第10位 遠未来的ディスコミュニケーション(『夏の匂いは隠されていた』収録)
わたしは0.01秒を延々と引き伸ばし続けていた。
いや、永遠と、と言った方が近い。
あの子は今、何を考えているのか、0.01秒を引き伸ばし続けているのか、もしくはただ安穏と1秒あたり1秒を過ごしているのか。
いけない。思考をかき混ぜなければならない。
今日はUHドッジボールの決勝戦だった。アンダー・ハイ・スクール。中.5学校だとか高未満学校だとか呼ばれる、狭間の学校。3月と4月の狭間。昨日と明日の狭間。1秒の狭間、0.01秒の狭間。引き伸ばされた学校。
決勝であたった相手校は夕暮大学附属UH校。
そしてわたしたちは、これをもってーー結果が勝利であれ敗北であれーーUH生としての引き伸ばされた時間を、終えた。
思えば長い0.01秒。
わたしたちは0.01秒を無限にも近い時間の中共有し続けてきた。
だけどあの子は断ち切った。その瞬間的永遠、永遠的瞬間を。
……またあの子のことを考えそうになってしまう。
思考をかき混ぜなければならない。
「思考すること」に枷がかけられたのは、今から約5年ほど前……本当に5年だったかどうか確信は持てないがとにかくも5年前。世界は大きな発明を手にした。
それは「電脳ネット」。正しくはもっと長い名称があるらしいのだが、それはここでは重要ではない。
そこでわたしたちは「0.01秒」を手にした。
脳の細胞、ニューロンが信号を伝える速度を手にした。
わたしたちの言葉は、0.01秒で他人に届くようになった。
検閲? そんなのはない。
言葉は自由だ。むしろ法律はいくぶん緩和された。
心の中の言葉がそのまま言葉になる、それによる弊害は多かったが、世界はやがて受け入れた。
人間の倫理は0.01秒の速度に沿って更新された。
ただし人々は、「真実」を考えなくなった。
「本性」というものを心の奥底に沈めた。
わたしたちは自分で枷をはめた。
わたしはあの子について考えることができない。
わたしがあの子について考えるとーーたとえば、名前や顔や声や匂いについて考えるとーー電脳ネットはすぐさまあの子を探し出す。
今何をしているのか。今どこにいるのか。今誰といるのか。
そういうことを。
0.01秒の、数え切れない一瞬のうちに。
わたしはあの子について知りたくないのだ。
今何をしているのか。今どこにいるのか。今誰といるのか。
知りたくない。だから、考えない。
あの子の名前はなんだったのか。
あの子の顔はどんなだったか。
声は。匂いは。
考えるのを、わたしはやめた。
いつからこうしているのか、もはやそれすらも考えない。
やがてわたしは、あの子の名前も顔も声も匂いも、忘れられる日が来るだろう。
そのとき、彼女に真の平穏が訪れるのだ。
0.01秒の世界から解放された平穏が。
今はまだ、その平穏からは遠い。
わたしはあの子を忘れられないでいる。少しでも気を抜けば、水中に沈んだビート板みたいに、ずっと上から押さえていないとすぐに記憶は飛び出してこようとする。
また、深く、考えすぎた。
思考をかき混ぜなければ。
あのイーハトーヴォのすきとおった風
夏でも底に冷たさをもつ青いそら
うつくしい森で飾られたモリーオ市
郊外のぎらぎらひかる草の波
あの森で草の波冷たさをもつ
モリーオ市底に飾られた郊外の
イーハトーヴォのぎらぎらそら
うつくしいすきとおったひかる青い風
夏草の波に冷たさを飾られた
うつくしいすきとおったひかる青い風
覚えているだろうか
わたしは忘れなければならない
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます