならぬ様子に、思わず声をかけた。阿田川と絵里香も梨沙を見る。
梨沙は震えながら、森の奥を指さした。
「今、あっちの方に、赤くて大きな、目みたいなのが二つ動いた」
「え?」他の三人が交互に顔を見合わせた。梨沙の指す方を見ても、単に闇があるだけだ。赤い目など見えないし、何かが動いた痕跡も感じられない。
「錯覚だろう」と阿田川が簡単に言う。
「ううん。確かに何かいたよ。こっちを見てた」
梨沙の顔は恐怖で固まっている。
「変なこと言わないでよ」
絵里香が咎めるように言う。
さっきから強さを増し始めた風が木々を揺らした。
枝や葉が擦れ合う音が、必要以上に耳につく。それは、四人の胸の奥まで届き、原始的な感覚を刺激する。錯覚だと言った阿田川の表情まで強張ってきた。
大久保の頬に冷たいものが落ちてきた。雨だ。
「おい、まずいよ。雨が来る。急ごう」
その後は、四人とも無言で道の駅を目指す。
彼らの後ろ姿を見つめる赤い目には、四人とも気づかなかった。いや、気づくのを避けていたのかも知れない。
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