第二話: 本番

卒業式本番の朝も堅二はリハーサルと同様に臨むと決めていた。今日までに何度も体育館でこのパイプ椅子に座っただろうか。前の席の生徒の項やつむじの形も見慣れたものになっている。生徒会らは脇で何か話し合っている。

トイレに行きたいときは後ろの倉庫を抜けて外へ。司会の合図で起立。他にも直近のいくつかの可能性を見当しイメージした。だいじょうぶ、みんなリハーサル通りにいく。

半日以上同じ限られた空間だけで過ごしているとその場所の随所に馴染みを覚えて、まるで自分がこの世に生まれてからずっとそこにいるような錯覚に陥ることがある。その感覚は、不思議なことに、もっと長く繰り返しそこで過ごしているとしだいに薄れていく。しかし、錯覚がふいにぶり返すこともある。ちょうど今のように。

すでに開会式や校歌斉唱を終え、彼は有志の発表を待った。

はじめはダンス部だった。

90年代のヒットソングが流れ、PVよろしく部員が式に乱入する形で、ダンスをしながら入場してくる。司会進行の教頭のカンペらしき書類を部員が投げ散らかすと、打ち合わせしてあるのだろう、教頭もコミカルにあわてた様子で宙に舞う白紙を追い、笑いを誘った。堅二が予想した通り、不登校の川井も来ている。もうすぐアメリカに渡るという彼女は、仲間との最後のダンスを踊りきった。

演劇部の演目はロボット特撮風の活劇だった。演劇で再現するのが難しそうな怪獣との闘いを小道具や舞台装置でうまく表現している。こういう話は最後には主人公側が勝つとわかっていても、緊迫した展開には思わず手に汗を握ってしまう。

「半自律式人型兵器の開発にはさまざまな批判があった。実用面での欠点は技術の進展で改善されていったが、まだ気がかりなことはある。たとえば、人間を模した存在は人間の過ちを繰り返すんじゃないか」

SF的な設定もなかなかいい雰囲気を加えている。

「総員に告げる。これは訓練ではない。目標は今、目の前にいる」司令官役の女子部員の力強い声が響く。この声は同じクラスの長谷田だ。

そして怪獣が登場する。着ぐるみは簡単な作りだが、荒々しい質感で安っぽさをうまく抑えている。コックピットに搭乗する主人公役と巨大ロボットの役が2人並んで演じている。両者の台詞とアクションは息ぴったりだ。

「何をしている。この攻撃チャンスを逃せばもう勝ち目はない」みなが舞台に見いっている。舞台に集中しだすと体育館の他の空間が意識の外へ次第に消えていった。


「今、決意を固めた私の胸には、」


「しかし、まだ逃げ遅れた市民が...」コックピットの主人公が逡巡する。


「大きな世界に飛び出していく、不安と希望が溢れています」


「もう一刻の猶予もないぞ」と長谷田が急かす。

何かがおかしい。周囲は暗く、現実感が希薄だ。


「恩師の言葉のひとつひとつが」


そう、これは3組の多田の台詞。次は1組の白木が「私の心を支えてくれるでしょう」と続ける。

堅二は、以前の将棋部県大会の対局での大敗のことを思い出した。そのとき現状とはまったく別の棋譜のことにとらわれてしまい、見当違いの手を打ってしまったのだ。さまざまな局面を想定し没頭する自分の強みの陥穽だ。気をつけなければいけない。しかし、

(今は、どっちだ)

リハーサルなら有志発表はそもそもない。だが堅二は、有志発表すら何度も頭で繰り返してきた。現状が「卒業生の言葉」ならばあと7人で自分の番だ。すでに体が覚えているはずだ。きっとミスはない。

「タカセ隊員、残念だが、もう待てない。爆撃機による攻撃を急げ」

長谷田が冷たい声で告げる。主役が叫び、ロボット役が駆け出す。その直後、役者の動きが完全に止まり、舞台が暗転した。


「この慣れ親しんだ学舎をあとにして」


何も見えず、一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。隣の生徒の生唾を飲み込む音がかすかに聞こえた。誰もが次の局面を待っていた。

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