【2-80】等身大の本音

「リアム、君、怪我をしているじゃないですか! 手当てをしなくては!」


 リアムの頬や手の甲にはいくつも切り傷があり、ズボンも所々に血が滲んでいる。窓を破って突入した際に負傷したのだろう。リアムの腕の中でキリエは身じろぎしたが、彼の手が震えていることに気づき、動きを止めた。


「……怖かった、本当に」

「リアム……」

「また家族を喪うのかと……、恐ろしかった」


 キリエにしか聞こえないほど小さな声は、敬語で取り繕うことすら出来ていない。弱さを晒け出している彼を守るように、キリエはリアムの背へ腕を回し、そっと撫でた。

 氷のような眼差しでマデリンを見ていたジェイデンは、寄り添う主従を振り返って表情を緩め、安堵したように溜息を落とす。


「キリエ様! リアム様!」


 慌ただしい足音と共に、エレノアとセシルがやって来た。蒼ざめている彼らは、薬箱を手にしている。おそらく、縄を取りに行ったジョセフが指示を出したのだろう。


「御二人とも、すぐに応急手当てをいたします。キリエ様、御手をこちらへ」

「リアム様も、傷を見せてくださいね。今、エドがお医者さんを呼びに行っています」

「俺のことはいい。二人で、キリエ様の傷へ早急に処置をしてさしあげてくれ」


 使用人たちの登場で我に返ったリアムがそう言ったが、セシルは頑固に首を振った。


「いいえ。リアム様のほうが傷が深いですし、出血も多いです。キリエ様の御怪我の処置は器用なエレノア一人でも事足ります」

「セシル!」

「まぁまぁ、おとなしく治療を受けたまえよ。その彼が言う通り、リアムのほうが数倍ひどい怪我をしている」


 いつの間にか傍へ寄って来ていたジェイデンは、セシルを男だと見抜いたものの、メイド服姿の彼を特に気にすることなく、ごく普通の口調で治療を勧めてくる。


「君がちゃんと手当てを受けなければ、キリエも気が気じゃないだろうしな。キリエ、傷は痛むか?」

「僕は大したことありません。ちょっと痛い気はしますけど、このくらいの怪我は平気です。それより、リアムにちゃんと手当てを受けてほしいです」

「だそうだ」


 ジェイデンとキリエの会話を聞き、リアムはようやく表情を少し崩して微苦笑を浮かべた。そして、黙ってセシルの手当てを受け始める。この一連のやり取りの間に、エレノアはキリエの傷の中でも大きなものへの処置を終えていた。そのまま、小さな傷の消毒を進めてゆく。マデリンは、マクシミリアンの監視の元、ジョセフから後ろ手に縛られていた。


 一番の山場は過ぎたのだろう。そう思って緊張感が解けていくにつれ、キリエは負傷の痛みを正確に自覚していった。しかし、騒いで嘆くほどのものではない。少しだけ顔をしかめているキリエの様子を見ながら、ジェイデンも近くの床へ腰を下ろした。


「フットマンがかかりつけの医者を呼びに行ったそうだから、じきに到着するだろう。とりあえず、君とリアムはきちんと怪我を診てもらって、休むといい。ランドルフが王国騎士を連れて戻ってくるはずだから、マデリンの身柄受け渡しや処罰交渉などはこちらで進めておこう。僕はキリエを裏切ったりしない。信用して任せてほしいんだが、構わないか?」

「僕はジェイデンを信じています。……でも、ここまで巻き込んでおいて言うのも変な話ですが、君にこれ以上の迷惑をかけてしまうのは心苦しいです」

「そんなことは気にしなくていい。また明日、報告がてら立ち寄るから、そのときにまた色々と話そう。……今日はゆっくり休むべきなのだよ。キリエも、リアムも」

「ありがとうございます、ジェイデン」


 キリエが礼を伝えると、その隣でリアムも深々と頭を下げる。気にするなと言うようにジェイデンがひらひらと手を振ったところで、マデリンが言葉を投げかけてきた。


「キリエ、本当にワタシを殺さなくていいのかしら?」

「えっ……」

「さっき、随分と甘ったれたことを言っていたようだけど、ワタシを殺せば血族にも容赦はしない人間なのだと示す良い見せしめになるんじゃないの?」

「僕は、そんなことを望んでいません」


 困惑しながら答えるキリエの横で、ジェイデンは苛立たしげな溜息を零し、マデリンを睨みつける。


「マデリン。キリエに話しかけるなら、もっと他に言うことがあるんじゃないか?」

「無いわ。ワタシはキリエに対しては命乞いなんかしていない。アイツが勝手に助けてるんじゃない」

「マデリン! いい加減に、」

「そうですよ。僕が勝手にしていることです」


 マデリンを怒鳴りつけようとしていたジェイデンだが、途中でキリエが口を挟むと、その言葉の内容に毒気を抜かれたような顔をして声を呑む。


「僕は、この場でマデリンが殺されてしまうのは嫌だった。だから、ジェイデンにお願いをして口添えしてもらって、リアムにも剣を収めてもらいました。全部、僕がそうしたくてしたことです。御礼を言ってもらう必要はありません」

「……アンタ、一体何なのよ。ワタシ、アンタに死ねって言ったのよ」

「そうですね。傷つきました。……でも、僕はマデリンに生きていてほしいです。だって、まだ、ちゃんと話し合えていません。僕はきっと君を誤解しているし、君だって僕を誤解していると思うんです。だから、お互いに生きて、きちんと向き合いたかったのです」


 マデリンは、信じられないものを見るような目で、キリエを凝視した。しかし、そこにはもう、憎悪は滲んでいない。


「……初めて言われたわ。生きていてほしい、なんて」

「そうなのですか?」

「うん。だって、ワタシ、……ワタシ、本当は分かってた。みんなに嫌われているって。お母様に、何度も言われたわ。お前なんかいらない、産まなければよかった、って。ランドルフだって、つい最近まで、ワタシがお母様から何をされていても知らんふりしていたわ。コンラッドも、いつもワタシを厄介者扱いしてた。たぶん、みんな、ワタシなんかいなくなればいいって思ってたはずよ。それこそ、死ねばいいって思っていたんじゃないかしら。……だから、羨ましかったの。何も知らなくて、何も持っていないのに、沢山の人たちに望まれて、愛されて、大切にされているアンタが。ワタシがどんなに欲しくても手に入れられないものを、全部持っているアンタが。……どうしようもなく、妬ましかったの」


 それは、心からの言葉だった。何の虚勢も見栄もなく、マデリンが吐き出した等身大の本音だ。キリエは頷いて、彼女の言葉を受け止める。


「マデリン……、君はずっと、淋しくて、苦しかったのですね。やっと、君の本心に触れられた気がします。だから僕は、君が生きていてくれて良かったと思っています」


 一言も責めようとしないキリエの言葉に、マデリンの両目から大粒の涙が零れ落ちた。止めどなく流れる涙は、彼女が今まで押し殺してきた気持ちの表れなのかもしれない。

 暴虐な王女の仮面を捨てて嗚咽を漏らすマデリンは、ただの脆弱な女の子であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る