人間模様4 地元のタクシードライバー

herosea

自宅の忘れ物

 今日、ヒロシはいつも通りに仕事に出ているが、どうしても都合で一度家に帰る必要があった。丁度、午前中に客先外出を終えて、その後、家に立ち寄ることにした。東京のお客様から横浜のオフィスに戻る途中、本来であれば東海道線を使って戻るところを、少々大回りをして自宅のある東急東横線の駅で降りた。


 オフィスには昼過ぎには戻りたい。駅の改札を出たヒロシは腕時計をみた。あまり時間がない。少々焦っていた。それに、仕事のはずなのに知り合いに地元の街をうろうろしているのをみられたくない。それもあってタクシーに乗ることにした。


駅前のタクシー乗り場に丁度一台の個人タクシーが客待ちをしていた。そのタクシー乗り、運転手にヒロシは告げた。

「松の湯までお願いできますか。」

運転手、

「はい、わかりました。」


 ヒロシはその短い応対にこの運転手はここらへんで長く営業していることを察した。というのも、大通り沿いにあった松の湯という銭湯は今はもうない。10年程前に閉館してオーナーがその土地に賃貸マンションを立てて土地運用をしている。しかし、大通り沿いの目印になっていたので、松の湯があった場所として、長くこのエリアで営業しているタクシーにも知られているのだ。客のこちらからすると今は無くてもその銭湯の名前を告げるのは住所を告げるより簡単で、場所に迷われることもない。


 タクシーは数分走って、料金が2メーター挙がったところで早々と自宅付近に着いた。歩けば15分ほどかかるところなのでかなりの時間の節約になった。

「すぐ戻リますんで、ちょっと待っててください。あの見えているところが僕の家なんで5分で用事を済ませて戻ってきます。」

運転手、

「あー、いいですよ。この大通り沿いに止めて待っていますね。」


 ヒロシは、大急ぎでタクシーを降りて、大通りから20mほど小道を入った自宅へ急いだ。家の玄関の鍵を開けて中に入る。実のところ用事というのは忘れ物だった。会社用の携帯を忘れたのだ。営業をしているヒロシにとって携帯は生命線、顧客からいつ電話がかかってくるかとヒヤヒヤだ。


 果たして携帯はすぐに見つかった。玄関横の下駄箱台にそれはすぐにあった。ここには良くものを忘れる・・。外出時のバタバタでここに小物をおいたまま忘れて出てしまうのだ。今日もやってしまった。携帯を確認してみると着信の記録はない。ヒロシはホッとした。


 携帯を手に握りしめ、30秒もかからないうちに家を出た。再び大通りで待っているタクシーに駆けて行き、空いている後部ドアに滑り込んだ。

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