第21話 本願寺焼失

主要登場人物別名


六角弾正… 六角定頼 六角家当主


老僧… 顕証寺蓮淳 本願寺十世証如の祖父であり後見人

上人… 本願寺十世法主証如 本願寺派一向宗の指導者


――――――――


 

 門徒や僧侶の悲鳴がこだまする中、定秀は無表情に馬上で戦況を眺めていた。

 天文元年(1532年)八月十四日

 早朝から滋賀郡の大津にある一向宗の近松寺を取り囲み、焼き討ちを行っていた。


「おのれ!六角弾正!御仏を恐れぬ不埒者が!」


 前方から一人の僧兵が武装した民衆を引き連れ、喚きながら突進してくる。定秀は表情を崩さぬまま矢を射かけさせると、生き残った者達を一人一人丹念に長柄隊で討滅した。

 民衆とは言え、どの者も以前はいずこかの武家で槍働きをしたり、銭で雇われて足軽働きをしたことのある者ばかりだった。


「一人も討ち漏らすな!イナゴ共を討ち漏らせば皆の身内を食い荒らしに来るぞ!」


 軍勢に激を飛ばしていると、長柄隊を引き連れた騎馬武者が僧兵の部隊を壊滅させて戻って来ていた。



「殿。もはや抵抗する者はいないようです」

 戻って来た騎馬武者の外池茂七が甲高い声で復命する。定秀は頷くと、炎を上げる近松寺の寺内町に視線を戻した。

 茂七は箕浦河原で討死した外池兄弟の末弟で、まだ十四歳の若年だったが、定秀は外池家の家督を継がせて長柄組の物頭として取り立てていた。

 長兄の外池弥七は馬廻組頭を務めていたが、まだ若年であるためにいきなり馬廻組頭を継がせるわけにはいかなかった。



 蒲生勢はいつものように先陣として攻めかかって来る一向門徒を撃退していたが、同じく先陣として後藤勢が反対側を担当し、蟻一匹這い出る隙間の無いように包囲焼き討ちを行った。


 ―――人々をかどわかす腐れ坊主共が


 定秀は先行して布陣した際に保内衆から寺内町の内情を聞かされて吐き気がした。

 寺内町の中は完全に無法地帯になっており、摂津や河内から逃げ込んだ僧兵や足軽崩れの一揆勢は、周辺の村落から食い物を強奪し、商人の荷を奪い取り、娘を攫って来ては慰み者にしているとのことだった。

 元々居た僧たちも三好や興福寺、細川の軍勢を散々に打ちのめした一揆勢の勢いに気を良くし、武士は恐るるに足りずと思い上がり、守護不入を謳って寺内町を自分達の支配する町へと変えた。


 蒲生の日野にも浄土真宗寺院はあったが、少なくとも周囲の村落に迷惑を掛けるような真似はしていない。そのために一向宗とも話し合えば分りあえるのではないかと最初は思っていた。

 しかし、実情を知ってその思いも消えた。


 ―――こいつらを野放しにすれば日野や近江一帯が地獄と化す


 今更ながらに、定頼の判断が正しかった事を思い知った。



 本来浄土真宗は他派から弾圧を受けていたため、守護や地頭にまで睨まれないようにと俗世権力とは友好的に接するように身を処していた。

 年貢を地頭にしっかりと納める事としていたのも、守護不入を謳って荘園や商工業者からの収入を独占し続けようとする比叡山や法華宗との差別化を図るためだった。


 しかし、戦っても武士に勝てると思い上がった現場の僧たちは、自分達こそが比叡山や法華宗に代わって収入を独占しようという野心を持ち始めた。うち続く戦乱で食い詰めた足軽崩れなどを戦力として保持するために、周辺村落からの略奪を黙認した。

 どのみち周辺村落は自分達のなのだからという勘違いがそれに拍車をかけた。


 法主の証如や蓮淳はやり過ぎては逆効果だという事を承知し、門徒衆を制御しようとしたが、そもそも戦力の源たる足軽達は教義や宗門の為にではなく自分達の欲望を爆発させるために戦闘行為を行った。

 当然ながら、指導者層が何を言っても聞く耳持たず、ただの巨大な本能の塊としての行動を開始した。


 つまり、この当時の一向一揆は元来の浄土真宗とは似て非なる物と化していた。


 大津の近松寺を焦土と化した六角軍は、八月二十三日には山科に入って本願寺攻めに取り掛かる。

 本願寺の南からは日蓮党(法華門徒)を中心とした京衆、西からは柳本勢を含む山城衆、北からは比叡山から下って来た僧兵が一斉に攻めかかった。




 ※   ※   ※




「老僧様!老僧様はどこだ!」


 炎を上げる本願寺の伽藍の中で法主の証如は必至になって後見人の蓮淳を探していたが、混乱の中ではぐれたのかどこにも姿が見えなかった。

 あるいは戦闘に巻き込まれて既に死んでいるのかもしれない。


「上人様!本願寺はもう駄目です!落ち延びましょう!」

 坊官の下間為頼が具足姿のまま証如に近付く。証如は蓮淳が居ないことに動転し、ただオロオロと蓮淳を探し回るだけだった。


「上人様!ここで上人様が亡くなれば親鸞上人以来の本願寺の血統が絶えまする!今のうちにお早く!」

「ええい!うるさい!老僧様はどこだ!」


 ―――正気を失っておられるのか…


 証如の目は大きく見開き、目線もウロウロと宙をさまよっている。あまりの事にパニックを起こして動転し尽くしていた。


「上人様!御免!」

 為頼は当て身をして証如を気絶させると、一目で高位の僧とわかる豪勢な袈裟や着物を引きはがして粗末な小袖を着せ、混乱に紛れて証如を担いで脱出した。

 まだ摂津や河内ならば一向一揆の勢いが残っている所もある。そう思った為頼は、商人に扮して山科川を下り、宇治川に出て堺を目指した。


 六角を中心とした本願寺討伐軍は、あっという間に本願寺を攻め落とすと伽藍を全て焼き払い、蓮如以来営々と築き上げてきた壮麗な大伽藍は一日も経たずに焼失した。

 証如は摂津に下って大坂の石山御坊に入り、石山を拠点として再び教団の勢力回復を目指す事となった。




 ※   ※   ※




「ふぅ、何とか間に合ったか…」


 蓮淳は六角軍が到着する前日に密かに本願寺を抜け出すと、夜陰に紛れて山中を逆に近江に向かって歩き、本願寺攻めが始まった八月二十三日未の刻(午後二時頃)には瀬田の辺りに出て行商人の姿に身をやつしていた。

 目指すは次男の実恵が住職を務める長島の願証寺だ。


 瀬田の辺りで一息つくと、大胆にも六角領を堂々と通って八風街道へと向かった。八風街道は観音寺城と伊勢桑名を繋ぐ街道で、まさに六角氏のお膝元をそのまま通っていく道だった。

 蓮淳は坊主頭を隠すためにほっかむりをし、天秤棒の先にシジミを担いでいた。

 シジミは絹の法衣を売った銭を使って瀬田で買い求めた。


「シジミ~ シジミ~」


 ご丁寧に売り口上まで口にしながら歩き、街道沿いの百姓には大胆にもシジミを売ったりもした。

 もっとも、代金は銭ではなく赤米の握り飯などと交換した。

 鐚銭びたせんが出回り、撰銭えりぜになどで使えなくなることもある当時では、米を銭代わりにして代金を決済するということもまだ珍しくなかった。

 それだけ銭に信用力が低かった。


 この当時では銭は明からの輸入品で、国内での生産は私鋳銭などがありはしたが、良銭りょうせんとなるのは輸入された銭だった。

 良銭が使われている内にすり減って、刻印が判別できないほどに損傷したものを鐚銭と呼び、良銭と鐚銭は同じ一文でもその価値は全く違った。

 私鋳銭は日本国内で独自に鋳造した銭だが、これも輸入物の良銭に対して鐚銭と判断された。


 朝廷や幕府に献上する銭は良銭に限られたりしたため、鐚銭は受け取りを拒否される事も多く、通貨として使えない場面も多々あった。そのため、現物である米や布を通貨とした物々交換取引もこの頃にはまだ広く行われていた。



 蓮淳は二日かけて街道を歩き、観音寺城下の石寺楽市の辺りにたどり着いた。

 辺りは諸国から持ち込まれた物産を売る店が軒を連ね、買い物を楽しむ声と商人の呼び込む声がこだまして大変な賑わいを見せている。

 店と言っても粗末な柱に屋根だけを乗せた粗末な小屋で、壁がなく四方が開け放たれていて自由に出入りができるようになっていた。


 ―――噂には聞いていたが…


 まるで戦など無いかのように平和を謳歌する民衆を見て、蓮淳は六角定頼の力に慄然とした。

 つい先日まで食い物を求めてさまようイナゴの群れをこの目で見て来た。山科の本願寺周辺も今頃は焼け落ちて焦土になっているだろう。

 それに対して、平和であるということがこれほどの豊かさをもたらすとは…


 どの顔も明日の心配などせずに今日を楽しみ、笑って暮らしている。

 といって平和ボケをしているわけではない。その証拠に楽市内や周辺も六角氏の武装兵が警備を行い、物々しい雰囲気を充分に感じさせる。

 しかし、少なくとも明日ここが戦場になるかもしれないという緊迫感は誰の顔にもなかった。

 そして、それらは全て六角定頼という男が創り出している平和によるものだ。



「おい、お前見ない顔だな。どこの郷のモンだ?」


 不意に声を掛けられ、蓮淳はドキリとして後ろを振り向いた。後ろには六人の男が不審げな顔をして立っている。


「へい。京の方から流れてきまして…」

「そうかい。あっちは戦がひどいからな。しかし、ここで商売をするにはいずれかの座人を通してもらわなければいかんのよ」

「左様ですか。ではどのように致せば…」

「荷は… シジミか。なら、小幡の布施さんとこで引き取ってもらいな」

 男の一人が担いだ荷をひょいと覗き込んでそう言った。楽市として商品を持ち込む事は自由だが、販売は問屋を通して行うのが石寺楽市の流儀だ。


 蓮淳は素直に従うと、紹介された布施源兵衛の店へ行ってシジミを全て引き取ってもらった。

 布施源兵衛は小幡商人を束ねる頭分で、山越衆として伊勢の海産物などを扱っている。シジミなどの琵琶湖の海産物も小幡衆の受け持ちだった。



「京から来なすったのか。これからどこへ行くんだい?」

「へえ。十楽の津と名高い桑名へ行ってみようかと…」

「桑名か… じゃあ、これをついでに持って行きな」

 そう言って源兵衛は買い取りの代金として古着を三着ほど渡してくれた。


「それと念の為に言っておくが、桑名から持ち帰る荷は慎重に選べよ。美濃紙は枝村衆のもんだし、塩や呉服は保内衆がうるさい。塩魚や干物なら俺達小幡衆が黙っちゃいねぇしな。

 今回は俺から荷を受け取ったから小幡衆の荷として扱えるが、持ち帰る荷については責任は持てない。

 まあ、首尾よくここまで荷を持って帰れたらまた俺が引き取るなり問屋を世話するなりしてやるよ」

「ありがとうございます」


 その後蓮淳は源兵衛と少し世間話をしながら白湯をもらい、荷の古着と路銀代わりの米を貰って観音寺城下を後にした。

 世間話の中で京の様子を詳細に聞かれたが、商人にとって安全に荷を運ぶための情報は何よりも有難いものだろうと思って特にどこの地域がキナ臭いかを重点的に話した。


 京だけじゃなく摂津や河内の情報を話した事で源兵衛からも感謝された。



 ―――たかが商人と思っていたが、これほど詳細に諸国の情報を集めているとは…


 蓮淳は改めて商人達の情報網に驚いた。商人にとって安全に荷を運ぶための情報は命よりも重い。

 必然、どこの守護が遠征軍を起こそうとしているとか、どこの地頭が反乱の準備をしているなどの情報も良く知っている。


 ―――門徒にも商人はいたな


 京の商工業者は法華宗信徒が多いが、一向宗にも商工業者が居ないわけではない。

 彼らの持つ情報力を教団運営に活かせないかと蓮淳は考え始めていた。



 鈴鹿峠に至って、蓮淳は源兵衛が米ではなく古着を持たせてくれた理由を思い知った。

 街道とはいっても、断崖の中に馬一頭ほどがギリギリ通れる幅の細い道がつづら折りに連なっているだけで、足を踏み外せば崖の下に真っ逆さまに落ちる。

 重い荷を背負って歩くのも命懸けだった。


 蓮淳は懸命に足元に気を付けながら峠道を越え、なんとか伊勢に入って桑名を通過すると長島の願証寺に入った。

 願証寺では息子の実恵が出迎えてくれた。ようやく人心地つくと、ぼろ着を着替えて再び袈裟姿に戻る。

 証如はどうなったかと心配ではあったが、死んだら死んだで次の法主を立てればいいと気楽に考えていた。


 蓮淳が石寺楽市を出てから付かず離れずの距離を保って後ろを歩く商人が居たが、歩く事に精一杯で蓮淳はそれに気づかなかった。


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