第3話 ウェルカム ツウ ザ ムーン

 メールが来た翌日、交代要員を乗せたシャトルが月面に到着した。翌日と言ってももちろん基地内時間(グリニッジ標準時間)のことだ。月本来の一日(二十七日と七時間)ではない。僕は月面車ムーンローバーを操縦して迎えにいった。月基地ではこういう事は持ち回りでやる事になっていて、今回は僕が当番だったという事だ。シャトルの発着場は基地から南に一キロの場所にある。

 僕が到着したとき、シャトルはちょうど降りてきたところだった。発着場を覆うレゴリスタイルがシャトルのエンジンから吹き付けられるプラズマを浴びて赤熱している。

 エンジンが完全に停止するのを待って、僕は月面車をシャトルに近づけてドッキングさせた。これでシャトルから月面車への移動は宇宙服なしでできる。連絡口が開き、四人の交代要員が車内に乗り込んできた。

「ウェルカム ツウ ザ ムーン」

 お決まりの挨拶で僕は彼ら彼女らを出迎え一人ずつ握手していく。

 四人の国籍は二人が中国人、一人が韓国人、そして日本人が一人。東アジアの人間しかいないのに英語で挨拶というも妙なものだが。

 最後に入ってきた日本人女性はやはり小太刀の妹だった。そういえば、兄貴とどこか似ているような気がする。

「あの」

 握手しながら小太刀の妹はおずおずと言う。

「佐竹さんですよね?」

「ああそうだけど……君かい? 小太刀君の妹さんは?」

「はい、小太刀 めぐみです。あのう……兄から、何か失礼なメールでも来ませんでしたか?」

「え? いや、メールは確かに来たが、特に失礼な内容というものでもなかったよ」

 多少変わってはいたが。

「兄が何を言ってきたか知りませんが、どうか忘れてください」

 忘れろって? 

「あたしが月へ来たのは、成瀬教授の指示で、父の事とは何も関係ないんです」

 ああ、そういう事か。

 小太刀兄妹の父は月で殉職した。言ってみれば英雄だ。その事で周囲から特別視されてきたのだろう。

 だが、それは同時に周囲からの妬みも買う。

 この若さで月基地勤務が決まった事でやっかむ奴もいたのだろう。実力もないくせに、殉職した父親の遺志を受け継ぐ娘という美談で選ばれたとか。

「大丈夫だよ。メールはごく普通の挨拶だ。むしろ友人の職場に自分の妹がくるのに黙っている方がおかしいだろう」

「はあ、そうなんですか?」

「だが、僕は決して君を特別扱いしないから覚悟してくれ。ドジを踏んでも『てへ』と笑ったって誤魔化されないよ」

「あたし、そんな事しません」

「分かっているって」 

 もっとも、僕がどうしようと彼女へのやっかみは消えないだろう。こればかりは慣れるしかない。実際、僕も月基地への勤務が決まった時は色々と言われたものだ。直接口で言う奴もいれば、ネットにあらぬ事を書き込む奴もいる。「大学を出たばかりの若造が、月基地要員に選ばれるなんておかしい。きっと何かコネを使ったに違いない」とか。

 まあ、僕の場合は自分から月行きを志願したわけじゃない。成瀬教授の研究室でエキゾチック物質の研究をしていたために強引に送り込まれたようなものだ。成瀬教授はエキゾチック物質の研究はなるべく身内で固めたかったらしい。機密保持のために。しかし、一人の人間が月基地に滞在できる期間は、一回につき二ヶ月以内と決められていた。それ以上、月の重力下にいると地球への復帰が難しくなるからだ。しかしエキゾチック物質の抽出には長い時間がかかる。だから、成瀬教授は自分の研究室で信頼できる人間を交代で送り込んでいたのだ。光栄な事に僕は信頼されていたらしい。まあ、それはともかく。

「小太刀君。一つ聞きたいんだが」

「なんでしょう?」

「君も信じているのか? その……月人を……」

 小太刀珠は一瞬あっけに取られたような顔をした後、疲れたようにため息をつく。

「兄がご迷惑をかけたようで……申し訳ありません」

「いや、迷惑だなんて」

 実際、迷惑ではあったが、そこまで恐縮しなくても……

「あの人は少し異常なんです。あたしはもちろん兄とは違い、月人なんて信じてません」

「そうか」

 とにかく、月人の事で悩まなくて済みそうだな。おっといかん。もう出発の時間だ。

「それじゃあ車を出すので席に着いてくれ。詳しい話は後にしよう」

「はい、あの」

 彼女は周囲をキョロキョロと見回した。

「窓は開かないんですか?」

「外が見たいのかい?」

「ええ。せっかくだし」

 僕は眼鏡型ディスプレイのFMDフェイス・マウンティッド・ディスプレイを彼女に渡した。

「今は昼間なので、窓のシャッターは開けない。それを使ってくれ」

 もちろん、短時間シャッターを開いたところですぐにどうこうなるわけではない。それでも長時間月に滞在する以上、被爆線量は少しでも減らしておかなければならない。

 まあ、シャッターを下ろしたところで完全に被爆を防げるわけではないが……

 小太刀珠は手慣れた手つきでFMDを装着した。しばらく、周囲を見回す。

 今、このFMDには車外カメラの映像が映っているはずだが、FMDをつけていない僕には何も見えていない。

 不意に彼女はFMDを外して僕の方を見る。

「あの、この時間にムーンファンテンは見れますか?」

 月噴水ムーンファンテン? 何を言ってるんだ? こんな時間に見れるわけないだろうに。

 月面では昼間の側の砂は+に帯電している。そして夜の側の砂は-に。そのため、昼と夜の境界線では帯電した砂が舞い上がる現象が起きている。それはあたかも砂の噴水のように見えたため月噴水ムーンファンテンと呼ばれていた。つまりその現象は日の出と日没にしか見れないわけだ。

「いや、今の時間は見れないよ」

「ですよね。じゃあ、あれはなんでしょう?」

 彼女は車の後方を指差す。

 僕もFMDを装着してその方向に目を向けた。

 なんだ、あれは?

 確かに、月平線のあたりに噴水のようなものが見える。もちろん、月面に液体の水が存在するはずがない。月の砂が噴水のように噴出している。これは……

 僕は通信機のスイッチを入れた。

「こちら月面車ムーン・ローバー三号。プリンセスホール応答願います」

 ほどなくして基地から返信が帰ってきた。

『こちら、プリンセスホール。三号どうぞ』

「そっちで減圧警報は出ていないか?」

『五分前から出ていますが、どこから漏れているのか今調査中です』

「やはりそうか。今、月面に凄い勢いで空気が噴出している。そっちへ映像を送る」

 それにしてもあの場所って、新しく見付かった洞窟の辺りじゃないのか?

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