第九章 蒲生氏郷編 小牧・長久手の戦い
第107話 威加海内
主要登場人物別名
上様… 織田信長 織田家前当主
三介… 織田信雄 信長の次男
筑前守… 羽柴秀吉 織田家重臣筆頭
――――――――
日野内池の隠居所には夏の爽やかな日差しが差し込み、塀の外からは子供たちがあぜ道で遊ぶ声が聞こえて来る。
縁側に座る賢秀も子供たちの声に耳を澄ましながら、陽光を受けてキラキラと光る庭木に目を細めていた。
「父上。起きていらして大丈夫なのですか?」
「ああ。大事無い。今日はすこぶる体の調子がいい」
居室の戸を開けた賦秀が思わず目を見張る。
縁側に座る賢秀の姿は高僧を思わせる神秘性を持ち、まるでそこに居るのは父では無く御仏の化身ではないかとさえ思えたからだ。
賤ケ岳の合戦が羽柴秀吉の勝利に終わり、賦秀も軍勢と共に日野へ凱旋していた。
この一月前から賢秀は中野城を賦秀に譲り、自身は内池の隠居所に移っている。柴田が滅んだ今、蒲生を保つ為に賢秀が再家督をする必要は無くなったためだ。
賢秀が内池に移った理由はもう一つあった。
昨年末から拗らせた風邪は半年以上経った今も続き、食も細くなった賢秀は今や往年の面影も無くすっかりと痩せ細っていた。
もはや先は長くないと悟った賢秀は、人生の最期を静かな内池で過ごしたがった。
「昨日は夢を見た」
「夢を?」
「ああ。上様と最初に会った時の夢だ。上様は元服前のそなたを『麒麟の児だ』と申されて岐阜へ連れて行かれた。儂はてっきり蒲生を味方につける為の方便であると思っておったが、今にして思えば上様はあの時からお主の才覚を見抜いておったのかもしれん」
「……買いかぶりです。此度は滝川殿の戦ぶりに翻弄されました。柴田が敗れて援軍の当ても無い中で一月の間持ちこたえるのは尋常の胆力ではありません」
賦秀は思わず首を振った。
手強い相手だったと思う。滝川鉄砲隊の脅威の前に最初賦秀は為すすべもなかった。秀吉の背後を突こうと焦った一益が力攻めに出て来てくれたから対応できたが、そうでなければ今もまだ長島城を囲んでいたかもしれない。
「滝川殿か……。懐かしいな。かつては随分と儂を目の敵にしておられた。臆病者の蒲生左兵などにな」
「臆病者などと……某は今更ながらに父上の思慮の深さに感じ入っております。他人からの評価に飄々としておられるが、さりとて周囲から侮られるわけでは無い。余人に出来ることではありませぬ」
「ふふふ。大したことはしておらぬ」
そう言って茶碗の茶を口に含む。
既に茶碗から湯気は無くなり、淵には水滴がついている。すっかり冷めてぬるくなっているのだろう。
「その滝川殿ですが、妙心寺にて髪を下ろされるとか」
「そうか」
滝川一益の行く末を聞いた時には、賢秀にも何らかの表情が湧いてすぐに消えた。賢秀が普段このように感情を顔に表すことは滅多に無い。
―――もしや
滝川一益が賢秀を意識していたのと同様、賢秀も滝川一益を意識していたのかもしれない。
片や剃髪して世を捨て、片や間もなく生を終えようとしている。二人とも織田信長と共に表舞台から去っていく人生を辿っている。それは、あるいは偶然ではなかったのかも知れないと初めて思った。
「それで、今日は如何した?」
賦秀は一瞬迷った。賢秀は既に世俗を離れている。これ以上余計なことを言って心を煩わせることも無いではないかと思った。
だが、父の静かな目を見ていると言葉が自然と口をついて出てしまった。
「……実は、筑前守殿が此度の私の働きに報いたいとして伊勢亀山城を任せたいと言われました」
「ほう」
「ですが、同時にとらを側室に迎えたいと……」
とらとは賦秀の妹であり、秀吉の側室となって『三条殿』と呼ばれた女性だ。
未だ三法師への忠義を標榜する蒲生に対し、領地を与えると同時に妹を側室にすることで関係を強化しようと迫った格好だ。
「……決して悪い話ではない。三法師様を守護奉るに当たって羽柴との友好は欠かせぬ。柴田亡き今は、特にな」
「ですが、筑前守は三法師君をないがしろにしております。そもそも……」
思わず賦秀が言い淀む。だが、じっと見つめる賢秀の目を見るうち、賦秀も諦めて心の内を全てさらけ出すことにした。
「三介様が、前田玄以殿を京都奉行職に任じられました。三法師君が若年であるのを良いことに」
「ふむ……」
「それに対し、筑前守は何一つ申しませぬ。いや、筑前守だけでなく丹羽や池田もです」
賤ケ岳の勝者は羽柴秀吉であるというのは天下の共通認識だったが、この直後の天正十一年五月には織田信雄が安土城に入り、幼い三法師に代わって天下人として振舞い始めた。
京都奉行に任じられた前田玄以は、本来三法師の傅役であり、信雄の下知に従う立場にはない。にもかかわらず前田玄以を京都奉行に任じて安土城を追い出したのは、三法師に代わって天下人となるという意志の表れだった。
もう一つ、前田玄以は信長の元で長く京都奉行職にあった村井貞勝の娘を娶っている。つまり、信雄が前田玄以を京都奉行に任じた背景には、信長時代と同様に京を支配しようという目論見があった。
だが、同じ下知状の中で信雄は秀吉が前田玄以を補佐するようにと伝えている。
ライバルであった織田信孝を自害させた信雄は、信長の後継者は自分しかいないと考えてはいたが、その政権は羽柴秀吉の支持の下で成り立っている。
信雄に諌言できる者があるとすれば、それは秀吉以外にはあり得ない。
ちなみに、天正十一年六月の佐々成政の書状には信雄が信長に代わる『天下人』になったと認識されており、秀吉はそれを補佐しているという認識だった。
多くの織田旧臣にとって『上様の御時』つまり信雄の元での信長体制の復興こそが求められており、あくまでも筋目を通して三法師を奉じる蒲生のスタンスは周囲から浮き始めていた。
それらの苦悩を賦秀は洗いざらいぶちまけた。
「今からかような事では、三法師様が元服なさった折には無事に家督が返還されるかどうか、はなはだ心許ないと言わざるを得ません」
「ふむ……」
賢秀がしばし目線を逸らして考え込む。
一方の賦秀は、自分の腹の中に溜めていたものを吐き出したからか先ほどよりさっぱりとした顔をしていた。
「まあ、お主の言いたいことは分からぬではない。だが、そう焦るな」
「はあ……」
「どのみち今すぐに三法師様が家督を継ぐには年端が足りぬ。未だ四歳。焦るほどではない」
「しかし、このまま三介様の天下が確立すれば……」
「そうはならぬ」
「そうでしょうか?」
「ああ。断言する。そうはならぬ」
いつも物静かな父がこのようにはっきりと強い言葉を口にするのを賦秀は初めて聞いた。
驚いている賦秀にさらに賢秀が畳みかける。
「羽柴筑前守は以前の筑前守ではない。上様が亡くなり、柴田を滅ぼしたことで欲が出て来たのだろう」
「欲が?」
「ああ。自らが天下を獲るという欲がな」
今の秀吉は、強大な力を有しながらも表向きはあくまでも織田家重臣筆頭の立場を崩していない。それ故、賦秀は今後も織田信雄・羽柴秀吉による政権運営が行われていくと思っていた。
そうなれば、必然的に三法師は信雄に頭を垂れることになるだろう。
だが、賢秀の言葉によればいずれ信雄と秀吉は破局を迎えるという。賦秀もあるいはと思わなくはなかったが、それにしても賢秀ほどに力強く断言することは出来ずにいた。
「今までの羽柴は、上様亡き後の織田家を纏める為に奔走してきた。だが、それも落ち着いた今、いよいよ自らの欲に気付くはずだ。三介様と袂を分かつのはそう遠い先ではあるまい」
高僧のような雰囲気も相まって、賦秀にはそれが何やら預言めいたものに感じられた。
父にそう言われると、確かに近い将来そうなると思えて来る。
「その折には、お主はお主の為すべきと思う事をしろ。三法師様の御為になるならば、それが蒲生の生き様となる」
「ハッ!」
―――話せてよかった。
もやもやとしていた物を吐き出したからか、あるいは賢秀の言葉に覚悟が定まったからか、賦秀は先ほどから顔つきまでが一変していた。
二か月後の天正十一年九月には、この賢秀の言葉通りのことが起こった。
五月には柴田勝家・織田信孝らの旧領を配分したが、その中で秀吉は摂津伊丹城主の池田恒興を美濃大垣城に転封し、築城に着手し始めていた大坂城を手に入れた。
また、大坂城に近い和泉岸和田城には蜂屋頼隆に替えて秀吉直臣の中村一氏を入城させている。
そして、九月には大坂城の築城を本格化させ、合わせて来春には内裏や五山以下の諸宗派寺院を大坂に移転させたいと朝廷に奏上する。
大坂に遷都することで信雄が掌握しつつある京を形骸化し、信雄の天下掌握を阻止するための布石だった。
また、鞆に逃れていた足利義昭の帰洛を促し、将軍権力をも手中に収めようとした。信長に追放されて事実上滅亡したとはいえ、未だ足利義昭は征夷大将軍であり、足利幕府は完全に消滅したわけでは無い。
秀吉は、自らが将軍を支配下に置くことによって信雄以上の権威を持とうと画策した。
一方の信雄も何もしなかったわけでは無い。
織田旧臣に結束を呼びかけ、信長の『天下布武』の印に倣って『威加海内』の印を使い始める。これは天下布武印と同じく馬蹄型の印形であり、言うまでも無く織田旧臣に対する『信長の後継者は自分である』というアピールだ。
だが、秀吉の数々の挑発に対して信雄は無力だった。
織田家の旧臣の多くは秀吉の方に心を傾け、信雄を軽んじ始めている。無論、明確に下知に逆らうようなことは無かったが、言葉に出さずとも秀吉の方に重きを置いていることは言わずとも伝わる物だ。
何とか秀吉との関係を改善しようと天正十二年の正月には三井寺において秀吉と会談するが、結局この会談で歩み寄ることは出来ずに信雄は旧領の伊勢長島城に戻って徳川家康と連携を強める。
この頃になると、既に両者が合戦に及ぶのは時間の問題と思われた。
蒲生賦秀は賤ケ岳合戦の戦勝の褒美として与えられた伊勢亀山城を叔父の関盛信に任せ、自身は相変わらず日野中野城を本拠地としていたが、天正十一年十一月に飛騨守に叙任されると明確に秀吉方に味方すると宣言した。
既に戦乱は各地方での勢力争いの段階を終え、二大陣営による『天下分け目』の段階へと突入している。
ここに至っての中立は双方を敵に回す行為であり、どの武将もいずれかの陣営に属す必要があった。
賦秀としては、信雄の天下を認めれば三法師の家督を奪われることを容認することとなる為、必然的に秀吉に味方するしかなかった。
信雄であれば信長の血筋でもあり、三法師に代わって織田家の家督を継承することを諸将も認めるかもしれない。だが、秀吉であれば少なくとも織田家の家督を継ぐことは出来ない。
三法師が織田家の当主でさえあれば、何かのきっかけで秀吉に奪われた天下を獲り返す機会も巡って来るかもしれない。
それが賦秀の判断だった。
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