第18話 Persona(ペルソナ)”仮面”

ケリドウェンは別に早足も無かったので私がすぐに追いつくと、それからは二人並んで回廊を歩いていた。

ここでついでだからと回廊について少し細かい描写をさせて頂くと、回廊は石畳となっていたので表面に凹凸がありデコボコとしていたのは事実なのだが、それだけではなく、過去にここを自動車かもしくは馬車などのようなモノが走っていた名残なのか、実は幅の回廊中央部分と、その両脇壁から二、三メートル程の部分との間に十センチ程の段差が設けられており、今私とケリドウェンがいたのは、幅広い中央部分ではなく、ほんの少し高さが上の壁際付近だった。


因みにラルウァ達は一段下の、広々とした昔は車道だったらしき付近を臆する事なく何気なく歩いているのだが、繰り返し言えば、私たち二人はと言うと、歩道風の幅の狭い道をテクテクと歩くという状況だった。

とはいえ、狭い狭いと言い過ぎたかもしれないが、どさくさに紛れて私もと言わせて貰いつつ、ケリドウェンにしても背が高くとも身体の線は細い方だったので、並んで歩いても、少なくとも私の方では圧迫感は感じられなかった。


私は壁際を、ケリドウェンは中央寄りを歩いていたのだが、そんな中、私はたまに空を見上げて曇天を眺めたり、これまた過去の名残なのだろう、私のすぐ隣に延々と続いている城壁と言うべき壁の中には、中から外へ向けて攻撃するための穴が其処彼処に開けられており、その隙間から時折風が通り抜けてくるのに気付かされて、その度に壁を挟んで眼下に広がる海を、壁上部に設けられた鋸状の隙間から覗き込んで見下ろしたりしていた…のだが、そんな風に退屈凌ぎをしていたというのに、中々ケリドウェンが話しかけてくれないのに痺れを切らした私は、一度足元を見下ろし、やはりそこにはしっかりと黒々とした”影”が存在し残っているのを確認してから隣に声をかけた。

「あ、あのさ…って、あ…」

と私はそう決心したくせに、ふと慌てて口を手で押さえてしまった。

考えてみたら、すぐ脇を大量のラルウァ達が歩き回っているというのに、彼が話してくれた通りこの世界ではあまりにも異端である私自身が口を開いて言葉を発したりしたら、どんな事が起きるのか?…という不安に急に襲われたからだった。

勿論、別に彼らは異端に対して毛嫌いし、そのあまりに無視したりという態度はとっても、何もわざわざ危害を加えてくるような事は無いとケリドウェンが何度か説明をしてくれたのは当然覚えていたのだが、それでも何というか、ふと、何故自分がここまで不安に思ったのかを考えてみた時に、今まで歩いて来て、彼が何も口を開かなかったのは、そうは言ってもなるべくなら言葉を発しない方が身の為だというので、それで口を閉ざしていたんじゃないかと思いついた為でもあった。

が、それは私の考えすぎだったのがすぐに証明される事となる。


「ん?なんだい?」

と、何で口を手で塞いでいるのか不思議がるのと同時に面白がってる雰囲気を見せる笑みを浮かべてケリドウェンが聞き返してきた。

そんな様子に緊張が解れる思いだったが、しかしそれでも慎重に期した方が得策だろうと判断した私は、一度ラルウァ達の様子を伺ってから、口元を隠すように片手を当てた。

そう、つまりは内緒話をする態勢を取ったわけだが、私のそんな意図をどれほど正確に汲み取ってくれたかは定かでは無いながらも、ケリドウェンはますます面白そうに笑みを強めつつ、進行方向に顔を向けたままだが身長差があるために若干上体を屈めつつ、顔の側面を私の近くに寄せてきた。

側まで来ると、私は早速小声で彼の耳に話しかけた。

「ケリドウェン…周りにラルウァ達が大勢いるけれど…私たちって、普通に話していても、その…大丈夫なの?」

「え?」

と私の言葉を聞いた瞬間、ケリドウェンは態勢を元に戻すと、さっきまでとは打って変わって、意外だと言いたげな表情を顔全体に浮かべて見せていたが、「あー…ふふ」と、一度ラルウァ達が往来している車道付近に目を向けつつ声を漏らすと、また私に顔を戻して穏やかな表情で答えた。

「ふふ、大丈夫だよ?というか、彼らが僕らに対して”直接的”な危害を加えてくる事は無いって話したはずだけれど…ふふ、まぁそうだよねぇ。そう口で言われても、初めてからしたらそう簡単に飲み込める話でも無いよねぇ」

ケリドウェンは途中から自分に言い聞かせるように話していたが、私は私で、彼が今言った”直接的”という表現に引っ掛かってしまったが、それはともかく、「い、いやぁ…まぁ…」といった、合いの手になっていない合いの手を入れると、彼は小さく一度微笑んでから、顔を回廊中央に向けつつ言った。

「ふふ、本当に大丈夫だよ。それにね…ふふ、そもそも彼らについて仮に悪口なりを言ったところで、あちらは僕らの話している内容の八割も理解出来ない…というより、聞き取れないんだから」

「聞き取れ…無い?」

と、彼が視線を向ける方向に自分の視線を合わせつつ漏らすと、ケリドウェンはこちらに顔を戻してから答えた。

「うん、そう。まぁ勿論、今僕が言ったように、全くという訳じゃなくて、二割程度は聞き取れて、内容も理解が出来るらしいんだけれど、それはいわゆる初等の雑談レベルというか極々簡単な日常会話レベルのみで、少し踏み込んだというか深めの話を仮に僕らがしたとしたら、一切聞き取れなくなってしまう様なんだ。つまり…ふふ、そう、まるで風が吹いている様にしかね?」

「…あ、あー…」

と、ケリドウェンが言った最後のセリフで、一気に私の中でパズルのピースが噛み合った様な、快感に近い感覚を覚えたあまりに声を漏らしてしまった。

そう、私が思い出したのは…って、ここ最近は頻繁に思い出しているが、例の礼拝堂で見た儀式中らしきラルウァ達が発していた、ビュービューという風が吹く様な音なのだった。


私が納得したのを見て取ったのか、ケリドウェンは顔を明るくしながら口を開いた。

「だからまぁ、元々別に聞こえた所で問題は無いんだけれど、でも仮に彼らに聞かれたくないとしても、それは余程向こうがコチラに関心が向いていて、聞き取ろうと耳を澄まして来ない限りは日常会話のレベルだって、ちょっとやそっとじゃ聞かれないし、遠慮しなくて大丈夫だよ」

「そ、そうなのね?じゃあ…」

とケリドウェンの言葉を改めて聞いて、ここにきて漸く手触りのあるものとして『そうだ』と得心のいった思いを抱くと、私は再びまた一度足元を見下ろしてから、そのまま視線を固定しつつ口を開いた。

「早速聞きたいというか、質問をしたいのだけれど…」

「うん」

とケリドウェンが隣から緩やかな視線を向けてきてくれているのを感じつつ、顔を下に向けたままに続けて聞いた。

「まだ私たちが塔の、バルティザンの出入り口付近というか、その前にいた時…にさ?その…ナニカ…あ、いや、あなたが言うところの”陰(イン)”が、そ、その…」

と私はここで顔を一旦隣に向けたが、彼がこちらを見てくれているのを確認すると、またゆっくりと足元に顔を戻しつつ続けて言った。

「いきなりその…こんな風に、なっちゃってるん…だけれ…ど…?」

と、やはりあの出来事については、私の中で一切整理がついていなかったのもあり、結局はこの様な曖昧模糊とした質問しか出来なかったのだが、そこは見た目だけではなく、現実世界の例の人と察しの良さまで似ているケリドウェンは「あー…」と納得含みの声を漏らしつつ、小さく微笑んだかと思うと口を開いた。

「…ふふ、そっか。まだ陰は君の前で、今の姿をキチンと見せた事が無かったんだね?」

「…え?今の姿って…”コレ”の事?」

と顔は彼に向けたまま、足元を指差しつつ私が聞いたその時、

「あはは、ちょっとー?”コレ”って何よー?随分な言い草ねぇ」

と不意に、聞き覚えのある声がどこからか突如聞こえてきたので、それまでずっと二人並んで歩いていたのだが、驚きのあまりに足を止めてしまった。

ケリドウェンも合わせて止めたが、私はそれには気を止めずに、どこから聞こえてくるのか周囲を見渡した。

だが、その聞き覚えのある声の主の姿は、どこにも見当たらなかった。

キョロキョロする私の様子を見て、ケリドウェンはどこか面白げにだが見守る様な目つきをしていたが、「あはは、こっちよこっち」とまた笑い含みな声が聞こえた直後、今回は注意していたので、直ぐにその出所が分かった。

それは足元だった。

明らかではあったが、でもまさかそんな事はと恐る恐る下に顔を向けて見ると、勿論あれ以来”影”がそこにあるのには変わらなかったのだが、何と私の顔を反映していると思われる真っ暗な影の部分に、これまた見覚えがあり過ぎる真っ白で綺麗な三日月がそこに浮かんでいるのが見えた。

「…へ?もしかして…ナニカ…なの?」

恐らくというか間違いなく、何も事情を知らない人が見ていたら、足元に向かって話しかける私の様子は、仮にラルウァじゃなくとも不可思議だと思うのだろうが、そんな事は頭に一切なかった私が思わず声をかけると、

「ピンポーン、だいせいかーい」と答えるのと同時に、その三日月部分がまるで喋っているかの様に形を様々に変化を見せていた。

「あ、あなた…そんな姿になって、そ、その…大丈夫なの?」

と、すっかり側にケリドウェンがいるのを失念していた私は、構わずそのまま話しかけると、ナニカはケラケラと笑いながら答えた。

「あはは!大丈夫も何も…今さっきもケリドウェンが何気ない感じでチラッと言ってたでしょ?今の姿も、私の本来の姿の一つなんだって」

「…」

私の記憶が正しければ、そこまで彼が細かく話してはいなかったと思うのだが、それはともかく、今のこの姿が平常だというのを知って、安堵を覚えたのだが、その直後には、そんな風に覚えた自分自身に軽くでも驚いてしまった。


…ふふ、相変わらず得体の知れないナニカだけれど…そんな相手に、ここまで情を移していたのね、私…


「…ふふ」

とそんな事を思ったせいか、自然と微笑を溢してしまったのだが、今度は呆れ笑いを浮かべつつ声をかけた。

「でもナニカ…いきなり話しかけてきたりなんかして、驚くじゃなーい?その姿になってから一言も発しなかったというのに…」

とグチっぽさを意識しつつ言うと、またナニカは明るく一度笑った後で、立体的な”三次元”の姿の時だって全体的に”暗かった”せいで分かり辛かったというのに、こうして平面の”二次元体”になってからは益々今どんな表情を浮かべているのか見て取るのに困難を極めたが、取り敢えず三日月は浮かべたままに答えた。

「あはは、まぁ確かに急に話しかけて悪かったけれど…ふふ、これはてっきり、私が一々言わなくても分かっていると思っていたのよ。…私がこの姿になっても、別に会話程度なら出来るってね?」

「…へ?なんで私なら分かっているって思ったの?」

と私がすぐさま聞き返すと、「だってぇー…」と一度ナニカは勿体伏せてるつもりなのか、両手を後ろに回してクネクネ動くという、平面の中でも上手いことその様子を表現して見せた。


…ふふ、別にこの時が初めて気付いたのでも無いのだが、こうして私の動きに合わせず自由に動くのを見る限り、やはり根本的に私の知る影とは違うのだと知らされた。


「…ほらぁ」と、勿体ぶるのに満足したのか、動きをピタッと止めるとナニカは続けて答えた。

「前にも私がこの姿形で話しかけた事があったじゃない?」

「…え?」

とまた私は、想定外の言葉を掛けられて声をまた漏らしてしまったが、何となく顔を横に向けたその時、ケリドウェンも何も言わなかったが、コクっとしみじみといった調子でゆっくりと頷いて見せた。

そんな反応にも小さく疑問が湧いたのだが、「ほら、あれよぉ…」と足元から焦ったそうな声が聞こえてきたので顔を戻すと、ナニカは呆れ口調で続けて言った。

「覚えてなーい?初めてで言えば、ほら…礼拝堂の中で話しかけたじゃないの。あなたが心の中で色々と疑問を発していたその時に、『…理由を、知りたい?』って見かねた私がボソッと言ったのを」

「…あ」

と、ナニカがそれこそ当時の言い方なり声色を再現してくれたおかげで、なお一層思い出すことが出来て、すぐさま納得がいった。


…そっか、あの声はやっぱりナニカ…だったのねぇ


長年…というと大袈裟だが、ずっと頭の隅に残っていた宿題が片付けられて、すっきりとした心持ちになった私は、「そっか…って事は」と表面上では続けて声をかけた。

「あの時からずっと私のそばにいたのね?」

と私が聞くと、「あはは、うん…まぁねぇー」と、今では本当に影にしか見えないナニカだったが、自慢げに鼻の下を指で摩った様に見えた。

「あなたが”目覚めた時”からね」と続けて言うのを聞いて、

「…あっ、あぁー」

と私はまたしても声を漏らしてしまった。

ナニカはまた勿体ぶって多くを語らなかったが、しかしこれだけで満足した私は、「そうだったのね」と続けて返すと、ナニカは両手を腰に当てて…いるのだろう、

「まぁ、今いる回廊に出てくるまでは、基本ずっと暗いところにいたからねぇー、私がずっと今の姿で足元にいても、気づかないのも仕方ないのかなぁ」

とそんな様子を見せつつナニカが言ったその時、

「その話をバルティザンで聞いていたから、僕も既に知っていると思っていたんだよ。陰がこの姿になれるというのをね?」

とケリドウェンが不意に会話に加わってきた。


私がようやく足元から顔を外して見ると、ケリドウェンは表情穏やかに続けて言った。

「前にもチラッと言ったけれど、陰は僕ら以上にこの世界では珍しい存在でね?だからこそ、さっきのファントム達も驚いていたんだけれど…うん、それは勿論ラルウァからしても例外ではなくてね、当然ファントムみたいにラルウァ達は、仮面をしているから実際には陰を見れはしないんだけれど、中には感受性が高い個体がいてね、それでも結局目には見えないんだけれど、それでも何かがそこにあるような気配だけは察してしまうらしくて、それで怯えてしまうらしいんだ。

その気配しか感じないながらも、それら少数の個体が仲間内に口伝か何かで伝達する…うん、らしくてね?その経路なり流れまでは厳密に僕らには分からないんだけれども、取り敢えずそのおかげで、実際に目に見た事があるラルウァは一人もいないながらも、何となく陰の存在それ自体は知られているらしいんだ」

「へぇ」

と、こちらから何も聞いていないのにも関わらず、急に自分から陰についての情報の一端を話してくれてるケリドウェンに小さく心の中で感謝をしつつ話に聞き入っていた。

「目に見えないんだけれど、存在そのものはキチンとあるんだと常識になっている…うん、その事で尚更陰に対して得体の知れない恐怖を抱くらしくてね」

「ふふ、それはまぁ分かるわね」

「ふふ、うん。だから陰たちは昔から、一々彼らに怯えられるのも面倒だと思うらしくてね?万全を期してだから基本的に陰達は、こうして彼らの前では影に徹するんだよ」

「あはは、説明ご苦労!」

と足元でナニカがニカっと笑った様に見せると、私とケリドウェンは一度顔を見合わせて、一瞬だけお互いに真顔を見せ合ったが、直ぐにどちらからともなく吹き出したかと思うと、二人同時に笑い合うのだった。




その笑いも収まり始めた頃、おもむろにケリドウェンが歩き始めたので、私もそのまま合わせて足を進めたのだが、私は何気なくまた改めて、自分の足元と、それと一緒に隣を歩くケリドウェンの足元を見比べていた。


何故そうしようと思い、実際に実行に移したのかと言うと、目に入るどのラルウァにもやはり影がなく、再度ケリドウェンの足元を確認しても影は無かったのだが、しかし先ほど彼が話してくれた内容からふと思ったのは、私の目には見えずとも、本当はケリドウェンは私と同じ様に”陰(影)”を伴っているのではないかと、不意にそんな考えが浮かんだのと同時に、妙に納得してしまったからだった。

自分でも何で突如そう思ったのか説明がつかなかったのだが、何故か影、もしくは陰がケリドウェンに”伴っているような気配”だけは強烈に覚えた…としか言いようがない。

こんな個人の感覚からくる感想を言われても、聞いてる人からすると何が何だか、何の事だかさっぱり意味が分からず納得などしないだろうが、陰を伴っている私自身が実際に受けた印象からすると、『そうだ』としか言いようが無いのだから仕方がない。


さて、そんな事を思いながら同時に、そういえば肝腎要というかこの陰(イン)についての話が展開されたのだから、これが良い機会と流れのままに続けて質問しても良いんじゃないかと思ったのだが、これまた我ながら不思議とこれ以上質問する気が途端に収まっていってしまい、それと代わりと言っては何だが、質問といえば以前にこれまたさっきのナニカ関連と同じ様に、一遍に新たな出来事や話を聞きすぎて聞きそびれてしまって放置していた宿題が一つあったのを思い出した私は、そっちの方を片付ける事にした。


「そういえばケリドウェン…?」

「ん?」

とケリドウェンがこちらを向いたのを確認すると、「うん」と私は一言置いてから進行方向に顔を戻すと続けて聞いた。

「いきなりファントムについての事なんだけれど…」

「うん、何かな?」

とケリドウェンも進行方向に顔を向けた。

「うん、あのね?…こないだ疑問に思って、それを聞くのを忘れてたんだけれど…」

と私は、塔内でのファントム達の行動を思い返しながら続けた。

「何でファントム達は、せっかく仮面の一部が割れたというのに、また元通りに嵌め直したりするの?」

と私が再度顔を隣に向けつつ聞くと、顔をこちらに向けたケリドウェンのそこには、ハッとした表情がありありと現れていた。

だが、それはほんの一瞬の事で長く続かず、「…あー」

と一旦ケリドウェンは声を漏らすと、好奇心の覗く笑顔を浮かべつつ、

「…ふふ、やっぱり気になるよね?」

と何だか悪戯っぽく言うので、それほど深刻な話でもないのかと察した私も、「まぁねぇ」と無邪気さを意識しながら返した。

だがしかし、そんな目論見とは別に、「そうだなぁ…」とケリドウェンは不意に寂しげな感情が滲み出ている様な笑みに変化させると、ゆっくりと正面に顔を戻しつつ口を開いた。

「うん…ちょっと前に話したのと重複しちゃうけれど、付け加える意味でも話せば、確かに彼らファントムは、せっかく顔全体に貼り付いていた仮面が、一部とはいえ剥がれたというのに、それでもああして剥がれた状態のままでいるのは、一人でいる以外だと僕みたいなケリドウェンの前だとか、後は同じく仮面の剥がれたファントム同士で集まる場でだけだって事は話したよね?」

「えぇ…」

と、不意に寂しげな表情を見せられた私は、声のトーンに気を遣いつつ返した。

ケリドウェンは静かに笑いながら続ける。

「…っと、少し脱線するようだけれど因みにね?一度仮面が割れ始めたファントムというのは、今の形で終わりじゃなくて、あれ以降も徐々に、自分が望もうと望むまいと関係なく、僕らケリドウェンと付き合っていくうちにね?徐々にだけれど仮面が今以上に割れていくらしくて…過去にはね、そのまま進行していって、ついには完全に仮面が剥がれ落ちて、そのまま僕らみたいなケリドウェンになったファントムもいたようなんだよ」

「へぇー、そんなこともあるのね?」

と私が感嘆と共に声を上げたのだが、ふと、話を聞いていて思ったところがあったので、話の途中なのだろうが口を挟むことにした。

「…って、”らしくて”って事は、今の話はケリドウェン、あなたが誰かから聞いた話なのね?」

と質問をすると、「鋭いねぇ」と途端にケリドウェンが、ここにきて少し顔付きに明るさを差し込みながら答えた。

「ふふ、実はね…うん、これは僕の師匠から聞いた話でね?…ふふ、ファントムだったのが仮面が全て剥がれ落ちてケリドウェンになったって今触れたけれど…それが実は、僕自身の師匠の話だったんだ」

「…え?…へぇー」

と、またしても字面では同じような反応しかしてないように見えるだろうが、実際は前回よりも、声のトーンはまた数段上げつつ返した。

「ふふ、でも別に師匠みたいなパターンというのは、ケリドウェンの歴史的に見てもそれほど珍しくないらしくてね?むしろ多いんだけれど…」

「…」


…『って事はケリドウェン、あなた自身は一体どっちのパターンだったの?』


とそのまま質問を続けてしまいたかったのだが、彼が前置きなく話に戻ってしまったので、これまた宿題を一つ増やした結果になってしまったが、現在の内容だってとても興味深い事には変わらなかったので、何の不満もなくケリドウェンが話す続きを待った。


「…で、話すを戻すと、でもせっかく仮面の一部が剥がれ落ちても…ね?いきなり仮面全てが剥がれ落ちるような事は無くて、完璧に仮面が剥がれるというか、その段階まで辿り着かない限りは、現状ズバッと言ってしまえば中途半端でどっちつかずな状況に置かれているんだ」

「あー…」


…そっか、別にファントムになれたラルウァ全員が、仮面全てが剥がれ落ちるまでいけるわけじゃないのね…


「でも、まだその時点ではどうしたって僕みたいなケリドウェンにはなれない彼らは、仕方なくもう片方の、元いたラルウァ達の中に紛れて生きていく他に、今の所は無いんだけれど、今歩いている時にも話した通り、彼らは自分達ラルウァとは見た目が違うというだけで、すぐにその異端を排する…うん、少し強い言い方をすれば、勿論何度もしつこく言っている様に肉体的な、物理的な暴力に訴えて排する様な事はしないんだけれど、要は…そう、具体的には無視し続けてきてね?そうされるとファントム達は、彼らだって例外なくどうしたって社会、他との繋がりの中でしか生きられないから、何とかその無視にも我慢して耐えるんだけれど、でもやっぱり永遠には続けられずにね?結局はそのまま…うん、死んじゃったりするのが大半だったんだ」

「そうなんだ…」

と、話の内容を聞いて、確かにケリドウェンが寂しげな顔付きになるのも止むを得ないと納得した私が、一緒になって思わず感慨深く相槌を打つと、彼はまた小さく、諦観にも見える様な笑みを零してから先を続けた。

「…っと、ふふ、僕の話し方が下手なせいで、誤解をさせてしまったけれど、何も今話したのは現在のファントム達の事じゃなくて、過去の話でね?一々仮面が割れるたびに、ラルウァ達に無視されて野垂れ死にし続ける同種族を見て危機を覚えたというか、彼ら同士で問題意識を同じくしたらしく、そこで苦肉の策として編み出されたのが…」

とここまで話すと、ケリドウェンは言葉を一旦区切る代わりに、自分の顔に片手を持っていくと、まるで仮面を嵌めるかのような動作をして見せた。

それを見た瞬間、すぐに察した私が合いの手を入れた。

「…あー、それで一度割れた仮面を顔に戻すのね。…ラルウァ達から、異端視されないために」

「ふふ、その通り」

とケリドウェンはまた静かな表情に戻ると先を続けた。

「繰り返しになるけれど、彼らファントム達というのは、”外の世界”…って、僕らケリドウェンはたまに、全体の大多数を占めるラルウァ達が中心となって回る場所をそう言ったりするんだけれど…」

「”外の世界”…」

「うん。まぁ僕らの主観で言ってるから、だから逆にケリドウェン側、つまりはこの世界の”片隅”の事を”内の世界”って呼んだりするんだけれども、まぁ今はそれはさておいて、でもファントム達はその外の世界の中にしか生きていけないから、何とか正体がバレないように、異端視されて排斥されないように仮面をつけて生きていかなければならない…のは今話したばかりだね?

だから彼らは仮面が剥がれ始めても、ああして上手いこと、最初は僕自身が見たように、バカッと大きな塊で割れて取れるんだけれど、それ以降は徐々に徐々に小さな塊ずつ割れていくから、それを一つ残らず取っといてね?それを割れた方に貼り付けていくという地道な作業を自分たちの手で行って、完全に仮面が割れる日を待ち侘びながら、その継ぎ接ぎだらけで不格好ながらも努力の結晶である仮面を被ってラルウァの世界に戻っていくんだ」

「なるほど…」

本来なら、もっと自分の感想にあった相槌を打ちたかったのだが、なにぶん身に付けている語彙が少ないせいもあり、このような他の時と変わらぬ言葉で返してしまった。

ただ、なんとか声色だけでもと、自分なりに情感を込めて絞り出すように言うのを聞いたケリドウェンは、スッと両目を柔らかく細めて見せたかと思うと、今度は徐々に元の顔色に戻していきながら口を開いた。

「まぁ…ふふ、そんな彼らだからこそ、今もファントムはラルウァの中で生きていけるし、その為に僕らよりも行動範囲が広いのもあって、とても助かっているんだ」

と最後は和かに笑うのを見て、私の方でも段々と心内が軽くなっていく様な心地になりながら、私からも笑い返すのだった。


それからはまた少しの間微笑み合いつつも、今聞いた話を反芻していたのだが、ふとまた性懲りもなく、とある考えが浮かんでしまい、それがまた自画自賛する様で恐縮だが、中々”それなり”だと思えたあまりに、特に精査しないまま口走ってしまった。

「今話を聞いていてふと思ったけれど…」

と私はその思いついたままの言葉を口に出した。

「何だかあなたとファントム達の関係って…ふふ、まるで昔ながらの師弟関係みたいね?」

と少し幼気に戯けながら言った。


そう、まずケリドウェンと出会った事で仮面が一度大きく割れて、それから長い間付き合っていくうちに、徐々に小さくだが仮面がポロポロと割れ落ちていき、上手くいけば最後は仮面がすっかり消え失せて、ケリドウェンになれるという道のりを総合的には聞いたわけだが、これを聞いた時にすぐに連想したのは、昔ながらの伝統的な師弟関係そのものじゃないかという事だった。


「え?」

と初めのうちは呆気にとられた様な、それこそ鳩が豆鉄砲を食らったときの表情自体は実際に見た事が無いので分からないのだが、恐らくこの様なものなのだろうという顔つきを彼は見せていたが、徐々に今度は苦々しい…とまでは言わないが、「ん、んー…」とその苦し気な表情の中にも笑みを浮かべつつケリドウェンは唸って見せた。


…ふふ、普通の初対面の人が見たら、不味い事を言ってしまったのかと思ってしまいそうなものだが、そこは彼が私の知る”例のあの人”と瓜二つという表現では足りないくらいに似ているせいで、その態度がどちらかというと照れてる状況と言ったほうが近いのは重々承知していたので、この時の私はと言うと、生意気風を意識的にしながら、挑戦的な視線を流しつつ眺めていた。


「まぁ…」

とケリドウェンは頬を指先で掻いて見せながら、苦笑交じりに口を開いた。

「…外から見てみると、そうなの…うん、かもね?まぁ…ふふ、僕自身は、まだ弟子というか、後継者が出来ていないし…分からないんだけれどもね?」

「…ふふ」

と、敢えてまた”弟子”ではなく”後継者”と付け加えたところで思わず笑ってしまったのだが、私が『あ、まずい』と大袈裟に慌てて口を抑えるフリをして見せると、「いやぁ…」と声を漏らしつつ参り顔で笑う彼を見て、「あはは」と私がただ色んな意味を込めて明るく笑うと、その中身を知ってか知らずか、一度息を深く吐いた後で、ケリドウェンもクスッと小さく笑う事で加わるのだった。


それからは一旦会話は中断というか、また無言でスタスタと二人仲良く並びながら”主街道”よりも一段高い回廊の”側道”を歩いて行った。


…うん、便宜的に私たちが歩くのを”側道”、ラルウァ達が歩くところを”主街道”と勝手に名付けてみたのだが、ちょっと雑談風に触れると、面白い事に、私たちが歩く側道には、ラルウァの誰一人として歩く者がいないのだった。

ケリドウェンも言っていなかったし、これといったルールというか規則があるわけでも無さそうだったが、しかし現実として狭い側道を二人で並んで歩いているというのに、誰ともすれ違う事が無かった。

と同時に、これも彼が話してくれた様に、もし仮にこの側道がケリドウェン達だけが歩く箇所だとするならば、今の段階で一度もすれ違う事が無い点からしても、本当に数が少なく、そして滅多にケリドウェン同士がたまたま出会ったりするという出来事は珍しいのだと、これだけでも何となく納得しながら歩いていた。


そのある種の”確認作業”にも満足すると、今度はもう少し目に見えるそのままというか、景色を眺めながら歩く事にした。

最初の方でも触れた様に、そもそもバルティザンより奥の方には足を踏み入れた事が無かったというので、正直景色自体は、向かって右手には回廊の壁とその向こうに海が広がり、向かって左手にはすぐそこに島肌が迫ってきていて、見上げるとやはり真下に近い視点にいるせいか、目を凝らさなければ頂上にある教会を見る事は出来ない…という構図には変化が無かったので、それほど観察しがいのあるものでは無かった。


だが、それでも飽く事なく何となく見渡していると、不意にまたさっきの会話を思い出した私は、雑談のネタでもと隣に話しかける事にした。

「そういえばまだ聞いていなかったけれど、今はその…バルティザンでだけじゃなく今も話してくれた、ファントム達が集まっている場所に向かっているというので正しいのよね?」

「え?」と私の言葉の直後には、急に何を聞かれたのか分かっていない様な様子を見せていたケリドウェンだったが、ふと目を大きくしたかと思うと照れ臭そうに答えた。

「…あ、あぁーそっか、まだ言っていなかったんだね?…ふふ、そうだよ。いやぁ、言葉が足りなくていけないなぁ」

とケリドウェンは自嘲気味に笑いながら続ける。

「普段はほとんどの時間を一人で過ごしているせいか、なんでも自分の中で完結してしまうんだ。もう相手に話した気になってるとかね?」

「…ふふ」

と、どこかの誰かさんに似ている点をまた見つけて私は思わず笑ってしまっていたのだが、そんな私に照れ笑いを返すケリドウェンだったのに、突然予告もなく目を真ん丸に見開いたかと思うと、直後に足を止め、回廊の向こう、主街道を挟んで向こう側、もう一方の側道の一点へ視線を集中させ始めた。

「…?ケリド…ウェン ?」

彼と同じとまではいかなかっただろうが、何かに目を見開きつつ凝視する彼の変貌ぶりに、私も違う意味合いで目を見開きつつ声をかけると、「ちょっと行ってくるね…」とボソッと消え入りそうな声で言ったかと思えば、いきなりラルウァでごった返す回廊中央を突っ切って反対側へと向かって行ってしまった。

その後ろ姿を呆気にとられつつ、猪突猛進とはこの事かと、その周囲の見えていないマイペースさに呆れ笑いを一度漏らしてから、初めて主街道に足を踏み入れる事になるというので一瞬躊躇しつつも、


いつまでも立ち止まっていると、一応黒のローブ姿の中で唯一の濃紺色のローブなので、見失う心配はさほどない…いや、私の様に薄めの浅葱色くらいならすぐに見分けがつくだろうけれど、彼のは黒とも見間違い易いし、チンタラしていたら見失ってしまうかも知れないわね…


などなどと、グダグダ思考を巡らせていたのが偶々上手く作用してくれたのか、ちょうど良く躊躇いの感情も薄れた私が主街道に足を踏み入れると、右から左からラルウァ達が次から次へと、そこに私がいるというのに遠慮なく突っ込んで来た。

実は飛び込む直前に、これを機にというか、本当にラルウァ達が全員仮面を顔に貼り付けているのかと、どの個体もフードを目深に被っているせいで、チラッと見たくらいでは顔の部分が濃い影に覆われていて見えなかったので、この際どれか一人に駆け寄って下からでも顔を覗き込んでやろうかという考えが一瞬浮かんでいたのだが、しかしすぐにラルウァ達を避けるのに忙しく、そんな考えはすぐに消え失せてしまった。

格闘の末、何とか反対側の側道に辿り着いたが、既に彼が飛び込んでから一、二分は経っている計算だったので、もしかしたら見失ってしまったかも知れないという予感があり若干の心配はしていたのだが、しかし実際は私が抜け出た丁度すぐそこの壁の前で、片膝をついて何やら観察をしているケリドウェンの姿を見つけて、ホッと安堵したのだった。


「まったく…ケリドウェンー?急に私を置いてどっかに行こうとしないで…え?」

早速腰を落としている背中に向かって、愚痴っぽくツッコミを入れていた途中だったのだが、ふと、ケリドウェンが観察している対象をこの時初めて目にしたその時、思わずその調子を保つのを忘れて、ただただ意味を持たない声を漏らしてしまった。


ケリドウェンが膝をついていたので、丈の長いローブが地面に付き、そしてそのまま横に広がっていたのもあって、その対象が彼の全体の姿に隠れてしまった為に近くに寄るまで見えなかったのだが、その彼が静かに眺めていたのが何と…壁を背にもたれ掛かるラルウァの姿だった。

このラルウァは頭をガクッと垂れており、足は側道一杯に広げて伸ばし、腕もダランとそのまま垂らして、その先の両手は掌を共に上に上げて力なく地面に転がしていた。

私は今見たばかりだったが、目に入るありとあらゆる体の部位に力が内在されている様には到底思えず、ただの印象だがズバッと言ってこのラルウァ全体から一切精気を感じなかった。


…という事で、私の中での結論は早々に出てしまったので、恐る恐るだがケリドウェンの隣にゆっくりと、同じ様にローブ が地面に触れるのも気にせずに腰を下ろすと、自分は片膝を立てずにいたのだが、代わりに前に突き出た両膝にそれぞれ手を置くと、顔を正面に向けたまま、重たく感じる口を何とか開けてから言葉を発した。

「…死んでるの?」

と私がボソッと聞くと、

「うん…みたいだね」

と、思ったよりもすんなりと何気ない調子でケリドウェンは返した。

そう答えられた後、顔はラルウァに向けたままチラッと目だけを横に流して見たのだが、ただ静かな表情を浮かべているのみで、逆に言えば感情の起伏が見えないくらいに思えた。

と、何となくその横顔を眺めていたのだが、ケリドウェンはというと、おもぶるに両腕を前に伸ばしたかと思うと、間を置く事なく、躊躇なくサッとラルウァのフードを外したので、「あっ…」と思わず小さくだが声を上げてしまった。

と同時に、突然のケリドウェンの行動に驚きつつも、初めてこの時に、何で彼がラルウァの身に付けているローブの生地なり手触りに詳しいのか、その一端を知れたと暢気に思ったのだが、それと並行して、フードの下から出てきた頭を、悪いと思いつつもマジマジと観察した。

やはりそこには、ケリドウェンが話していた通りに、”外の世界”で暮らすために編み出された隠れ蓑である、バルティザンを訪れてきた二人のファントムの物とは勿論厳密には違っていても、パッと見では彼らのと同じにしか見えない、汚れ一つ見えない透明感のある真っ白な色合いの、一切の感情を排するのが第一の目標であるかの様な無感情が特徴的な、まさに”Larva(亡霊)”の名にふさわしい姿形の仮面が貼り付いているのが分かった。


そもそもこんな間近にラルウァを見た事が無かった上に、初めて見たのが死んでいるかも知れない個体だというので、また新たな事象が目の前に現れた為に、一気に嵐の様に様々な思考と感情が頭の中で入り乱れてしまい混乱を極めたあまりに、表向きはフードの下の仮面から目を離さずジッと眺める事しか出来なかった。

だが、私がそんな状態でいる間も、本人にとっては日常茶飯事だからなのだろう、こちらには目もくれずに集中してラルウァを観察していたケリドウェンは、不意に今度は両手をスッと仮面の左右側面に持っていき触れたかと思うと、そのまままた躊躇する事なく腕をゆっくりと曲げていきつつ身体の方へと引っ張っていったのを見て、「…あっ」と今回は驚きが強かった事もあって、若干声のトーンも高めに私が思わず声を上げてしまった次の瞬間には、『カポッ』という音と共に、何とラルウァの顔に貼り付いていた仮面が丸ごと綺麗に剥がれ取れてしまった。

「ケ、ケリド…ウェン…?」

と、目の前で彼が披露した行動に、顔を向けつつ何とか名前を呼ぶのが精一杯だったのだが、驚く理由にはもう一つあった。

というのも、前にファントムの話に関連して、彼はラルウァの仮面についても簡単に説明をしてくれたのだったが、その話によると基本的に顔から仮面が剥がれるなんて事は無いと聞かされていたので、それと矛盾する光景が眼前に起こった事でも驚きが増幅したのだが、しかしそれだけには終わらずに、極め付けは、その仮面の下に現れた姿にあった。


「あ、あの…って」

と私は何とか言葉をかけようとしていると、不意に視界の隅にラルウァの顔面が入ったのだが、一度はチラッと見ただけに終えるつもりが、その一瞬に見た光景が信じられず、我ながらキレイなお手本通りの二度見をしてしまった。

それから恐らく一秒も経っていなかっただろうが、その顔面を改めて眺めた直後に私は思わず「キャッ…」と小さくだが、我ながら女性らしい叫び声を上げてしまった。

そしてそのままのけぞって後ろに倒れて尻餅つく寸前までいったのだが、すんでのところで手を地面について何とか事なきを得た。

それから体勢を元に戻したが、やはり三度目に見ても、そこに広がる光景には一切変化が見られないままだった。


…さて、何故ここまで私が驚き慄いてしまったのかの説明が必要だろう。

自分で言うのもなんだが、現実世界にいる小学校入学以来の付き合いという”腐れ縁”が称するのを、シャクだがそのまま引用させて貰うと、感情をあまり表には出さないという意味で”冷たい”と、一応これは理屈っぽいという事も含めて自覚的なのだが、実際に記憶が正しければ現実でもこんな風に叫び声と呼んで良いような類の声を漏らしてしまったのには、当然それに値する理由が存在した。

というのも、端的に先に結論から言ってしまえば、仮面を外した下から現れたのが、真っ白にして一切起伏の無い平面だったからだ。

つまりはのっぺらぼうと言うのが一番近いだろう。本来ならそこにあるべきはずの、目なり鼻なりがどこにも見当たらなく、ただ半開きの口がチョコンとあるのみだった。

まぁ細かい話をすると、口がある時点で厳密な意味で言うと勿論違うのだが、それはともかく付け加えると、顔の両側面には一応耳らしき物も付いていた。


別に普段からこんな事を考えてみた事など無かったのだが、この時初めて、輪郭自体は私と変わりない造形をしているというのに、口以外の目や鼻が無いというだけで、ここまで不気味なものに変化するものなのかと初めて知り、何だか打ちのめされた感覚にも襲われていた。

そのあまりにもな”何もなさ”に、得体の知れない不気味さを覚えて、それと時を同じくして悪寒に似た寒気が、身体の内側から始まり徐々に中を侵食し、終いには皮膚表面にまで達した頃には、鳥肌がそこかしこに立っているかのような感覚を覚えたために、それまでこの世界にいて気温という意味での寒さは感じた事が無かったというのに、思わずケリドウェンに貰ったローブの前がはだけているのを、両手でそれぞれ掴み前方を隠すように閉じてしまったのだが、そんな風に狼狽しながらも、その空と虚に満ち満ちた顔から目を離せないのだった。


だが意識ではそうでも無いのに、心の深層の部分ではそんな中でも徐々に慣れてきたのだろう、時間が経つにつれて恐怖心よりも好奇心の割合が段々と高まっていき、終いには優勢になったその時、私は改めてケリドウェンに声をかける事にした。

「…ケリドウェン?」

「…ん?」

仮面を外してからというものの、それをいつだかの石片の様に両手で持ち、様々な角度から眺めるのに熱中していたケリドウェンだったが、私に話しかけられると、動きをパタっと止め、こちらに顔を向けてきたが、静か顔でありながらもその両目には、私が良く知る人と同じ様に、知的好奇心によって爛々と輝く光が宿っている様が見えた。


そんな様子だから普段とは若干違ってはいても、しかしさっきまであの様な行動をしてきた割には、やはり何事も無かったかの様な様子に見受けられたので、ここで一瞬躊躇ってしまいつつも、しかし乗り掛かった船だという事で、『エイヤッ』という心持ちで続けて聞く事にした。

「い、いや、その…あのー…さ?今手に持っている、それ…何だけれど…」

と、しかしやはり頭に浮かんだ通りの言葉は発する事が叶わず、結局は辿々しく言葉を紡ぎ出しながら、何とかケリドウェンの手元を指差して、何について質問したいのか、その意思表示をするので精一杯だった。

「…あ、あぁー」とケリドウェンは、私の指差す先に視線を落とすと、ほんの暫く考えたかと思えば次の瞬間には、この様に声を漏らしつつ、顔面には苦しげに照れ笑いを浮かべて見せた。

そしてそのまま「い、いやぁ…」と照れ度合いを強めつつ、今更だが彼の照れた時の癖なのだろう、指先で頬を掻きつつ口を開いた。

「…ふふ、すまないねぇ。さっき自分で言ったばかりだというのに、またしてもまるで自分一人でいるかの様に、周りを顧みずに普段通りに好き勝手に行動をしてしまったよ」


…やっぱり、”普段通り”なんだ


という単純な感想を覚えたが、しかしまぁ我ながらチョロいと言うか、彼が見慣れたいつもの姿を見せてくれた途端に、さっきまで身体を強張らせていた緊張感が、完全にとは言わないまでも自覚ある程に解けるのが分かった。

そんな風に私が勝手に落ち着きを取り戻しているのを、知る由もないであろうケリドウェンは、今度はまた徐々に顔全体に静かな笑みを充満させていくと、時折手元の仮面に顔を向けつつ、「これは師匠なり、僕の親しいファントム達が教えてくれた事だけれど…」と前口上を置いてから、ゆったりとした口調で話し始めた。

「彼らラルウァというのはね、生まれた直後では僕らと変わらずまだ仮面が顔に形成されていないらしくてね、目や鼻も普通についているようなんだ」

とケリドウェンは少しこちらに顔を向けると、自分の顔を上から下へ向けて撫でていきながら話していたが、また正面に戻ると先を続けた。

「そう、つまりは生まれた直後からしばらくは、僕らと彼らの間には違いは無いんだ」

「…」

本当は『そうなんだ…』と合いの手を入れたくなったが、何だかそれを挟むのすら憚られたあまりに、ただ無言で彼の横顔を眺めてから、私も正面の、平面としか言いようの無いラルウァの”素顔”に視線を戻した。

ケリドウェンは続ける。

「でも成長するにつれて、一遍にという事は無いようだけれど、徐々に顔に仮面の破片…とでも言って良いような物が顔に貼りついていって、最終的には顔全体にコレのような、無感情にして無表情な仮面が完成する事になるらしいんだ」

と彼が視線を手元に落としたので、私もそこにあるラルウァの仮面を眺めた。

「これは一度出来上がってしまうと、ファントムという特殊な例外を除けば、基本的には生きている間はずっと顔に貼り付いたままなんだけれど…うん、彼みたいに、死んだ時に初めて、その時になって初めてようやく仮面が外れるようになるんだ」

とケリドウェンは手元からまた正面に顔を戻すと、感慨深げにボソッと言い終えた。

「でもね…」

とケリドウェンは、またここで顔の色に静けさを取り戻させながら続けて言う。

「今見て分かるように、死後とはいえせっかく仮面が外れたというのに、生まれた時の姿の通りにはもう戻れなくて、目と鼻だけが綺麗さっぱりと消失したまま…なんだねぇ」

とシミジミ言ったが、ここで不意にこちらに顔を向けたかと思うと、

「…ふふ、それでも口と耳は残っているから救いといえば救いだけれど、これが何とも不思議なところだよねぇ…なんで目と鼻だけなのかなぁ…?」

と続けて、勿論テンションは低めなままだったが、しかしどこか好奇心旺盛な少年のような、そんな含みの笑みを浮かべつつ、私の答えは求めていなかっただろう、彼はまた顔をラルウァに戻していった。


「うん…」と私はそれでも一応と合いの手を挟んで置き、同じようにラルウァに顔を向けたのだが、この時ふと、前に見たファントム達の仮面の下の様子を思い出し、それと同時に一つの仮説というか思いついた事があったので、しんみりとした空気が場を支配している中、流石の私でも口が重かったが、しかし何とか力を振り絞って彼にぶつけて見た。

「…ファントムになれる条件って、つまりあなた達ケリドウェンと出会うことも大事なんだろうけれど、もう一つある理由としては…仮面の下の素顔に、まだしっかりと目、鼻が残っているのが条件なのかしら」

「…おー」

と、反応を返すのにコンマ数秒ほど掛かっていたが、私の言葉を受けたケリドウェンは、先ほど反対の側道からラルウァの亡骸を見つけた時ほどでは無いにしても、それなりに目を見開きつつこちらを見つめてきながら声を漏らした。

その両目の中にはやはり、好奇心を燃料にしてボウボウと燃える火が見えるかのようだった。

また少し表情に光を取り戻したケリドウェンは、口元も若干緩めつつ言った。

「…ふふ、良いかどうか、正しいかどうかは別にして、個人的に、僕と同じ推察に達してくれたようで嬉しいよ」

と、どっかの誰かさんみたいな回りクドイ言い回しで表現してきたケリドウェンは、ここ数分間では一番表情に明るさを取り戻しながら言った。

「何で大多数のラルウァ達が、仮面を顔に貼り付けた事によって、あのような状態になってしまうのかまでは、ちょっと推察すら僕には出来ていない現状だけれど、でもファントム達に絡めた仮説で言えば、多分目と鼻がしっかりとついていなかったら、まず仮面の外の世界について意識、もっと簡単に言ってしまえば関心が抱けないと思うんだよ。

つまり…うん、ファントムになる可能性のある個体というのは、他のラルウァ達よりも目と鼻がしっかりと残って、しかもキチンと機能しているというのが最低条件とも言えると思うね。じゃないと…ふふ、そもそも僕らの姿もロクに見えやしないんだし」

とケリドウェンが悪戯っぽく笑うのを見て、極度に生地の薄めなブルーのレースのカーテンが上から掛けられてる中にいるかのような気分でこれまで過ごしていたのだが、この小さなキッカケを持って、フワッとそのカーテンがどっかへ引いたように感じ、その瞬間私もクスッと小さく微笑みを零すことで応えた。


だが、こうして通常通りの調子に戻ったおかげか、またある程度時間が経ったのもあり冷静な目でこれまであった出来事を整理できたらしく、それと同時にふと、今まで聞いてきたケリドウェンの全体を通した話に、微妙な矛盾というか、そんな点があるのに気づいた。

小さい点だったが、何でちゃんの私としては放って置くわけにもいかず、今の空気が軽めな中なら構わないだろうと早速それについて質問を投げかけようとしたその時、ケリドウェンは何やらゴソゴソと何かを弄り始めた。


何をし始めたのだろうと、先ほど持った疑問を一旦脇に置いた私が見ようと身を前に乗り出すと、ケリドウェンは私のしゃがむ側とは反対に置いていたバスケットを自分の正面に持ってきて置いた。

そしてそのまま両開きの内の、一方の蓋の上に仮面を置き、もう一方の蓋は開けると、またガサゴソと中を弄り始めた。

またもやこうして何の説明もなく行動し始めた彼に対して、私は呆れ笑いを浮かべてしまったが、しかしその夢中になっている彼の横顔が何だか微笑ましく、じっと動きを眺めていると、ケリドウェンはバスケットの中から、真っ白な器と、透明な蓋つきの瓶を取り出した。

真っ白な器に関しては見覚えがあった。

ファントム達が持って来てくれた石片を、ケリドウェンの”魔法”…と私は勝手に名付けた…というか見たまんまの名前を付けたのだが、その魔法で砂に変えた時に、その受け皿に使っていた白磁のボウルがソレだった。

だがもう一つ目の、蓋つきの瓶に関しては言うまでもないが初見だった。現実世界だったら、ジャムか何かでも入れても良さそうな代物だったが、まぁ言ってしまえば何の変哲もない瓶だった。


「これは…?」

と私は当然の疑問として、早速瓶に視線を流しつつ声をかけたが、「んー…」と、一応本人は相槌のつもりなのだろうが、まるでなっていない音を漏らしつつ、白磁のボウルを自分の正面真ん中の位置あたりの地面にコトッと置くと、ケリドウェンは説明もなく今度は仮面を手に取り、それを両手に持ち替えると、ちょうどボウルの真上に持っていき、そのまま間を置く事なくスッと目を閉じ始めた。

私はこれ以上質問をするのを諦めて、ただ事の成り行きを眺めていたのだが、彼がそうして暫くすると、以前に聞き覚えのある『サラ…』という音が聞こえ始めたかと思うと、なんとケリドウェンの持つ仮面の地面に近いところから、石片の時と同じような砂状の物体がこぼれ始めるのが見え始めた。

その後は、初めのうちは勢いが無かったというのに、すぐに『サァー…』と途切れる事なく次々と砂状に変化していく仮面が、下に置かれたボウルの中に溜まっていくのが分かった。


石片の時に一度見ていたのだから、そんなに驚くほどでも無いだろうと思われる人もいるだろうが、あれは無機質な石片だったので、砂状に変化する事自体には驚いても薄気味悪さは感じなかったのだが、今回はやはり仮面…そう、いつからなのかは定かでは無いが、それも亡骸から取ったばかりの仮面からというのもあって、不気味としか言いようの無い感覚を味わってしまったと正直に言わざるを得ないのだった。


さて、石片の時と同じように仮面が完全に消失したのとと同時に、砂状の物体が零れるのも止むと、ケリドウェンはゆっくりと両目を開けた。

私はというと、横からジロジロと、出来上がった砂状の山を出来るだけ色んな方向から眺めていたのだが、パッと見では石片のと違いは無いと思われたが暫くして、それなりにハッキリとした違いがあるのに気付いた。

一つは、石片の時にも触れたように、あの時のはまるで珪砂のようだと思ったものだが、あれには他にも石片の中に入っていた不純物なのか、白以外にも黒だったり灰色だったりの細かい粒が紛れ込んでいたというのに、今目の前にあるソレは、仮面と同じ真っ白そのもので、石片の時のような違う色合いの粒などは一粒とて無く、また触っては無いので確信を持っては言えないが、その粒の大きさも比べ物にならないくらいに細かかった。

例えるなら…うん、私の第一印象で言えば、校庭などでラインを引く時に使う石灰のような代物だった。


今発見したその内容を早速、ボウルをバスケットに戻してから、またなにやら新しく何かを取り出そうとしている横顔に向かって話すと、「ふふ、その通りだねぇ」と端的に肯定してくれたケリドウェンは、バスケットの中から、これまた白磁らしい漏斗のようなものを取り出した。

それから彼はまず瓶の蓋を開けると、そこに漏斗を差し込み、準備が終わったと今度は”粉末状”の入ったボウルをその上に持ってくるところだった。

「それって…」

と、また私が声を掛けると、具体的には何も聞かれなかったのにも関わらず、察してくれたケリドウェンは手に持ったボウルを傾けて、早速中身を漏斗の中へ注ぎ入れながら答えてくれた。

「ふふ…そう、君はさっき石片の時の話をしてくれたけれど…うん、この仮面もね、僕らケリドウェンの油の材料に使うために、こうして砂状…うん、粉末状に変化させるんだ」

「へ、へぇ…」

大方予想通りの答えだったのだが、自分で思うよりもインパクトを強く受けたらしく、少し戸惑いつつ返した後は、『サァー…」という音と共に、瓶の中に入っていく”石灰状”の仮面が流れ込んでいくのをただ黙って見守っていた。


入れ終えると、「よし、完了」と口にしたケリドウェンが蓋を閉めた瓶をバスケットの中にしまい、そのまま荷物を整理し始めたので、若干の手持ち無沙汰を覚えた私は、目の前で行き倒れているラルウァの姿を眺めていた。

初めて目にした時には、あれ程に恐れ慄き直視するのも何だか憚られてしまっていたというのに、これが良いのか悪いのかはさておいて、今では何の気兼ねもなく心も騒ぐ事なく静かに眺める事が出来た。

そしてその、本来あるべきはずの所に何も無い部分に、想像の中で勝手に目や鼻を思い浮かべたりなどしていたのだが、そうしている内に、先ほどまでは然程に感じられなかった、憐憫に似た感情が胸に広がるのを覚え、それに占められる感覚を味わうのだった。

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