第二章 蒲生定秀編 天文法華の乱

第19話 三好元長の無念

主要登場人物別名


筑前守… 三好元長 三好家当主 細川晴元の宿老格

大和守… 篠原長政 三好家臣


六郎… 細川晴元 細川京兆家当主

讃岐守… 細川持隆 細川晴元の実弟

左京亮… 木沢長政 畠山家臣 細川晴元に接近して主君畠山義堯に取って代わろうと画策する


上人… 本願寺法主の尊称 この章では本願寺証如を指す

老僧… 顕証寺蓮淳の尊称


左馬頭… 足利義維 将軍足利義晴の弟 細川晴元に担がれて堺に疑似幕府を作る 平島公方とも呼ばれた


――――――――


 

「筑前守。兄上のお怒りは中々に深いものがある。ここは某が取りなす故、筑前からも兄上に詫びを入れた方が良いであろう」

「ハッ!…讃岐守様にはご心配をおかけして申し訳ございません。しからば、某は頭を丸めまする」


 享禄五年(1532年)一月二十二日

 細川高国を討ち滅ぼして再び京へ上っていた三好元長は、主君細川晴元の君側くんそくかんを取り除くために柳本甚次郎を攻め滅ぼした。柳本甚次郎は以前に細川晴元政権下の京で三好元長と権勢を争い、細川高国の刺客によって暗殺された柳本賢治の息子だった。

 細川晴元は、顔を合わせれば口うるさく天下を良く治めよとか道理を守れと説教してくる元長を疎ましく思い、その分だけ年下で自分の言う事に異を唱えない甚次郎を可愛がった。

 甚次郎は十六歳の見目麗しい少年だったことも益々晴元の歓心を買った。


 可愛い甚次郎を殺された晴元は、その実行犯である三好元長に激怒し、晴元の弟である細川持隆が両者を取りなすという事態にまで発展していた。


「……筑前には苦労をかけるな。だが、兄上には筑前が必要なはずだ。いずれ兄上にもそれが分かるだろう。

 今しばし、辛抱して兄上を支えてくれ」

「讃岐守様… 勿体ないお言葉でございます。この筑前、もとより六郎様に二心などございませぬ」

「うん。これからも期待しているぞ」

「ハハッ!」


 ―――讃岐守様が御嫡男であったなら…


 元長はそう思わずにはいられなかった。細川持隆には英邁えいまいの資質があり、このお方ならば天下を良く治めてくれるだろうと思わせる器量がある。

 まだ十七歳という若年ではあったが、それにしても六角定頼に阿呆と言い捨てられた細川晴元に比べてよほどに将来が楽しみな若武者だ。


 しかし、堺に居て細川高国と争っていた晴元に代わり、細川家の領国である阿波を差配する事が持隆の役目になっている。一時阿波へ帰国した折には持隆を支えて阿波の内政を行ったが、元長にとってそれは久々に満ち足りた時間だった。


 元長はこの件について頭を丸める事で詫びを入れ、合わせて海雲を号した。

 しかし、細川持隆のとりなしにも関わらず未だ細川晴元との間の溝は埋まらなかった。



 ちょうどその頃、三好元長の元へ畠山義堯よしたかから援軍の要請が届いた。河内守護代である木沢長政を攻める為に飯盛山城へ出陣してほしいというものだ。


 木沢長政は六角定頼に京を追い払われてからしばらくは飯盛山城に逼塞していたが、細川高国の滅亡を受けて細川晴元に接近し、河内守護に任命してもらうように運動を展開していた。

 これに怒ったのが木沢長政の主君であり、現河内守護の畠山義堯だった。


 畠山としては細川晴元に接近していく家臣の木沢長政が面白くない。一方で晴元家臣一の実力者である三好元長は晴元から疎まれている。

 畠山は三好の軍事力を利用しようというだけのつもりだったが、三好元長としては自分の好きな者をことさらに取り立てようとする細川晴元に対する諫言のつもりでこれに応じた。

 元長の目から見れば木沢長政も柳本甚次郎と同じく晴元の愚行を助長する奸臣と見えていた。




 ※   ※   ※




「お上人しょうにん様。六郎殿から書状が届きました」

 山科本願寺の一室では、本願寺十世法主の証如に対し、後見人であり祖父でもある顕証寺蓮淳れんじゅんが相対していた。

 蓮淳は本願寺八世蓮如の六男で、後に伊勢長島一向一揆の本拠地の一つとなる願証寺を開いた一向宗の僧でもあった。


老僧ろうそ様。して六郎殿は何と?」

「畠山と三好を討伐するのに力を貸せと… 元々木沢左京亮殿を六郎殿に取り次いだのは我ら本願寺でございます。その事を挙げ、左京亮殿を助けるのに軍勢を差し出すようにとのことにございます」

「ふぅむ… しかし、我が本願寺では武士の争いに介入する事を固く戒めた実如上人様の遺訓があります。此度の事も本質的には武士同士の争い。我ら宗門がどちらかに肩入れするのは…」


 証如は明らかに気乗りしない様子だった。

 証如の父方の祖父にあたる本願寺九世実如は、三法令と呼ばれる宗門内の規則を明文化して武装蜂起を厳に戒めていた。

 三法令の内容は、

 一、武装・合戦を禁ずる事

 一、宗門内での派閥・徒党を禁ずる事

 一、荘園領主に対して年貢の不払いを禁ずる事

 の三か条で、これは本願寺領に対してだけでなく国人領主への年貢もしっかりと支払うようにと規定した。

 それまでは本寺と末寺とのいさかいが絶えなかったが、この三法令の徹底によって法主の元に権限を集約し、本願寺は強力な中央集権制を敷く事に成功した。その立役者こそ蓮淳だった。


「確かに、宗門として武士の争いに介入する事は厳しく戒めております。しかし、此度は宗門として参ずるべきかと」

「何故です?此度の事は六郎殿と筑前守殿の反目が根本にある。武士の争いであることは明白でしょう」

「三好筑前守殿は法華宗を篤く庇護しております。つまり三好の後ろには法華宗がある…」


 証如は蓮淳の言わんとすることを理解した。元々晴元以前に京で権勢を握っていた細川高国は強烈な一向宗の弾圧論者だった。

 加賀一国を制圧した一向一揆への恐れから、京では高国から散々に苛め抜かれた。

 そのおかげで京や摂津・河内では法華宗が広がり、一向宗派の寺でも法華宗に宗門を変える寺も出てきており、本願寺としても捨て置けぬ事態となっている。


 元々加賀の一揆衆は山科本願寺を総本山とする一向宗とは別系統に属し、本願寺の指令も充分には行き届いていなかった。それが大永七年に大小一揆によって本願寺に対抗する加賀三か寺の勢力を駆逐し、加賀の一向宗も本願寺に服する事となったが、その過程で朝倉宗滴や越後守護代の長尾氏などからも攻撃された。

 そのせいで一向宗は武力を持って対抗する術を身に付けており、今や一向宗はその気になればいつでも武装勢力となれる力を持っていた。


「事が法華宗との争いということであれば、実如上人様の三法令の例外にもなりましょう。我が父、八世蓮如上人は比叡山から散々に弾圧を加えられ、仏敵とまで罵られました。

 法華宗もその尻馬に乗って我が本願寺を弾圧しております。親鸞しんらん上人の嫡流たる本願寺に対して仏敵と罵るとは、御仏をも怖れぬ不埒な振る舞い。

 法華宗を保護する仏敵三好筑前守を討ち滅ぼすは、御仏の御意志でございますぞ」


 蓮淳は話している内にだんだんと感情が高ぶってきていた。

 蓮淳の父である蓮如は、青蓮院の末寺の地位に転落していた本願寺を建て直した本願寺中興の祖だったが、蓮如の布教活動は比叡山や法華宗との戦いの日々でもあった。

 蓮淳自身も比叡山や法華宗の僧からあわや命を奪われそうになった事も数えきれない。

 本願寺にとって法華宗は不倶戴天の敵であり、お互いに仏敵と罵り合う関係だった。


 証如が頭を俯けて思案顔になる。だが、教団内での名分が立つのであれば証如にも否はないはずと蓮淳は見込んでいた。何よりもこの一件で細川晴元に貸しを作れば、今後の京での布教にも保護を期待できる。

 本願寺にとって悪い話ではなかった。



「よし、では門徒達に檄文を回そう」

「それだけではなく、お上人様ご自身も下向されて門徒衆を鼓舞されるが上策かと」

「わかった。では拙僧も出陣しよう」

 十七歳の証如は仏僧らしからぬ堂々たる体躯をしており、若い法主が陣頭に立って指揮する事で門徒達をより一層奮い立たせようとしていた。


 摂津の大坂に入った本願寺証如は、飯盛山城を囲む畠山義堯、三好元長の軍勢に対して門徒衆の一揆を促す。

 集まった門徒は三万人にも膨れ上がり、戦術も何も無くただひたすら正面から前線を圧迫する一向一揆の軍勢に対し、数で劣勢に立った三好軍は支えきれずに敗走した。




 ※   ※   ※




「左馬頭様はどうなされた?」

 木沢長政――というよりも一向一揆に敗北して堺の顕本寺に逃げ込んだ三好元長は、自身の命が尽きる前に堺公方足利義維と共に千熊丸や千満丸、千々世などの子供達を阿波へ逃がす算段をしていた。


「千熊丸様と共に海を渡られました。今頃は淡路島の安宅様の元へと向かっておりましょう」

「そうか…」

 近臣の言葉に元長は少しだけ表情を緩めた。足利義維の事も重要だが、それよりも子供達が無事に逃れられた事に安堵していた。


 ―――思えば弾正殿の言う事は正しかったのかもしれんな…


 六角定頼は細川晴元を早々に阿呆と見切ると、その粗忽な人格を利用する方法のみを考えた。

 元長はそれに対する反骨もあり、また一度陣営を離れた事で懲りただろうと思って再び帷幕に参加した。


 ―――今度こそ私の話を聞く気になったのだと思ったのだがな…


 摂津で暴れる細川高国への対応に苦慮した細川晴元は、伏し拝まんばかりの態度で三好元長の再出馬を懇願してきた。

 自分の不在が相当に堪えたのならば、今度は自分の意見を無碍にはするまいと考えたのが甘かった。



「殿?いかが為されました?」

 若い近臣は不審な顔をして元長を見ていた。既に顕本寺の周囲は十万人にまで膨れ上がった一向一揆衆によって包囲されており、わずか八十人で顕本寺に籠っている元長にはどういう手立ても取れなかった。

 にもかかわらず、元長は思案に暮れて薄く笑ってさえいる。あまりの事についに気が触れてしまったのかと心配になった。


「いや、思えばあのような阿呆を信じた身の不明であったと思ってな…

 心配せずとも気は確かだ。ちと手を貸してくれるか」

「はっ!」


 ひと声返事をすると近臣は立ち上がって元長に近付いた。

 鎧を脱ぐのは一人では難しい。近臣の助けを借りて鎧を脱ぐと、元長は襦袢じゅばん姿になった。


「そちはここをなんとか脱出し、千熊丸を助けてやってくれ」

 そう言って元長は腰に差していた光忠の太刀を近臣に渡した。太刀を受け取った近臣加地久勝は、しばし涙を堪えながら元長を見つめていたが、やがて威儀を正して一礼した。

「……御免仕ります」

「達者でな」


 加地の立ち去った後、一人になった元長は脇差一振りを持って本堂へと向かった。

 もはや自分が逃げる事は叶わぬと覚悟していた。


 ―――大和守には済まぬ事をしたな


 阿波へ帰国する前の元長を支え続けた篠原長政は、帰国後に阿波の木津城を任せていたために今回の上洛には参加させていなかった。

 篠原本人は断固としてお側にと言い張ったが、元長が阿波の安定を守るためにと強引に説き伏せて留守居を申し付けた。今となれば、篠原を残してきて正解だったと思う。

 篠原ならば、幼い子らを良く盛り立ててくれるだろう。この場に連れてきていれば共に腹を切ると言い張って聞かなかったと思う。



 ゆっくりとした足取りで本堂に座すと、元長は腹をくつろげて脇差を抜いた。

 今の今までこの事態を招いたのは身の不明と諦め、細川晴元に対する怒りは考えぬようにしてきた。だが周囲には自分一人になり、人目をはばからずとも良くなると勃然と怒りが湧いて来た。

 脇差の刃に映った自分の坊主頭を見るにつけ、ますます晴元への怒りが溢れて来る。

 思わず元長は涙を零していた。


「くそっ……あんなガキに、この俺がいいように踊らされて… クソがぁ!」


 怒りのままに脇差の刃を自分の腹に突き立てる。腹を切り裂いても怒りの余り痛みを感じず、勢いに任せて自分のはらわたを掴み出すと本堂の天井へと投げつけた。

 臓物ぞうもつが天井に飛び散り、天井板に赤々とした血のシミを作ってから床にべっとりと血の海を広げる。

 その様子を眼に刻みながら、三好元長は憤怒の表情のまま息を引き取った。



 享禄五年(1532年)六月二十日

 細川晴元は自身をも凌ぐ権勢を持った家臣を一向宗の力を借りて討伐するという愚を犯した。

 これにより、本願寺はただの宗教団体から明確な武装集団としての道を歩み始める。

 織田信長を始め、戦国時代に武士という武士を苦しめた本願寺派一向宗。その最初の犠牲者が三好元長だった。



 この年の七月に改元され、時代は天文年間へと移る。

 武士同士の権勢争いの中に『宗門争い』という新たな騒乱が加わった。


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