【2-76】ごめんなさい

 ◇



 応接室へ案内されてきたマデリンは、前回会ったときと比べて随分とやつれた印象だった。隣にいるランドルフの頬にはアザがあり、騎士服の袖口から覗く両手首には包帯が巻かれている。

 昏い眼差しのマデリンは、ジェイデンの姿を見て眉を顰めた。


「……ジェイデンも来ていたんですの?」

「ああ、キリエに話があってお邪魔していたのだよ。何か問題でも?」


 ジェイデンはごく普通の口調のようでいて、どこか煽っているようにも感じられる声音で問いかける。マデリンの眉間の皺は、ますます深くなった。


「ワタクシは、キリエと二人きりで話したいんですの。悪いですけれど、キリエ以外は全員退室していただけます?」


 彼女の発言を受け、その場の皆はそれぞれ驚きの表情を浮かべる。


「マデリン、それは……、リアムも含めた全員の退室を望んでいるということですか?」

「ええ、そうですわ。ランドルフも退室させるから、それでいいでしょう?」

「えっ、えぇと……」


 キリエが口ごもりながらリアムの様子を窺うと、彼は何とも渋い顔をしていた。たとえ相手がマデリンといえど、二人きりにするのは不安なのだろう。いや、マデリンだから、なのかもしれない。

 ジェイデンとマクシミリアンも、ランドルフも、ここまで案内してきたジョセフも、皆が複雑な面持ちで、マデリンの提案を歓迎していない空気を漂わせている。


 その雰囲気を察したのか、マデリンは少し気落ちした様子を見せた。彼女は視線を床へと落とし、しおらしい口調で言う。


「そうですわね……、ワタクシ、今までキリエに対して酷い態度ばかり取っていましたもの。警戒されてしまうのも、無理ありませんわ」

「えーと……、その……」

「でも、ワタクシ、キリエにきちんと謝っておきたいんですの。だけど、他の人がいる前では恥ずかしいですわ。少しの間だけでいいから、二人きりになる時間をくださらない?」


 キリエとしても、マデリンときちんと話し合う時間は欲しいと思っていた。一方的に嫌われてしまうというのは、悲しいしやるせない。彼女が何か誤解をしているのであれば正したいし、対話をしても分かり合えないのであればそれはそれで仕方がないだろう。


「──分かりました。マデリン、二人で話しましょうか」

「キリエ様!?」


 キリエの承諾の言葉を聞き、リアムが抗議をするように名を呼ぶ。彼の反応は、予想通りだ。キリエは安心させるように微笑みかけた。


「大丈夫ですよ、リアム。少しだけですから」

「しかし……」

「ランドルフも退室するのなら、僕が斬られたりする心配も無いでしょう? いえ、ランドルフが僕を斬るとも思えませんが。というか、マデリンは女の子なのですし、普通に考えれば僕よりも彼女のほうが危ないのでは? もしかして、そちらを心配しています?」

「いえ、違います。そうではなくて……」


 キリエの勘違いを即座に否定したリアムは、不安そうな面持ちのままだ。マデリンは何か文句を言うわけでもなく、おとなしく様子を窺っている。

 キリエは苦笑と共に、ひとつの提案をした。


「では、リアムはドアのすぐ外にいてくれますか? 僕はドアの前にいますから。それなら、何かあったとしてもすぐに助けてもらえるでしょう? ……せっかく、マデリンが話をしに来てくれたのです。僕はこの機会を大切にしたいです。……駄目でしょうか?」

「いえ……、承知いたしました。しかし、鍵は掛けないようにお願いいたします。そうでなくては、御二人に何かあったとき、我々もすぐに中へ入れませんので」


 結局はリアムが折れる形になったが、彼の眼は真剣そのもので、有無を言わさない圧力を宿している。キリエもそれに反論するつもりはないため、素直に了承した。


「分かりました。……では、ジェイデンとマックスも、すみませんが少しだけ部屋の外に出ていただいても構いませんか?」

「まぁ、キリエがそう言うのなら。……しかし、マデリン」

「何かしら?」


 ジェイデンはマデリンを鋭い眼光で射抜き、静かに言う。


「くれぐれも、僕を本気で怒らせるなよ?」


 その声音は、背筋が凍ってしまいそうなほど冷たい響きだった。彼の金色の瞳には、憤りを抑え込んでいるかのような色が滲んでいる。それを見つめ返し、マデリンは勝気に微笑んだ。


「……ええ、もちろん。大丈夫ですわよ。言ったでしょう? ワタクシはキリエに謝罪を伝えに来たのですから」

「それならいいんだが」


 ジェイデンは立ち上がり、心配そうな表情のマクシミリアンを伴ってさっさと退室して行く。それにジョセフとランドルフが不安を隠そうともしない顔で続き、最後に緊張気味のリアムがキリエをじっと見つめながら応接室を出た。

 約束通りキリエはドアの前に立ち、マデリンと向かい合う。茶色の巻き髪がいつもよりも崩れている姫君は、今まで見せたことがないような笑顔だ。キリエも嬉しくなり、つい口元が綻ぶ。


「マデリン。僕は、君に謝ってほしいとは思っていません。ただ、一度、君ときちんと話をしてみたかったのです」

「そう、嬉しいですわ。でも……、やっぱりワタクシはきちんと謝罪しておくべきだと思いますの」


 にこにこと笑いながら、マデリンはキリエへ近付いて来る。キリエの真横に立った彼女は、笑顔のまま──素早く腕を伸ばして閂錠を掛けてしまった。


「えっ……、マデリン、一体、何を、」

「キリエ様!? キリエ様、なぜ鍵を掛けられたのですか!?」


 戸惑うキリエの震える声と、ドアを乱暴に叩きながら焦っているリアムの声。それらを聞きながら、マデリンはどこか恍惚とした笑みのまま、ドレスの裾をたくし上げてゆく。そして、彼女は、ガーターに挟む形で隠し持っていた小さな短剣を手に取った。


「マデリン……?」


 首を振って距離を取るキリエを眺めながら、マデリンは短剣を鞘から抜く。


「ふふっ、キリエ。最初に謝っておきますわね。──ごめんなさい、死んでくださる?」


 歌うような口調でうっとりと言った彼女は、愉しげに微笑みながら手近な花瓶をキリエへ向かって投げつけた。

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