第25話 Crypt(クリプト)”地下聖堂”
「…」
ケリドウェンが声を掛けたその直後から、横穴の向こうでは、何やらゴソゴソと物音がし始めた。
しかし先方はまだ決心がつかないと見えて、中々こちらに出て来てくれなかったのだが、しかしこの間は一分も経たず、ようやくズズッと床を布切れが引き摺る音がしたかと思うと姿を現してくれた。
その者は見るからに頑丈そうで、私たちが身に付けているのと比べると生地が厚く重量感のある、つまりはラルウァ達と同じローブを羽織っていた。フードを目深に被るのまで同じだ。
やはりこの姿を見ると、まだ慣れない私は一瞬ドキッとしてしまったが、そんな私の反応を他所に、その者は前触れもなく被っていたフードをサッと外した。
その下から現れたのは、ラルウァと同じ仮面が半分ほど欠けて、そのもう半分には、無表情を浮かべる地の顔が露わとなったファントムの姿だった。
ファントムの姿を見るのは、今回で二度目だというのに、それでもまだ見慣れない姿のためか、またしても一瞬ドキッとしてしまったのだが、その見えている仮面の下の顔を見た次の瞬間には、何だか懐かしい気持ちを覚えつつ、この時になってやっとホッと息が吐けた。
何故ならそこには、私が現実世界で慣れ親しんでいる、やはり無表情ではあったが、師匠の顔が確かにそこにあったからだった。
「し、ししょ…」
と思わず現実と同じように声をかけようとしたその時、「あはは、出迎えてくれてありがとう」と挨拶をするケリドウェンに遮られてしまった。
そんな彼からの言葉に対して、眉一つ動かさずに無反応な彼女は、代わりにヒラリと体を横向きに半回転すると、顔を自分が出て来た横穴へ向けてから口を開いた。
「 ミナ が 呼んで いる 。付い て来て くれ 」
覚束ない感情を一切殺したような口調だったが、声のトーンは師匠そのままに彼女は言うと、こちらからの返事を待たずして、もう半回転して横穴へ真正面に向くと、そのままスタスタと歩き始めてしまった。
私はただ呆然とその後ろ姿を眺めていたのだが、不意に背中に手を添えられた感覚を覚えたので、顔を横に向けると、ケリドウェンはこちらに無邪気な笑みを向けてきていた。
「…ふふ、それじゃあ、まぁ…付いて行くことにしようか?」
彼の提案に素直に乗った私は、その通りに彼女の後を追った。
彼女はそれほど歩く速度が速くなかったために、出遅れたにも関わらず、すぐに追い付いたのと同時に丁度横穴を潜るタイミングだった。
彼女は足を止める事なく躊躇なく中に足を踏み入れて行ったので、流石に少し戸惑いつつも、後ろからケリドウェンがしっかり見守ってくれている気配を肌身に感じていたのもあって、一呼吸を置いてから自分も中へと歩み入って行った。
入るとそこは、外の回廊からアサイラムを繋ぐあの階段と、全体の大きさなり上下左右の壁の質感なりが全く同じに見受けられたのだが、ただ一つ違っていたのは、階段の方は真っ暗闇だったというのに、この通路はというと、微量ながらも広場から差し込んでくる光と、それと前を歩く彼女の前方にも、同じ様な光が漏れてきているらしく、勿論その程度しかないからお互いの姿は真っ黒なシルエットにしか見えないながらも、それなりに普通に歩く事が出来ていた。
そんな通路に足を踏み入れて暫くしない内に、不意に前から声が聞こえた。
「…すまなかった な 」
「…え?」
と、まさかいきなり開口一番に、謝罪の言葉がファントムから聞かされるとは想像もしていなかった私が聞き返すと、彼女はそのまま言葉を続けた。
「 私 は お前 のことを 知って いたの だが 誰かが 私たち の アサイラム に足 を 踏み入れた の に 気づい て ミナ に頼ま れて 初め に様子を 見に いった者 が おまえ のことを 知らなかった から 警戒 して なかなか 姿を 現せな かった のだ あの 者にも 悪意が あった わけ ではな かった のだ 許して やってほ しい 」
「え?…あ、あー…あ、いや、別に、それで謝らなくても…」
と、彼女の辿々しげな言葉を慎重に吟味してから、少し間を置きつつ返した。
と同時に、またしても彼女の口から、今までに聞いたことが無い単語があるのに気付いて、その事に気を取られていた。
…ミナ?ミナって一体何のこと…いや、誰のことなんだろう…?
私はそう頭の中で呟くと何となく、後ろを振り返りかけたのだが、またしても前方から声が聞こえたので、途中ですぐに顔を進行方向に戻した。
「 なかなか 偵察 に 行った 者が 戻ってこ ないから 今度はわた しが出たのだ が 物陰か ら 広場 をその者 は見ているだけ だったか ら 私がその 者に 代わりに自分 が するから 先に 戻って く れと 頼んだ のだ そし た らその者は 足元にあった 物に足をぶつ け つつも 戻って 行った のだ 」
…あー、あの音は、その時のものだったのね?
と私が納得したその時、話は途中なのかどうなのか、声のトーンは一本調子というのもあって判別が難しかったのだが、そこまで言い終えたその時、ファントムは足を止めた。
そしてまたくるっと体ごと横に半回転をすると、片腕を進行方向だった方へ伸ばしながら口を開いた。
その先には、さっきまでいた広場と同じくらいの光度に満ちた、それなりに明るい空間が広がっているのが見えた。その光のお陰で、彼女の顔も照らされ浮かび上がっていた。
「 さぁ 着いた ミナが お待ち だ 」
そう口にすると、またすぐに体を正面に戻して、彼女は歩き始めてしまったので、今度はすぐにその後をついて行った。
通路を抜けて足を踏み入れるとそこは、拓けた空間が広がっていた。
先程までいた広場は真円形をしていたが、今いるここも一応は円形ではありつつも、どちらかと言うと卵型をしていた。要は楕円形と言って差し支えがないだろう。
今は便宜的に、ここも広場と言わせて頂くが、この広場の中央には玄武岩に見える柱が四本立っており、それらは全て弓形アーチで結ばれていた。
アーチを平行に押し出した、いわゆる”かまぼこ型”を特徴とするヴォールトを、支えるリブが延び、中央を取り組む列柱へと、更に周壁へと内側から外側へと力が伝えられていく構造となっていた。
列柱とアーチのつなぎ目辺りには、ここからでは具には見えなかったが、どうやら松明が掛けられているらしく、怪しく揺らめく炎の影が、ドーム型の丸天井であるクーポラまで伸びて、全体に幻想的な雰囲気を醸し出すのに貢献しており、その灯りのおかげで最初の広場とは違い大凡の高さが分かった。分かりやすく例えるなら、三階建ての吹き抜けくらいに見受けられた。
次に壁に目を向けると、やはり一つ前と同様に、幾つかので入り口と思しき穴が空いていたが、すぐに明らかに違う点を見つけた。
というのも、今いるこの空間の壁には一定間隔にステンドグラスが嵌め込まれており、ここは地下なので自然光を利用するのは叶わずにあったが、しかしその代わりに、やはりこれもグラスの向こうに篝火があるらしく、これまた炎の揺れが見た者に与える印象を刻一刻と変えて見せ、いつまで眺めていても飽きない姿を見せていた。
実際に飽きもせず、この空間に来てからずっと顔を上に上げつつ眺め回していたのだが、初めにいた広場を思い浮かべて比べて見つつ、不意にこの時、ある懐かしい景色も思い出していた。
それはこの夢を見始めてまだ間もない頃、五畳ほどの部屋を出て、長い間暗闇の中を当ても無く歩き続けて辿り着いた大広間だ。
あの大広間も、いくつものクーポラによって天井は構成されており、列柱もいくつも並んでいたのだったが、あそこは物こそ何も置かれておらず、ただでさえ広い空間が益々だだっ広く見えてしまっていても、それでもしかし厳かな空気が空間全体を支配していた点なども含めて、今いる広場と共通点は多かった。
最終的に私が思った感想は、ここはあの大広間のミニチュア版といったものだった。
と、あの時もそうだったが、ついつい自分の夢にも関わらず、目の前に広がる光景に目を奪われて一つ一つを眺めていたのだが、段々と落ち着いてき始めたその時、ふと自分に視線が集まっているのに、今更ながら気付いた。
天井を見上げていた顔を恐る恐る下に下げると、目に入ってきたのは、この空間の一番奥、つまりは一つしかない出入口から一番遠い奥の方で、何畳もありそうな大きな絨毯の上に、座布団らしきものを敷いて、その上に背後の壁の曲線に合わせるように横並びに座る、数名のファントム達の姿だった。
見るといつの間にそうしたのだろうか、私たちを案内してくれた師匠似のファントムも、その一群の中で腰を下ろしていた。
そうして座る彼らの後ろには、油を入れた燈盞(とうさん)に点燈心を浸して火をつけ、明かりとする黒一色の燈台が幾つか立てられており、今現在もその燈台の和紙らしきもので覆われた火袋の向こうでは、やはり炎が静かに燃えているのが紙越しにもよく見えて、そこから発せられる柔らかなオレンジの光が、手前に座るファントム達の顔を浮かび上がらせていた。
とは言っても、はっきりとそれぞれ区別出来るほどには明るくなく、ただ漠然と仮面が割れている程度の事しか分からずに、ただ急にそこに出現したように勝手に思った私は、さっきまであそこに人が座っていたかを思い返しつつ、ただ呆然と彼らの座り姿を見つめていたのだが、その時、ポンと肩に手を置かれたので顔を横に逸らすと、そこにはケリドウェンの微笑があった。
彼はそのまま何も言わずにコクッと一度頷いて見せたので、それから察した私からも頷き返すと、顔を正面に戻し、そのまま慎重な足取りでだが、徐々に彼らに近づいて行った。
ゆっくりとした歩調で近付いたので、ここに来てようやく彼らの細かい様子を観察することが出来た。
彼らは師匠似を入れて合計四名いたのだが、よく見ると空きの座布団があるのに気付いた。
そこから察するに、どうやらもう一名ファントムがいるらしいが、今の所はどこにもその姿は見えなかった。
その空いているのは一番端にあり、もう片方の端には師匠似が座っていた。その師匠似の隣には、同じくらいにスラッとした姿が座り、そのまた隣には、他とは違って中々恰幅のあるのがローブ越しにも分かる姿が見え、その隣には対照的に、パッと見だとそのスラッとしたタイプとそっくりなファントムがそこにいた。
…とまぁ、そんな風に自分の中で観察し整理をしながら慎重に歩み寄って行くと、燈台に照らされた彼らの顔が益々よく見え始めて、お陰で、やはり以前にバルティザンに来た、師匠似と絵里似の二人の仮面の割れ方が違ったように、今目の前の彼らもそれぞれ違うのに気付いた。
と同時に、あと数メートルという所まで近付いたその時、「…あ」と思わず声を漏らしてしまった。
何故なら、仮面の割れ方は各々違えど下に現れていたどの顔にも、見覚えがあったからだ。
と、声を漏らすのと同時に足を止めてしまったのだが、そんな私の肩にまた手を乗せたかと思うと、ケリドウェンが愉快そうに口を開いた。
「そう、彼らがここ、アサイラムに住うファントム達だよ」
「ファントム…」
と私はそう呟き返すと、そのまま不躾にジロジロと突っ立ったままで、座っている彼らの姿を眺め回してしまった。彼らもこちらを繁々と眺めてきていたが、やはりその顔は私がよく知るものだった。
ここで一つ、ネタバラシと言うか各々について触れていきたいと思う。
まず一人目。五つある座布団の真ん中に腰掛けている、この中では唯一、厚手のローブをしているにも関わらず、その下の恰幅の良さが見え隠れしている彼女は、美保子の顔をしていた。
私から見て美保子似から右に座っていたのは、色気のある薄目が特徴的な百合子の顔が、割れた仮面の下から覗いており、そのまた右隣に座っていたのは師匠似だというのは先程触れた通りだ。
反対に美保子似の左に座ってたのは、見るからに活力に満ち満ちているパッチリお目目をしていたが、やはり他と同様に無表情、無感情ではある有希の顔が見えた。
そしてその隣はというと、空席なのは先程話した通りだ。
師匠似や絵里似の時と同様に、やはり現実世界で親しく付き合っている人間の顔を持つ者が、赤の他人の様に現れると、このようについついマジマジと観察してしまっていたのだが、ふとその時、どこからか小走りで走ってくる足音が聞こえた。
それに気付いて音のした方向に顔を向けた次の瞬間、私と隣に立つケリドウェンの背後にスタッと何かが置かれた音がした。
振り返ってみると、背後の床にはファントム達が座っているのと同じ座布団が置かれており、少し視線を上げるとそこには、フードを目深に被った、私よりも少し背の低めのファントムがそこに立っていた。
彼女…でいいと思うが、彼女の顔についた仮面も割れてはいたのだが、今座っている彼らとは違い、細かいが左目の周辺だけが割れているせいで、男か女だか判別が難しい様子をしていた。
ただ見るからに華奢だったので、女と判断した次第だ。
と、私と視線が合うと、「 あ… あ… 」と戸惑いげに声を漏らすのみだったが、「ふふ、ありがとう」とケリドウェンがお礼の言葉をかけた次の瞬間、彼女はその場で深く頭を下げると、今度は勢いよく上体を起こしたせいで、フードが外れてしまった。
その下からは綺麗な長めの髪が見えたので、
やっぱり女の子だったか…大体私と同い年くらい…かな?
という感想を覚えていると、じっと見られていると思ったのか、彼女は慌ててフードを被り直すと、こちらにもペコッと小さく会釈してからは、そのまま駆け足で横穴の一つに戻ってしまった。
その後ろ姿を何となく眺めていると、「 彼女 だ 」と声が聞こえた。
見ると声を発したのは師匠似のファントムで、こちらに視線を向けてきていた。
「え?」と聞き返すと、彼女は顔を横穴に向けつつ答えた。
「 彼女 がさっき お前を偵察し ていた 者だ 」
「あ、あぁ…なるほど」
と私も同じくあの娘が消えて行った横穴に顔を向けつつ言葉を漏らすと、「よいしょっと…」とこのタイミングでケリドウェンは出して貰った座布団に腰を下ろした。
座り終えると、「君もどうだい?」と声をかけてきたので、「う、うん。じゃあ…失礼して…」と返しつつ、正面のファントム達に一挙一動を見守られながら、ゆっくりと腰を下ろした。
座ってからも、座布団の上で座りが良い位置を探すためにお尻を動かしたりしていたのだが、それが終わってもまだ誰も口を開く事は無かった。
この間も相変わらずファントム達は、その無感情の視線を一斉にこちらに向けてきていたので、私も一応視線を外さずに見つめ返していた。
さっきはいきなり目の前に現れた気がしたせいで、ついつい驚いてしまい目を見張ってしまったのだが、本当の所はと言うと、彼らを見ても恐怖のような感情の動きは一切起きていなかった。
恐らく事前にバルティザンにて、ケリドウェンから彼らの話を聞いていたのもあったし、ただでさえ不気味だというのに、その仮面が割れているという異様といえば異様な姿ではあっても、ベーコンの名言なんかを引用した時にも言った様に、その不完全さからは同時に”美”のようなものを、大袈裟に聞こえるかも知れないが覚えていたのを含めて、そんな彼らの姿を見ても私の心に生じたのは、憐憫の情と言うと失礼かもしれないが、惻隠と言っても良い感情であり、また今触れたように、下に見える顔がどれもが私が現実世界で親しんだものばかりなのが決め手となり、もうすっかり彼らのことを異様とは思えず、むしろ親しみすら覚えるほどだった。
とは言っても、やはりお互いに無言で居続けるというのが、これは私の生来の気質からは耐えられなくなり、何となくこちらから声をかけてみる事にした。
「こ、こんにちは…」
と恐る恐る挨拶をしてみると、予想では無反応もあるかと思っていたのだが、そう言った次の瞬間、「 こんにちは 」とファントム達は言葉を揃えて返したのと同時に、揃ってその場で深く頭を下げた。
「あ、いや…はい」とそんな態度をされてしまうのは想定外だった私も、慌てて頭を下げると、隣でクスッと小さく笑みを溢す音が聞こえるのだった。
お互いに頭を上げると、今度は間を開ける事なくケリドウェンが口を開いた。
「ふふ、もう話は聞いているだろうけれど、そう、彼女こそが噂の張本人だよ」
途中から私の背中にそっと手を添えつつ言うと、それを受けたファントム達は、若干目を大きくさせつつ、ジッとこちらを見つめてきた。
「あ、あの…」
と私は戸惑いの声を漏らしてから、何となく隣に顔を向けかけたその時、「…仕方ないなぁ」とどこからか不意に声が聞こえた。
その突然の事に私は驚いてしまったのだが、それは自分だけでは無かったようで、向いに座るファントムの面々もそれぞれがビクッと体を一瞬震わせた。
やはり無表情には変わりは無かったのだが、内心動揺はしているようで、それぞれが同様に目を大きく見開いていた。
それに気が付くと、ここは彼らの住処のはずなのに、彼らですら動揺するような事が起きたのかと、徐々に不安な気持ちに占められていったのだが、「やれやれ…」とさっきよりもハッキリとしたも声がまた聞こえた。
そのお陰で、今度はその声の出所が分かった。その場所とは私の背後からだった。それが分かった瞬間に、私は咄嗟に後ろを振り返り見ると、そこには、正面に座るファントム達の背後に立てられた燈台からもたらされる柔らかい光によって出来た…と普通は思うであろう”影”がそこにあった。
…そう、つまりはナニカから聞こえてきたのに、この時ようやく分かったのだった。
こんな光度の低い中だというのに、ナニカが演じる影は濃い色を示しており、強烈な存在感があった。
それに気付いてから私は、考えてみたらその声に聞き覚えがあったのを、第一声の時点で直感的に感じていたのを今更ながら思い出して、一人自嘲気味に笑みを浮かべてしまった。
今は影の姿となっているナニカの方でも、そんな形でいても例の特徴的な、細長い三日月を顔の部分に浮かべたかと思うと、
「ちょっと出てみるかな?その方が話が早いだろうし」
と独り言をブツブツ言った次の瞬間、その影の部分から黒い靄が立ち上り始めた。
そう、バルティザンにいる時に鏡で見たものと、ケリドウェンと一緒に回廊に出た後で、ナニカが影に変わる時に同時に出現したアレと同じものだ。
流石に三度目だったので、それでもまだ慣れてはいなかったが驚きはせずに眺めていようと努めていたその時、「 おー… 」という感嘆の声が背後から聞こえたので振り返って見た。その私の目に入ってきたのは、これまでで一番目を見開いているファントム達の姿だった。
美保子似は背筋を伸ばして微動だにせず、百合子似はほんの気持ちだけ上体を後ろに逸らし、逆に有希似の方は両手を前に付いて前のめりになっていたが、三人ともに共通していたのは、ナニカの姿を食い入るように眺めていた事だった。
そんな様子の彼らに気を取られていると、「はーい、お待たせー」という声と共に、私の首の後ろに重さが加わるのが分かった。
顔を少し後ろに向けてみると、全体的に”真っ暗”なので色合い自体は見ても分からないのだが、こんな薄暗い中にいるにも関わらず、全体の輪郭がハッキリとしており、今私がローブの下に着ている純白のAラインワンピースと同じ形状を身に付けた、そんな私よりも若干幼い見た目をしたナニカの姿がそこにあった。
ナニカは上体を前屈みにして、両前腕を私の首の後ろに乗せるという体勢を取っていた。
と同時に、得意げな笑みのつもりなのだろう、その顔の部分には、さっきよりも大きな三日月が浮かんでいた。
「…ちょっと、ナニカー?…重たいわよ」
と私は苦笑を漏らしつつ腕を払い除けると、ナニカはただ明るく笑いながらも素直に私から離れた。
と、そんな私たちの戯れあいを見ていたファントム達はというと、「 おー… 」と字面ではさっきと同じように見えるだろうが、声のトーンとしては先程よりも強めの感動がそこに現れていた。勿論というか、ナニカを見るのが初めてでは無い師匠似は静かな表情をしていたが、しかしやはりナニカから目が離せない様子だった。
それから少しの間は、何故か得意げに胸を張って両足の間も広く立つナニカと、ファントム達の両者を交互に眺めていたのだが、まだ動揺が抑えきれない様子で、ファントムの一人がゆっくりと口を開いた。それは真ん中に座っていた美保子似だった。
「 ”陰(いん)”… そうか 彼女が話に聞いていた陰を伴う 少女 だったか」
…へぇ、師匠や絵里さんに似ているファントムよりも、出てくる言葉が自然体に近いわね
と変なところに感心しつつ、私はまた何となくチラッとナニカに顔を向けていると、「ふふ、そうだよ」とケリドウェンは微笑みつつ返した。
「彼女こそは、”初めから”仮面を身に付けずに、この世界に降り立っただけではなく、…うん、こうして陰を伴うという、ここ暫くは現れなかった”まれびと”なんだよ」
「ま、まれびと?…って、ちょっとケリドウェン…それはあまりにも大袈裟…」
あまりなケリドウェンの物言いに、咄嗟に大きく反応を示してしまいつつ訂正を入れようとしたのだが、時すでに遅く、
「 彼女が…そうか… 」
「 陰… 私は初め て見た… 」
「 …確かに まれびとだ 」
と師匠似以外のファントム達が、各々感想を漏らしていた。
因みにというか、何故”まれびと”という単語に、ここまで私が恐縮してしまったのか、一応念のために説明しておこう。
まれびととは、数が極めて少ない様を表し、滅多になく非常に珍しいという意味の”まれ”が入っている様に、まれに訪れてくる人を示しているのだが、日本の古代説話や現在にもある民俗の中にも残る習俗から見ると、もっと深い意味合いになる。
その観点からいくと、実はまれびとというのは、まれに訪れてくる”神”、もしくは”聖なる人”、つまりは聖人の意味にもなるのだ。
…さて、何故こんな堅っ苦しく私が連想したのか説明しなければなるまい。というのも、さっき初めてこの空間に足を踏み入れた時には触れなかったと思うが、先ほどの広場とは違い、このエリア内には全体的にセイクリッドとでも言うか、要は神聖な厳かな雰囲気が辺りに充満しており、そのせいで私も感覚が感化されてしまったのだ。
そして恐らく、これは実際に聞いてはいないので断言は出来ないのだが、私のよく知る人物と同じ調子を見せるケリドウェンの様子から、あながち自分の予想は外れてない様だと確信するのだった。
私はファントム達のリアクションを見て、尚更あたふたしつつ、同時に非難めいた視線を横に飛ばしたのだが、向けられた当のケリドウェンはというと、そんなジト目をただ微笑で受け止めるのみだった。
そんな反応で返されたら仕方が無いと、遣瀬が無くなった私は、もう既に退屈してしまったのか辺りをふらつき始めたナニカに一度視線を配ってから、また正面に座るファントム達を見た。
そしてそのまま師匠似に顔を向けると声をかけた。
「そ、それでその…ミナさんと言うのは?」
と話題転換を図るために、さっきチラッと耳にして以来気になっていた事を質問すると、
「 ミナ…? あ、あぁ… ミナはこ こにいるのが 全員だ 」
と師匠似は上体を少し屈めると、横に並ぶ他のファントム達に顔を向けた。
…あ、あー…ふふ、”ミナ”って人の名前じゃなく”皆”って意味だったのね
と自分の早とちりに一人で笑っていると、今度はまた代表して美保子似が口を開いた。
「 今この場にいるのは これが全員だが ここに住うのが これが全員では無い 他の者達は 今は外に出ている だけだ 今日は たまたま私が ここの留守を預かり 一応まとめている 」
「へぇ」
と私は一度改めて彼ら四人を眺めた後、さっきチラッと顔を見せた、座布団を持ってきてくれた同年代と思しき少女の消えた横穴に顔を向けた。
「 そう 彼女以外にも別にいる 」
と、私の心を読んだように、美保子似は話を続けた。
「 今は私たち 女しかいない が 今日がたまたまだ 今日は男が主に外に行き ケリドウェンに頼まれた 過去の遺物を 収集に 行っている 」
「そう、なんだ…」
と、こう言ってはなんだが、まだファントム達のこの片言気味な口調に慣れないためか、ついつい引き摺られつつそう返した。
「 さっきの 者については あの反応だけで 許してあげて 欲しい 」
と美保子似は横穴に顔を向けながら言った。
「 さっき この者から 話を聞いた と思うが ここ暫くは ここを訪れる者は ケリドウェン以外には いなかったもので な 一度も見たことが無い しかも 陰を伴う者など 長いことここで過ごしてきた 私ですら ”二度目”でな だから 尚更 警戒をして しまったのだ 」
「…」
…二度目?という事は…私以外にも、仮面を初めから付けてなくて、そしてナニカ…うん、彼らが言うところの陰を伴う人が、以前に別にいたって事…?
とこの時の私はそう思考を巡らせつつ、何気なく特に理由も無くケリドウェンに顔を向けていると、彼女はそのまま話を続けた。
「 広場を暗くしていたのも すまなかった な 一番 初めに 偵察に行ってもらった あの者から 話を聞く前で な 何者か分からない場合には いくらケリドウェンと一緒に いるからとて 昔からの習慣で 警戒を解く わけに も いかなかった のでな 昔からの習い通りに 照明は暗く させて貰って いたのだ 」
「そうなんだよ」
とここで不意にケリドウェンが横から入ってきた。
「本当はあの広場も、もう少し明るいんだけどねぇ…ほら、ここだって実はそうなんだよ?見てごらん」
とケリドウェンが見上げつつ指先を上へと向けたので、素直に従い同じように見上げてみると、さっきは気付けなかったが、天井にはいくつかの釣燈籠が吊らされてるのが見えた。
笠と脚部を猪目透かしの葛形葉状につくり、火袋に片開き扉二面を設けていた。
扉は一面を斜め格子に霰文、他面を網地に霰文を透彫し、残りの火袋4面には沢瀉(おもだか)に橘文(たちばなあや)、桜カタバミ文、松竹梅文(しょうちくばいもん)、籬(まがき)に菊文を、それぞれ文様を透かし地を残す透彫技法で表されており、火袋の上部欄間にも透彫が施されていた。
彼女が今話した通りというか、恐らく広場のもそうだったのだろう、この釣燈籠には火が入れられておらず、言われてよーく目を凝らさないと見つけられないくらいに、今見ても正直パッと見では黒い塊にしか見えず、それが灯籠だと気付くまで時間がかかってしまった。
それが分かってから、ふと同時に思ったことがあったので、天井から顔を正面に戻すと、今度は改めてファントム達の背後にある燈台を見てみた。
やっぱり…ここにある調度品は、どれも和風な物ばかりだわ
そう、先ほどから目に入っていた燈台にしろ、天井に吊らされている灯籠にしろ、どれもが昔ながらの伝統的な和風のものばかりなのに、ふと気付いた。
前から触れてきたように、仮面で壁が覆われたあの広場にしろ、今いるこの空間にしろ、二つ共に西洋風だというのに、普通に考えたら、和風の物がこれだけ多く置かれていれば違和感を覚えて然るべしだと思うのだが、しかし実際は和洋折衷とでも言うのだろうか、西洋の物と和の物が、それぞれが持ち味を活かして絶妙なバランスを取っているらしく、感想としては単純になってしまうが『何だか良いな』と思うのだった。
「実はバルティザンにも、アレと同じ灯籠が天井にぶら下がってるんだけれどね」
とケリドウェンは、また一度天井を指差しながら言った。
「君が来るときは、いつも日が出ている頃だから、今のあの灯籠のように火を入れていなかったんだよ。因みに…」
とケリドウェンは上体だけを器用に後ろに振り向いてから言葉を続ける。
「勿論、ここアサイラムまで続く階段には、さっき説明した様に照明の類は一つも無いけれどね」
「へぇ…」
と相槌を打ちつつ、ふと、ついさっきまで、てっきりあの広場の事をアサイラムというのかと思い込んでいたが、どうやらファントム達の居住区全体を言うのに気づき、ならばここは一体なんなのかと気になり始めた。
さっきもチラッと感想を述べたように、周囲の壁一面を割れた仮面の破片なりで埋め尽くされた不気味な雰囲気の、あの広場とは趣が全く違い、今いるここは陰惨さが一切なく、むしろ透き通るような、この場にいるだけで清廉とさせられるような厳かな空気に満ち満ちているのを、肌身にヒシヒシと感じていたのも手伝っていた。
なので、話の流れとしては繋がりがあまり無いとは自覚しつつも、この疑問を先に解消する事にした。
「今更なんだけれどさ…?」
と私は座ったまま、周囲を見渡しつつ口を開いた。
「てっきりさっきの広場の事を、アサイラムって言うのかと思ったら、その話ぶりを聞く限り違うのね?」
と聞くと、ケリドウェンは視線を時折ファントムに流しつつ答えた。
「うん、そうだよ。あそこはまぁ広場と僕や彼らも言ってるけど、あの壁を見て貰って分かった様に、簡単に言えば墓所の役割も果たしているんだ」
あー…やっぱり、そんな機能も持っていたのね
と質問の途中だったが、こうして私が思っていた事の裏付けが取れた事に、細やかな喜びを覚えつつ言葉を続けた。
「そうなんだ。って事はさ…ここはじゃあ、一体何をするところなの?」
「…」
とケリドウェンは、今度はすぐには答えずに、一旦顔をファントム達へと向けた。
彼らはと言うと、何の反応も返さずに、ただ見つめ返すだけだったが、そこから何かを汲み取ったらしいケリドウェンは、小さく頷くと、顔をこちらに戻してから静かに答えた。
「ここの名前はCrypt(クリプト)…。ここアサイラムの中でも、彼らにとってはとても重要にして、象徴的な場所なんだよ」
「クリプト…かぁ」
名前を聞いた私は、シミジミと自分でも呟いてみながら、改めてまた内部を見渡して見た。
Crypt(クリプト)。ギリシャ語から語源がきており、『ドーム型の地下室』という意味だ。確かに見上げてみれば幾つものクーポラが見えたというのは触れた通りで、その名前に合致していた。現実世界でなら貯蔵用の地下室だとかの意味にも使われているが、今回の場合だと一番しっくり来るのは『地下聖堂』といったものだった。
自分でそう思い至ったのと同時に、まさにこの聖なる雰囲気にマッチしていると納得がいった私は、ケリドウェンが言った象徴的な場所というのも、細かくまだ説明されていないが、何となく分かった気がしつつ、暫く見上げていたその時、「 …ここは 」と不意に、ここに来てからは初めて耳にする、静かながらも艶っぽい声が聞こえたので、思わず顔を正面に戻した。その声の主は百合子似のファントム彼女だった。
自分に気がいったと確認すると、彼女は薄めがちの目をこちらに向けてきつつ口を開いた。
「 そう ここはクリプト 私たちが膝 を突き合わせて 色々なことを話し 合ったり 議論したり 情報 交換したりする 場所 私たち ファントムが 一つに纏まって バラバラになら ずに 生きて いくためには とても大事な 場所 」
「そっか…象徴的…」
と何となく、ケリドウェンが言ったセリフをここで挟んでみると、百合子似は今度は顔ごと例の横穴に向けつつ続けて言った。
「因みに さっきの私たち の仲間が消えた あそこは 私たちの 居住区 今も 私たち以外に 何人かが ここアサイラムに 残っている が 一応 留守を預かっている 私たち”五人”が 代表 する事に なってるから 今は こうしてお前と 話して いる 」
「…五人?」
と、相変わらず無感情な言葉の羅列のせいで、その節々にトゲがある様に感じなかったかと言えば嘘になるが、そんな細かいことよりも…ふふ、いや、もしかしたら同じくらい細かいことかも知れないが、どう見ても四人しかいないのに、五人と言われてすぐに引っ掛からざるを得なかった。
しかし…うん、実際にこうして聞き返したのにも関わらず、それには百合子似だけではなく、その他のファントム達も無反応に戻ってしまったので、何だか気が削がれた私は、では代わりにと、先ほど照明について話が及んでいた時に、ふと一つの疑問というか質問をずっと放り出したままだったのを思い出して、それを聞いてみる事にした。
「そういえば、さっき聞きそびれていたんだけれど…」
と私は、ケリドウェンとファントム達の交互に視線を流しつつ口を開いた。
「確認のためにも同じ事を聞くんだけれど、彼らは私みたいにカンテラを持っていないんだよ…ね?だったら…あの暗い外の回廊までの長い階段を、どうやって上り下りしているの?」
と途中から、考えてみたら目の前に当人たちがいるのだから、何もケリドウェンに聞かなくても良かったかと少し反省をしたので、最後の方では、顔はファントム達に向けた。
「…」
と彼らは無表情のまま中々口を開こうとしなかったが、少しすると全員がほぼ同時に私の隣に視線を向けた。
釣られるように私も横を見ると、そこには彼等へ見つめ返すケリドウェンの姿があった。
と、私に気付いたらしい彼は一度こちらを見たかと思うと、また正面に顔を戻し、そしてコクっと横から見ても分かる程度に微笑を浮かべつつ頷いた。
ケリドウェンは顔を私に戻すと、笑みを保ったまま口を開いた。
「…ふふ、うん、まぁ彼等の代わりに僕から説明するとね?結論としては凄く単純な種明かしとなってしまうんだけれど…彼等は実はね?君が今言った通り、カンテラこそ持ってはいないんだけれど、自分たちで独自に作った、携帯出来る折り畳み式の提灯を持っていて、それを使っているんだよ」
「え?折り畳み式の…提灯?」
ここに来て初めて出た単語に思わずそう聞き返すと、「うん」とケリドウェンは合いの手を入れた後でファントム達に声をかけた。
「すまないけれど、君らの灯りを見せてくれないかい?」
「…」
と彼等はまたすぐには反応を示さなかったが、お互いの顔を見合わせた後で、徐に身に付けているローブの内側を弄り始めた者がいた。百合子似のファントムだった。
探し物が見つかったらしく、ゆったりとした動作で中から取り出したので、私は思わず身を乗り出さんくらいに彼女の手元を見ると、そこには厚さ1センチくらいか、直径は20センチほどの円盤状の物があった。
私は興味深げに眺めていたのだが、その間に彼女はソレをまずケリドウェンに渡した。
「ありがとう」と受け取った彼は、「じゃあ…はい」と微笑みつつコチラに受け取ったばかりのソレを差し出してきたので、「あ、ありがとう…」と初めはケリドウェンに対して、最終的には百合子似に向けて声をかけた後で、改めて詳しく見てみる事にした。
手渡されたソレは、触って見て初めて分かったが、手触りからすると、どうやら基本的に全体として和紙で出来ているのがまず分かった。
円盤型の中心部分には小さな円形の穴が広がっており、こうして近くで見て連想したのは、飲み物の入った容器を乗せるコースターだった。
「へぇ…ふふ、カンテラよりも嵩張らずに便利ね?携帯も出来るし」
と実際に提灯の形にしてみたり戻したりと、その簡易さや伸縮性に思わず羨ましげに口走ってしまうと、隣に座るケリドウェンは苦笑いを浮かべつつ口を開いた。
「参ったなぁ…ふふ、確かにね、僕らが作るカンテラは中々の大きさだし嵩張るけれどね?カンテラにも利点はあるんだよ」
とここまで話すと、ケリドウェンは顔つきに少し誇らしげな色を浮かべながら続けた。
「カンテラの場合は君も知ってる通り、一度油を注ぎ入れたら半永久的に燃え続けるんだけれど、でも彼らの提灯の方はそうはいかなくて、使えば使う分だけ油を消費していくから、何度か使う度に補充しなくちゃいけないんだよ」
「へぇ…」
と私は畳んだ状態となった円盤状の提灯を、裏表と裏返しつつ眺めてから、ケリドウェンに返した。
のだが、この間に思わず、横目でだが黙っているファントム達の様子を伺ってしまった。
何故なら、今のケリドウェンの口振りだと、勿論彼の口振りからして悪意が微塵も見えずに、ただ事実というのか、それを口にしただけなのは少なくとも私自身は分かっていたつもりだったが、果たして彼等がそれを分かっているのかは、まだ今回初めて出会ったばかりなのもあり、そこの所はハッキリと判断が付かなかったからだ。
しかし、そんな私のお節介な心配にも関係なく、今までと変わらずにファントム達は総じて無表情を貫いており、ケリドウェンから提灯を返して貰っている百合子似のファントムも、初めと何ら態度に変化が見られなかったので、ただの杞憂だったと最後は分かった。
と、これより少し時を後にして、一々その都度油を足し入れなければならない提灯の存在は、現実世界で見れば当たり前だから受け入れられても、『一度油を注ぎ入れた後は、油を足さずとも半永久的に灯りを灯し続ける』カンテラの仕組みはどうなっているんだと、この時点で随分長い付き合いだというのに、今更な感想というか疑問を持ったのだが、しかしすぐに、『これは夢だった』と魔法の言葉というか、これまでと同じ様に無理やり何となく納得するのだった。
百合子似に提灯を返した後、ケリドウェンは私に話しかけてきた。
「とまぁそういうわけでね、彼等の代わりに少しだけ僕から付け足すと、さっきから繰り返し話している様に、僕みたいなケリドウェンが彼らに油を提供してるわけだけれど、一度に持ってくる量にも限りがあるし、結果的に普段使える量も限られてくるからというので、なるべく節約しようと、こうした広場とか居住区以外には使わないのが伝統らしいんだ」
ここでケリドウェンは一度区切ると、後ろを軽く振り返りつつ言葉を続けた。
「あと、例の長い階段には照明が無いとさっき確認したと思うけれど、その時に、彼らファントムも君と同じように暗闇で目が利かないって話はしたよね?」
「えぇ」
「本当はその時に一緒に話そうと思っていたんだけれど、目が利かないのは実は、回廊にいたラルウァ達も例外じゃないんだ」
「あー…やっぱりそうなんだ」
と、この言葉の通りに何となく推測はついていたので合いの手を入れると、「うん」と一度ニコッと笑ってからケリドウェンは先を続けた。
「でね、それと関係していると思うんだけれど、彼らラルウァにはこれに関連した一つの特徴があってね、というのも…彼等は自分の目が利かない暗闇みたいな所には、一切近付かないって事なんだ」
「へぇ…ってことは」
と、彼の話を聞いて、すぐに思い付いたことがあったのだが、言葉を紡ぐ前にケリドウェンが答えを言ってしまった。
「ふふ、そう。とまぁそんな特質があるおかげでね、これは正直たまたまなんだけれど、万が一通路への入り口が閉じる前にラルウァが入り込んだとしても、暗闇を極度に嫌う性質のために、また君みたいにカンテラを持っていなければ、ファントム達みたいに提灯のような照明器具を持っていないばかりにね?扉が閉まる前に慌ててすぐに回廊まで引き返すというので、結果的にラルウァ達がここアサイラムに迷い込む、侵入するのを防ぐという、そんな思いがけない効能も生じていたんだ」
「なるほど…」
と私は心底納得した感情を込めて短く漏らすと、ケリドウェンと同じように、自分が通ってきた穴の方に顔を何となく向けるのだった。
そのままの状態で、暫くまたこの空間には沈黙が流れたのだが、無言が耐えられない性分の私だというのに、これといった気まずさも感じず、むしろ心地良さを覚えつつ過ごしていた。
だが少しずつ、これは結局耐えられなくなったという意味ではなく、目の前にファントム達当人がすぐ側にいるというのを不意に改めて認識した瞬間に、せっかくならと彼等に質問を投げかけたくなり始めてしまった。
そしてとうとう耐え切れなくなったその時、私は顔を一度彼等に向けて戻してから、一度四人を見渡して、何から口火を切ろうか正直迷っていたが、何となく横に顔を逸らすと、全てを予知していたかのようにケリドウェンがこちらに微笑を向けていた。
ほんの数秒間だけ見つめ合い、言葉は一切交わさなかったのだが、それだけで何だか落ち着いた私は、ただ小さく一度頷くと、顔をまた戻してからゆっくりと口を開いた。
「あ、あの…さ?あなた達に、その…質問したい事があるのだ、けれど…しても、良い…かな?」
「 なんだ ? 」
と私からの提案に対して、彼は一度お互いに顔を見合わせた後で、美保子似が代表して返してきた。
声に抑揚がなく、またこの様に短く端的な物言いが、とても受け手としては威圧的に感じないと言えば嘘になるのだが、まだ付き合いが浅いとは言え、今の反応は好意的で快く質問を受けてくれたのが何となく分かった私は、その態度に甘えて続けることにした。
「私、ケリドウェンと一緒にここまで来るまでに、一体のラルウァの亡骸を見かけたのだけれど…仮面の下に現れたその姿に、とても驚いちゃったの。だって…その顔には目が消失してしまっていて、鼻にしても口にしても辛うじて、それらしき穴が開いているのみで、耳も同様な感じだったんだもの」
「…」
と、この通り結局は、こんな取り止めのない質問という綺麗な形にはならなかったのだが、それでも黙って聞いてくれていたファントム達は、私の言葉が切れたのに気付いたらしく、お互いにまた顔を見合わせると頷き合った後で、美保子似が口を開いた。
「 …見たのか ラルウァにも色んな タイプ がある お前 が見たのは 目が 消失して いたと 言ってたが 実は事切れる 直前 まで 目が残って いる場合も ある 」
「へぇ。目が残ってるパターンもあるのね」
「 そう とは言っても お前が言った 感じ で言えば 外から見る と 小さな穴が 二つ 開いているように しか見え ない のだけれどな 」
「ふーん…」
と私は実際に見てないので想像するしかなかったが、勝手にプロファイリングして出来上がったその顔からは、結局不気味さが消え去ることはなかった。
さて、話はまだ途中だったので、このまま美保子似が先を続けるのかと思っていたのだが、美保子似がチラッと横を見たかと思うと、視線を向けられた百合子似は、現実世界で知る当人と同じように、嫋やかな動きでこちらに顔を向けると口を開いた。
「耳にして も 両耳がついて いるタイプ か 片一方しか無い タイプが ある だが 今この者が 話した が 確かに 死んだ後でも 目が残って いる タイプは あるのだが それは珍し く 大抵は お前が 見たよう に 鼻と口だけが 最期まで 残っているの が ほとんどだ 」
「そうなんだ…ん?」
ラルウァ達って、暗闇を極度に怖がるんだよ…ね?でも、目が消えているとしたら、何でそもそも怖がるんだろう…?だって、目が無いのなら、初めから視界そのものが無いのだし、怖がりようがないもの
と、美保子似と百合子似の二名からの話を聞いて、すぐに疑問を持ってしまった私は、思わず声を漏らしてしまったのだが、
…あぁ、そっか。死ぬ間際、今際の際まで目が残るのが珍しいというのであって、活動している時には一応小さいながらも目が残っているという事か…
と自分ですぐに納得がいったその時、「ん?どうかした?」と隣に座るケリドウェンに声をかけられてしまった。
「え?あ…ふふ、んーん、何でもない」と笑顔で誤魔化しつつ返すと、そんなあからさまに怪しい態度の私を見て、「そーう?」と疑いげな眼差しを一瞬向けてきていたが、すぐに力を抜くと同時に柔らかな顔に戻ったケリドウェンは、ファントム二名の話を引き継ぐ様に口を開いた。
「今彼らが話してくれた様にね、どれもが似通った仮面をしているとは言っても、その下の顔の形状は千差万別なんだけれど、では何で耳と口は辛うじて目を主に時を重ねる毎に消失させていって、次に鼻の機能も大幅に落としていってしまうのか…これについては、彼らファントム達にも、そしてラルウァ自身にも、今だにハッキリとした事は分かっていないみたいなんだ」
…鼻も、穴は残っていても機能は落ちているのね
と、ここに来て急に後付けで新たな事実を知らされたのだったが、こう言っては何だが今はそんな補足よりも、話の続きの方が気になっていたので、遮らずに続きを待った。
「…でもね?」とケリドウェンは続ける。
「一応僕らケリドウェンの間で代々語り継がれてきたというか、何で歳月重ねると、そんな風にいわゆる退化してしまうのか、それに対する説があるんだ」
とケリドウェンはここで一旦区切ると、今更だと私個人では思ったが、話を自分がして良いのか顔を周囲に配り始めた。
それを初めに受けたファントム達は、やはり無表情のままだったが、しかし顔を向けられる毎に、それぞれが順に小さく頷き返すのが見えて、何だか微笑ましく思った。
と、最後に彼がこちらに顔を向けてきたのに気付くと、私は一度ファントム達に顔を向けた。
そして何となくこちらから微笑みを向けると、それを保ったまま隣に顔を戻し、彼らに倣って自分も小さく頷き返した。
無言の返事を受けたケリドウェンは、ほんのりとホッとした表情を見せた後で、話を再開した。
「あはは…さて、その仮説というのは…ふふ、まぁ少し考えれば誰でも思いつくような事で、ここまで引っ張るほどの大層なことじゃないんだけれど、それでも話すとね?要はそれぞれの器官の機能は何なのかを考えれば良いんだ」
「うん」
と私はいつの間にか体育座りになりつつ、両膝の上に片方の頬を乗せて、顔を横に向けつつ話しを聞いていた。
「言うまでもなく目は視力、耳は聴力、鼻は嗅覚を司っていて、それに加えて口は味覚のみならず、会話するのに必要な器官でもある訳だけれど、この中のうちで目と鼻…うん、特に目が目立って退化するのは、それはラルウァ達が生きていく上で、視力を、何かを見る事を必要としないからだ…と言えると思うんだ」
「…うん、そうだと思う」
と一応自分なりにすぐに即答する事は避けて、吟味しながら相槌を打ったが、話を聞いている時点で既に素直に飲み込めていた。
彼は続ける。
「うん。でね、こんな単純な確認をした後で、僕らケリドウェンが出した一つの仮説はね?彼らラルウァ達は、会話するための口や、それを聞くための耳は必要と思っているんだが、聞いたその話が事実なのかどうなのか、それを確認するには調べるために目が必要なはずなんだけれど…うん、どうやらその事実確認というか、その必要性は一切感じてないようだと、彼らの生態に関して今のところは結論としているんだ」
「あー…」
と今の彼からの説明を聞いて、これまた現実世界の”彼”相手と同じように、すんなりと引っかかる事なく説を素直に飲み込めてしまった。
そっか…彼らは、別に他から聞いた情報を、目なりで確認を取る必要性を感じないから、歴史の中で目を消失し、またついでに嘘を見極めるための嗅覚を自ら捨て去って、
ただ耳から入る情報を鵜呑みにして信じる、もしくは信じるふりをして、それを自己流に解釈したのを他人に自らの口を使って流布する…そうした社会がラルウァの中に出来上がっているのだろう…なぁ
と改めて聞いた話を咀嚼し、自分なりに理解を深めれた心地になり納得していると、それが顔に出ていたのか、ニコッと一度目を細めながら笑った後で、ケリドウェンはまた話し始めた。
「今の話の延長というか、関連する話で、ラルウァ達も僕らと同じ様に生まれた時には、顔に何もついていなかったんだけれど、徐々に顔に仮面の破片…とでも言って良いような物が貼りついていって、最終的には顔全体に、無感情にして無表情な仮面が完成する…という話は、ラルウァの亡骸の側で話したね?」
「えぇ」
「それをもう少し正確に言えばね?確かに生まれた時は仮面を付けていないんだけれど、成長していくにつれて、本人の意思とは関係なく、むしろ聞かなかったり無視したりして、周りの既に仮面が貼り付いたラルウァ達から、少しずつ顔にペタペタと仮面のかけらを貼られていく…というのが、”元”ラルウァである彼らファントムから聞くところによると、これが本当の実態の様なんだ」
「え…」
と私は思わず声をボソッと漏らしながら、顔を彼から彼らに向けると、視線が合った次の瞬間、示し合わせた訳でも無いだろうに、四人が一斉にコクっと頷いて見せた。
顔の表情からは感情が分からなかったが、それでも何だか受け手である私の胸に去来してきたのは、”哀しみ”に近いものだった。
と、この時にはそこまで自分でも分かっていなかったが、まだバルティザンでの邂逅を含めて二度目だというのに、もう既に彼らに対して初対面特有の感情は消え失せてしまい、代わりにというか、今述べた様に、仮面が歪に割れた後でラルウァ達から逃れるように、ここアサイラムという地下空間に隠れ住むという彼らの境遇なり、ケリドウェンから語られた新たな事実によって、こう言っては失礼かも知れないが、憐憫の情とも言って良い気持ちに心が占められるのだった。
この様に、まるで我ことの様に話を受け止めていたのだが、不意にここで、現実世界で知る当人とは違い、初めの頃に前のめりに私の顔を眺めてきた以外は、一言も発しなかったせいでキャラが一番薄かった有希似のファントムが、何かに気付いたリアクションをとった。
つまりそれは、その場で座布団の上に両膝をついて私の背後を見たという行動だったのだが、前触れもなく突然のその態度に、我知らずと釣られて有希似の視線に合わせるが如く後ろを振り返って見ると、ちょうどその時、私たちがさっき通って来た通路の方から、スタスタと誰かが近づいてくる足音が聞こえ始めた。
その音は微妙にズレており、そこから一人で無いことは瞬時に察せられて、実際に今いるクリプトに入って来たのは三名だった。
…だが、すぐに三名と分かった訳ではない。何故なら、一人のファントムを前にして、残りの二人は揃って後ろに隠れてしまっていたからだ。
前に立つファントムは、ここに既にいたファントム達と同じ背丈くらいで、後ろに隠れている二人は、一人は同じくらいなのでそれなりに隠れられていたが、もう一人はそれなりに背が高いらしく、正直それほど隠れるのに成功していなかった。
と、そんな風に我ながら冷静に観察していたつもりだったが、ここまで見終えた後で、今更ながら前に立つファントムが何者なのかがようやく分かった。
仮面が割れた方から覗くその顔には、私のよく知る絵里の形が見えていた。そう、師匠似と共にバルティザンを訪れて来た、絵里似のファントムだ。
「あ…」
と不意に懐かしい気持ちになった私が声を漏らすと、それには取り合わずに絵里似のファントムは、出入り口付近で立ち止まったまま口を開いた。
「 報告があった 通りの 場所に 行ってみたら やはり その通 りに 仮面が割れ て 回廊 の脇 で 顔を伏せ て蹲っ ていたの を 見つけ た この 二人 だ 」
と言い終えるのと同時に、絵里似は不意に両腕を後ろに回したかと思うと、後ろに立っていたその二人を自分の前に誘った。
促されて出て来た彼らは、報告があった通りというか、今でもやはり顔を俯いており、また目深にフードを被っていたので顔の部分が真っ暗になっていた。
だが、そっとした手付きではあったが、ふと背後から絵里似が二人のフードを優しく外すと、その下からは髪の毛だけが見えた。
二人共に短髪だったので、『初めて男のファントムを見るな』と思ったのだが、それは早とちりで、半分正解で半分は不正解だとすぐに分かることになる。
というのも、何やら小声で絵里似に話しかけられたらしい二人は、俯いたままお互いに顔を見合わせた後で、ゆっくりとした動作で頭を上げたのだが、ようやくここに来て露わになったその顔を見て、「…あっ!」と先ほどよりも驚きを持って声を上げてしまった。
何故なら、この二人は共にまだファントムになったばかりのようで、まだそれほど仮面全体の内で割れた範囲が少なかったのだが、その狭い範囲で見えている部分だけでも、普段から見慣れ”過ぎている”ために、すぐにそこにいるのが誰に似ているのか分かってしまった。
この二人のファントムは何と、裕美とそしてヒロの顔を持っていたのだった。
五巻へ続く
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