第33話 調略

主要登場人物別名


弾正… 六角定頼 六角家当主

藤十郎、左兵衛大夫… 蒲生定秀 六角家臣

四郎… 六角義賢 定頼の嫡男 六角家次期当主


備前守… 浅井亮政 京極家臣 実質的な北近江の支配者

中務少輔… 京極高延 京極家当主

長門守… 京極高吉 高延の弟 兄の高延と家督を巡って争う


朝倉兵部大輔… 朝倉賢茂 北伊勢国人衆 北伊勢四十八家の一つ

千草常陸介… 千草忠治 北伊勢国人衆 北伊勢四十八家の一つ

関中務大輔… 関盛信 北伊勢国人衆 北伊勢四十八家の一つ


――――――――


 

「今回は蒲生は留守居とする。藤十郎は日野に帰って中野城を守っておいてくれ」


 六角定頼の重々しい言葉が亀の間に響く。呼び出された進藤と定秀にも疑問の色があった。


「御屋形様。何故藤十郎を連れて行かぬのですか?何か蒲生に手落ちがありましたか?」


 進藤が不審な顔をするが、定秀も同じ思いだった。六角家では今度こそ北近江を完全に屈服させるための出兵を間近に控えている。

 この年の正月、既に実質的な隠居状態にあった京極高清が亡くなり、京極家の家督は正式に高延が継いだ。


 だが、これに異を唱えたのが六角氏の庇護下にある京極高吉である。


 六角定頼の後援を得た京極高吉は、京極家の家督を巡って高延に対して兵を挙げた。対する高延は、一向一揆に手を焼きながらも応戦する兵を挙げ、逆に鎌刃城や佐和山城を占拠している。毎度のことながら北近江は定頼にとって頭痛の種になっていた。


 今までも定頼の戦には必ず蒲生勢の先陣があったが、今回は蒲生勢は陣立てから外れている。定頼の重要な戦に蒲生が参陣しないということは、それだけで異常事態と言えた。


「何も蒲生に手落ちがあるわけではない。北近江の後は千草ちぐさを攻める。藤十郎にはそちらの戦を全面的に任せたいのだ」

「千草を……」

 進藤も定秀も驚いた顔になる。北近江は度重なる六角との戦と一向一揆で、今は往時ほどの勢威は無い。今回の坂田郡への浅井の侵攻も、元々は京極高延の要請によるものだ。苦し紛れに佐和山城に攻めて来ているとみる方が自然だった。


「今回の北近江戦は四郎に初陣をさせる。その後の千草攻めの総大将は四郎に任せるつもりだ。

 藤十郎には四郎に戦の進め方を教えてやってほしいのだ」

「いや、某などが若殿にそのような差し出がましいことは……」

「謙遜するな。今や藤十郎はひと方の大将も務まるほどの器量を備えている。お主の戦のやり方を四郎に見せてやってくれ」

「……かしこまりました」


 一つ頷いた後、定頼が少し声を潜めて定秀に顔を近づける。


「北伊勢には保内の甚太郎が食い込んでいる。上手く使え」


 ―――なるほど、今のうちに千草氏を切り崩せということか


 定秀は全てを理解した。そのために自分を日野に帰らせるのだ。


「承知いたしました。若殿が参られた時には既に勝敗を決めておきまする」

「期待している。千草攻めに関しては藤十郎に全てを任せる。お主の良いと思うようにやれ」

「ハッ!」



 天文七年(1538年)五月

 六角定頼は京極高吉からの要請を受けて、満を持して北近江に再び侵攻を開始する。

 此度は嫡男・義賢の初陣を兼ねており、先の箕浦河原合戦と同じくらいの重厚な陣立てで臨んだ。だが、その陣に蒲生の姿は無かった。

 既に北近江は六角軍とまともに戦を構えるだけの勢力は無く、浅井亮政も鎌刃城・佐和山城を落としたとはいえ、六角本隊が進軍してくると早々に小谷城に籠る準備を始めた。

 勝敗は、戦う前から明らかだった。




 ※   ※   ※




 鎌刃城、佐和山城を瞬く間に奪回した六角軍は、浅井郡の長沢に本陣を進めて浅井郡内に広く布陣していた。

 浅井亮政は京極高延と共に小谷城に籠り、六角軍との決戦を極力避けることしか出来なかった。


「備前守!一体どうするのだ!これでは我らには小谷城しか残らぬことになるぞ!」


 小谷城の一室では京極高延の金切り声が響くが、浅井亮政にとっては誰のせいでこうなったという思いしかない。


「もはやこれまでにございます。近江の最北に位置する海津城も、先日城主の饗場あえば入道が六角方に降ったと報せが参りました。もはやこの近江には六角に与する者しか残っておりませぬ」

「しかし……しかし、それではわしはどうするのだ!むざむざと京極の家督を長門守に譲れと申すか!」

「……それしか手はございますまい。既に六角弾正は……いえ、弾正様は近江一国の守護として公方様からも認められておりますれば、六角に従うはやむを得ぬことかと」

「貴様!貴様までわしを裏切るのか!」


 ―――誰が裏切ったと言うのだ。むしろお主に付き合ったで儂まで追い詰められておるのがわからんのか


 浅井亮政には苛立ちだけが募る。天文二年に国人衆の総意として浅井を京極の家老とするように定めてからは、京極家など有名無実の存在でしかない。

 今や北近江を治めているのは京極ではなく浅井だった。


「これ以上無益に籠城したとしても、いたずらに兵を損じて悪名を残すだけでございます。

 中務少輔様の一身については、この備前守が必ずやお預かり申します。今はそれで、京極の家名を保つ事のみをお考え下さいませ」


 大仰に頭を下げた浅井亮政に、京極高延も何も言い返せずに不機嫌な顔をして座っているだけだ。


「今一度申し上げます。六角方は浅井郡内に広く布陣しております。これは、我が小谷城を攻めるというよりも北近江の国人衆をことごとく降す為の陣立てでございましょう。

 六角は我らなどもはや相手にもならぬと言っておるのです。……口惜しきことながら、それは事実でございます。


 この上は一刻も早く六角と和議を結び、北近江の国人衆の信を失わぬことが肝要。

 刻が経てば経つほどに国人衆は我らから離れ、中務少輔様を推戴する者が減ることになる。


 ……ご決断をお願い申し上げます」


 再び深々と頭を下げる。だが、これはすでに願いではなく恫喝だった。

 ”これ以上駄々をこねるなら小谷城から放り出すぞ”と言っているに等しい。浅井亮政の顔がそれを如実に物語っていた。


 ガクリと頭を垂れた京極高延は、か細い声で「良きに計らえ」と言葉を絞り出すしかなかった。



 天文七年(1538年)九月

 六角定頼の再度の北近江侵攻から、わずか四カ月で北近江は完全に降伏した。

 九月二十一日に浅井亮政の名を持って北近江三郡に徳政令が発布される。それは、同じくこの九月に六角定頼が発布した『近江国中徳政』とほぼ同じ内容だった。

 六角定頼の発布した徳政を浅井も追従して発布するということは、取りも直さず北近江三郡も六角定頼の令を受け入れたことに他ならない。


 大永五年の北近江出兵から十三年、定頼は京極高吉を改めて北近江の名目上の支配者として配置した。

 浅井亮政は完全に六角の旗の元に降り、六角定頼はようやく近江一国を完全に掌握した。




 ※   ※   ※




「失礼仕る」


 鈴鹿山地の一角に設けられたあばら家で、定秀は甲賀衆の警護を受けながら来客を迎えていた。

 保内衆の内池甚太郎に案内されてきた男は、毛むくじゃらでいかにも武辺者と言った風情だった。


「朝倉兵部大輔殿ですな。此度はよくお越しくださいました」


 定秀が頭を下げると、朝倉賢茂は剛直そうな顔を崩さずに一礼を返してくる。


「六角弾正様の重臣である蒲生左兵衛大夫様が、わざわざ某のような木っ端地頭に一体何用ですかな?」

「まあ、そう構えずに。少しお茶でも飲んでゆっくりと語り合いたいと思いましてな」


 ―――中々骨の堅そうな御仁だな。さて、どう攻めるか……


「ま、一服どうぞ」


 永源寺近くで栽培した茶を立てながら、さりげなく朝倉賢茂の顔を伺う。

 どうもどうやって飲めばいいのか戸惑っている様子だった。


「はっはっは。さほどに気難しく飲む必要はありませんぞ。白湯と同じに好きに飲めば良い」

「はぁ……」

 朝倉賢茂は恐る恐るといった具合に茶碗を口に運ぶ。一口飲むと、あまりの苦さに顔をしかめたが、その後に”ほぅ”という顔をして再び緑色の液体を見つめた。


「初めて頂きましたが、苦みのあとに爽やかな後口がある。茶とは美味いものですな」

「お気に召してようございました。実を言うと、某も偉そうなことを言いながらさほどに飲んだことはありません。

 折角なので朝倉殿とともに存分に茶を楽しもうと思いましてな」

「左様でしたか。蒲生様でもあまり口にされぬとは……これは口福でございますなぁ」


 ―――少しほぐれてきたか


 朝倉の顔にも笑いがある。最初のガチガチの顔つきよりも随分話がしやすくなった。


「時に、近頃伊勢はいかがですかな?」


 不意の定秀の問いに、朝倉賢茂はおもむろに茶碗を置くと憤然と語り出した。


「どうもこうもありませぬ。安濃郡の長野家は毎度毎度北伊勢にちょっかいを掛けて来ておりますが、最近では千草ちぐさ常陸介ひたちのすけまでもが長野に同調して我らから銭を取り上げようと画策しております。

 六角様の御弟君であらせられる梅戸殿にはさすがに物申せぬようですが、我らのような木っ端の者には遠慮会釈なしに段銭だの軍役だのを申し付けてくる。

 冗談ではない!我らは長野の被官ではない!」


「お声を静かに……今はゆったり茶を楽しみましょう」


 定秀の制止に、朝倉賢茂も一つ息を吐いて心を落ち着ける。予想通り、北伊勢の国人衆にはだいぶ憤懣が溜まっているようだ。


「して、その千草常陸介殿の武威はなかなかのもので?」

「……口惜しいことながら、北伊勢の中では頭一つ抜き出ております。千草に対抗できるのは北伊勢では梅戸殿か、あるいはせき中務大輔くらいしか居りませぬ。しかし、それも千草と長野が手を組めばどう転ぶか……」


 ―――ふむ。これなら話は早いかもしれんな


「朝倉殿。仮に、我が主六角弾正が千草を成敗すると申し上げれば、その時は御助力いただけますかな?」

「真ですか!六角様が我らに手を貸して下さると!」


 大げさに期待を表す朝倉賢茂に、逆に定秀の方が一歩引いた姿勢になった。


「仮に、ですよ。まだ主からはそのような話はありません。ですが、我が蒲生の日野は千草街道を通じて商人達を迎えたいと考えております。

 千草氏が街道で無体なことを行っているのならば、早晩何らかの対策をせねばいかんと考えているところでして……」


「仮に六角様が北伊勢に参られるのならば、我ら北伊勢の国人衆は勇気百倍となります。千草と長野の横暴を制する為に御助力いただけるのならば、これほど有難いことはない」


「左様ですか。北伊勢の国人衆の中には朝倉殿と同じお考えの方が大勢居らっしゃるのですか?」


「無論のこと。長野の横暴に皆憤懣を抱えております。田能村や大木、横瀬などとも寄ると触るとその話ばかりにて……」


 ―――そうか。ならば六角家が前面に出るよりも、彼らの蜂起を援助するという姿勢でいくべきだな


 この当時は後年のように奪い取った土地をすぐさま自国領とすることは出来なかった。

 土地の所有権や知行権を得るためにはかなりの制約があり、複雑な手続きを踏む必要がある。


 六角家や蒲生家が前面に出るよりも、元々その地を知行していた者達を被官として加えていく方が圧倒的に合理的で手早く平和維持が可能になる。

 何度も頭痛の種を抱えながらも、定頼が最終的に浅井を北近江から放逐しなかったのもそういった事情によるものだった。


 ―――千草征伐はあと一年延期してもらおう。その方が結局は早く済む


 定秀は朝倉賢茂に他の国人衆を紹介してもらう約束を取り付け、北伊勢国人衆の切り崩し工作を本格的に始めた。


――――――――


ちょこっと解説

戦国時代の北伊勢は、北伊勢四十八家と呼ばれる小規模国人衆の群雄割拠状態でした。

統一した守護が居ない状態であったために六角家や中伊勢の長野家、南伊勢の北畠家から色々と手を伸ばされます。そのために後年の織田信長も美濃と並行して北伊勢にも触手を伸ばしていました。


これから北伊勢征伐で多少ややこしくなりますが、できるだけ地の文をフルネームで記載していきますのでご容赦下さい。

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