月噴水
津嶋朋靖
第1話 月の洞窟には何かがいる
月の洞窟には何かがいる。
そんな噂は以前からあった。おそらく、無人探査機かぐやが、溶岩洞窟の入り口を発見した時からそういう噂があるのだろう。では「何か」っていったいなんだ? それは人によりけり。ある人は月人の都市、ある人は宇宙人の基地、あるいは古代文明の遺跡……
巨大生物だという人もいる。
もちろん、ただのヨタ話だ。
ヨタ話だが、それを本気で信じている奴は始末におけない。いくらそれを否定されようとガンとして信じ続け、二言目には「NASAは何かを隠している」と決めつける。
そりゃNASAぐらいの大きな組織ともなれば機密の一つや二つはあるだろう。あるだろうけど、なぜその隠し事がおまえさんの妄想している事と同じだと言えるんだ。
高校時代、僕のクラスにいた
小太刀がいつも読んでる本は所謂オカルトの類。その中であいつが特に熱心に読んでいたのは、月の溶岩洞窟の奥にある月人の都市とか、宇宙人の基地に関する記事だった。もちろん根拠のないデタラメ記事だが、小太刀はかなり本気でそれを信じていたようだ。
しかし、そんなものあるはずはない。
その時点でも月の溶岩洞窟に最初の探検隊が入ってから十年以上も経過しており、二〇五五年には常設の国際基地が建設されている。もし、そんなものがあればとっくに発見されているはずだ。なにより、月の溶岩洞窟は生物の住める条件を整えていない……
と、何度も小太刀に言った。だが、その都度奴はこう言う。
『NASAが本当の事を言ってると思っているのか。奴らは絶対に何かを隠しているんだ』
NASAは米国限定の組織。国際月基地に人員を送っているのはアメリカだけでない。ロシアや日本、中国、インド、ユーロも隊員を送っている。それを指摘しても、小太刀は全てNASAとグルになって隠していると決めつける。その裏にはアメリカ影の政府だの、ユダヤの陰謀だのがあると。
陰謀論に取り付かれた人間を説得する難しさを僕は十代にして思い知らされたものだった。高校卒業後、小太刀との仲は年賀状のやり取りをする程度で直接会う事はなかった。
そんな奴と再会したのは一年前の二〇六八年。同窓会での事だ。
この時、僕はあいつに再会しても絶対に黙っていようと思っていた事があった。大学卒業後も研究室に残り、教授の研究を手伝うために国際月基地に何度も行ったという事を。
一昔前とは違い、最近では月基地に赴任したぐらいではニュースにもならないし、黙ってれば分からないと思っていたのだ。
だが、クラスメートの何人かはそれを知っており、三時間ほどの宴会の間にその事が小太刀の耳に入る事を防ぐことは無理だった。
知られると面倒な事になると思い黙っていたのだが、黙っていた事を知られたためにさらに面倒な事になってしまった。
案の定、小太刀は僕に食ってかかってきた。
酒が入っていたとはいえ、小太刀の剣幕は異常だった。『なぜ黙っていた? 何を隠している? おまえも奴らの仲間か』と執拗に詰問してくる。
正直、その時は背筋の凍る思いだった。それまで小太刀のオカルト狂いは趣味程度と思っていたのだが、この時の様子だとまるで怪しげなカルトに所属しているようにも思えた。その後、僕は隙を見て会場から抜け出し、そのまま家に逃げ帰ったのだった。家に帰ってからは、とにかく奴にはもう関わらないようにしようと決意したのだが、数日後、気になって小太刀に電話をしてみることにした。その時には奴もすっかり落ち着いていたので冷静に話ができた。そして、この時の電話で奴がなぜ月の洞窟にこだわるかが分かったのだ。
小太刀の父は二〇五四年に月へ行った第六次国際月面探検隊のメンバーだったのだ。
僕の記憶ではこの時一人の隊員が月で行方不明になっていたはず。南極基地から
その隊員の名前が小太刀
高校でこいつと出会ったとき、苗字が同じだとは気がついたが、家族だとまでは思わなかった。なぜ、今まで小太刀はその事を話さなかったかは分からないが、おそらくかなりつらい思いを抱えていたはずだ。小学生の時に突然父親を失ったあいつは、その事実を受け入れられなかったのだろう。そして、父が今でも月人の都で生きているという妄想をもつ事で心の平衡を保っていたのだ。
話し終わった後、小太刀は『本当は何か隠しているんだろう。教えてくれ』と懇願した。
もちろん僕にだって隠し事はある。月基地で行っている事の中には国家機密に属する事も当然あり、現在僕が関わっている研究も秘密事項になっている。だがそれは新物質の研究とかであって、小太刀が知りたいと思っている月人の都市でも、宇宙人の基地でも、ましてや古代遺跡でもない。
そんなものあるわけないし、仮にあったとすれば僕は躊躇なく教えていただろう。それで奴が満足してくれるなら、守秘義務などクソ食らえだ。
だが、残念な事に……いや、当然な事に溶岩洞窟の中にそんな怪しげなものは存在しなかった。
存在するはずなかった。
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