幕間1:この声はきっと

 夜のミカエリアを歩く。季節は春を迎えたけど、この空はいつも暗くて重たい。冷える体をさすりながら、一人、船着き場へ向かっていた。日付も変わり、春明はるあけの十日。今日は旅人さんを家に迎えた。可愛い女の子だったから、声掛けてから恥ずかしくなったのは秘密だ。


 どこから来たかはわからなかったけど、きっと長旅だったんだろう。疲れてたみたいで、少し言動がおかしかったのが気になる。家を手伝ってほしいという条件で家に迎えたけど、正直なところ手伝いなんてしなくていい。少しでも疲れを癒してほしい、と思ってる。


 そうして船着き場に着く。光もない、さざ波の音だけが響く、真っ暗で静かな空間。すう、と肺一杯に空気を吸い込んで――歌い始めた。


 全身で音を響かせるように、自身が楽器そのものであるかのように。のびのびと、深く。水平線を越えるほど遠くへ声を放つ。波の音さえ退ける、黙らせる。小さい頃からずっと、いつかのために歌ってきた。


 ――そう。いつか、この歌を届ける日を夢見てたんだ。


 心臓が大きく跳ねる。その動揺すら消し飛ばすように大きく、波を起こすイメージで響かせて。海を越えて、届け、届け、届け。どこまでも突き抜けていけ。この歌は、この声は、世界の果てまで走り抜ける。そんな、子供みたいなイメージを純粋に信じて歌い上げる。


 この歌を誰より応援してくれる人がいた。いつか来る未来を信じてくれる人がいた。けれど、状況が変わった。いつかと願った未来は来ないし、応援してくれる人もいまはいない。だから、もう歌わなくたっていいんだ。でも――。


「っ……!」


 諦めたくない、諦められない。そんな自分に嫌気が差すし、笑えてくる。どうしていまも歌ってるんだ。歌う理由なんてもうない。誰も望んでない。なのに、どうして。


 自然とため息が漏れる。いつまで未練がましく歌ってるんだ。いい加減にしろ、と自分の頭を殴る。もう歌うのはやめよう。なくなった未来に手を伸ばすのは良くない。踵を返して、気づいた。光が見える。


「誰?」


 問いに返事はない。逃げただろうか、それとも声が出せない? 悪い人でも来たのかな。警戒して近づき、ハッとした。そこにいたのは、今日助けた旅人さんだった。


「リオ……? どうしたの、こんな時間に。女の子が一人で出歩いちゃ危ないだろ?」


「あ……うん。旦那様から、アレンくんを迎えに行ってあげてって言われて……棚卸が終わってないから、私が……」


「そういうことだったんだ……いくらリオが旅人だからって、みんなが父さんみたいに戦える人じゃないのに……さ、夜も遅いし帰ろう」


「う、うん……それより、さっき誰か歌ってなかった?」


「あー……うん。気づいたらいなくなってた。誰だったんだろうね」


 知らなくていい。オレの気持ちなんて、誰かに話してスッキリするほど単純じゃない。いつかいなくなってしまう人に話したって、誰も幸せにならない。オレも、リオも、きっともやもやして終わりだ。


 ふと空を見上げる。当然、雲に阻まれている。わかってたことじゃないか。わかってたのに、どうして見た? 馬鹿らしくて、つい笑う。わかっていたことに見ない振りをして、夢を見る。もう、夢を見る必要はないんだ。


 どれだけ歌ったって、この声はきっと――あいつに届いたりしないんだから。

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