第3話 梅雨のアレコレ 下

「はい、これお土産ね」

と私が、紅茶の入った茶器を避けつつテーブルの上に紙袋ごと置くと、

「あっ、ありがとー」

と義一は呑気な調子の声を上げつつ受け取った。


今日は、先週絵里のマンションに行ってから丁度一週間後の、六月は第二土曜日。その放課後だ。

私は用事があると言って、学校終わりに裕美含む他の皆が遊ぶというので四ツ谷駅で別れてから、少し早足気味に地元に戻っていた。

お母さんが留守にしているのを確認してから普段着に着替えると、義一に借りていた本でパンパンのトートバッグを肩に提げて、それから机下にあらかじめ用意していた、今義一に手渡した紙袋を手に持つと、姿見で一旦何と無く前髪をサラッと触ってから部屋を出た。

自宅一階に限らないが、我が家は磨りガラスではあったのだが大きな窓が其処彼処にあったので、自然光が入ってきやすい構造となっていたのに、外の天気のせいなのか、屋内は薄暗くなっていた。

それを背にして靴を履くと家を出て、雨は降らずとも今にも降り出しそうな曇天をチラッと眺め、私の習性から少しウキウキとした心持ちでここまで来たのだった。


紙袋を受け取った義一は、すぐには中身を見ようとはせずに、色んな方向から紙袋を眺め回していたのだが、確認作業を止めると「早速だけど、見てもいい?」と聞いてきたので、「えぇ、勿論」と私は自然と笑みを零しつつ答えた。

そのまま私が出されたばかりの、湯気が立つ紅茶に舌鼓を打っている中、義一は中から一つの紙箱を取り出すと明るい声を上げた。

「あー、もみじ饅頭かぁ。名物だもんね」

と、先週のデジャビュな反応を貰ったが、実際に物自体も絵里達に出したのと同じ物だった。

「ふふ、義一さん甘いの好きでしょ?」

と私が和かに笑いつつ言うと、「ふふ、まぁねぇー」と義一も笑顔で答えた。

「じゃあ早速…」

と義一はおもむろに立ち上がると、「ちょっと出してくるから、待っててねぇー」と言い残し、スタスタと宝箱を出て行ってしまった。


…ふふ、義一が用意をしてくれてる間に、ふと今思ったので、その件について話しておこうと思う。

というのは、『義一の所でお菓子作りは今もしてるのか?』というものだ。

お忘れかも知れないが、そもそも私が師匠からお菓子作りを習おうと思った動機というのは、いつも義一が今の様に紅茶を出してくれるというので、これは口にはしなかったが、私からも何かしたいと思った矢先に、思いついたのがお菓子作りだったという経緯だった。

まぁ、結論から言えば…ふふ、話には出してこなかっただけで、しっかりと…と言うほど頻繁にでは無いにせよ、それなりに作ってきていた。

義一のこの家、もっと言えば今いる宝箱には月に二、三度のペースで今も訪れている。

コンクールに係り合う…って言うと語弊がありそうだが、まぁ忙しくしていたのもあって、準備を含む半年の間は中々ここに来れて無かったのだが、しかし漸く終わると普段のペースに戻る事が出来ていた…のは今までの話を聞いた通りだ。

だが、私の件がようやく終わると、今度は義一が大きな…と言って良いだろう、大きな変化として重い腰を上げて、オーソドックス以外の言論の世界に本格的に飛び出し始めて、一気に見るからに忙しくしていた…のも今まで聞いての通りなのだが、しかしそれでも、恐らく義一の方で無理してくれてるのだろう、繰り返しになるが月に二、三度ここ宝箱で会って、喋りし、議論をするという、私にとっての至福の時間を保ち、設けてくれてるのだった。


「お待たせー」

とそんな仄かな感謝の念を私が胸に抱いているとは露知らないであろう義一が、和かに笑いながら、茶器と同じ綺麗にして上品な柄のお皿にもみじ饅頭を乗せて戻ってきた。

「待ちくたびれたよぉ」

と私がわざと大きく溜息を吐きつつ返すと、それにはただニコッと目を細めるのみで、お皿をテーブルに置いて自分も席に着くと、

「じゃあ、いただきまーす」

と言うので、「召し上がれ」と私も大袈裟に胸を張って見せつつ応え、それから二人がほぼ同時に一口食べるのだった。


「…あれ?そういえば」

と私がもみじ饅頭を一口食べ終えた時、ふとある事に気がついて声を漏らした。

「ん?どうかした?」

とすぐに義一が聞き返してきたのだが、それにはすぐには答えずに、チラッと、テーブルの隅に置かれた紙袋に目を向けつつ言った。

「入ってたのコレだけ?他に無かった?」

「え?えぇっと…」

と義一は私に言われた途端、紙袋をまた一旦手にすると、それを腿の上に立てて、中を覗き始めた。

「ちょっと待ってねぇ…って、あっ」

と義一は何やら見つけたらしく、そう一人口にすると、それを手に持ち取り出した。

空いてる手で紙袋を元の位置に戻しつつ、顔は手に持ったソレに目を向けたままボソッと口にした。

「これって…お守り?」

と言い終えた後でこちらに顔を向けてきたので、「そうっ」と私は気持ち前のめりになりながら、表情を緩めつつ返した。

それはビニールケースに入れられた、縦が五センチ、幅が三センチほどのサイズの、純白のお守りだった。

確かに裸同然とも言えたのもあり、

「ふふ、まぁすぐに気付かなくても仕方ないわよね」

と私がニヤケながら続けて返す中、

「お守りかぁ…って、あっ」

と、それまで裏面しか見ていなかった義一が声を漏らした。

そしてその直後には、またこちらに顔を向けたのだが、その顔には笑みが浮かんでいた。

「あー、これって…御神衣かぁ」

と、お守りの表面をこちらに向けつつそう言った。

その表面には、今義一が言った通りに、純白地に少し濃いめの白で模様が描かれていたのだが、その中心線上に朱色で『御神衣守』と書かれていた。

「あはは、やっぱり義一さん知ってたんだねぇ」

と私も笑みを浮かべつつ返した。


御神衣守。毎年元旦に、『神衣献上式』と称する、神様が着る服、御衣裳を毎年、心を込めて新しく縫い上げて新たに献上するという、厳島神社の数ある祭礼の中でも特に重要な位置付けの儀式があるとの事だ。

この神様の服である御衣裳を『御神衣』と称するそうで、毎年、年初に前年のをご神前から引き下げて、新たに縫い上げた御衣裳を献上するらしい。

その引き下げられた前年の御神衣は前年1年間分の御神徳を帯びているというので、この御神衣をお守りとして参拝者の方々へお分かちすることで、より多くの方のご多幸を祈念し、身体安全、健康長寿、病気平癒から守護するもの…とされてるそうだ。


…などなどという話を、義一と二人で確認の為も含めて交わした後で、ここにきて少し照れ臭くなりながらも私は口を開いた。

「まぁ…ね、ほら、それで…さ?義一さんって、今っていうか今年に入ってからずっと忙しく…してるでしょ?でさ…ふふ」

と私はここで悪戯っぽく笑いながら続ける。

「義一さん、あなたってあまりにも多趣味過ぎてさ、何をお土産に買って行こうかって、これほどに迷った相手はいなかったんだけれど…」

「えぇー?」

と義一は思いっきり苦笑いをして見せつつボヤキ声を漏らしたが、すぐに和かな義一調の笑顔に戻ると、「ふふ、ごめんね」と謝ってきた。

「ホントよー」と私も乗っかって澄まし顔で返したのだが、それも長くは続かず、すぐにクスッと笑みを零すとそのまま続きを話した。

「でもまぁ、一番困ったのは困ったんだけれど…ふふ、でもあなたへのお土産選びが一番楽しんだのは認めるわ。あ、でね」

と、自分で話していて途端に”恥ずく”なった私は、慌てて先を続けた。

「だからさ、まぁ…そのー…」

と、それでもこれから話そうと思っていた内容が、これがこれでまた恥ずい内容だっただけに辿々しくなってしまったのだが、しかし乗り掛かった船、半ば開き直りながら言った。

「ほ、ほら、義一さんってさ?んー…ふふ、昔に私に話してくれた様に、”ひま”でいるのを大事にしてきたじゃない?」

「え?…あっ、あぁ…ふふ、うん」

と義一もすぐに、私が小学五年生の時の夏休み、日中における一番暑い時間帯じゃないかと思える夕方の土手で、交わした会話の内容を思い出したと見えて、微笑みを浮かべつつ返した。

それに満足したと同時に勇気…というと大袈裟だが、肩の荷が軽くなった心持ちを覚えつつ先を続けた。

「ふふふ、でしょ?だからね?だから…その…うん、そんなあなただっていうのに、これだけ慣れない忙しい毎日を過ごしていたら、その内その…ふふ、どうせ無理が出てくるんだからさ?その時になっても、私なんかは…その…うん、何かしたくても何も出来やしないと思うから、せめてこうしてね、神頼み、願掛けでもしようと思って、それでそれを買ってきたってわけ!」

…ふふ、まぁ聞いての通りというか、見ての通りというか、結局は最後まで冷静さ(?)を保てずに、最後は開き直りの最終形態である勢い任せのぶっきら棒な物言いで終わってしまった。

言い終えてからも、私は顔を正面には向ける事が出来ずに、斜め右方向に向けたのだが、その先にあった、これも以前に触れたと思うが今この宝箱にある義一の書斎机の後ろには、一般的なホワイトボードに目が止まった。

そこには、以前とはまた違う類いの字なり図なりがビッシリと書き込まれており、


…また何か、新たなことをしようとしているのね…


と、絵里じゃないが途端に心配になった反面、今度はどんな面白い話をしたり、それを形にして表に出してくれるのだろうと、ついさっきまで恥ずかしがっていたのを忘れて眺めるのだった。

しかしそれも実際にはほんの数秒間だっただろう、クスッと笑みが漏れた音がしたので、すっかり落ち着いた私が顔を戻すと、そこには、顔中に柔和な笑みを広げる義一の表情があった。

「いやぁ…うん」

と、義一は例の、長髪の上から頭をボリボリと掻く癖をして見せながらボソッと言った後で、手を頭から離すと、もう片方の手で持っていたお守りを顔の前でプラプラと揺らして見せながら「琴音ちゃん、ありがとう」と素直な調子でお礼を言ってくれた。

それを聞いた瞬間、私はまたすぐにさっきまでの照れが再発してしまったが、しかし今度はそれを無理に押し留めようとはせずに、「うん」と、自分でも分かる様な照れ笑いを浮かべつつ返すのだった。



それから少しばかり義一と二人で笑い合うと、その後で先ほどと同じ様に、やはりお守りの意味を知っていたというので、前回の絵里のマンションでの私みたいに、今回は義一が率先して話す形で会話が盛り上がった。


それから必然的に、絵里達ともした同じ形式で、私が修学旅行のお土産話を写真を交えながら聞かせつつ、義一がそれに関して感想なり質問を投げかけてくれたので、それに対してまた返すという風に楽しんでたのだが、言うまでもなく先週の事が頭の隅に思い返されて、それと同時に、ふと頭には絵里が話していた一場面を思い出していた。



あれはそう、最初も最初、絵里から師範試験の話を聞く前の段階、私が写真をSNSに乗せてから修学旅行話をしていた時の事だ。

最終日、厳島神社内にあった舞楽の舞台と、その後で能の舞台を見ていた時の事、散々パラそれぞれ四人が各様に感想を言い合っていると、ふと絵里が溜息を吐きつつ口を開いた。

「ふふ、琴音ちゃん、この写真とかもギーさんに見せたりするんでしょ?」

「えぇ、まぁね」

と、大抵この手の話が出た時の態度は決まっていた私は、少し自慢げに返した。

すると絵里は、やれやれと言いたげな表情を浮かべていたが、しかしよく見ると微笑に見える様な穏やかな表情で言うのだった。

「まぁ…ふふ、こんな写真とかも、アヤツは喜ぶだろうねぇー。聞いたことはないけど、本人から厳島神社に行ったみたいな話は聞いた事ないし。…ん?あ、いや、どうだったかな…?ギーさんは昔から、一人で遠くだろうと何だろうと国内外問わず足を伸ばして徘徊していたからなぁ…」

と、途中から記憶を辿り出した絵里が、まるで独り言の様にボソボソと、考えてる様な様子で話すをの聞いて、その言い方にも釣られた私含む他の四人で明るく笑った。

「ふふ…あ」

と、まだ場の笑みが引かない時に、ふとある考えが浮かんだ私は、狙ったわけでもなく、ただ自然とニヤケつつ絵里に声をかけた。 

「そういえばさぁ、絵里さん…。絵里さんって、義一さんと一緒に旅行とかしなかった?」

「あ、それ気になるー」

と、大方予想通りだったが、瞬発力早く乗っかってきたのは有希だった。

それからはまぁ”いつもの”というもので、美保子と、やはり口数は少なめだったが、百合子も意地悪げな笑みを浮かべつつ後に続いた。

絵里はというと、「い、いやいやいやいや!な、なーんで私とアヤツが一緒に”二人で”旅行に行かなきゃいけないのよぉ」と、見るからにというか、もう見たそのままに慌てふためきつつ、こちらに顔は向けたままだったが、しかし視線は四方八方と慌ただしく動かしていた。

そんな絵里の”カワイイ”様子をもっと暫く見ていたかった気持ちがあったのだが、しかしそうもいかないかと、私はニヤケ顔を保ったまま追撃を試みた。

「えー?っていうかさ…ふふ、何も”二人で”とは言ってないと思うんだけれど?」

と、まぁ私の言い方なら、普通は二人旅と捉えるのが当然だというのを自分で知りつつ、敢えて揚げ足取りをしてみたのだが、これにも他の四人が乗っかってきたので、冷静な判断が出来なかったのだろう、絵里は揚げ足取りには突っ込まずに、「い、いやぁ…」と演技では無く本気で参った様子で苦笑いを浮かべていた。

今述べた通り、突っ込まれると思ってた所で来なかったのを良い事に、これは良いと私は表情を保ったまま、すかさず質問をぶつける事にした。


「いやー…ふふ、絵里さんがどんな風に捉えたのか知らないけれど、友達だったら二人旅くらい別に変じゃないし、普通でしょ?」

「え、あ、まぁ…」と押され気味なのが残っていたせいか、納得しかけた絵里だったが、ふと漸くここに来て突っ込みどころを発見したのか、顔に生気を取り戻し始めて…って、これこそ私からしても大袈裟だと思うが、絵里の方でも苦笑いの中にニヤケを忍ばせながら返してきた。

「んー…って、あ、いやいやいやいや!琴音ちゃん、…もーう、アヤツはああ見えても男なんだからね?それと女である私と二人旅とか、普通の友達同士だって言ったって、あまり無いでs…あ、いや…まぁ…無くは…無い事も無いというか何というか…」

と、途中までは、この話題が出た中では一番にハキハキと話していたというのに、やはり最終的にはさっきと同じ風に…いや、さっきよりも格段に声の音量を落としつつ、ボソボソボソボソと一人漏らしていた。

…だが、その前回と全く違った点もあった。それは…ふふ、私たち四人と顔を合わせない唯一の方向に顔を逸らしつつだった事だ。

私の位置からは頭の後ろ側面しか見えなかったのだが、市松人形ヘアーに殆ど隠されている中で、チラッと見えた耳たぶが、ほんのりと赤く染まっているのが見えたのが印象的だった。

私はそれを見て、またもや一回り以上年上の女性に対しては生意気にも”カワイイ”と素直な感想を覚えていたのだが、それはどうやら他の皆もそうだった様で、顔を見合わせると、誰からともなく微笑み合うのだった。

そんな私たちの態度がどんななのかは、もう分かり切っている絵里が苦い笑顔を浮かべつつ顔を戻してきたのを合図に、早速引っかかった単語に噛み付いてみる事にした。

「えー?っていうかさ、絵里さん…絵里さんって、やっぱり何だかんだ言って…ふふ、義一さんの事を男だと認識してるんだねぇー?」

「あ、いやぁ…うーん…」

と、正直この手の質問は何度か過去にもしてきたので、そろそろ慣れても良い頃だと思うのだが、聞いた直後の絵里はこうして言葉を詰まらせて、照れた時の癖である首筋を撫でていた。

が、それでも、「そ、そりゃあだって、実際にギーさんは、そのー…男、じゃない?」と、極々当たり前の返しを、やっとといった風に返してきたのだが、それはそれとして良しとした私が、もう一つ気になった所にいこうとしたその時、横から…というと悪いが、私に代わって別の人が質問をし出した。


「…ってかさぁー?」

と、ここでも同じく有希が、テーブルに肘を付きつつ、手で顔を支えながらも、その顔には思いっきり挑戦的なニヤケ笑顔を浮かべつつ聞いた。

「さっき、ゴニョゴニョゴニョゴニョ言っていたけどさぁ…っぷ、もしかして絵里、その色男と実は二人で旅行に行った事があるんじゃないのぉー?」

「ッブ」

と、幸いにも飲み終えた後だから良かったものの、カップをテーブルに置いたその時に、有希からの言葉を聞いた次の瞬間、絵里はこの通り一人吹き出した。

「そう聞こえますよねぇー?」

と、そんな反応をして口元を押さえる絵里を尻目に私が合いの手を入れると、「でしょー?」と、有希も、私とは違って少し心配げな表情が滲んでいたが、しかしやはりニヤケ顔は保ったまま返してきた。

それからは、美保子から百合子からと続け様に意気投合していく中、ようやく落ち着いた…いや、落ち着いては無いかな?ふふ、絵里が必死に「行ってませんってばぁ」と反論をしていたのだったが、しかし誰もそれを鵜呑みにはせずに、しかしアレコレと突っ込むよりも逆に引いたほうが良いと、こんな所でも意気投合していたらしい私たちは、「へぇー、そーなんだー」

と声に一切の抑揚を付けずに、しかし心内がしっかりと絵里に伝わる様にニヤニヤしながら返すのだった。


途中からは絵里と有希の非生産的なやり取りが続く事となったのだが、それに対して誰も話を遮る事もなく、二人の様子をニコニコと眺めていた私たちだったが、ここでおそらく私だけだろう、この光景を見ながら


そういえば、義一さんの口から、”友達”という枠組みの中で誰それがいるみたいな話を聞いた事が無かったなぁ…。まぁ絵里さんは勿論として、私が知る限りでは…武史さんなんかは歳近いけれど…友達って軽い感じでは無い…か。仲間というか戦友というか、そんな感じだし…。…やっぱり義一さんって友達いない…のかなぁ?


という、私と義一との仲だからこそ、ギリギリ失礼じゃ無い程度の感想を覚えるのだった。

…ふふ、またもや長々と脱線してしまったが、この内容からしてもその理由を察して頂けたと信じて、また宝箱での義一との会話に戻ろう。


絵里のところでした様なお土産話が終わると、そのまま流れで、師範試験とそれに関連して、絵里の日舞遍歴についても続けて話した。

私が話し終えると、義一はニコッとはんなりに笑いながら口を開いた。

「ふふ、しっかしそっかぁ…。絵里…とうとう琴音ちゃんに洗いざらい話しちゃったんだねぇ」

と最後に悪戯っぽく笑うので、私もつられて思わず笑みを零しながら返した。

「ふふ、驚いちゃったよ師範試験を受けてたなんてさ。でもまぁ…うん、その分というか、絵里さんから日舞について色々と詳しく聞けて凄く楽しかったんだけれどね」

「あはは、君ならそんな感想を持ったと思ったよ」

と義一は表情を綻ばせたまま一口紅茶を啜った。

「君たちが会った後だと思うけれど、美保子さんと百合子さんからメールを貰ったんだ」

と義一。

「今日は私たちの集まりの中で、琴音ちゃんからお土産を貰って、後は…ふふ、そう、絵里の師範試験の話と、合格したって話が書いてあったよ」

「あ、そうなんだ。…って」

と私は、我ながらわざとらしく思える程にハッとして見せると、今思い出したかの様に続けて言った。

「さっきも聞いたけれど、絵里さんが言ってた通り、義一さんは既に、そのー…知ってたんだね?」

と、自分で振っときながら、何て聞けば良いのか分からなくなってしまった結果、この様に単純に落ち着いた。

「んー…まぁ、ね」

と、これまた予想していたのとは違い、何だか苦笑いを浮かべて返した義一だったが、どっかの誰かさんの真似か、ハッとした表情をすると、「あ、絵里と言えば…」と声のトーンも気持ち上がり調子で言った。

「僕が頼んでいた図書館の本をわざわざ持ってきてもらった事が今週にあってね、それで少しばかり世間話をしていったんだけれど、その中で、『琴音ちゃんがどうしても貴方を誘って欲しいっていうから誘うんだからね』って念を押されながらも…ふふ、誘われたよ、その…お披露目会にね」

と話す義一は満面の笑顔だった。

何だかいつの間にか、話を逸らされたような、しかしそれほど逸れてもいない様な、何だか聞き手であるこちらにそんな不思議な感覚を覚えさせる義一の話だったが、何だか有耶無耶にされそうに感じた私は、ここで重要というか、私たち二人で重要な質問を投げかける事にした。

「義一さんは、そ、そのー…じゃあ、絵里さんのお披露目会に…行く予定なんだね?」

「…」

と義一は、顔全体で見れば緩やかではあったが、しかし大きな目の奥には何だか鈍い光が宿ってる様に見えた。

こちらの質問の意図を汲み取ろうとする時によく見せていた光だった。

と、暫く…といっても五秒足らずだろうが、義一はフッと力を抜いたと同時に仄かに笑みを零しつつ答えた。

「…うん、まぁ…君のお母さんの件もあるし、それは絵里も言ってたから、それに関してはどうしようかなぁ…って思ったんだけれどね」

と話だして徐々にどこか照れ臭そうにしていた義一は、ここまで言うと、また話始めの笑顔に表情を戻して続けて言った。

「まぁ…ふふ、何せ絵里の晴れ舞台だしねぇ…うん、勿論色々と気を付けなくてはいけないと思うんだけれど…観に行きたいとは思ってるんだよ。…僕の、本当に僕個人の我が儘でしか無いんだけれど…さ」

「…」

と、そんな風にシミジミと、照れ笑いなのか苦笑いなのか、判別が出来ないような、そんな笑顔を見せつつ、内容が内容なだけに、然も言いにくそうに話す義一の言葉を黙って聞いて、それは話終わってからも少しの間続いていていたのだが、私はただ、そんな義一の溢れんばかりの気の使いように感謝の念を覚えたのと同時に、初めて…うん、この時初めて、義一の絵里に対する、何て形象すれば良いのだろうか…まぁ広義の意味で”想い”のような物が垣間見れたような気がして、それによるある種の満足感を覚えていた。


恐らくというか、間違いなくそんな気で話していた訳では無かったのは重々承知しつつも、この時はお母さんの件に関しては軽く頭の隅に追いやられてしまい、ただ義一と絵里二人に関する事が最優先事項となってしまっていた私の頭から出てきた表現がこうだった。

「…ふふ」

と私は一度笑みを口から溢すと、「まぁ…良いんじゃない?」と軽い口調で、しかし自分でも分かるほどに意味深な企み笑顔を浮かべつつ返した。

私の言葉を聞いたその瞬間、義一は目を何割か見開いたかのように見えたのだが、すぐにまた元に戻すと、

「あ、あぁ…ふふ、そう思うかい?」

と苦笑交じりに返してきた。

「えぇ」

と私は笑顔を変えずにすぐ様返すと、「そっかぁ…」と小さく、誰に言うでもない調子でボソッと独言た後、急に顔一面にニヤケ顔を浮かべて続けて言った。

「まぁ勿論、最近やけに僕に似合わず忙しくなっちゃってるから、予定が合わない場合もあり得るんだけれどねぇ」

と義一は、純白の御神衣守を手に取ると、先ほどの様に顔の前でプラプラさせながら付け加えた。

それを聞いた私は、特に何も返す言葉が見つからなかったのもあり、ただ「ふふ」と微笑み返すのだった。



「義一さんは絵里さんが試験を受けた時、相談されたんだってー?」

と、和やかな雰囲気の中、ついさっきの欲が沸き起こった私は、少し悪戯っぽく笑いながら聞いた。

なんせ…ふふ、私も義一に負けず劣らずの、この手については門外漢にも程があるのは自覚していても、流石に絵里の気持ちは分かり易すぎるので、それは良いのだが、肝腎要の義一の気持ちが、幾つになっても、ここ宝箱が主な現場だが、何度も二人が会話している様子をすぐ側で見てきたにも関わらず、一切察する事が出来ずにいたのもあり、少しカマをかける気持ちもあった。

手始めの取っ掛かりとして、軽めのジャブのつもりで振ってみたのだが、聞いた次の瞬間、あまり普段は見せない程に義一は目を見開いた。

そんな反応が返ってくるとは思ってもみなかった私が、その理由を含めて続け様に声を掛けようとしたその時、

「まぁ…ねぇ」

と時間差で義一が、顔を少し斜めに逸らしながら呟いた。その義一の様子が、心からシミジミと言うので、何でちゃんである私ですら、『義一さんはいつ頃に絵里さんが日舞の、当時は名取だったけど、その事実を知ったの?』と本当は訊こうと思ったが、聞けなかった

何だか質問をするのを躊躇われた空気が出ていて、結局できなかったのだ。

だがまぁ、義一とはこれからも何度も話せるのだし、過去にもそう思って先延ばしにした事を、今までも思い出しては質問をぶつけて来たので、今回は後にも色々と用意していた質問なり用件が控えていたのもあり、これでよしとした。



その代わりというか、ふと幾つか持ってきていた中に、先週にこれまた関連して、義一にぜひ見せたかったものの一つを思い出したので、私は「あ、そうだ」とわざとらしく声を上げてから、おもむろに足元に置いていたトートバッグの中から一冊の雑誌を手に取った。

「何だい?」と義一が紅茶カップを口に近づけつつ聞いてきたので、「これはねぇ…」と私はニヤッとしつつ引っ張り上げた。

そして、テーブルの空いてるスペースに勿体付けながら表紙を表にして置いたのを見た義一は、「…あ」とすぐに声を漏らした。

私が持ってきたのは、今言った通り雑誌、もっと具体的に言えば所謂、某有名ビジネス雑誌だったのだが、その表紙にデカデカと載っていたのは、何と義一だった。胸から上部の写真だ。

背景が薄暗いところで、普段は滅多に見れないスーツ姿の義一が、写っていないところに肘つけるところがあるのか、顎に手を当てて意味ありげな微笑を湛えていた。

普段と違って髪の毛もビシッと纏められており、今目の前みたいに漏れた髪がピョンピョン跳ねていなかった。

「いやぁ…」

と、自分が載っている写真が表紙の雑誌を眺めつつ、下向いてるので実際には見えなかったが、その感じから思いっきり苦笑いを浮かべているのが伺えた私は、そんな様子を眺めつつ、嫌味とばかりにクスッと笑っていた。

「ふふ、驚いた?」

と私が笑み交じりに声をかけると、「あ、う、うん…」とここでようやく義一は顔を上げた。

予想通り、想像通りの苦笑い顔だ。

「驚いたよー」

と義一は今度は照れ笑いに変えつつ、何気なくスッと雑誌をテーブルの隅に除けるのを、私は目敏く見逃さなかった。

「ふふ」

と私は先程来している微笑を浮かべつつ、出した雑誌を私の手元に引き寄せた。

そのように動かされる雑誌を目で追いながら、義一は頭を掻きつつ口を開いた。

「いやぁ…バレちゃったかぁ」

と、今日何度目かの同じセリフを吐く義一。

「こんな雑誌の表紙なんて、恥ずかしいから誰にも言わないようにしてたんだけれど…ふふ、特に君にはね」

「ふ、ふ、ふ」

と、私は悪戯っぽく笑いつつ、雑誌を手に取ると、口元を隠す辺りまで顔の前に持っていき、その表紙を見せつけつつ、普段はした事のない笑い方を敢えてしてみた。

そんな私の”演技”によって漸く落ち着いたのか、義一が普段に近いはんなり笑顔を見せ始めたのを見て、私は雑誌を自分に近いテーブルの空きスペースに置きつつ言った。

「まぁ…ふふ、私も実は自分では見つけれなかったんだけれどねぇー」

と私。

「何せ、私は少しでも時間が空いてれば、取り敢えずその時近くの本屋に入るっていうのが習慣化してる訳だけれど、それでもまずこんな…所謂ビジネスゾーンには行かないもの」

と私は途中から、表紙の義一の顔を指で何度かトントンと叩きながら話すと、「あ、そうだよねぇ」と義一は、私の指先に視線を流しつつ合いの手を入れた。

と、そんな様子の義一を見た瞬間、ふと悪戯心が沸き起こった私は、ニヤニヤしながら言った。

「…っていうか、義一さん…水臭いなぁー。何でこんな写真を撮らせていたのを教えてくれなかったのよー?」

と私は、また同じように”雑誌の義一”の顔を指で叩いていたのだが、義一は今回は私の視線から目を逸らして、斜め上に流しつつ、「あ、い、いやぁ…」と、苦笑いを浮かべながら口をもたつかせつつ答えた。

「んー…ふふ、いや、だからそれは、さっき言った通りだよ。ただ恥ずかしくて…って、いや、それより」

と義一は、不意に雑誌を手に取りと、パラパラとめくり始めた。

そして、ページの端が折られた所で止めると、その部分をこちらに向けてきた。


そのページの右端には見出しが入っており、そこには義一の名前と、それに加えて義一の処女作の名前、そして相変わらず話題が沸騰したままの”自由貿易協定”の字も踊っていた。その左側には、びっしりと小さな文字で文章がズラズラ書かれていた。

「ほら、この雑誌の肝は、この記事なんだから」

と義一が少し息巻いて話すものだから、私は今度は微笑を浮かべて見ていたのだが、その時、ふと義一がその見開きに目を向けたその瞬間、口を一旦止めたかと思うと、折られたページの隅に指を差した。

「…って、あ、それに…ふふ、君だって、こうしてドッグイヤーしてるじゃないか?」

と、お返しとばかりにニヤケつつ返してきたので、本心でもそうだったが、しかし表面的にも大袈裟に参った笑顔を作りつつ、「んー…ふふ、まぁね」と返した。


そう、私の癖の一つ、本を読むにあたり、とても重要だと思われた所、面白かった所、感銘を受けた所などなど、その文が書かれてる辺りに向かって、ページの端を折るという、今義一が言った”ドッグイヤー”を、この雑誌でもしていた。

そう、この癖は雑誌も例外ではなく、毎号貰っている雑誌オーソドックスにも折り目が沢山付けていた。

…っと、ついでだし、タイミング的にも良いと思うので補足すると、この癖は以前にも話した通りなのだが、由来は話した事が無かったと思うので言うと、これもまぁ一々触れずとも分かられてしまってそうだが…そう、これも義一の癖を受け継いだ形だった。

義一から今までに何百冊と本を借りては読んできている訳だが、そのどれもが私の持ってる本達のようにドッグイヤーがビッシリとなされていた。

小学五年生から借り始めた私は、当然初めて見た時に、ただ単純に、年代こそばらけていたが中には高級そうな装丁の本にまで折り目がついていたのに、子供心に驚いたので理由を聞くと、これまで私が話してきた通りの答えが返ってきたのだった。

それを聞いて、すぐに納得した私は、義一から借りた、またついでに付け加えれば、師匠から借りた本には当然しなかったが、自分の本に対しては小学時代から続けて今に至る。


「でしょ?」

と義一は一瞬満足げに少し胸を張りつつ言ったが、すぐにまた苦笑交じりの照れ笑いを浮かべつつ続けて言った。

「だからさ、その…うん、読んでくれたみたいだから分かってくれると思うけれど、今までの取材と同じように、ただインタビュアーの質問に答えただけのはずだったんだけれど…」

とここで急に歯切れが悪くなったので、以前に軽く触れたように、義一が例の地上波、それも全国ネットのゴールデンタイムに姿を晒してからと言うものの、今は控えてるらしいが、ごく稀に関西のテレビに片手で数えるほどの回数を出演したり、それ以外では堅いのから柔らかいのまで様々な雑誌から取材を受けていたのは知っていたので、『今までの取材と同じ〜』の部分はスルーして、

「…それで?」

と、また意地悪げな笑みをトッピングしつつ相槌を打った。


因みに…って、すぐに後から付け加えるのが私の悪い癖だが、それを自覚した上で言うと、義一のインタビュー記事などは、出始めの頃は読んでいたのだが、今はもうすっかり読まなくなっていた。オーソドックスのみだ。

というのも、義一への取材記事というのは、それこそ今回の自由貿易協定についてに終始していて、それなら既に、詳しく本の中で書いてあるので、んー…冷たい物言いに聞こえるかもだが、それほど読むに値しないと思ったのだ。

慌てて付け加えると、何も義一の発言が読むに値しないって事ではなく、質問するインタビュアーが、どの雑誌も一辺倒で内容が同じだったのだ。

まぁ…これは推測だが、取材に託けて、記者の方としては、これを機に色々と義一自体について炙り出そうとしたのかも知れないが、しかし義一はこの通りの人物なので、けんもほろろ…とまで無愛想では無かっただろうが、しかしまぁ上手く流されてしまった結果、こんな味気ない記事ばかりとなってしまったのだろう…と私は推測していた。

そんな私だというのを当然知っていた義一だからこそ、私が雑誌を持っているのに驚いたのだった。


「…だけどね」

と義一は大仰に肩を落としつつ、ため息交じりに続ける。

「この時は取材前にね、スーツを着て来て下さいみたいなことを言われてさ、何だろうっと思ったけれど、まぁこれまでの雑誌取材でも、写真を撮られて、それが一部載ったりした事あったから、毎度の事だったし、抵抗はありつつまぁ良いかって思ったんだけれど…」

とここで一旦区切ると、ますます苦笑いを強めつつ続けた。

「その後でスタジオに連れて行かれてねぇ…まぁ何やかんやで撮影されて、こうなったんだよ」

と、私の真似なのか、同じように雑誌表紙の自分の顔を指で叩きつつ言った。

「ふーん」と私は相変わらずの悪戯笑顔で義一の指先を眺めていたのだが、

「でもさぁ…まるで初めてその場で聞かされて、写真撮られた風な事を話してたけれど…よく知らないけれどさ、そういうのって、取材依頼の時点で予め話される事じゃないの?」

と続け様に聞くと、「え?いや、それは…んー…」と義一は、演技ではなく真剣に、当時を思い返している様子だった。

と、ウンウン唸っている様子を、私は紅茶を飲みながら眺めていたのだが、ふと顔をこちらに戻すと、苦笑交じりに言った。

「…うん、言ってた…のかも知れないね。…ふふ、『写真撮影もします』ってだけ頭に残ってたせいか、それで僕がただ単純に勘違いしちゃっただけかも」

と、途中から義一調の照れ笑いを浮かべていたのを見て、それが微笑ましく見えた私は、とりあえず満足して「やっぱりー」と、ニヤケつつそう返すのに留めて、その直後には…ふふ、何だか自然体にも見える、正直良い写真だと初めて見た時から思ってた私は、視線を雑誌に落とすのだった。


「そ、そういえば、何でこの雑誌の存在を知ったんだい?」

と義一が急に前触れもなく声のトーンを上げつつ話を逸らしてきたので、まぁ同じ性格故にその心情は分かった私は、ここは一旦引き揚げてあげて乗ってあげる事にした。

「あ、うん、それはねぇ…」

と私は少し勿体ぶってから、ツラツラと事の経緯を話し始めた。


…って、まぁそんな大仰なものでもないか。内容としては、ここ暫くずっと同じ様な内容が続いているが、この雑誌のネタ元も、実は先週のladies’ dayなのだった。

確か…そう、師範のお披露目会に義一を誘うかどうかって話をしていた流れで、ふと突然、「そういえば…」と有希が、椅子の背もたれに手をかけつつ、体が柔らかいらしく上体だけ後ろに捻りながら口を開いた。

「今日ここに来たばっかの時に、あの本棚を物色してたらさ…」

「だから物色しないでくださいってば」

と絵里が瞬時にツッコミを入れるのを聞いて、「…ふふ」と私は思わず笑みを零してしまった。

今の絵里と有希のやり取りが以前にもあったのを思い出したからだ。

「えぇ…っと!」

と、そんな絵里の反応はスルーして、有希はスクッと前触れもなく立ち上がると、スタスタと居間の本棚に近寄って行った。

「ちょ、ちょっと先輩ー?」

と絵里が苦笑交じりに声をかける中、その他の三人で何事かと興味深げに有希の行動の一部始終を眺めていた。

と、その時、「あった、あった」とさも愉快げな声音で一冊の雑誌を本棚から引き抜いたかと思うと、「ジャーン」と口にしながら表紙をこっちに向けてきた。

…ふふ、そう、もうお分かりだろう。その表紙というのは、今私が持っているコレと全く同じものだった。

が、当然…って、知らないだろうが、当時は初めて見た私が思わず、「あれ?それって…もしかして義一さん?」と、初めのうちは有希に向かって言っていたのだが、途中から顔を斜め右に向けると、丁度同時にこちらに顔を向けてきていた絵里と顔が合った。

その顔には…ふふ、さっきまで有希に向けていた苦笑にプラスして、思いっきりバツが悪そうな、そんな表情が全面に広がっていた。

「あ、やっぱ例の、噂の色男だよねぇー?」

と有希はニヤニヤすると、おもむろに、他に何冊もの雑誌も同じように引き抜いたかと思うと、纏めて雑誌を持って戻ってきた。

と、一部始終をただ笑顔で見ていた美保子と百合子は、手分けしてテーブルの真ん中に空きスペースを作り、それを見てすぐに察した有希は、手に持った雑誌を表紙が上に来るように重ねてソコに置いた。

きちんと数えたわけでは無かったのだが、横から見た感じ十冊分はありそうだった。

先ほどは、遠目って程ではないにしろ、視力が落ちてきてるというのに、気恥ずかしさからまだ眼鏡を普段使いしていない私としては、自分自身で確信を持てていなかったのだが、しかしこうして目の前で見てみると、どこをどう見ても正真正銘の義一だった。

どう写っているのかは、もう良いだろう。

「でしょー?」

と、先ほどの続きなのか、有希が席につくなり絵里にニヤケつつ問い掛けると、「い、いやぁ、まぁ…」と絵里はただ参り顔で、まるで悪戯の見つかった子供のような照れ笑いを浮かべていた。

そんな二人の様子を私が眺めていたその時、「あ、これねぇー」と美保子が、テーブルの上で腕を組むようにして、上体を少し前傾にしつつ、雑誌を覗き込みながら口火を切った。

「私も持ってる…っていうか、買ったよー」

と美保子は、最後に有希と同じ種類の笑顔を浮かべつつ絵里に顔を向けた。

「…ふふ、私も」

と、百合子もその後に続くように、体勢も同じ様にしながら、ただ微笑を湛えつつ顔は絵里に向けて言った。

「…あ、二人もなんだ」

と私が声をかけると、「そうよー」と美保子が笑顔で答えた。

「これは…百合子、先月末だっけ?ほら、琴音ちゃん、あなたも知ってる浜岡さん(お忘れの人のために一応補足すれば、義一の一つ前の、雑誌オーソドックスの編集長にして、本職は文芸批評家、それに鎌倉にある博物館の館長を勤めている)がね、今度義一くん関連で、こんな雑誌が出るよみたいな話を聞いててね、それで発売日に買ったんだよ。…ね?」

「ふふ、そうなの」

と百合子も微笑みを保ったまま、視線は美保子に流しつつ、顔は私に向けながら応じた。

「へぇー…」

と私も二人と同じように雑誌の表紙を覗き込んでいたのだが、ボソッと思わず口から漏らした。

「…って、私は知らなかったなぁー…。義一さん、この手の話は教えてくれないし」

「あはは、だろうねぇ」

と、私のそんなボヤキに、すぐに美保子が明るく言った。

「義一くん、本当にこの手の事は苦手っていうか…あはは、それは琴音ちゃん、あなたと一緒でしょ?」

「ふふ、まぁね」

と私も、先ほどの言葉だって普段から良くボヤいてきた内容でもあったので、自然にすぐに子供っぽく笑いながら返した。

「それは良いとして…」

と私は美保子に返してすぐ後、顔を斜め右に向けながら口を開いた。

「…ふふ、絵里さん、何で義一さんが表紙の雑誌が、あそこの本棚に置いてあるの?」

と最後に視線を、有希と美保子の向こうにある本棚に視線を流しつつ聞くと、絵里はすぐにギョッとといった風に目を大きく見開いた。

「そうそう」

と思った通りというか、有希が早速、雑誌の束の上に手を置くと、その上で指をパタパタ動かしながら続いた。

「今琴音ちゃんが言ったのもそうだし、そもそも何でこんなに大量に雑誌を買い込んでるのよー?」

「あはは」

「ふふ…」

と美保子と百合子もただ笑顔なだけだったが、有希に賛同していた。

私も二人と同様にしていたのだが、ふと、有希のセリフを聞いたその時、絵里はふとジト目を有希に向けながら呆れ声で返した。

「…って、先輩、そんなわざわざ本棚から纏めて持ってきた他の雑誌に関しては、既に何度か見た事あったじゃないですか?」


…ふふ、確かに、今絵里が反撃した内容は合っていた。

先ほどは敢えて触れなかったが、何で有希が、義一が表紙の雑誌以外のまで持ってきたのか、その意図が私には分かっていたのだ。

というのも、まぁ大方予想が付いているだろうが、今こうして目の前に積まれている雑誌というのは、全て、義一のインタビュー記事なりが載っている物ばかりだったからだ。

今ではこの通り、絵里も慣れた様子ですぐに反撃に転じているが、初めて義一の記事が雑誌に載ったその頃に、今と同じように有希が絵里の本棚にその雑誌が入っているのを目敏く見つけて、早速私たちladies’ dayの餌食となったのだった。

因みに私自身は、義一の記事がある雑誌を見るのがこれで二度目だった。一度目は覚えておられるだろうか…そう、地元の駅近くにあるショッピングモール内にある本屋に、裕美を伴って行った時に見つけたのが最初だった。

でその時に、お初というので皆で一斉に攻撃を仕掛けたのだったが、その猛攻にすっかり押されてしまった絵里が、思いっきり照れて見せつつ、

「いや、べ、別にそんな深い意味…っていうか、皆さんが考えてる様な事では、そ、その…無いですよ?これはそのー…あのチンチクリンなギーさんが、こんな誰でも知ってる様な知名度ある雑誌のインタビューで、どんな変人な答えをしてるのか、それが世間様に迷惑かけてないかとか確認するために、そ、そのー…買ってるだけです…よ?」と途中まではそれなりに快活に答えていたが、結局最後には照れが勝ったらしく、視線もあちこちに飛ばしながら言い終えていた…のが、今も鮮明に思い出せる。

その事があってから、勿論毎回では無かったが、時折このメンツで集まったその時に、ちょうど義一の記事が出た時なんかは、毎度お馴染みと有希が絵里の本棚を漁って、案の定置かれている新たな雑誌を引っ張ってきて、それを肴にあーだこーだと絵里を中心にして盛り上がるのが典型となっていたのだった。

…勿論、こんな毎回同じ場所に雑誌を置きさえしなければ、見つかってからかわれる事も無いと思われるだろうが、そこは…ふふ、こんな言い方は本人に悪いが、普段はサバサバ系の絵里でも、何度か触れてきた様に、何気に几帳面な性格をしているので、一度ここを雑誌置き場と決めたら、ずっとそこに置くのを良しとする性格をしているのだから仕方がないのだろう。

それも引っくるめて、有希を始めとする私たち皆が、それに託けて毎度楽しむという流れが出来ていた。

その繰り返しの結果として、有希がこれみよがしに持ってきた通り、みかた十冊以上にのぼる雑誌の数となっているのだった。

…ふふ、それに加えて毎度毎度、揶揄われるのを承知で、義一の記事が載ってるのが分かる雑誌を買い求める絵里を思うだけで、思わず頰が緩んでしまうのは…私だけではないだろう。


「あれー?そうだっけ?」

と有希が毎度の様に惚けて見せると、それからも”いつもの”ってやつで、まだ実際に会っていないが、絵里の元にあった雑誌を自分で改めて買ったり、それに加えて義一の著作を買って読んだりしているらしく、表紙を見ながらも、そのルックスだけではなく人柄、記事の内容やら著作の感想などを言う有希に対して、他の皆で相槌を打ったりしていくのだった。

…突然何を言い出すのかと思われるかも知れないが、私は先程も話した通り、義一の記事の載っている雑誌は、裕美と一緒の時に買って以来、買っていないのだが、義一は義一で、わざわざ私に、自分の載る雑誌が発売するといった様な事は話してくる事が無かった。

これだけ聞くと、お前のタイプなら不満に思ったりしないのかと言われる方もおられるだろうが、それには心配に及ばない。

まぁ…確かに、何も情報が無い時にふと何かのキッカケで知ったその時には、不満に思うだろう事は予想がつくのだが、しかし、今まで話してきた通り、こうして絵里達と話す中で毎回毎回知る事が出来ていたので、そこは折り合いが付いていたのだろう…と他人事の様に考えている。



とまぁ、アレコレと毎度ながら脱線しつつ話してきたので、元の話が何だったのかお忘れかも知れないが、当日の状況と、その後に出た会話の内容を義一に簡単に説明すると、「あー…ふふ、なるほどね。…参ったなぁ」と義一は納得した風な声を漏らしつつも、苦笑いを浮かべるのだった。

この手の話も義一相手にしたのは初めてではなく、何かにつけては雑談の中で集まりの中身などを、勿論私たちだけの秘密の部分は逸らしつつ、簡単に話したりしてきており、その度に自分がネタにされてると聞いた義一は、今のような反応を示すのが常となっていた。



それから暫くは、表紙の義一について色んな視点からからかっていたのだが、それに満足した私は、話ついでと、実際に絵里達との会話の流れに沿う形で、次の話題を振った。

それというのは…そう、今月初め、私が修学旅行から帰ってきて次の日の金曜日に発売された、義一の新刊の本、『国力・経済論』と『貨幣について』の二冊について、実際に絵里達と会話していたのだった。


義一の雑誌の話にひと段落がついた後で、「そういや、義一くんといえば…」と、先週の場合は美保子が話を振ってきた。

「また新刊を出したね」

「ふふ、そうね」

と百合子が合いの手を入れた。

「あ、今回も二人とも受け取ってたんだ」

と私もその会話の輪に入る。

「…ふふ、”も”って…」

と、大方予想通りだが、案の定絵里が苦虫を噛み潰して味わい尽くした様な、そんな渋い顔を浮かべて加わる。

「琴音ちゃんは、まーたアヤツの小難しい本を手に入れたのねぇー?」

と言いつつも、口元はニヤけていた。

「あはは、まぁねー」

と私は何となく得意げに返したのだが、しかしすぐにある事を思い出したので、すぐさまニタニタ笑いながら続けて言った。

「…って、絵里さんったら…ふふ、もう忘れたのー?宝箱で二人で義一さんの講義を聞いた後で、そんな話をしてたじゃないの」

「あはは…まぁねぇ」

と私の言葉を受けた絵里は、演技派よろしく渇いた笑い声を漏らしつつ返した。

と、そんな中、「あー、この色男、そういえば、まーた本を出したんだったっけ?」と有希が、相変わらず出しっぱなしの義一表紙の雑誌を眺めつつ口にした。

「前回、確か…三月だったか、それに続いてまたすぐに出すんだね?えぇっと…あ、そうそう、『二十一世紀の新論』ってやつ」

と、必死に目の前で視線をあちこちに飛ばしつつ、何とか思い出した有希の様子を見て、「ふふ、そうですよ」と、開口一番、私が自然と笑顔になりながら返した。


そう、これはまだ触れていなかったし、実際のところ見てはいないのだが、話を聞くところによると、有希も義一の過去の本は全て持っているらしい。

最初の処女作である今回のFTAに対する批判本こそ、百合子からプレゼントして貰ったらしいが、それ以降は、自身でわざわざお金を出して買い求めてくれてるとの事だった。

このladies’ dayで義一についてアレコレと会話をしていくうちに、絵里の言葉を借りれば、そんな変人がどんな本を書くのか純粋に興味が湧いた…と、有希自身が話してくれた。

そしてまぁ…この様に、本の内容が難しいと愚痴りつつも、しっかりと義一のリピーターになってくれた様で、別に義一に頼んでタダであげるよと言う百合子の提案を断ってまで自分で買うというエピソードなどを含めて、それらだけでも有希も変人だというのが分かって頂けるだろう。

…ふふ、勿論、私としては賛辞のつもりだ。


因みに…これは余計なお世話だろうが、折角有希の話の中で出てきたので、一応触れておこう。

それは、義一の本の第二作目である、『二十一世紀の新論』についてだ。これは義一自身から聞いたので別に話しても構わないだろう。

…コホン、今まで私が話してきた中で、短くだが触れてきたのを聞いていてくだされば分かって頂けただろうが、一作目は処女作にして、この手のジャンルの本にしてはベストセラーと言って良いくらいに売れたのは、記憶に新しいだろう。

何せこうして義一が未だにアチコチで取り上げられてるのも、この本のお陰というかキッカケがあった為なのだから。…まぁ、義一の見た目がかなり貢献してるのが否めないのだけれど。

…んん、コホン、まぁ喫緊にして今世間を賑わせている内容なお陰でもあったのだろう…だが、この二作目の本は、結論から言ってしまうと、現時点で未だに売れ続けている一作目の、三分の一以下しか売れていないとの事だ。これは義一が何故か照れ笑いを浮かべて教えてくれた。

雑誌でも特集は片手で数えられる程度で止まっていた。「まぁ…ふふ、普通はこんなもんだよ。むしろ…思想本なのに、これでも売れすぎてる方だと驚いてるくらいなんだ」というのが本人の弁だ。

まぁ義一はこの様な性格性質の人間なので、一応分かってるつもりではあっても、あまりにも本人があっけらかんとしているので、私一人で我知らずに、代わりにというか軽く憤りに近い感情を覚えていたのだが、そんな心情を知ってか知らずか、義一は今度はニコッと明るく笑いながら一つの明るい情報を話してくれた。

それは、義一が自分で言った様に、思想関連にしては売れたということで、『二作目で紹介した日本思想史に於ける大立者だけではなく、他の人も紹介したい人がもしいるなら、是非続編として書いてくれないか?』との依頼が出版社から来たというのだ。

それに対して、義一は喜んで引き受けたとの事だった。

それを聞いた私はすぐに機嫌を直して、いつ出るのか分からないけど楽しみにしてるといった言葉をかけたのだが、それに対して笑顔を見せた義一が、ふと何かに気づいた様子を見せると、

「…って、あ、琴音ちゃん…今の話は、絵里には内緒にしてね?…ふふ、また説教されるだろうから」

と照れ笑いしながらも、その中に悪戯っ子の様相を滲ませつつ言うので、「えぇ」と、私も立てた人差し指を口元に当てつつ返した。

その後数瞬ばかり見つめあったが、どちらからともなく笑い合うのだった。


…って、また話が逸れた。少しばかり戻すとしよう。

「だよねぇー?」

と有希が私に返事を返す。

「いやー、前に百合子さんから聞いてたから、チェックしてたつもりだったんだけど、今の舞台が忙しくてさぁ…ふふ、早速今晩絵里を連れて本屋に駆け込むことにするよ。…ね、絵里?」

「…ふふ、『ね?』と聞かれても」

と有希からの言葉に絵里は苦笑いだったが、

「まぁ…別に良いですけれど」

とそのまま続けて言った後で「あそこですよね?」と付け加えたそこは、以前に何度か私の話に出てきた、そう、駅前ショッピングモール内にある本屋の名前だった。

私は当然として、美保子と百合子も違ったのだが、有希はこの時も絵里のマンションにそのまま泊まっていくというので、話としては、私たちが帰った後で、夕食の買い出しついでに本屋に寄るという打ち合わせを、簡単に済ませていた。


と、直接関係ないながらも、そんな二人の話を面白く聞いていた私だったが、ふとまた意地悪い性質が起き上がってきて、意味ありげな笑みを浮かべつつ口を開いた。

「そういえばさ?絵里さんも義一さんから、例の新作を受け取ったんでしょ?」

と途中から、すっかり西陽も弱まり、外からの明かりよりも居間から差し込む灯によって様子が辛うじて見える、例の”日舞部屋”に顔を向けつつ言った。

…ふふ、絵里本人はこんな名称を使っていなかったが、私と、そして裕美や今いるこのメンツ内で勝手にそう呼んでいる。

と、何故その部屋に向かって顔を流しつつ口にしたかを説明しよう。

名前の通り、そして過去に何度か触れてきた通り、この部屋は絵里の日舞の道具で占められていたのだが、四つある部屋の一角の一つに合わせる様に、そんな中でも所謂学習机があり、その上にはデスクトップのPCが乗っかっており、絵里はそこで何か書き物だとかの作業をする時に使ってるらしいのだが、その上に二冊の本が置かれていたのを思い出したのだ。

…ふふ、ここに来てすぐに、有希じゃないが着いて早々に、絵里が紅茶を用意してくれてる間に何気なく室内をブラブラとしていたのだが、その時にふと、日舞部屋の机の上に、繰り返しになるが二冊の本が置かれているのが目に入っていたのだった。


その旨も続けて話すと、「流石私の後輩、よく見てるわぁ」と有希がすぐにこちらに向かってニヤケ笑顔を浮かべつつ話しかけてきた。

それに対して、私からも同じ種類の笑顔で返す中、「もーう…こんな悪戯っ子な先輩と後輩に挟まれてる私の身にもなってくださいよ」と、美保子や百合子に話す口調こそ苦々しげだったが、しかし顔は和かだった。

そう言う絵里に対して、憎たらしいほどに無邪気な笑顔で応えた有希だったが、ふと徐に日舞部屋に向かって顔を向けて言った。

「あ、そうだ。後で買いにいく時にさ、表紙とかのデザインが分かってた方が見つけやすくない?だからさ、絵里の持ってる本をちょっと見せてよ」

私の座り位置から見えたのだが、顔は部屋に向けたまま、視線だけ絵里に流していた。

「それはあるかもねぇ」

と、有希の言葉に美保子が同意の意を示すと、「まぁ…良いですけどね…っと」と絵里はやれやれと言いたげな笑みを零しつつ、テーブルに両手をついてゆっくりと腰を上げると、スタスタと少し暗くなった日舞部屋に足を踏み入れた。

そしてすぐに例の二冊を持って戻ってきた。

「はい、こんな感じですよ」

と腰を下ろすのと同時に、有希の前のテーブルに置いたソレは、まさしく私が義一から貰ったその二冊だった。


因みに私が義一から受け取ったのは、修学旅行に行く直前で、確か…あ、そうそう、中間試験が終わった直後か何かだった。

試験が終わって、そのまま家には帰らずに裕美達と御苑近くの喫茶店に行って屯して、それから少しぶらついてから裕美と地元に帰ったのだが、裕美とはマンション前で別れた後、かなり遠回りなのだが、そこから土手近くの義一宅まで受け取りに行ったのだった。

本当はすぐにでも読みたかったのだが、まぁ今までの話を聞いても分かるように、試験が終わると間隔をほとんど開ける事なく修学旅行へとなだれ込んで行ったので、その余裕も無かったのが実情だ。

なので、実際に読み始めたのは、帰ってきて次の日になってからで、相変わらず難しくも中身の濃い内容のせいで、まず単行本の『国力・経済論』から読み始めたのだが、この時の時点でまだほんの数十ページしか読み込めてなく、もう一冊の、新書サイズだがページ数が三百を超える『貨幣について』は手付かずだった。


…さて、重ならない様に絵里が置いた二冊の本は、今触れた様にサイズから何から違っていたのだが、ただ一つ共通していた事があった。

それは、二冊ともに表紙が無地な事だった。

新書ならまぁよく見かけるとしても、重厚感のある単行本まで無地なのは、最近の本にしては珍しいのではないか…と、私個人ではそう思っている。

だが、実はと言うか、このカバーを外して裸にすると、その下からは、中々に凝った、口で説明するのは難しいのだが、古書にある様な洒落た装丁がなされている事が、義一の毎回出す本には多かった。

何というか、そんな隠れたところで凝るというのが、まさに義一のイメージにぴったしだと、これまた私個人ではそう思っていて、それがとても気に入ってる点だった。

…って、自分でも分からず本そのものについて解説をしてしまった。早く話に戻るとしよう。


「これかー」

と絵里は早速、単行本の方を手に持つと、それをまず色んな方向から眺め回し始めた。

たまに重さを見るためか本を上下に動かしてみたりしていたので、そんな有希の行動に、絵里以外の私たち三人で自然と笑みを零し合うのだった。


絵里は絵里で苦笑交じりにその姿を眺めつつ、紅茶を啜ったりしていたのだが、ふと、漸く最後の方でページを捲り始めた有希の表情が、徐々にニヤけてくるのが端で見ていて気付いた。

これはどうやら絵里も同じだったらしく、「どうしたんですか?」と声をかけると、その瞬間、有希はピタッと手を止めると、その手つきからも気を使ってるのが分かるゆったりとした動作で本を閉じたのだが、次の瞬間、フッと意味深な笑顔を作って返した。

「え?あ、いやぁ…ふふ、別に大した理由はないよ?ただ…ふふ、普段からアレだけブーブー愚痴ってる相手の本の割には、随分と読み込んでるなぁーって思ってさ」

「…へ?」

と絵里が気の抜ける声を漏らしていたが、そんな中私はというと、その言葉に釣られるように、今さっき有希に閉じられた本に目を移した。

と、それとほぼ同時にして、何で有希があの様な発言をしたのか、その理由が分かり、これまた有希と同じ様な笑みを漏らしてしまうのだった。

というのも…ふふ、一応閉じられたはずなのに、実際にはペタンとならず、上に来ていた厚紙の表紙が上ずっているのが見えたからだ。

これは、要は開き癖がすっかりついてしまっているという証で、それだけ有希が言った様に、一ページ一ページをじっくりと読み込んでいたという事だろう。

と同時に、しおりが挟まれてるのも見えて、この時点で、私と同じ様に新書の方は手付かずの様だったが、単行本の方は半分を既に超えてる様に見受けられた。


とまぁ、この様なことは、私だけではなく、今指摘した有希は勿論、美保子にしても百合子にしても当然気付いていたので、「い、いや、それは…」と”いつも通り”にバツ悪さげな笑みを零す絵里に対して、毎度の如く粗方からかってから、絵里に義一の本の感想を聞いたりした。

その流れで、当然というか同じくこの時点で絵里と変わらないペースで読んでいたらしい美保子と百合子からも感想を聞いて、それからは、今年の秋に演る予定だという、以前にも軽く触れた、マサが脚本を書いて、主演として百合子と有希が出演予定の、スコット・フィッツジェラルド原作の劇、『アルコールの中で』の進行具合に話が及び、その後はその話で終始するのだった。



…っと、ふふ、前置きというか引用を長々としてきたが、これでも少しは端折りつつ、先週土曜日の私たちの会合の内容を、差し障り無い範囲で義一に説明していたのだが、そのままこっちでも、絵里達に対してと同じ様に、義一の新刊についての話に向かった。

あれから一週間経っていたので、まだ殆ど読めていなかったのが、今現時点では単行本の方は読み終えたところで、新書の方に取り掛かり始めた…という話をイントロダクションに、おもむろに足元のトートバッグから一冊のノートを取り出すと、折れたりしない様にそこに挟んでいた、A4サイズのルーズリーフの数枚を引っ張り出すと、それをテーブルの上に置いた。

何だろうと不思議そうに、興味津々といった様子で覗き込んで来る義一に対して、私は今出したばかりのルーズリーフに目を落としながら、読み終えたばかりの『国力・経済論』の感想をツラツラと義一にぶつけ始めた。


…ふふ、そう、この紙は、読んでいて難しかったりした点を書き留めたもので、質問を滞りなくしやすい様にメモしてきたものだった。

覗き込んできた義一も、反対側からではあっても、そこに書かれている内容を見てすぐに何かを察したらしく、先を促してきたので、そのままに暫くは質問タイムとなった。

ここではその内容は省略するが、一つ一つ丁寧に答えて貰いながら、最後の返答が終わったのと同時に、お礼の言葉を私がかけると、義一はいつものハニカミ笑顔を浮かべた。


「じゃあちょっと待っててね」

と、紅茶のお代わりを煎れに席を立ちキッチンに行ってしまった義一の後ろ姿を何となしに眺めた後、私は新たに書き込んだルーズリーフの一枚一枚を満足げに眺めてから、元の位置に戻そうとノートを開いたその時、ふとそこに書かれている文字群に目が止まった。

と、同時に、これも用件の一つだったことを思い出した。


というのも、このノートというのは、メモ紙を丁寧にしまっとくためだけに用意していたのではなく、これ自体にも大きな意味があったのだ。

…もしかしたら、ここまで話してしまった時点で、もうお察しの方もおられるかも知れないが、敢えて説明すると、そう、これは例の夢の内容を書き留めたノートだ。私はいつからか、そのノート群のことを”夢ノート”と、捻りのない名称だがそう呼んでいる。

以前にも軽く触れた様に、そのノートも既に何冊と増殖していたのだが、この場に実際に持ってきて、今手に持っているのはその内の一冊のみだ。

…そう、二人で長い事時間を取れる今日という日を良い機会に、そろそろ義一に例の夢についての話を聞いてもらって、その見解を訊こうと思い至ったのだ。

それとついでというか…これこそ直前まで迷いに迷ったのだが、んー…うん、これも”夢ノート”を書いてるという流れで駆け足で触れたと思うが、それと一緒に、そのー…実は自作の詩と、それと普段何となく感じている事を書き殴った変哲のない文章なんかも、一緒に紛れ込ませていた。

詩を読んで貰うというのは、それは流石の私…って、その私がどう見られているのか、どういったイメージを持たれているのか皆目見当が付かないが、それはともかく、それでも流石に恥ずかしさのあまりに抵抗があるのは否めない

…のだが、書いたのが溜まっていくにつれ、誰かに読んでもらいたい…いや、そんな不特定多数相手ではなく、心から信頼を置いている義一に、まずその義一に、いの一番に読んで貰って、感想を貰いたいという気が以前から徐々に増してきており、それがとうとう我慢が出来ないレベルに達したというので、ついに持ってきてしまったというわけだ。

因みに、急に話が戻る様だが、このノート自体を見てもらおうって事で、持ってきたのではない。

実はこれとは別に、清書とでも言うのだろうか、パソコン内のプログラムであるWordを使って直してプリントアウトしてきたのを別に持ってきていた。

言っては何だが、ノートは流石に夢についての感想や考察 推察なども余白に乱雑に書きまくったそのままだったので、個人で見るならまだしも我ながら汚く、いくら心やすい義一相手とはいえ見せるには抵抗があったので、少しでも恥ずかしい要素は減らそうと、そういう意図も含めて、こうして手間暇かけたのだった。

では何故ノート本体も持ってきたのかと言うと…一応アレコレとそれらしい理屈は付けられるのだが、まぁ原本があった方が念のために良いだろうという算段と、後は、先程出したメモ紙を挟むのに丁度いいと思ったのがあったのだ。

…って、そんな事はともかく、勿論、一々紙にプリントしないでデジタルデーターに焼いても良かったが、簡単とはいえアレコレと準備をしなくてはいけないというのがあり、そんな手間をする前にすぐにでも見て欲しかったというのもあった。

とは言っても、ノート数冊分を纏めて清書するのは時間的な制約などを含めて出来なかったので、夢にしても、詩にしても、乱雑に思いつくままに書き留めた文章も、全てではなく初期の頃の分だけに留めた。

量としては、合わせてノート一冊分といったところだ。

今そのプリント群は、やはりトートバッグの中に入れてあり、安価な透明のプラスチック製A4サイズケースにしまってある。

そのケースも今出した方が良いのか、どうしようかとトートバッグを両腿の上に乗せて、上から中身を覗きつつ考えていたその時、義一が茶器を乗せたオボンを持って戻ってきた。


「お待たせー」

と言いながらテーブルの上に置く義一に、「え、えぇ…ありがとう」と私は、トートバッグを乗せたままお礼で返した。

私の言葉を受けて、ただ笑顔で返しつつ腰を下ろしたのだが、義一の視線はトートバッグに向けられていた。

まぁそれもそうだろう。部屋出た時には抱えていなかったのに、こうして自分が戻ってきてからも、変わらずにそのままでいるのだから。

まぁ…ふふ、私から切り出すのは、やはりと言うか照れからくる抵抗があったので、すっかりその性質が分かっていた私が、そう仕向けたという面もあったのだが、そういう私の思惑も熟知した上で、義一は早速質問をぶつけてきた。

「…ふふ、どうかした?」

と義一が微笑みつつ聞いてきたので、「あ、え、えぇ…うん」と私は相槌とも言えない反応を一応しつつ、具体的には答えないままに、トートバッグの中に手を突っ込んだ。

そして一旦触りつつも、しかしここで一瞬躊躇してしまったのだが、これも勢いが大事と、手でしっかりと掴むと、プラスチックのケース毎ガバッと取り出した。

そして、義一の視線が手元に集まってるのを感じつつも、いつの間に避けてくれていたのか、テーブルの真ん中に開けられたスペースに置いた。

「これ…なんだけれど」

と私がようやくトートバッグを足元に置きつつ呟くと、早速義一はその、透明なプラスチックケースの外から、透けて見える中身をジロジロと眺め回していた。

「これは…何かな?何だか…書類の束みたいだけれど」

と、チラチラとこちらの方を見てきた義一に、「ま、まぁ…うん、そうなの」と合いの手を入れると、私はおもむろにケースについてる簡易的な取っ手を掴んで、ズルズルと自分の方に滑らせてくると、パカっとケースを開けて、中からプリントの束を取り出した。

これらは予めクリップで止めていたもので、先ほども述べた通り、夢ノート、詩、そして思いつくままに書き散らした雑文と分けていた。

なので、大きく分けて三つの束を取り出すと、何か一言二言言おうと思いはしたが、しかし特に思い付かず、結果的には無言でテーブルの向こうに腕を伸ばした。

義一の方でも、表情こそ柔らかだったが何も言わずに丸ごと受け取ると、重さを確かめるかの様に上下に動かして見せるという、何だか既視感のある行動をとっていた。

「随分な紙量だねぇ…なんだい、これは?」

と上下運動を止めると、一度片手でプリント類を持ち、空いたもう片方の腕で軽く自分の前のテーブル上面を拭ってから重ねて置いた義一に、「あ、うん…実は…ねぇ…」と、私は辿々しく話し始めた。


…そう、初めの頃は、やはりというか中々上手いこと言葉が紡げず出てこなかったのだが、しかし…ふふ、例の夢の中でも一度、この様に説明するという、しかもかなり最近に経験したおかげか、気付かないうちに興に乗っていたらしく、気付けばスラスラと簡単な夢のあらましについて話す事が出来た。

…とはいえ、今回持ってきた分というのが、既に触れた様に、夢を見始めてから初期までのモノしか持ってきてなかったのもあり、具体的に話した内容を軽く述べれば、まず中学一年の秋、初めてお父さんに連れられて行った”社交の場”に行ったその晩に見始めて、それから不定期ではあったものの、それでも全体を通した物語性のある不思議な夢を見る様になった事…などなどだ。

…これだけ聞くと、『なーんだ、大した話をしていないじゃないか』と思われる方もおられる事だろう。

…ふふ、それは私自身も、こうして思い返せばそう思うのだが、まぁ当時の私としては、これだけ話すだけでも何だか一杯一杯だったというのを、ご理解願いたいと思う。


「…というわけで、まぁ…」

と私は、実際には目を始終プリントの山の天辺に落としつつ話していたので、義一の表情なりは見ていなかったのだが、ここでふと顔を上げて正面を見た。

そこには…ふふ、まぁ想像通りというと何だが、一つの予想通り目の前には、好奇心の光を爛々と瞳に宿す義一の柔和な顔がそこにあった。

だがまぁ、想像通りとはいえ、当然実際にどんな反応を示してくれるのか、もっと言えば興味を持ってくれるのか確信を持ててはいなかった私としては、そんな義一の表情に大袈裟ではなく、このまま話を続けても良いんだと安堵をし、背中を押される様に続きを話した。

「…それでね、それをこのノートとかに書き留めていたんだけれど…」

と私は一旦、出したままだった原本であるノートに目を向けて、それからまた正面に戻してから続けた。

「これはちょっと流石に書き殴ったままの物だから、汚いというんで、その…うん、パソコンで打ち直して、プリントアウトしたのが…」

「…これってわけだね?」

と義一が不意に、そっと束の上に広げた手を乗せつつ、口調も柔らかに言った。

「え、えぇ…まぁね」

と私は返事を返して続ける。

「んー…あ、でね、さっきも話したけれど、そんな風に中々な分量だというのに、それでもまだまだ全体の三分の一くらい…なのね?それで…流石に溜まりに溜まってきたし、一応自分でも自分の夢ながら、一体何でこんな妙にストーリー性があるというか、連関している夢を見続けているのか…その理由を解明しようと、それなりに考え続けてきたんだ…けれどね?んー…うん、自分ではそろそろ考える材料というか、要は行き詰まってきた感があって…さ?それで、そろそろ…うん、他人のというか、外からの意見も聞きたくなって、それで…真っ先に、あなたに見て貰って、それで意見を聞かせて貰おう…と、まぁそう考えたの」

と話しつつ、途中途中で視線を正面と、書類の束とを行き交いさせていたのだが、最後に言い終えると、視線を一旦義一に直射したのだが、その直後、やはり照れが出てきてしまい、結局は、義一の顔と書類との中間地点辺りに視線を固定してしまうのだった。

そんな今までの私の話を、柔和な表情で黙って聞いてくれていた義一は、私の話が一旦止まったのを確認したのか、少しの間だけ間を空けてから、ゆっくりと口を開いた。

「なるほどねぇ…ふふ、中々に興味深い話な上に、意見を聞く相手として第一号に僕を選んでくれて…ふふ、ありがとうね」

「あ、いや、う、うん…」

と、私個人としてはお礼を言われる謂れは無かった上に、まぁ義一にはこんな”癖”が良く出て来ることがあったが、それでも慣れないままでいたので、この様にあからさまに戸惑いげな返しをしてしまった。

義一は義一で、そんな私のリアクションが慣れっこだったので、こちらにニコッと一度目を細めて見せてから、視線を書類に向けつつ言った。

「なるほどねぇ…。その今軽く話してくれた夢というのを、君が纏めたのが、一部とはいえここにあるんだねぇ…って、あれ?」

と義一は、三つある内の一つ、夢ノート分を纏めたプリントの束を軽く持ち上げると、その下に出てきた二つ目に目を向けつつ声を漏らした。

「そういえば…それ以外にも、なんか二つほど束がある様だけれど…、君が言ってた夢ノートを、こうして二つ、いや三つに分けてるって事かい?」

「あ、い、いや、違うの」

と私は若干ふためきつつ返した。

「そ、そのー…うん、その残り二つはね、んー…」

と、しつこい様だが、まぁ実際にこうして照れ臭いあまりに口籠ってしまった私だったが、しかしここまで来て渋っているのもなんだと、軽く持ち上げれたおかげで、夢ノートの一枚目がこちらに向いているのを眺めつつ答えた。

「…うん、まぁ、実際には違うとも言い切れないんだけれど…えぇっとね、残りの二つというのはね、そのー…一つは私が書いた…詩とね、もう一つは、その…夢に関する自分の考えを纏めたのと、それとついでに、普段見聞きした出来事なりなんなりに対して、私なりの感想を書き殴ったのを、そのー…纏めた物なの」

「へぇ…って」

と義一は表情は緩やかなまま話を聞いてくれていたが、私の話が終わった次の瞬間、ハッとした顔つきを見せたのだが、途端に好奇心に満ち満ちた様子をこちらに向けてきつつ続けて聞いてきた。

「…詩?詩って、あの…ポエムの?」

「…う、うん…そう」

と私はその義一の表情の前に軽く萎縮してしまいながらも答えた。

そして、「その一番上の、夢ノートの二段目にあるのがソレだと思うんだけれど…」と、視線をそらす口実を狙う意味でも、書類群に向かって指を差しながら言うと、「あー、これかぁー」と、私とは違い呑気な声を上げながら、義一は一旦夢ノート分を、空いてるテーブルの隅に一度置くと、二段目にきていた”詩の束”を手に取った。

そして、側から見てても丁寧な手つきで、一枚一枚をパラパラと捲りつつ口を開いた。

「へぇ…これ全部琴音ちゃん、君が作詞したの?」

「え、えぇ…まぁ…」

ともたつきつつ返事を返す私を他所に、義一は手を止めると、それをまた元の位置に戻して、それからこちらに笑顔を浮かべた。

…ふふ、笑顔だったが、これは別にからかいの為に浮かべているのではなく、ただただ自然なものだった。


そう、普通…って、これは一般的にはって意味だが、普通は私みたいに何の前触れもなく急に『自作の詩を読んで』と頼んできたら、苦笑いを浮かべて婉曲に断るか、ただただこちらを”イタイ”奴だと見做して渋い顔を見せて断るか、言葉にこそしなくても嘲笑を浮かべて、やはり断るか、大抵はこの様な反応を示すものと思う。

それは、自分で言うのもなんだが、薄っぺらい表面的な社会通念にそれなりに侵されていたらしく、今の今まで照れっぱなしでいた私だったが、やはりというか、期待通りというか、そんな通念など基本的に取り合わず、ただ相手がどの程度真面目にして真剣なのか、純粋なのかで判断する義一は、こうして笑顔ながらも真摯に対応してくれたのだった。


そんな義一の態度のお陰か、自分でも分かるほどに照れが引いていくのを感じていた中、

「ふふ、しっかしこれも結構な量だねぇ。一体何編くらいあるの?」

と義一が質問してきたので、「えぇっとねぇ…」とプリントに目を向けつつ、ほんの少しばかり記憶を辿ってから答えた。

「んー…ふふ、自分で書いてきた物だというのに、正確な数は忘れたけれど…うん、確か五十編は越してたと思う」

因みに、私は文字数にして一編が三百から五百文字の詩を、それぞれ一編ずつプリントアウトしていたので、そのままだが枚数が五十枚を超える量となっていた。

ついでに言えば、詩に関しては夢ノートと違って、一応綺麗に自分なりに仕上がった全部を持ってきていた。


それらの旨もついでに話すと、「はー…それまた随分作ったねぇ」と、義一特有の大袈裟な感嘆具合を見せてきたので、

「まぁねぇ…ふふ、詩に関しては、これが一応全てよ。完成品という意味ではね」

と、すっかり緊張の解れた私が悪戯っぽい笑みを浮かべつつ返すと、「そうなんだねぇ」と義一はシミジミと口にしつつ、詩の束の上に手を乗せて眺めるのだった。


「…って事は、あともう一つというのは?」

と、夢ノートの上に詩を置いてから、残りの一束に目を向けつつ言うので、「あー、それはね」と、すっかり普段の調子に戻った私が、間を置く事なくすぐに答えた。

「それはほら、さっき話したでしょ?そのー…うん、夢についての考察だとか、それに加えて、普段ふと思った事を書いたりしてたって」

「あー、うん」

「それでね、まぁ何て言うのかなぁ…うん、ある種の日記に近いものだと思ってくれれば良いよ」

と、”日記”と自覚してるものを、義一相手とはいえ人に見せるのは、詩と同じレベルで”恥ずい”はずなのだが、当時の私は、先に詩をクリアしていたせいか、良くも悪くもそれに気付かず自然体で話すのだった。

まぁ…ふふ、私が気付かなかったのは、話を聞いてる方でも少しは恥ずいはずである義一が、全くいつも通りの調子だったのも大きかった…のは、付け加えておこう。

「あー、言ってたねぇー」

と義一は、つい今言った通り、普段通りといった様子でパラパラと捲ってみながら口にすると、それを詩の束の上に置いた。

「…いやぁー」

と置いた直後、義一は大きく両腕を天井に向けて伸びをしたかと思うと、その腕をゆっくりと下ろしてから口を開いた。

その顔には、如何にも面白くて仕方ないと雄弁な、とても無邪気な笑顔が広がっていた。

「んー…んっ!っと。ふふ、さっき紅茶のおかわりを持って宝箱に戻ってきた時さぁ、琴音ちゃん、君が何だか横顔からも分かるくらいに真剣な空気を周囲に発していたから、一体急に何事かと…ふふ、笑顔ではいつつも少し身構えていたんだけれど…さ」

と義一は、紅茶の入った茶器なり、開いたままのドアの方を眺めたりと忙しなく顔を向けながら話していた。

「それがまさか…ふふ、こんな素敵な”告白”が待ち受けていたなんて…ふふ、琴音ちゃん、君は本当に人を喜ばせるのが上手いんだからなぁ」

「…へ?こ、こくは…く?それに…よ、よろこばせ…る?」

と、義一の言葉の一つ一つに引っかかってしまった私は、こんな風に一つ一つを幼児の様に口に出していたのだが、しかしその戸惑いもすぐに消えて、クスッと一人吹き出し笑いをすると、その笑みを保ったまま返した。

「…ふふ、もーう義一さんったら…。ふふ、こんな事で喜ぶなんて、変人である義一さん、あなただけだから」

と言い終えた後で、ギュッと目を瞑り満面の笑みを浮かべると、「相変わらず手酷いなぁ、琴音ちゃんは」と義一は溜息交じりに返したのだが、その直後、ふと二人で顔を見合わせた後、どちらからともなくクスクスと笑みを零し始め、最終的には笑顔を浮かべ合うのだった。


「さて…っと」

と義一は合間に紅茶を啜ってからカップを置くと口を開いた。

「じゃあ早速だけれど…ふふ、今軽くでも読んでみても良いかな?」

と視線をチラチラとプリント群に向けながら、表情柔らかに聞いてきたので、

「ふふ、えぇ勿論」

と、ちょうど同じ様に紅茶を啜っていたところだった私も、カップを置きながら笑顔で返した。

「ふふ、ありがとう。では早速…あ」

と、お礼を述べながら手を伸ばしたかと思うと、何かハッとした様な顔を見せたのと同時に、手をピタッと止めた。

「何?どうかしたの?」

と私が声をかけたのだが、義一は一瞬とはいえ考える素振りを見せていた。

が、すぐに顔を元に戻すと、こちらに少し困り顔な笑みを浮かべつつ答えた。

「…あ、いや…ね?ふふ、僕が読んでいる間は、琴音ちゃん、君は少し退屈しちゃわない?」

「え、いや別にそんな…」

と、ある意味当然というか、先ほども言った様に、すぐに読んで欲しいがためにプリントアウトまでしてきた私だったので、今義一が述べた様な事は想定内中の想定内であった故に、こんな風に軽いノリでフワッとした返答を返したのだが、そんな私の反応をどう思ったか、義一は「んー…」とこちらをそっちのけで一人唸り出したかと思うと、少ししてから「あっ」と声を上げて、そして顔を真左に流した。

相変わらずいきなり一人の世界に入り込む義一の様子を、苦笑ではあったが微笑みも交えつつ眺めていた私は、その義一の動きに釣られるようにして、自分も顔を右に向けた。

そこにあったのは、今年に入ってから無かった試しが無い書類なり書籍の山と、恐らく執筆用だろうノートPCが乗った書斎机と、その斜め後ろの位置には、これも相変わらずだが資料と思われる紙がアチコチに貼られたり、黒く塗り潰そうという気なのかと思ってしまう程に字で埋め尽くされたホワイトボードがあった。

書斎机の真後ろは、以前にも軽く触れた様に、そこだけ大きなサッシがあり、そこから外に出れるのだが、今日は梅雨にしては珍しく晴れていたのもあり、爽やかな陽光が、新緑で生茂る木々が所狭しと植わっているのもあって、パッと見では猫の額ほどの庭で緑を反射しているのが見えていた。


そんな風に義一と無言で眺めていると、「どうしよう…かなぁ…?」と小声が聞こえたので顔を向けると、考えてる顔の義一の姿がそこにあったのだが、ほとんど私が顔を向けたのと同じくして、「まぁ…いっかな?」と、一人納得した風な声音と表情を浮かべると、義一調のはんなり笑顔で話しかけてきた。

「ちょっと良いかな?」

と口にしながらおもむろに立ち上がるので、「え、えぇ…」と、急に何事かと訳が分からなかった私だったが、しかしそれでも同じ様に席から立った。

義一はというと、こちらをほっといて、どんどん足を進めていくので、『またいつものやつね…』と心の中で呟きつつ、顔には呆れ笑いを浮かべながら後をついて行った。

向かった先は、二人で顔を向けていたホワイトボードだった。

義一が足を止めたので、私も数歩後ろで足を止めると、義一はチラッと私が来てるのを確認するためか後ろを一旦振り返った。

そしてニコッと一度笑うと、顔を正面に戻すと、「よいしょっと…」と小さく掛け声を漏らしたのと同時に、突然ホワイトボードを右側、つまり書斎机側、サッシの方へとずらし始めた。

何を急に始めたのかと、私が呆気に取られて見ている中、カラカラという車輪の小気味いい音を鳴らしていた義一は、結局はサッシの目の前まで移動させた。

そして義一は満足げな顔で戻ってきたのだが、「ぎ、義一…さん?」と、私は声を漏らしつつ、その間も義一の一挙手一投足を見つめていたのだが、元の位置で足を止めると、「さてと…」と満足げな笑みを絶やさないままに口を開いた。

「せっかく今日は、君が自分の秘密というか、創作した物を持ってきてくれたからね…ふふ、暇つぶしになるか分からないけれど、僕からも、その…うん、秘密ってわけじゃ無いんだけれど、一つ披露させて貰っても良いかな?」

と、この手の事になると、急に勿体ぶった言い方になる義一の毎度のパターンを見せつけられて、フッと思わず苦笑いを浮かべてしまいつつも、「えぇ」と、取り敢えずといった感じで合いの手を入れた。

その返しに満足したのか、義一はコクっと一度頷くと、「これなんだけれどねぇ…」と、今までホワイトボードの後ろに隠れていた、サッシの真横に位置している本棚の一つに収まっていたファイルの一つを手に取った。


因みにというか、今更だろうが一応説明すると、この宝箱は壁のほとんどが本棚で占められているのだが、それは様々な種類の本棚によって構成されていた。

高さこそ天井一杯というので同じなのだが、幅の点でそれぞれが違っているのだ。

その中でも、取り分け一番幅の狭い本棚が、今義一がファイルを取り出したソレだった。

この本棚は、その見た目でも特徴があったのだが、収まっている中身でも他とは一線を画していた。

というのも、他の本棚は大小様々な種類こそあれ、所謂”本”という枠組みではどれも共通していたのだが、この本棚に収まっているのは、先程来触れてる様に、ファイルのみで占められていたのだ。

これは私が初めて宝箱に来た時からそうだった。

どうやら色で何らかの仕分けをしているらしく、全て同じメーカーらしいが、パッと見では五、六種類のカラーが揃えられていた。

目敏い…って自分で言うのもなんだが、しつこく言う様だがサッシという宝箱内ではどうしても目に止まるすぐ側に、この本棚があったというのもあって初めてきた時から気づいた次第だった。

だが…今の今まで、義一に対して、それに関して質問をした事は一度も無かった。

…ふふ、当時から”なんでちゃん”だった私ですらだ。

というのも、ここ宝箱に来る時は、お茶なり何なりの準備は既に済ませられていたし、席に着いたらすぐにアレコレと様々な議題を出し合って議論をし合ったりで忙しくしていたのもあり、そこまで気が回らなかったのだ。


なので、思いがけず頭の隅では今まで疑問には感じていた”エリア”に義一が自ら触れたので、んー…ふふ、これが私の義一の事を言えない様な変人具合なのだろうが、こんな事で実際のところワクワクしていたのだった。


「義一さん…それは?」

と、しかしそのワクワク具合を悟られない様に、一応平静を装いつつ声をかけると、「うん、これはねぇ…」と優しげな笑顔を浮かべた義一は、そのまま先を言わずに、スタスタとまた前触れもなく、茶器の乗ったテーブルへと戻って行き出したので、私も素直に後を追った。


「…っと」

と声を漏らしながら席に着く義一に数テンポ遅れて私も座ると、義一は早速手に取ったばかりのファイルを一旦テーブルの空きスペースに置いたのを見て、流石の私もここまで我慢したのだから良いだろうと、早速話しかける事にした。

「…で、義一さん、そのファイルって…何?」

「…ふふ、これはねぇ」

と義一は今だに勿体ぶって見せていたが、ふとまた顔を先ほどの本棚に向けた。

「…ふふ、僕が、そうだなぁ…うん、高校生になったくらいから、ずっと思いつくままに書き散らしてきた、その…一部だよ。琴音ちゃんの…ソレみたいにね」

「え…?」

と、義一が顔を戻して、今度はプリントに目を向けてきたので、私も同様に視線だけ流しつつ漏らした。

「うん…」と、義一は一人でコクっと頷くと、静かにゆっくりと話し始めた。

「まぁ…ふふ、こんなに勿体ぶって話すほどの事じゃ無いんだけれどね?要は…うん、さっき君が話してくれたのと同じでね、普段生活している中で疑問に思った事を書いたり、ソレについて自分なりの結論というか思う事、思いついた事があったらソレも書いたり、後は…うん、その時に読んでいたジャンルを問わない本について、感想なり何なりを書いたりと、まぁ…そうしてきたんだけれどね?」

と、途中から独り言の様に話し始めた時点と同時にして、不意に義一はファイルをパタンと開くと、ペラペラとページを捲り始めた。

次から次へとページを捲っていくので、具には見えなかったが、そこには私と同じA4サイズの紙が透明なシートの中に入れられており、中身としては、直筆だったりプリントアウトしてあったりとまちまちだった。


…と、ついつい意識がファイルに持っていかれてしまっていたので、咄嗟には返せなかったが、しかし一応…というと義一に悪いが、それなりに耳に入っており、加えて自分と同じ事をしていたという事実も知れて、少なからず嬉しくテンションが上がっている…という、表面状には出ていなかっただろうが、しかし内面では忙しい感情が渦巻いているのだった。

「ふふ、義一さんもだったんだね」

と、何とかそう合いの手を入れると、「う、うん…そうだね」と、自分でも言ってたくせに、何故か私の言葉には途端に照れ臭そうに笑って見せていた。

その笑みを引かせる事なく、義一は続ける。

「ま、まぁ、そのー…うん、ちょっと脈絡がないかも知れない事を話す様だけれど…ふふ、ほら、琴音ちゃん、君や、後は…あ、そうそう、絵里なんかがよく、僕に言ってくるでしょ?…『よくもまぁ短期間に何冊も続け様に本を出せるな』って」

「…ふふ」

と、途中から義一が、珍しく絵里の物真似を披露しつつ話すのを聞いて、思わず笑みが溢れてしまったのだが、「えぇ、そうね」と返事を返した。

義一もニヤケつつ先を続ける。

「ふふ、でまぁ…その時は特に何も答えなかったと思うけれど…うん、まぁ良い機会だし、琴音ちゃんにだけ、その手品のタネというか、それをバラすとね…」

と義一はここでふと含み笑いを浮かべると続けて言った。

「そこには繰り返しになっちゃうけれど、過去に読んで感銘を受けた本の中身などについての感想なり考察も書いてるんだけれどね?それと同時に、別々である様々な本と本の間に関連性というのか、そういった物を見つけたらさ、それも書いてたりしてたんだよ」

「…あ、それって…」

と私が思わず口を挟むと、義一はフッと目を細めつつ言った。

「…ふふ、そう、今僕がしている執筆業と同じ事を、まぁ勿論意識して狙ってたわけではないけれど、まぁ…ふふ、してきたのがコレってわけで、だからその…自分でも他人からでも同じだけれど、何かテーマを貰っても、大概以前に書きまとめていたりする事が多いから、コレを参照しつつする事によって、時間が大幅に短縮する事が出来るんだよ」

「へぇー」

と、突然に義一から手品のタネを教えて貰ったために、すぐには飲み込めてないと自覚していた私だったが、それでも素直に関心したのは本当だった。

興味深げに繁々と、今開かれたページを眺めてみると、そこには…ふふ、恐らく義一が狙ってのことだろう、そこには第二作目に引用していた、年代順で言えば伊藤仁斎から福澤諭吉という見知った名前と、感想なりが書き込まれていた。

と、そのページの一番上に日付らしきものが書かれていたので、見てみると、それは今から二十年くらい前のものだった。見たその瞬間に、今の義一の年齢から逆算してみるに、本人が十五歳くらいの時に書かれたものだというのが分かった。


…ふふ、今の私と同い年くらいね


と、そんな感想を覚えつつ、それ以外にも様々な思いが胸に去来し、それらを合わせた微笑を浮かべつつ顔は下に向けたままだったが、それを他所に義一は話を続けていた。

「…でまぁ、ファイルもね、天文、物理、化学、生理、地理学と、人文、社会、経済学と、まぁ様々なジャンルを読んでいたから、それを一纏めにしてグチャグチャにしてしまうと、後で見返す時に訳分からなくなっちゃうってんで、こうしてジャンル毎に色分けして保存した…ってわけ」

「なるほどねぇ」

と義一の話に一区切りがついたのを察した私が、顔を上げつつそう返すと、

「そうなんだよ。…って事で」

と義一は表情緩やかに返したかと思うと、途端に悪戯っ子の様な笑みを浮かべて、スッと視線をズラしつつ続けて言った。

「僕が君の創作を読ませて貰ってる間、もし良かったら…ふふ、僕のそのタネの一つを読んでいて貰っても…良いかな?」

「…」


…ふふ、まったく。毎度毎度のことなんだから、一々お伺いを立てなくたって構わないのに…。本当、変なところまで律儀なんだからなぁ


「…ふふ」と、そんな風な感想を覚えつつ、表面上は呆れ笑いを浮かべながら返した。

「もーう、義一さん?こうしてファイルを出してきてまで、そんな話までされちゃったら…ふふ、何でちゃんの私がどう答えるのかなんて、初めから分かってるでしょうに…」

「あははは」

と私の言葉に、ただ愉快げに笑うだけの義一に釣られて、こっちも自然と笑みを零しつつ続けて答えた。

「…うん、是非読ませて」


その後で一頻り笑い合った後、「さてと…」と義一は独言ちつつ、プリントの山の上に手を置いてから口を開いた。

「では早速…ふふ、琴音さん、読ませて貰っても良いかな?」

「…ふふ」

と、妙に芝居がかった”くさい”演技をし出した義一に向かって、私は目はジト目気味に、しかし口元は思いっきりニヤケながら答えた。

「えぇ、勿論良いけど…ふふ、まるで義一さん、あなた編集長さんみたいだね?」

「…えぇー?」

と義一も、感情の動きとしては私と正反対と言っても良いだろうが、

「これでも僕は、一応編集長なんだけれど?」

と、それでも表情は全く同じに返してきた。


その後はまた二人で微笑みあったのだが、それからは何か一言二言掛け合う様な事はせず、そのまま自然な流れで、義一は私のを、私は義一のファイルを読み始めた。


私が見始めたのは、先ほどもチラッと触れた、義一の二作目の”タネ”と見られる、江戸時代の思想家たちの部分だった。

その部分を読み始める前に、前と後ろの数ページをパラパラ捲って見たのだが、どのページにも日本人らしき名前がズラっと書き込まれていた。

これと義一の先ほどの話を組み合わせるに、どうやら今出して貰ったこのファイルというのが、義一が纏めた、日本における思想の流れを纏めたものだというのが分かった。

それを確認すると、私は元のページに戻って、早速、二作目の元にして、当時私と同い年だった義一が、自分で原典を読んで、どんなインスピレーションを受けて、どんな考えを持ったのか、それを読み進めていく事にした。


辺りはペラっというファイルをめくる音、カサカサというプリント同士が擦れ合う音だけが鳴り、それ以外には、防音に優れたここ宝箱内では、外からの環境音も殆ど聞こえず、ただ規則正しく時を刻む室内の古時計の音が鳴っている程度だった。

まだ集中しだす前の私はふと、小学生の頃、両親に隠れてここに遊びに来だした初めの頃、私が宿題をしてる間、義一は側で本を読んでいるという、今と大体同じシチュエーションだったというのもあってか、当時を思い出していた。


…だがそれも、徐々に思い出に耽っていられなくなってしまった。

何故なら…ふふ、本当は、ちょっとだけスラスラと眺めるつもりでいたのだが、自分でも驚くほどに、書いてある文章文章についつい気を取られてしまい、思いの外のめり込んでいってしまったからだ。

というのも、当時は恐らく中学三年生か、高校生に入るかどうかといった年頃だと思うが、そんな年齢の男子が書いたものとは思えないほどに、濃密にして読み応えのあるものだったのだ。

と同時に、ふと、自分が書き散らかした文章なり詩を纏めたプリント群を思い出し、思わず一人で苦笑を漏らしてしまった。

何故なら、確かに私のメモは、世の中について思った事を、自分が過去に読んで薫陶なり示唆を受けた文学者なり哲学者なり思想家なり、それに留まらず理数系の偉人の言葉まで引用して書くという、パッと見では確かに義一とジャンルとしては同じとも言えなくも無いのだが…しかし、繰り返しになるが、今見ている義一のこのファイルの内容、それも、私と同い年の時に書かれたものだという事実を思い出した瞬間、自分の物のあまりに未熟にしてチープさ加減に対して、思わず苦笑いを浮かべずには居れなかったのだ。


目の前の文章を、好奇心に任せて周囲を忘れて読むのに没頭していた私だったが、そんな事実にふと思い至ったせいか不意に我に返ってしまい、同時に集中力が切れてしまったので、小休憩と、顔は下に向けたまま、チラッと正面に視線だけ向けて見た。

そこには、パラ…パラ…と、一枚一枚丁寧にプリントを捲っていく、表情静かな義一の姿があった。

これは義一の本を読む時の癖らしいのだが、普段はしっかりと掛けているメガネを、鼻眼鏡を置く位置あたりまで下げていた。


そんな義一の様子を眺めていた時、ふと頭の片隅に印象に残っていた最近の出来事を思い出していた。

修学旅行から帰った日の夜。一旦荷物を置いて、それから先に風呂を済ませてから、この日もお父さんは夕飯時に家に帰ってなかったので、買ってきたお土産を渡しつつ、食事が済んでからはお母さんと二人で思い出話で花を咲かせた。

それも済むと、寝支度を終えた私がいつもの様にお母さんに挨拶をして、自室に入った時、ふと、修学旅行に行く前に義一から受け取った新刊の事が気になって、少しでも読んでみようかと手に取ろうとした…のだが、ふとここで、何だか違和感を覚えた。

その正体はすぐには分からなかったのだが、ふと思った一つの要因は、どうも私の本が誰かによって動かされたような、そんな不自然さを覚えた点にある様だった。

ここで因みにというか、今まで触れてこなかったので話すと、義一の著作は当然本棚の中にしまってあるのだが、しかし見た限りではバレない仕様にしてあった。

というのも、義一の著作には、本屋さんなどでして貰える、紙製のブックカバーを付けていたのだ。

これも、もしも義一の本だけだというのなら不自然だっただろうが、その他の本にも、本屋で買ったそのままの状態で仕舞っているのが複数冊あったので、擬態には成功していた…と思う。

そう、そう思っていただけに、過去においてそんな違和感を覚えた経験が一度も無かったのも手伝って、不思議に思いつつも、鼓動が徐々に早く鳴り始めていくのが分かった。

それはそうだろう。私のいない時に、この部屋に自由に入れて、本…しかもカバーがついているとはいえ義一の本が動かされた形跡があるとなれば、それを動かした人物は限られるからだ。


まさか…お父さん…たち?


と、私は本棚の前で微動だにせず、義一の本をじっと見つめつつ、一体これからどうしようかと考えを巡りに巡らせていたのだが、その中で、私が家に帰って来た時に出迎えてくれたお母さんの態度、食事中、食後での会話などを思い返していくうちに、徐々に緊張は薄れていった。

何度、何度思い返しても、少なくともお母さんの態度は普段と何ら変化が見られなかったからだ。

確かに、何度も触れるように、私のお母さんというのは、時には無邪気な子供のような態度を見せる傍ら、凛と澄ました表情を見せたりと、私にとっては今だに捉え所のない女性ではあったのだが、それでも、それなりに何年もあの人の娘をやって来た私としては、これくらいの変化くらいは見破れる自信があったのだ。

…まぁ、今思い返せば、その自信には何の根拠もないのだが、それはともかく、自分で自分を安心させるには十分な動機を見つけられた私は、ホッと息を吐いたのだが、何だかこのまま義一の新刊を軽くでも読む気が無くなってしまい、その晩は素直にベッドに入って眠りについたのだった。

後日談だが、翌朝下に降りて居間に入ると、お父さんがいたのだが、挨拶したり、改めて修学旅行の話をしたりした中で見た限りでは、お父さんはお父さんで何の変化を見せなかったので、そうは言っても内心がビクビクしていた私としては、ここに来て漸く本当に安心した次第だった。

…ふふ、これは我ながら現実逃避的だと思うが、違和感それ自体は気のせいだと結論づけた。

そもそも私は、今までの話を聞いておられれば分かる様に、自分で言うのも何だが読書好きではあるのだが、その割には本それ自体には何の関心もなく、テキトーに扱っていた実績があったからだった。話を戻そう。


チラッと自室の本棚の違和を覚えた事を思い出したのだが、その間もじっと義一の様子を眺めていくうちに、”不意に”また、先ほど感じた、今私の前にあるファイルの内容と、自分の書いた内容との質の差を思い出してしまっていた。

何故”不意に”しつこいながらもまた思い出したのかと言うと、眺めているうちに、静かだった義一の表情が、徐々に変化を見せ始めていたのに気付いたからだった。

具体的に言うと、下を向いているのにも関わらず、義一の目がゆっくりと大きく見開き始めて、それでいて瞳には例の、鈍い光を宿しているのが全体の雰囲気からも感じられたのだ。


と、そんな理由もあってか、ただでさえある種の引け目から恥ずかしく感じていた中で、こちらをほっといて読むのに没頭していながら表情を変化させる義一を見た瞬間、とうとう居た堪れなくなった私が『どう?』と声を掛けようとした次の瞬間、こちらがまだ何も発していないのに、まるでテレパシーか何かが通じたかの様に、義一はピタッと手を止めると、ゆっくりと顔を上げた。

その顔を見ると、やはり私の予想通り、大きく見開かれた二つの目の中には、鈍い光がしっかりと宿っているのが見えた。

視線があったので、今度こそ声を掛けようとしたのだが、何だか口全体が重たく感じ、中々言葉を発することが出来ずに窮してしまい、結局は二人して静寂の中見つめ合う時間が続いた。

…まぁ続いたと言っても、実際のところは数秒と言ったところだろうが、暫くして不意に義一は表情を緩めたかと思うと、同時に口を開いて言った。

「琴音ちゃん…このプリントの束だけれど、…僕が暫く預かってても良い…かな?」

「…え?」

と、突然言われた、想定していなかった言葉に思わずキョトン顔で返してしまったが、それだけではなく、その表情が、これがまた口元はほんのりと緩やかではありつつも、しかしそれでいて瞳の光は保ったままなのも戸惑わせるのに貢献していた。

…だがしかし、勿論本人が望めばという条件付きではあったが、こうしてプリントアウトをわざわざしてきたくらいなので、渡す気満々ではいた私としては、義一の言葉を徐々に冷静に飲み込んでいけばいくほど、何と言えば良いのか…そう、一言で言えば、ただ単純に”嬉しい”といった気持ちと同じ類の暖かさに胸の中が占められていった。

「え、えぇ…良いけど」

と、本当はこんな態度の予定では無かったのだが、しかし心内を見透かされるのを恐れるあまりに、こうしてつっけんどんに返してしまった。

勿論、私ごときの小細工などとうにお見通しな義一は、「ふふ、そうかい?」と、ここにきて漸く普段通りの優男な笑みを浮かべつつ返してきた。

「じゃあ少しの間借りるねー」

と軽い口調で、今読んでいた分の束を、もう一方の束の上に乗せながら口にしたので、「あ、そういえば…」と、自分で思う以上に動揺していたらしい私は、少し慌てた手つきで、足元に置いていた、書類ケースを手に取ると、そのまま義一に差し出した。

「こ、これも使ってよ。ついでだしさ」

「え?でも…良いの?」

と義一は一応受け取ったが、しかしすぐには自分の元に引っ込めないまま、体勢としてはそのままで聞いてきた。

と、ここにきてやっとというか、そんな義一の反応に何故だかフッと力が抜けてしまった私は、ニヤッと自然に浮かべつつ答えた。

「…ふふ、えぇ勿論。…ふふ、って、別にこのケースってそんなに大したモノじゃないんだし、義一さん、あまりにも大袈裟すぎるよ反応が」

と言い終えた瞬間、私が明るい笑い声を上げると、一瞬そんな様子を呆気顔で眺めていた義一だったが、しかし徐々に表情を緩めていくと、最終的には一緒になって笑うのだった。

「それに…一々持って帰るのも面倒だしね」

と笑いも治り始めた辺りで、またしてもニヤケ顔で付け足すと、

「ふふ、そうかい?君がそう言うなら…」

と義一は苦笑交じりに口にしていたが、プリント類を一編に一度持ち上げると、その空いた下のスペースに書類ケースを置き、そのまた上にプリント類を戻して、それからはまた普段の柔和な表情を見せつつ「ありがとう」と一言お礼を返してきた。

「もーう、だから大袈裟ー」

と私が今度は苦笑いで返したのだが、今回は間を置くことなく、また明るいって程ではない程度で笑い合うのだった。


それからはと言うと、それまでの話が一切チャラになったかの様に、ガラッと流れが一転して、義一から借りていた十冊ほどの本をトートバッグから取り出すと、それらの感想をまず私が話すのを聞いてもらい、その後は二人で議論をしていくという、これぞ”いつもの”様に残りの時間を過ごすのだった。


「…っよっと」

靴を履き終えた私は、床に置いていた、新たにまた十数冊の本を入れたトートバッグを肩にかけると、重さに負けないために掛け声を漏らしつつ立ち上がった。

そう、ここは義一の家の玄関先。私の癖である床を靴先でトントンと慣らしてから振り返ると、すぐそこには柔らかな表情の義一が立っていた。

「じゃあ気を付けて帰ってね?」

と声をかけてくる義一に対して、「えぇ、またね」と私からも微笑みつつ返して、早速引き戸の取手部分に手を伸ばした。

そして、ガラガラガラガラと、古い建物特有のけたたましい動作音と共に開くと、早速外に一歩出ようとしたその時、「…あ、そういえば」と声が後ろから聞こえたので、一歩前に出した足を元に戻すと振り返った。

「何?どうかした?」

と私が問い掛けたその先には、何でか一人で少し照れ臭そうにしている義一の姿があった。

そんな様子を見て、ますます不思議がっていた私だったのだが、フッと義一は短く息を吐くと、頭をポリポリと掻きながら返してきた。

「琴音ちゃんって、そういえば…テレビとか観ないんだよね?」

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