【2-25】夜霧の色
「エド、どうしましたか!?」
「あっ、キリエ様、お待ちください! 頼む、マリウス!」
「チョ、チョット、チョット、何なのヨ~!」
突然の悲鳴に驚いたキリエが真っ先に採寸室を出ようとしたが、リアムが羽交い絞めにしてそれを阻止し、マリウスの背中を蹴って部屋から追い出す。よろけながら採寸室を出たマリウスに続き、リアムとキリエも元の店内へと戻った。
「坊ちゃん! なんでこんなオイタをするノ!?」
「約二十年前にされた蛮行への恨みだ、許せ。そんなことより、エド、どうし、……」
ソファーに座っているエドワードを見たリアムは、言葉に詰まる。彼につられてフットマンへ視線を向けたキリエもまた、絶句した。だが、マリウスだけは黄色い声を上げてエドワードへ駆け寄って行く。
「キャーッ、エドちゃん! なんて可愛らしいのカシラ! おめかししちゃって、どうしたノ? それ、アタシのお気に入りの私服ヨ」
「どーしたもこーしたもないっす! お針子ちゃんたちのせいで、こ、こんな目にぃ……、っていうか、マリーちゃんの私服なんすか、これ!?」
半泣きのエドワードは、何故か、リボンとレースがふんだんに使われている水色のワンピースを着ていた。もともと着ていたはずの燕尾の上着とシャツは床に捨てられているが、ワンピースの下からはズボンを履いた脚が見えており、なんとも奇妙な格好である。
「お針子ちゃん、とは……?」
この状況に混乱しているキリエがようやく絞り出せたのは、エドワードの嘆きから拾った単語についての疑問だった。キリエの問いに、リアムが答える。
「この店では、数年前からミリィ、メリィ、モリィという名の三つ子がお針子として働いております。おそらく、彼女たちがエドワードにワンピースを着せたのでしょう」
「……な、なぜ?」
「ウチのお針子チャンたち、着せ替えが大好きダカラ。綺麗なお顔のエドちゃんを見て、アタシのワンピースを着せてみたくなったんでしょうネ。エドちゃんとアタシ、同じくらいの背丈ダカラ」
楽しそうに話すマリウスは、舐め回すような視線でエドワードを観察していた。可哀想なフットマンは更に青ざめ、その様子を見ているキリエの顔色も悪くなっていく。
「お針子三姉妹は、大人の男が嫌いなんじゃなかったのか? 俺も姿を見たことがないのに、なんでエドは平気なんだ」
「エドちゃんは、大人の男っていうより、可愛いワンワンだからじゃないカシラ? たぶん人間の男として見てないんだと思うワ」
「ひどいっす! オレ、犬じゃないっす! ちゃんとおとなしく待ってたのに、なんでこんな目にぃ」
そうは言っても、エドワードが嘆き悲しんでいる今の姿は、キャウンキャウンと騒いでいる大型犬にしか見えない。だが、その言葉を飲み込み、キリエは床に落ちていた衣服を拾ってエドワードへと渡した。
「エド、大変な目に遭いましたね。とりあえず、お着替えしましょうか」
「わぁぁん、キリエ様はお優しい! キリエ様だけお優しいっす!」
「エド、いいから早く着替えろ。キリエ様の御手を煩わせるんじゃない」
「は、はいっす……」
涙交じりの声で返事をしたエドワードは、のそのそと着替え始める。溜息を零したリアムは、呆れた調子でフットマンへ問い掛けた。
「変な悲鳴を上げていたが、あれは一体なんだったんだ?」
「ズ、ズボンを脱がされそうになったんで、つい……」
「三人がかりとはいえ、相手は女性だろう? ワンピースを着せられる前に、抵抗すれば逃げられたんじゃないのか?」
「抵抗はしたんすけど……、物音を立てない抵抗には限度があったんで……」
「……何故、物音を立てないことにこだわった?」
「だって、リアム様が、静かにいい子に待ってろって仰っていたので」
「お前……、本当にバカだなぁ」
「しみじみと言わないでほしいっすー!」
二人のやり取りを微笑ましく聞きつつ、キリエは店内の生地などを見て回る。ふと、とある生地が目について腰を屈めると、背後からマリウスに声を掛けられた。
「キリエ様、どうかなさったのカシラ?」
「いえ……、その、良い色だなぁと思いまして」
その生地は、黒に近い紺鼠色に染め上げられているものだ。霧がかかった夜闇に例えられた、夜霧の騎士──リアムの毛髪の色によく似ている。
「リアムの髪の色みたいで綺麗だなぁって、見ていたんです」
「フフッ。キリエ様からそんな風に言われたら、リアム坊ちゃん喜んじゃうでしょうネェ」
自分の名前が聞こえたからか、リアムがキリエたちを振り向いた。
「ん? ……なんだ、マリウス。呼んだか?」
「イイエ~、なんでもないわヨ」
「そうか? くれぐれも、キリエ様に変なことを吹き込むんじゃないぞ」
「ハイハ~イ」
リアムの言葉を軽くかわしたマリウスは、キリエへこっそり耳打ちしてくる。
「ネェ、キリエ様。お仕立てする普段用のお衣裳、この布地で何着かお作りしましょうカ? リアム坊ちゃんには内緒で」
「本当ですか? ……あっ、でも、念のためにお伺いしますが、この布、お高くないでしょうか?」
「王子様なのに変なこと気にされるのネェ。ご安心くだサイ。全然お高くないデスし、過度に贅沢な素材でもありまセン」
「じゃあ、ぜひお願いします……!」
秘密を共有した二人は、楽しげな笑い声を上げた。急に仲良くなったらしい彼らの様子を見て、リアムは不思議そうに首を傾げるのだった。
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