【1-6】無邪気な約束
妙な悪目立ちをしてしまったキリエとエステルは、とりあえずはその場を後にして教会へ帰ることにした。
エステルの物言いたげな視線と尖らせた唇を気にしつつも、キリエはしばらく無言を貫き、渦巻いている思考を整理しようとする。しかし、結局は考えがまとまらず、街門を出たところで深い溜息をついた。
「エステル、何か言いたいことがあるのならどうぞ」
「もう考えごとは終わったのか?」
エステルが我慢して沈黙に付き合ってくれていたのは、やはりキリエの熟考の邪魔をしないためだったらしい。彼女は話したいことを話したいように喋る場合が多いが、相手が心底から沈黙を選びたがっているときには口を閉ざして待ってくれる。エステルは昔から、雑なようでいて細かい気配りも出来る少女だった。
「正直なところ、考えは何もまとまっていません。僕自身が混乱したままですけど、それでもよければ何でも訊いてください」
「……いやー、あたしも正直、何から訊きゃあいいのか分からん」
「では、まずは僕から尋ねましょうか。エステルはなぜ、街役場の近くにいたのですか? あの男たちに連れられて来たんですか?」
会話を発展させるべくキリエが質問を投げかけると、エステルはハキハキとした口調で答えてくれる。
「あんたのことが気になったからさ。あたしが神父様から頼まれていたことをキリエに丸投げしたままってのは、なんだか気分が悪いだろ? だから、せめて役場の前で待ってて、もう一回お礼を言おうと思ったんだ。その道すがら、変な連中に絡まれちまったけど」
「そうだったのですね。でも、昨日も伝えましたが、本当に気にしなくてよかったのですよ。お仕事が終わってすぐに帰ったなら、嫌な思いをしなくて済んだでしょうに……」
「あたしがそうしたかったんだから、いいんだよ! それに、ああいう連中に遭遇するのは初めてじゃない。今日のは特にしつこかったけど、割とよくあることさ」
若い女の子の日常に頻出していい出来事ではない。そう考えるキリエが表情を曇らせると、エステルは思いきり背中を叩いてきた。少女の力は思いのほか強く、青年はついよろけてしまう。
「ぁ、痛……ッ」
「そんなことより! 落し物はどうだった? やっぱり王家絡みの代物だったのか?」
「それは、……ええ、そのようでした」
街役場でのことを思い出し、キリエの眉尻が下がる。それを見たエステルは、逆に眉をひそめた。
「何か嫌な思いをしたのか?」
「いえ、嫌な思いというわけではないんです。お役人さんも、親身になってくださいましたし」
「じゃあ、なんでそんな暗い顔してるのさ?」
「──それは、詳しくは話せません。すみません」
キリエが次期国王候補の一人かもしれないという事実は、今後どういった方向へ転がっていくのか分からない。最悪の場合には存在を抹消されかねないということを思えば、秘密を知るものは少ないほうがいい。キリエは役人の忠告通り、たとえ家族であっても打ち明けることは避けようと考えていた。
とはいえ、キリエの性格上、嘘をつくことはできない。結果的に、秘密があるのだと言っているも同然の返答になってしまう。当然ながら、エステルは納得してくれそうにない。
「おいおい、やめてくれよ。あたしの頼みごとがキリエに迷惑かけちまったなんて、申し訳なさ過ぎて夜しか眠れねぇじゃんか!」
「夜に眠れれば十分なのでは?」
「間違った! 夜も寝れねぇの間違い! 夢見悪すぎて無理!」
「エステルが眠れなかった日なんて無いでしょう? 大丈夫です」
「キリエ!」
冗談で会話を流そうとしている気配を察したのか、エステルがわずかに怒りを含ませた声でキリエの名を呼ぶ。これ以上の冗談は怒るという、彼女からのサインだ。
キリエは困ったように微笑んで、静かに首を振る。
「ごめんなさい。……今はまだ、何も言えないのです。僕は、君のことも含めて、教会が大事です。みんなを巻き込みたくないから、これ以上のことは言えません」
「……キリエが嘘をつかないことも、めったに隠しごとをしないのも、あたしは分かってる。でも、あたしのせいでキリエが危ない目に遭いそうっていうのは、見過ごすわけにはいかない」
「君のせいではありません」
確かに、キリエが落とし物を届けるきっかけを作ったのはエステルかもしれない。しかし、キリエがあの金ボタンを光らせたことは己の出自が関与しているらしいというだけであり、エステルのせいというわけではない。
不意に、エステルが足を止める。夕焼けの中、どこか不安そうな表情で仁王立ちしている姿は、もっと幼い頃の彼女を思い出させるものだ。キリエも歩みを止め、エステルと向かい合った。
「巻き込まれるって、どういうことだ? あたしのせいじゃなかったとしても、キリエが危ないことに片足突っ込んでるのは確かなんだろ?」
「いいえ、分かりません。僕自身にも、どうなるのか分からないのです。だから、脳内では混乱が続いています」
「悪い方向に考えた場合、……最悪、何が起こりそうだって想像してる?」
「──殺されるかもしれません」
キリエは嘘をつかない。自身が分からないことに関しては分からないと言えるが、想像している内容が何かを問われれば答えてしまう。良くも悪くも正直者なのだ。
衝撃を受けた少女は、円い琥珀の瞳を更に丸く見開いた。さすがにショックが大きかったのか、すぐには言葉が出てこないらしい。
「どこか遠くへ行かなくてはならないかもしれないし、逆に今までと何も変わらない生活のままかもしれません。……本当に、僕も何がどうなっているのか分からないんです」
「キリエが触ったときだけボタンが光っていたのも、何か関係があるのか?」
「無関係とは言いません。でも、今はそれ以上を知らないほうがいいです」
「あんたの目が赤く光っていたのは?」
「それに関しては、申し訳ないですが何ひとつ分かりません。目が赤くなっていた自覚も無いので……」
キリエの答えを聞き、エステルはんー…と唸る。これ以上の情報がキリエから得られるとは思えず、かといって満足のいく返答だったわけでもなく、歯がゆさを感じているのだろう。
「エステル、とりあえず帰りましょう。遅くなると、子どもたちが心配します」
「うん……、そうだな」
促しを受けて、エステルは再び歩き始めた。長いおさげ髪を揺らしながら、少女は唇を尖らせる。
「キリエは、やっぱりずるい。あたしのことは……っていうか、あたしのことだけじゃないけど。周りのことはめちゃくちゃ心配して世話を焼きまくるくせに、自分にはそうさせない。ずるい」
「えぇ……? 僕はずいぶん心配していただいていますし、色々な方のお世話にもなっていますよ。もちろん、エステルにも」
「自覚が無いからタチ悪ぃんだよ。……ほんと、キリエは昔からずるい」
「僕のことをずるいって言ってくる人はエステルだけですよ」
嬉しそうに笑うキリエを横目で睨み、エステルは呆れたように溜息をついた。教会の孤児の中でも、キリエと年齢が近いのはエステルだけだ。年が近いもの同士、遠慮のいらないやり取りが出来るのは楽しいし心地いい。ニコニコと笑みを深めるキリエに対し、エステルは複雑な面持ちのままだ。
「……なぁ、神父様には何か相談するのか?」
「いいえ。言ったでしょう? みんなを巻き込みたくないんです。何らかの動きがあって、お話出来る範囲が分かれば、もちろんご相談します。でも、それまでは他言無用です」
「……そっか」
「だから、エステルも誰にも何も言わないでくださいね。僕と君だけの内緒です。約束していただけますか?」
穏やかな微笑と共に、キリエは左手の人差し指を立てて差し出す。エステルも同じように差し出し、互いの人差し指が触れ合った。これは、この地方特有の約束の仕方で、主に子どもが好んで行うが、大人になっても使われる場面は多い。
「仕方ないから、約束してやる。でも、キリエも約束してくれ。話せるときがきたら、ちゃんと話すって」
「約束します」
「絶対だからな?」
「はい、絶対に。僕は嘘はつきませんし、約束を破ったりもしません」
「ははっ、隠しごとはしやがるけどな!」
笑顔で約束の印を交し合う二人は、まだ知らない。
──別れの日が、五日後に迫っているということを。
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