episode 2
5 west or north
初夏。
ノルマンディーを東の端へと飛ぶ一隻の飛行船。
窓の下を低い雲が流れて行くのが見えた。上の方には下弦の月が、思いのほかの光量で雲を照らしている。
シェルブールを離れてから3時間ほど経つ──。
グレースは、舷窓のガラスに映る自分の貌に〝
──〝必ず、戻ってきなさい〟
それは、昔ながらの
任務の前に必ずしてくれるそれは、〝
グレースは、軍服を纏っていないときのデイジーの、蒼い優しい目が好きだったことを想い返す。
──いっそ、ただの〝造りモノ〟として扱ってくれてた方が、楽だったのにな……。
グレースは、ぼんやりとそう思っている自分の顔の映った舷窓から、意識を呼び戻す。
いまではそのデイジーの暗示だけでなく、もう一つの〝約束〟もある。
砂色の瞳のガリア人の
〝だから君も約束してくれ〟〝必ず、死なないって〟…──
自然に〝あの歌〟を
──〝必ず、死なない〟……。
この場合の〝死なない〟というのは、
だから、わたしは〝死ねなく〟なった……。
でも、
『現地上空まで20分──全艦、投下準備に入る、各自は所定の位置に付け ……繰り返す、全艦…──』
*
『──…繰り返す、全艦、投下準備に入る、各自は所定の……』
ベルニはその放送を、〈ロリアン〉の船底部に口を開ける半開放式の収容ベイの中で聴いていた。
足元には、床面と同じレベルになるように懸吊固定された大型グライダーの操縦席がある。
〈ロリアン〉は〝飛行戦艦〟と大仰に称してはいるが、つまるところ
全長250メートル。まだ大国ガリアの国力が健在であった頃に建造され、その巨体はヘリウムで浮揚する飛行船としてはこの時代の欧州において最大級のものだった。航空機すら搭載・運用が可能という巨船はいってみれば〝空中空母〟であり、特殊作戦旅団隷下の各落下傘連隊の母船として、ベルニも何回となく乗船している。
その〝飛行戦艦〟が、ベルニの〝パラディンROME/
「いよいよか……」 ベルニは口の中で小さく呟いた。
パラシュートで降下する
約7トンの積載量を誇る大型グライダーとはいえ〝
ベルニが緊張の面持ちで手の中の地図を確認したりしていると、背後に人の気配がした。
知らない気配──ベルニは見知った気配なら何となく誰だか判る──に背後を振り見やると、そこに軍服ではなく仕立ての良い背広を着た線の細い、取り立てて目立つところのない男が所在なげに立っているのを見た。
わずかに見覚えが有ったようにも思えたが、どうにも思い出せない。
視線が合うと、男は軽く会釈をして育ちの良さそうな面差しに気恥しそうな微笑を浮かべてみせた。
「…やぁ……」 四十絡みと思しき男は、風で乱れた──収容ベイは半開放式なので、中には風が巻いている──頭髪を無造作に押さえながら言った。「──あー…その……ヘイデン・アシュトン博士だ ……〝今回の無理〟の張本人、だよ」
言って申し訳なさそうに笑うと、右手を差し出してきた。
ようやく思い当たったベルニは、その余りに劇的でない出会いの挨拶に拍子抜けする思いだったが、それを胸の中に仕舞い込んで彼の右手を握った。
「──ガリア竜騎兵 ベルナール・ロラン上級軍曹です」
「よろしく頼む……軍曹」
アシュトン博士は、何度か頷き、気さくな笑顔を向けてきた。
それから10分後には、ベルニが操縦桿を握る大型グライダーは、アシュトン博士、指揮統制車の運転手──目付きの悪い中年男の──ドゥミ伍長、
その後、〈ロリアン〉はさらに増速をし、降下地点であるアミアン郊外の上空1400メートルでグレースら7体の〝グレムリン〟を投下することになっている。先行して降下侵入を終えた彼らが、グライダーの降下地点の安全の確保をする手筈だ。
*
風切り音の合間──開けっ放しの通話機から、さして音質の良くない
『──…こちら第2分隊のチャド、ロジャー…聞こえるか? ──…〝降下終了、B
『──ロジャーよりチャド、〝感度良好。こちらはA
それでグレースは、ロジャーとチャドの隊が無事に降下を終えたのを確認できた。
地表が迫ってきていた。
グレースらハーフリング専用とも言える〝グレムリン〟は、小型軽量でありながら大出力の
グレースは、速度も同時に
すぐさまパラシュートを切離すと、視線を巡らせる。近くにシビルの〝グレムリン〟が同じように着地するのが見えた。その間にも手は休めずに、携行した20ミリ狙撃ライフルに長い
「第3分隊、グレースよりロジャー…──〝降下終了、C
*
その後、10分としないうちにベルニの操縦する大型グライダーは、ロジャーらが確保した降下地点に舞い降りた。
グライダーの機体が停止するや、ベルニはすぐさま貨物室に降りて〝パラディン〟に収まる。
シェルブールで改修された〝パラディン〟は、ポネットの腕とイングレスの技術で完全に生まれ変わっていた。
四肢だけでなく全身の人工筋繊維はイングレス製のそれに換装され、
またイングレス製の電子機器は、ガリア人のベルニには、もはや〝魔法〟としか思えない代物だった。
通話機の音質は言うに及ばず、最新の〝
グレースからの事前の説明ではいま一つピンと来なかったのだが、百聞は一見に如かず、実際にその情報がHUDに投影されてしまえば、その戦術的な有用性は疑いようがなかった。
この
いずれにせよ、このように〝運動性の向上に主眼を置いた改修〟──
その改修なった
機首の開口部が開くと、そのまま〝パラディン〟を機外に降ろす。
それから〝パラディン〟は、例の〝長物〟オチキス13ミリ重機関銃をいったん地面に置き、機首開口部の下部に備えられたスロープを引き出して設置する。その後、指揮統制車の自重で持ち上がってしまっているグライダーの機首を下げるため、第2分隊長のチャドの〝グレムリン〟と一緒に尾部の方を持ち上げる。グライダーのバランスが取れると、重い指揮統制車は自走して降りてきた。このようにFPAは、
*
誰一人欠けずに夜間降下を終えた小隊は、降下地点であるアミアン東側の郊外──街の中心部からアヴル川沿いにおよそ8㎞の地点から、そのまま対竜索敵行動を開始した。
だが竜の斥候はまだこの辺りにまで到達していないようで、3時間の作戦行動で1匹の竜とも接触することはなかった。
結局、中心街区から東に40㎞の地点まで達したところで指揮統制車の強力な無線通信機でアミアン当局に連絡を取ったところ、現在までのところ竜との遭遇は報告されていないとのことであった。
ただ、南に80㎞に位置するコンピエーニュの駐屯部隊はすでに後退しており、夜半であるにも関わらず、北のカレーや西のルーアンに伸びる鉄道は、後退する軍の部隊と街から殺到する避難民とで大混雑の態だという。
ガリア共和国の軍人であるベルニは、逃げる市民を護ることすらできないこの現状に、ただ苛立って拳を握る。
この時点で
*
それから5時間後──。
明け方、まだ陽が上りもしない時間帯に、小隊は竜と交戦しつつ退路を探す羽目に陥っていた。ノルマンディーから南下したガリア軍の4個師団は、アミアンとコンピエーニュとの中間に新たに布いた防衛線で竜の北上を食い止めることに、どうやら失敗したらしかった。
東進を再開して3時間後に最初の竜の小集団と遭遇するとこれと小競合いとなり、後続の竜の増援に手こずっているうちに、気付けば西への街道にも竜の姿があった。退路を断たれた形だった……。
『こちらチャド、ロジャー…──〝東と南側は竜
『グレースよりロジャー、〝西側も同様…… 街道の先に強個体種を
ベルニは
竜どもの動きには統制らしきものが感じられる。どうやらこの戦域には〝知性体〟が居るらしい……。
ベルニは小隊長の指示を待つ。
小隊長のロジャーは決断を迫られているはずだ。
今し方通ってきた街道を西──アミアン──に戻って竜の溢れる〝敵中〟を突破するか、それとも南北の街道を北へと、ペロンヌの城塞を目指すか…──。
ロジャーの決断は早かった。
『──ロジャーより小隊全機、〝北に向かう。指揮統制車を護りつつ8㎞を全力で移動── 先頭はチャドとティム、グレースとロランは僕と
だが、この場合の主導権は、どうもあちら側にあるようだった……。
ロジャーの指示に各自が反応するよりも一瞬だけ早く、街道西で睨み合っていた強個体種が、その身を躍らせていた。
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