鶴が舞う ―蒲生三代記―
藤瀬 慶久
序章 蒲生藤十郎
第1話 六角定頼
最初は連日3話 その後は週1~2話ペースでポチポチ書いていきます
主要登場人物別名
藤十郎… 後の蒲生定秀
左兵衛太夫… 蒲生高郷 定秀の父
弾正少弼・霜台… 六角定頼 六角家当主 戦国弾正多すぎ問題再びw
三郎… 池田高雄 六角家臣
新助… 進藤貞治 六角家臣
弥五郎… 朽木植綱 朽木家当主
―――――――――――――――――――
秋の風が肌寒さを増し、山々も紅く燃えているのが遠くに見える。
「おう!藤十郎!早かったな!」
「お召しという事で急いで参りました。一体何事がありましたか?」
藤十郎は正面の大将に一礼する間もなく声を掛けられ、慌てて膝を着く。
正面に座る主君・
もっとも、定頼の機嫌がいい時はたいていロクでもない事を考えている。
十四歳で若衆として仕えて以来まだ二年ほどの付き合いだが、藤十郎にも主君の性格は何となく飲み込めて来ていた。
「いや、お前の
「はっ…」
一瞬褒められているのかと思ったが、それだとこれほど上機嫌なはずはない。その堅固な城を相手に手こずっているのが当の定頼なのだ。
一体何を言い出すのかと内心冷や冷やしていた。
1522年(大永二年)六角定頼の軍勢二万は、蒲生秀紀の籠る音羽城を包囲していた。
近江守護六角佐々木家は、九代将軍足利
応仁の乱においても西軍畠山義就に属し、徹頭徹尾将軍家に敵対してきた。
最近でこそ当代の将軍
一方蒲生家では、藤十郎の父である
伯父の秀行が早世した際、長男の
定頼としても甲賀への道を扼する日野は捨てては置けぬと、秀紀を討つべく出陣していた。
高郷は当初より本家の秀紀に逆らって六角家に臣従し、今回も六角方の武将として参陣している。
「七月から戦を始めて、もう十一月だというのに一向に落ちる気配がない。
そこで…だ」
ピクンと主君の顔を見上げる。悪戯を思いついた子供の顔だと思った。
「一旦、観音寺城に帰ろうかと思ってな」
「御屋形様、それは…」
隣に控える重臣の
定頼の兄氏綱が二十七歳で夭逝した時、定頼の家督継承を後押しした股肱の臣だった。
もっとも、病弱だった兄氏綱に代わり事実上定頼が家政を取り仕切っていたので、定頼の家督相続は既定路線ではあった。
「三郎、そんな深刻な顔をするな。
三日だけ!三日志野を抱いたら戻るから!」
指を三本立て、家臣を拝みそうな勢いで頭を下げる。
三郎が思わず目を手で覆う。志野とは定頼の正室で、周りから見ても呆れるほどに仲の良い夫婦だった。
「しかし、音羽城は堅城ですし、周りからは
「なに、
藤十郎の父高郷は激しやすい性格で、膂力も強く猛将と呼ぶに相応しい男だった。
その分息子の藤十郎の目から見てもやや思慮が足りないように思える。
定頼の名代が務まるとはとても思えなかった。
「ええい、わかった!じゃあ二日でどうだ!」
言いながら指を一本折る。
三郎はため息しか出ない様子だった。藤十郎も苦笑いしか出来ない。
「先々月もそう仰って陣を抜けられた隙に、
「その後で伊庭の残党はキッチリ折檻したであろう」
「先月はそれに懲りて早く帰ろうと無理攻めを強行して、音羽城からの投石で六十名が討死しております」
「八百名だ。そういう事にしてある」
「そもそも、囲んでいると言っても二千騎ほどです」
「二万騎だ。大きな声で二千などと本当の事を言うな」
「……」
「ともかく、志野に会わねば気が狂いそうだ」
「女ならば遊び女を探されれば良いでしょう。この辺りにも伊勢から人が流れております」
「馬鹿者!わしは志野に会いたいのだ!」
二十八歳の定頼が身の疼きを抑えかねているのかと思いきや、誰でもいいという訳でもなさそうだった。
「しかし、御屋形様。池田殿の申される事ももっともでございます。
そこな藤十郎を疑うわけではありませんが、日野の地は蒲生の本拠地。音羽城に合力する地侍も多うございますぞ」
進藤は定頼の二歳下の二十六歳で、藤十郎からは十歳上になる大先輩だ。
池田が股肱の臣ならば、進藤は定頼の親友と言うべき立ち位置だった。
定頼はニヤリと笑うと、進藤に向き直る。
「シンドー。お主がそこまで言うのならば、ここの陣はお主に任せることとしようか」
瞬間自身の失言に気付いて進藤が固まる。
中々に忙しい会話に藤十郎は目線がウロウロと定まらなかった。
そうこうしていると、池田が一つ咳ばらいをして藤十郎に視線を移す。
「時に御屋形様。藤十郎を呼び出したのは一体如何なる訳で?」
「おお、そうそう。お主らが余計な口を挟むから失念しておった」
「……」
池田と進藤にジト目で見られながら、定頼も一つ咳ばらいをして威儀を正す。
「藤十郎。そういう訳で、お主はわしと共に一旦観音寺城に戻る供をせい」
「……は?」
思わず間抜けな声を上げて、藤十郎は主君を仰ぎ見た。目の色はとても冗談とは思えない。
「間抜けな面を晒すな。手勢と共にわしの護衛として観音寺城に付いてこいと言っておるのだ」
「しかし、私は馬廻で自身の手勢などは…」
「
藤十郎の父、左兵衛太夫高郷は音羽城を挟んだ反対側に布陣していた。
―――本当にいいのか?
左右に控える池田・進藤にそれぞれ目線を向けると、半ばあきらめたような顔で頷いている。
「承知いたしました」
「出立は明日の卯の刻、日の出と共に出発する。左様心得て用意せよ」
「ハッ!」
文を受け取って陣幕を出ると、藤十郎は慌てて馬に跨り、父の陣を目指した。
「
高郷は上機嫌だった。高郷の場合は定頼と違って見た目通り、本当に機嫌がいいのだ。
息子が主君からの覚えが目出度いというのはやはり嬉しいらしい。兄の遺児と袂を分かってでも馳せ参じた甲斐があるというものだろう。
「それで、明日卯の刻に出立します。手勢を三十騎ほどお借りしたいのですが…」
「おお、かまわん。外池の兄弟を連れて行け」
「ハッ!ありがとうございます」
外池家は藤十郎の祖父
外池の弥七と彦七の兄弟が揃って騎馬で参ずると、明日の出立の事を打ち合わせて早々に休んだ。
翌朝
宣言通り日の出と共に陣を抜け出すと、定頼は藤十郎達三十騎の他は供回りを数名連れただけの軽装でひと駆けに観音寺城まで駆けた。
一刻ほどで観音寺城に着くと、玄関では定頼の正室志野が三つ指を着いて待っていた。
「お戻りなされませ」
「おお!志野!そなたに会いたくて戻ったぞ!」
「まあ、上手に回るお口ですこと」
志野が満更でもない様子で顔を綻ばせながら袖で口元を隠す。
昨年には嫡男
藤十郎が玄関の土間で膝を着いていると、侍女が桶に張ったお湯を持って来る。
晩秋の明け方は身震いするほどの寒さで、草鞋を脱いで湯に足を漬けた定頼は気持ちよさそうな顔で目を瞑っていた。
足の湯を堪能した定頼が足を拭っていると、城門から使いが駆けてくる。
「申し上げます!
「おお、良い所に来たな。具足を脱いだら早速に会う。わしの私室へ通しておけ」
「ハッ」
「藤十郎達も明日までは待機だ。具足を脱いで控えの間に詰めておれ」
言い捨てると、定頼は志野と共にさっさと奥へ引っ込んでしまった。
保内衆とは観音寺城のお膝元である蒲生郡野々川郷を本拠として活動する商人衆で、定頼は殊の外保内衆を重用している。
もっとも、
保内衆はそれらに比べて比較的新しい商人衆で、古い集団と権益を巡って度々争論に及ぶことがあったが、保内衆は定頼の庇護の元で有利に争論を進めていた。
―――お方様に会いに来たのではないのか?
藤十郎は商人を呼び出すことに不審を感じながらも、指示通り控えの間にて警護の任についた。
翌日の午の刻、再び音羽城攻めの陣に戻る藤十郎たちの元に、保内からの荷駄が五十ほど届けられた。
何事かと驚いていると、折よく定頼が藤十郎達の元に具足姿でやって来た。
心なしか顔の色つやがいい気がする。
「おお、さすが保内衆だな。急だったが約束の刻限ぴったりではないか」
「御屋形様。この荷駄は一体…」
「各陣に配る防寒衣だ。思いのほか長対陣になりそうなのでな。昨日冬の備えを日野に届けるように頼んでおいたのだ。
これはその第一陣だな。綿入れが入っておる」
綿入れとは裏地の付いた防寒衣で、
藤十郎は驚いて主君の顔を仰ぎ見た。
てっきりわがままが出たと思っていたが、戦の用意の為に戻っていたとは…
「なんだその顔は。藤十郎は本気でわしが志野に会いたいが為だけに戻ったと思っておったのか?」
「は、いえ、その…」
はいと答えるわけにもいかずにモジモジしていると、定頼は豪快に笑いだした。
「ま、志野に会うついでだったがな。覚えておけい。こう見えてもわしは無駄な事が嫌いだぞ」
「は、はは!」
上機嫌で笑う定頼と共に、藤十郎は荷駄を伴って夕刻には音羽城攻めの陣へと戻って行った。
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