第2話 何故に僕はダークサイドに堕ちたのか
僕がこの大学に入学したのは、もう1年も昔のことになる。
高校での3年間を真面目に過ごし、勉強以外には脇目も振らずに学び続けた僕は、『知の殿堂』と世間一般に“誤解”された学舎、京都大学に入学するべくその入学試験を受験した。そしてなんとか、ギリギリの所で合格を勝ち取ったのである。
高校での3年間。それは正直なところ、楽しいものではなかった。
よくある話ではあるけれども、僕のようなヤツ、つまり”ガリ勉”と呼ばれる人種の人間は、高校という場所においてかなりの高確率で馬鹿にされる。
『うっわ、あいつまた勉強してるよ。人生つまんなそー』3年間で何度その言葉を聞いたかはわからない。
通っていたのが進学校であったが故に、イジメられこそしなかったが、しかし数多の陰口という名の精神攻撃が、3年間の長きにわたって僕を苦しめた。
しかしながら僕は、それに耐え忍んで勤勉を貫いた。それはひとえに『真面目に過ごしていればいずれその努力が報われるはずだ』という、世界の残酷さを知らない子供が抱くような儚い夢、そんな根拠のない妄想故だった。
けれど、そうはいってもだ。隣で青春を謳歌する彼らの姿を見て、僕が一切の”羨ましさ”を感じていなかったかと聞かれれば、そんなことはなく、むしろ僕は羨ましくて仕方が無かった。だけど、勉強しか取り柄のなかった僕は、そんな”憧れ”に心奪われぬよう、半ば自分に言い聞かせるように、青春を楽しむ彼らの事を『下らない』とバカにしていた。だから、そんな青春に対して反抗的な態度を取る僕が彼らから陰口という反撃を貰うのは至極当然で、それは信賞必罰の結果だったのだろう。
正直な話、今思うと当時の僕はどうかしていたと言うほか無い。勉強しか取り柄がなかった所為でそれにすがりつくしかなく、その結果”普通”とはかけ離れた異常者になってしまっていたのだ。
間違いなく、あの頃僕は完全に精神を
僕は今ここで声高々に学歴社会の問題点を叫びたい。『勉強ばかりやらせていたら僕のような化け物が産まれてしまうぞ』と。僕こそが詰め込み教育の最大の被害者で、学歴偏重の闇を体現する生き証人である。
けれど、当時の僕はその事実、つまり自分の精神がおかしくなっていると言うことに気がついていなかった。それどころか『自分の方がマトモで周りがおかしいんだ』と、精神病患者の常套句を吐く始末だった。
そしてそんな狂気の高校生活を送る中で僕は『きっと日本最高峰の大学なら……』と、あらぬ夢を膨らませていたのである。自分の居場所を、まだ見ぬ大学という舞台に求めるようになっていったのだ。
そしてついに1年前、僕はこの京都大学の門戸を叩き入学した。……が、しかし。そこで僕を待っていたのは、待ち望んだ夢のキャンパスライフとは程遠い環境だった。
講義に平気で遅刻してくる者。
酒の臭いを漂わせて学内を徘徊する者。
学友の代理で出席詐欺をする者。
他人のレポートを丸写しして偽造する者。
麻雀荘で一晩を明かし、講義室で眠る者。
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ!
なんと言うことだろう。こんなことが果たして、この世にあっていいものなのだろうか? ようやくたどり着いた、僕のオアシス。パラダイス。理想郷。そのはずだった。
しかしそこは、醜悪で陰鬱な、酒と部屋干しの服の鼻につく臭いが漂う、ただの地獄だったのである。それまで期待に胸膨らませていた僕の絶望がいかほどだったかは、言うまでも無い。しかし、これが現実だった。
入学前の僕が、勤勉だとばかり思っていた京都大学の学生達は、その多くが勤勉とは程遠いダメ人間だった。無駄に高性能なその脳みそで悪事を働く、極悪人達だった。刹那的幸福に目がない快楽主義者だった。常識を知らない類人猿だった。
なんと言うことだろう。仮にデストピアというものがこの世に存在していたとするならば、そこはきっと今僕がいるこの京都大学のような場所に違いない。
悪人、変人、奇人の跳梁跋扈する、まさしく”変態万国博覧会”と呼ぶべきこの場所で間違いないはずだ。
いやもちろん、全員が全員、そんな人間だと言うつもりは毛頭無い。少ないながらも、僕と同じかそれ以上に努力に励む者達も居た。
しかし、その数は極めて少数でしかなく、国際自然保護連合の発表する絶滅危惧動物のレッドリストに載っていると見て間違い無いほど少なかった。
というか、単位取得の簡単さから“パラダイス経済学部”、通称“パラ経”と呼ばれる経済学部に至っては、完全に絶滅していた。なんたることか。
勤勉さなどかけらもない。京大生の殆どは、勉学に励むことを忘れ、俗世的快楽をむさぼることに執心する、見下げ果てた阿呆ばかりだったのだ。
そしてそれによって起きる帰結こそ、『毎年の入学生と卒業生はどちらも3000人程度なのに学部生はどう考えても何を間違ったか2万人は居る』という、かの悪名高い『京大留年伝説』である。
この伝説が正しいとすると、単純に考えておよそ8000人が留年しているのだから、恐るべき大学だ。もちろん褒めてはいない。
そして何より恐ろしいのはこの伝説、恐らく事実だ。
結局、夢と希望に胸を膨らませていた僕は、直視を憚られるような酷い現実を目の当たりにし、今度は絶望と悔恨で胸をいっぱいにした。
あぁ、なぜ僕はこんな大学に入ってしまったのだろうか。なぜあの時東大ではなく、京大を選んでしまったのか。
こんな糞尿の掃きだめのような場所だと知っていたら、決して『入ろう』などと血迷ったことは考えなかったのに。京大を選んでしまったあの時こそまさに我が人生最悪の決断。人生の岐路。僕が人生の袋小路に迷い込んでしまった瞬間だった。
そうだ、僕は騙されてしまったのだ。京都大学の標榜する『自由の学風』とか言う、夢と希望に満ちた学風に。虚構で塗り固められた勧誘文に騙されてしまった。
『自由』なんて言うよくわからないものに踊らされて、ろくな下調べもせずこんな社会不適合者のためのゴミ処理場のような場所に入学してしまった。
なにが自由の学風だ。こんなのはただの無秩序じゃないか。『自分の人生なんだから好き勝手生きさせろ』と自由の意味をはき違えた阿呆共が、無精に堕生を過ごしているだけだ。馬鹿馬鹿しい。
ことここに至って、ついに僕は人生で始めて、完全なる絶望というものを味わった。これまで、どんなに辛く苦しいときも『いつかきっと努力が報われる』と自分を励まし続けていた僕も、さすがにこの時ばかりは、絶望の闇に叩き落とされた自分を励ますことが出来なかったのである。
そしてその結果。京都大学ひいてはこの世界の全てに絶望してしまった僕は、精神をマカロニの如くにひねくれさせてしまった。それにより僕は、それまで18年間貫いてきた『勤勉』を捨て去り、自己中心的で俗物的な極悪人となることを心の中の悪魔に誓ってしまったのである。
◇
『戦略的怠惰』。僕は今の自分の状況を、皮肉を込めてそう呼んでいる。
僕が京都大学生の見下げ果てた精神性に失望し、この世界に絶望してしまったことはすでに述べたとおりである。これから述べるのは、その結果として起きた、否、起こってしまった、僕の精神的退化に関することだ。
僕はこれまで『いつか報われるはずだ』と自分に言い聞かせ、あらゆる者達からの精神的迫害に耐え忍んできた。しかして結局、僕のこの“勤勉さ”という本来賞賛されるべき美徳はついに天下の京都大学に入学してですら報われることはなかった。いやそれどころか、むしろ僕のこの勤勉さという美徳は『融通の利かない石頭』とまで言われてしまうほどだった。
その結果、僕に何が起きたか。言うまでもない。反抗期である。生まれてこの方、『誠実さを固めて人間を作ったら僕のようになるだろう』とまで讃えられた僕は、この世界と京都大学に絶望するあまり、20歳になってついに、遅めの反抗期に突入したのだ。
世界は僕の誠実さを肯定するつもりなど毛頭無いようだ。ならば結構。僕にだって考えがある。勤勉さなどかなぐり捨ててしまおうじゃないか。
勤勉さ故に、僕は高校で多大な精神攻撃を受け、そして大学では絶望にするに至った。つまり勤勉でさえなければ、こんな辛い思いをしなくてすんだのである。
こんな持っているだけで人生を不幸にしてしまうパンドラ、一体誰が欲しいというのか。いいや、誰も欲しくない。少なくとも僕はいらない。ポイ捨ても辞さないくらいに不必要だ。なんなら鴨川に不法投棄してやる。環境破壊バンザイである。
こうなったら、これからは全力を以てグレてやる。これまでの人生で、勤勉さ故に手に入れられなかった幸福を、刹那的快楽を、優越感を、悉くまで欲してやろう。醜悪な人間になるのだ。
正しさなんかに構うものか。勤勉なんて一文にもならない美徳なんかよりも、たとえ悪徳であったとしても、短絡的情緒に溺れた方が良いんだろう? それがこの世の道理なんだろう? それなら望むところだ。僕はこれから閻魔大王もビックリ仰天ひっくり返って舌が引っこ抜けるような極悪人になってやる。
怠惰に生きる。
醜悪に生きる。
極悪に生きる。
快楽に溺れる。
酒に溺れる。
金に溺れる。
権力にすがる。
地位にすがる。
希望にすがる。
憎しみを糧とする。
愛を糧とする。
他人の絶望を糧とする。
正義も悪もへったくれもない。これが今から僕の生き様だ。20年という人生の5分の1を勤勉で塗り固めた僕の人生を今日から、”醜悪”と言う名の金槌で破壊しつくしてやるんだ。それこそが、この見下げ果てた世界に対して僕が出来る、せめてもの反乱である。
覚えていろ世界。今に見ていろ京都大学。
これから史上最悪の極悪人がこの世界に爆誕するぞ。
後悔してももう遅い。震えて待ってろ。レッツパーリー。
こうして、僕は精神をこじらせ、日の当たらない正義の道から、地獄の業火で照らされた怠惰なる悪の道を進め始めたのである。
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