第9話:夜風に乗って
「……眠れない」
あれから帰宅した私たちはバーバラさんの手料理に舌鼓を打った。アーサーを追っ払った私への歓迎会も兼ねていると言っていて、やっぱり手の込んだ品々だった。あまりにも懐かしい、家庭の味に触れたからか、つい目頭が熱くなってしまった。
アレンくんのご両親は神妙な面持ちで見守ってくれていたが、たぶん両親死んだと思われてる。実際に死んだのは私なんですごめんなさい。うちの両親は健在です、違う世界ですけど……。
私はいま、ベッドで何度も寝返りを打っている。久し振りに感じた、温かくて柔らかい感触。けれどどうしてか寝付けずにいた。アレンくんのことが気がかりなのは勿論ある。けれどそれ以上に、アーサーの行動が不可解だったからかもしれない。
――私怨じゃなさそうだった。けれど、伯爵からの指示があったわけでもない。じゃあなんで、あんなことをしてたの?
考えれば考えるほど渦に飲まれて眠れなくなる。おもむろに体を起こしてカーテンを開けた。やっぱり雲が空を覆っていて、月は見えない。というか、この世界に月って存在するのだろうか。地球じゃないのは明らかだし、月のような存在はあっても月とは呼ばれていないと思う。
気紛れに窓を開ければ、冷たい風が入ってくる。パジャマ姿には少し堪えた。季節で言えば春先くらいだろうか。
「……あれ?」
気のせいだろうか、なにかが聞こえてきた。ミチクサさんの声? ではない。彼の声はこんなに綺麗じゃない。もっと迷いと自信のなさが出ていたから。
いま私の鼓膜を細やかに揺らす声は、のびのびとしていて透き通るようなもの。少年だろうか。耳を澄ませば、リズムを取っているようにも聞こえる。これは、歌? 聞いたことがないのは当たり前だが、目を見開くほど上手い。真っ直ぐで、どこまでも届きそうな歌声だった。
――こんな時間に誰だろう。どこから聞こえてくるの?
微かに聞こえる程度だが、小声で歌っているようには聞こえない。思い切り、羽を伸ばして心地よく歌っているようだ。この辺りに人気のない場所はあるのかな。どうして“データベース”を活用できないのか、ミチクサさんとまた会えたときのためにクレーム内容を書き連ねておこう。
地図ならあるだろうか。私が持っていた鞄を漁ると、手帳のようなものが見つかった。日記かな? “私”に関する情報があるかもしれない。期待も込めて開いてみると、妙に懐かしく感じる日本語が記されていた。
「なんだろうこれ……? “データベース取扱説明書”? あるんじゃん! っていうか“私”! こんな怪しい冊子をよく処分しなかった! 褒めて遣わす!」
声を殺して叫ぶ。そもそもこんな形で寄越すのなら事前に言ってほしかった。言葉足らずにも程がある。
担当する転生者のために丁寧を尽くしなさい! 後々仕事振られなくなりますよ! 一期一会の仕事だろうからしっかりやってください!
怒りの矛先は透明だ。なので、潔く温情を受け取るとする。説明書を見る限り、能動的に“データベース”を利用するにはたった七文字、「スタートアップ」と唱えるだけでいいようだ。そんな簡単なものでいいのか。能力が能力だし、複雑な詠唱が必要ないだけありがたいと思おう。
窓とカーテンも閉め、毛布を被る。部屋は違うが、ご両親やアレンくんに聞こえないようにしなければ。
「スタートアップ」
すると、視界に横長の空白欄が現れた。ブラウザの検索スペースを思い出す。となれば、キーボードがない以上、音声入力になるのか……?
「『ケネット商店 地図』」
初めて訪れる土地で私がやっていた検索方法。携帯電話ならこれで周辺の地図が出てくるのだが……。
光が円を描き、消える。すると視界に地図が現れた。視界を遮らないように少し透けている。というか、この街って帝都ミカエリアっていうんだ。聞きそびれてたな。
そして、近くには船着き場があるらしい。街の中心部からここに来るまでに海は見えていたが、ケネット商店を越えた先にあるのだろう。
――鍵持ってないけど……出歩いちゃまずいよね?
迷いはする。ミカエリアの治安についてなにも知らないのだ。不用意に外出した矢先、売り場が荒らされたり、バーバラさんたちが襲われたりしたら、自ら二度目の死を考えるほど落ち込んでしまう。とりあえず部屋を出てみると、案の定リビングは暗い。しかし、売り場の方から物音がした。
まさか既に泥棒が……? 考えたくはないが、いざというときは私が追っ払わなければ。警戒しつつ、階段を降りる。
売り場は明るい。泥棒にしては不注意ではないか? ……と思ったが、売り場にいたのは旦那様だった。物々しい顔の私を見て驚いた様子だ。
「どうしたんだい、怖い顔をして。眠れないのかな?」
「あ……はい、ちょっと寝付けなくて」
「旅人ってそういうものだと思うよ。僕もそうだったし」
「旦那様もですか?」
「うん。昔は冒険者だったんだよ。剣を持ってね、いろんな依頼を受けて、魔物倒したりさ。でも、いまは雑貨屋さん」
冒険者。ファンタジー世界ならではの職業だ。さらに、魔物。やっぱりファンタジー。迂闊に街の外へは出歩けなさそう。“私”はここまで馬車で来たようだが、やっぱり護衛を雇ったりしていたのだろうか。想像でしかないが、街の外は危険が多いようだ。
「どうしてお店を開こうと思ったのですか?」
純粋な疑問だった。冒険者のような、一所に留まらない仕事をしていながら、どうして地域に根付く雑貨屋を営むに至ったのだろう? 旦那様は苦笑を見せた。言いたくないことなのだろうか。
「妻の提案だったんだ。冒険の途中で足を悪くしてね、仕事がままならなくなってしまって。いろんな人を助けてきたんだから似たようなものだろう、ってさ。確かにこの辺りにはお店も少なかったし、ご老人の多い区画だったから。少しでも生活を助けてやりなさいってね。最初はしっくり来なかったけど、常連さんに『ありがとう』って言われるのが嬉しくて、いまも続けてるんだよ」
この一家は揃いも揃って人ができている。儲けることばかりでなく、他人を大事にできる家族だ。だから素性の知れない私を、条件付きとはいえ家に迎え入れられたのだろう。きっと他所の家庭はそうじゃない。この家族だからこそ、私は破格の条件で住まわせてもらえている。そう考えたら、申し訳なさよりも感謝が前に出てきた。
「誠心誠意お手伝いさせていただきます。よろしくお願い致します」
「あはは、大袈裟だなぁ。気負わなくていいんだよ、僕たちが好きでやっていることなんだから。……でも、一つお願いしてもいいかな?」
断るはずがない。と思いはしたが、体を要求されるのは倫理的によろしくない。少しの警戒心を抱きながら言葉を待つ。
「実はアレンも、眠れないからといって散歩に行ってしまったんだ。きっと船着き場の方にいるだろうから、迎えに行ってあげてくれるかい?」
ああ……そりゃそうですよ。ケネット家の大黒柱ともあろうお方が倫理観の破綻したお願いなどするものか。私、相当心が荒んでいるらしい。ここは地球より優しい世界だ。全員がそうではないにしろ、この家族相手に警戒する必要はさほどないだろう。
「かしこまりました。すぐに戻ります」
「ごめんね。女の子を一人で行かせるのもどうかと思うけど、棚卸が終わっていないものだから……」
「ご安心ください。毎日そんな生活を送っていましたので」
「それはそれで心配になるね……? ひとまず、頼んだよ。気を付けてね」
短く返事をして、私は店を出る。船着き場の方にいるのなら、窓から聞こえた歌声の主に出会えるかもしれない。名前は聞けなくても顔だけは覚えておきたい。
お父さん、お母さん。私、異世界初めての夜風に当たってきます。
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