第14話 前夜

 ベッドに寝転んで僕は逆さまに床を眺めていた。疲労でもう動けない。結局本番前日の木曜日きょうまで作業は続いた。休日だけと言っていたのに、作業がまだ残っていると先週末に言われて仕方なく。


 折り紙の全体的な貼り付けは思ったより早く終わった。けれどそこからが長かった。


「いや、もうちょっと何かできるな」


 突如思い付いたかのように大塚先輩がそう言い出して、絵の具を塗る時のような真剣な表情になって並べてみた未完成のパズル画を凝視した。


 空本の買ってきた特殊なデザインの折り紙を随所に貼り、全く違う色の折り紙の上に別の折り紙を重ねたりもした。その工程が最も多く時間を使った。


 どこまでも追求する、そんな熱量に満ちた眼差しで貼る場所を指示していく大塚先輩。悩み過ぎて思考停止になることも少なくなく、その時はモデルになった写真と見比べながら彼女と二人で色の配置を相談して貼っていった。


「ここは……これとか?」

「もう少し、暗くてもいいと思うけど」


 そんな会話をした。

 結局は僕らが相談して貼っていった中で採用されたのはほんの一部で、大塚先輩のオリジナリティ溢れる渾身の一作の引き立て役にすらならなかった。それでも作り上げたものはみんなが満足する出来のもので、画用紙にそれらを貼り、繋ぎ合わせていく作業はすごく楽しかった。

 バラバラのものが一つになった時は、この一ヶ月半の苦労が全て報われた瞬間だった。 お疲れ様、とお互いに言い合って、彼女だけはなぜかよそよそしかったけれど。


 その瞬間に浸っていると、つい頬が緩んでしまう。頑張ったよなぁ、ともう何度目のことか自分を誉めて起き上がった。


 誰かには見てほしい。


 そう思いながら机の上に置かれた星崋祭のしおりを手に取る。去年はもらわなかった、全てのクラスの出し物が載った一冊だ。


 少し楽しみになって、布団に座って開いて読む。

 各学年の出し物が記載されているページを開いた。


 どの学年も、面白いことをテーマにしている。男女逆転もののロミオとジュリエットとか、恒例の学生屋台、クイズ大会など、目移りすること間違いなしだ。


 けれどそれを全部回るのはたぶん不可能に近い。宣伝しながら会場を回っていこうとは思っているけれど、それでも目的は宣伝だしビラ配りなどもやらなければいけないらしい。抜け出すことは、彼女が許さないことが予想されて考えても無駄だった。


 とすると自由に見回れる時間はかなり限られていて、僕たちの作ったあの星雨の切り絵をゆっくり見る時間すらおそらくない。見られるかもわからない。


 だから去年、少しでも楽しまなかったことが今になって悔やまれる。星崋祭は文化祭だから学校側も出席確認をすることはなくて、クラスの誰かに見られることも避けたく三日間はずっと家で布団を被っていた。


 あの時もつまらないと思いながら、それでも何もしなかったのは誰も手を差し伸べてくれる人がいなかったからで。探そうとすらしていなかった僕の幼稚さでもあった。──誰も気になんてしていないだろうと、迷惑をかけている自覚すらなく。


 本当に悪いことをした。


 償うとか、そんな責任をとる行為なんてのは、それについては逆に変な答えだと思う。謝って赦してもらった今、しっかりと向き合って前を向くことが、僕に今できることだ。

 そんな、前向きに考えられるようになったのは、───やっぱり、彼女のお節介があったからだ。


 そこで思い出したように机の引き出しを開け、中からそれを取り出した。

 手紙。占めて七通。途中読んでやめた開封済みの一通を手に取り、椅子に座ってもう一度読んでみる。


『昨日はごめんなさい。あなたの気持ちを私は考えていなかった。でも、わたしなら本当にあなたなら変えられると思うから、だから学校に来て』


 変えられる。何を変えられるというのか。自分を変えられるというのなら、今はどうなのだろう。わからない。


 二通目を開封する。


 予想外の手紙だった。


『ま』


 同じ大きさの紙の上に大きく書かれたその文字。

 目をしかめて三通目。


『っ』普通より大きな''っ''。


『ま』『っ』。────?


 四通目。


『て』


 まだわからない。


『る』


 まってる。──あと二通。


『か』


 最後の一通。


『ら』


 開いてやっと理解する。『まってるから』ちょうど六文字で完成するメッセージだった。── そんなことするイメージではないけれど、気持ちは伝わってきた。


 これは大切に保管しよう。


 そう思い、何か頑丈な入れ物がないかを探して押し入れを探した。夏に使う扇風機とか、色々と物が詰め込んであったので外に出した。

 すると、


「ん……?」


 わりと奥の方、光の届かない場所に何かを見つけた。触れると感触があって、おもむろに引っ張り出した。


「これって……」


『たいせつなものぼっくす』と少し掠れてはいるけれど蓋にマジックの汚い字で書かれた箱を見つけた。全体的に埃まみれで、長い間放置してあったみたいだ。


 懐かしいと思うこともなく、蓋を外す。

 中に入っていたのは、子供らしいガラクタの数々だった。

 きれいな色の石ころ。赤色や青色、黄色まで色とりどりの。落ち葉や松ぼっくり、虫はさすがになかったけどどんぐりなども入っていた。

 そんなわりと雑に入っている『たいせつなものぼっくす』には、他にもいくつか収められていた。


「カード?」


 こっちはまだ状態がよかった。裏返しになっているものをひっくり返す。


『だいすきだよ』


 そんな、自分宛てのメッセージ。かわいらしい女の子の字で書かれた、おそらくは卒園式にもらったメッセージカードだった。


 何だよ僕、結構モテてたんじゃないか。


 なんて、たった一人の女の子に好かれていただけなのに思ってしまう。


 そしてもう一つ、やっぱり裏返しにされた裏が白い何か。

 おそらく、いやほぼ間違いなく──写真だった。


 山の中で撮ったと思われる、かなり小さい頃のおそらくは僕と、もう一人──傍らに女の子を写した写真。子供だということを基準にしてもすごくかわいい、お互いに笑顔の一枚だ。にーっと歯を剥き出しにピースサインなんて、今の僕じゃとてもできない。そんな──忘れてしまった少年の心を思い出させられるような。


 この箱に入っていないと気づかないほど僕の方は面影はかなりなくなっているから、その女の子の方も、今はたぶん別人になっているのだろう。

 ただ一つ可能性が高いのは、あのメッセージカードを書いた女の子とこの子が同一人物ということ。


 けど、昔の話だ。──もう来ないモテ期のことを散々考えても、どうしようもない。まあ、嬉しいけど。


 それらと共にあの手紙も一緒に中に入れた。久しぶりの更新だ。タイムカプセルよりも眠らせてしまった十何年ぶりの。


「さて、寝るか」


 明日も早い。本番だ。


 ***


 夜闇に蒼く沈む部屋のベッドにうつ伏せになり、わたしは顔をうずめる。


 いよいよやってくる本番に向けて、やれることは全てやった。

 後は楽しむだけ。彼と一緒にいられる数少ない時間を、残された時を楽しむだけだ。


 顔を上げて腰元に置いたそれを手に取った。体をよじって仰向けになり、暗くても面影の残るその写真立てに入ったそれ。


 彼は、覚えているんだろうか。


 後生大事に持っている唯一残されたこの思い出の写真を、あっさり捨ててはいないだろうか。


 卒園式。「開けないで」と言う前に気になって開けてしまい、彼は少し照れた表情になった。


 返事はなく「ん」と手を出してきてメッセージカードを渡すと「ぼくも」と、口答で伝えるのが恥ずかしいのか彼はそう書いて渡した。


 けれど『だいすきだよ』とその時書いたことは今では少し後悔している。あの時わたしが書くべき言葉はそうじゃなかった。


 ────だいすきだったよ。

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