第3部

第11話 怪異の正体

民明放送で起きた心霊現象は日本に戻ってからも続いていた。

南米数カ国を巡る取材旅行に行くことになったのは、雑誌創刊30周年を記念した大特集のテーマに、オーパーツという今更なコンテンツを特集したいと編集長が言い出したからだ。

オーパーツなんて私が子供の頃にはすでに研究本やオカルト本は出尽くしているわけで、何を今更と思いながらも、会社のお金で南米旅行に行かせてもらえるのは素直に嬉しく、雑誌社に勤めてよかったと思える出来事でもあった。


騒ぎになった怪談ナイトのライブ中継が放送されている頃、私のいたメキシコは朝だった。

時差ボケもようやく解消されて、ホテルで朝食を食べながら日本のネットニュースやツイッターなどを見ていたら、怪談ナイトで放送事故が起きていると騒ぎになっていた。

番組のツイッターも大変なことになってるし、霊が映り込んだという画面のスクリーンショットが大量に出回っていた。

スクリーンショットを見ただけでは本物かどうかも判別つかないし、おそらくはジローさんの仕込んだネタだと思ったので、系列会社に努めるライターのくせに祭に乗り遅れた残念な気持ちで、朝食が少し味気ないものとなった。


昼間の取材を終えてスマホを確認すると、編集長からLINEが来ていた。

怪談ナイトで起きた心霊現象は本物で、私の考えを聞かせて欲しいとのことだった。

帰国までまだ日数があるし、取材予定もミッチリ詰まっている。

すぐにでも飛んで帰りたかったが、初動で乗り遅れてしまっているので、もはや騒動のリアルタイムからは置いていかれている。

仕方なく取材の予定を全て消化してから予定通り帰国することにした。

編集長には、一連の心霊現象が本物だったなら、出演者スタッフ全員まとめてお祓いを受ければいいし、心霊写真もお焚き上げしてしまえば問題ないと返信した。

放送を見た人達にまで霊障が及ぶとは考えていなかったが、番組のツイッターには続々と怪奇現象の報告が上がってきている。


「…………」

正直、すごく悔しかった。

日本でこんなに面白そうなことが起きているのに、私は地球の裏側でオーパーツの取材である。

かつてウチの雑誌とコラボしたこともあるラジオ番組「怪談ナイト」。

MCのジローさんは少しぶっ飛んだところはあるものの、オカルトの知識は深いし、ラジオでのマイペースなトークは聞いていて面白い。

小林アナもディレクターの阿部さんも気の良い人達で、怪談ナイトは私も気に入っていた。


ネットで日本の状況を観察しつつ、全ての取材を終わらせて帰国したのは木曜の朝。

時差ボケと戦いながら会社で報告と資料の整理を終え、無理やり日本時間に合わせて夜になるまで働いて眠りについた。

たっぷり12時間以上寝て強制的に時差ボケを解消し、昼過ぎに空腹で目が覚めて、それから資料を眺めたりネットしたり、家から出ることなくまったりと過ごすことができた。

曜日の感覚などまるでなかったが、スマホの日付を見て今日が金曜日であることを知った。

「…………」

怪談ナイトは今夜だ。

すっかり祭に乗り遅れた身としては、もはや通りすがりの視聴者でしかない。

それでも今夜の怪談ナイトでは心霊現象についての報告があるだろう。

深夜になるまでまったりと過ごして、怪談ナイトの放送を待った。

深夜1時。

放送が始まった。


ジローさんと小林アナが謝罪して、一連の経緯について説明する。

なるほどなるほどと聴きながらメモを取っていることに気づく。

我ながら体に染み付いた職業病に思わず苦笑する。

そうこうしているうちにジローさんの様子がおかしくなっていく。

何か焦っているようだ。

台本に不備でもあるのだろうか。

急遽CMに切り替わり、再び番組に戻るとジローさんはすっかり狼狽えていた。

心霊写真を預けたお寺が火事になったという。

パソコンの画面をブラウザに切り替えてYahoo!を表示する。

どこにもそんなニュースはない。

振り返って部屋の反対側にあるテレビをつけると、まさに全焼中のお寺をヘリで中継しているところだった。

暗闇の中で燃え盛る炎と消防車の赤色灯。

ある種の美しさすら感じるその光景は、レポーターの緊迫感溢れる実況もあって絶望的な光景として胸に突き刺さってきた。

お寺の中には人がいるのだろうか。

「…………」

いるだろうな。

深夜だからおそらく皆寝ていただろう。

あるいは件の心霊写真をなんとかしている最中だったかもしれない。

だとするならば霊障によって火災が起きたということだろうか。

「…………」

ありえない話ではない。

霊が火災を起こすなど通常ではあまりないが前代未聞というほどでもない。

歴史を紐解けば怨霊と呼ばれる存在が自然災害を起こした例はある。

特に海外では霊が何かを伝えるために火を使うことはよくある事象のひとつだ。

「…………」

だがそれは海外や伝説上の話だ。

海外の事例を国内の現象を説明する根拠に用いるのも変な話だ。


日本では霊障による全焼レベルの火災は大怨霊の起こす災いだ。

歴史の中で語り継がれるほどの大怨霊。

そんな存在に近いモノが、心霊写真として現代に存在しているのだろうか。

軽々に判断するべきではない。

しかしジローさんの狼狽ぶりがそれを裏付けている気がする。

お坊さん達は無事なんて言ってるが、明らかに本心から言ってないことは声色でわかる。

問題ないならそんなに怯えないだろう。


関わらない方がいいかもしれない。

もしも仮に件の心霊写真のせいでお寺が火事になったのだとしたら、専門にやってるプロですら手に負えないということだ。

荒ぶる霊に対処しきれず放置した、なんて例はそれこそ歴史上いくらでもある。

今回の件も、もしかしたらとんでもなく危険な心霊写真なのかも。

「…………」

見たい。

腹の底から湧き上がる衝動に思わず唾を飲み込む。

眠気が吹き飛んだ目は冴えきって、視界は深夜とは思えないほどクリアだ。

子供のころから今まで危険な目には山ほど遭ってきた。

それでも今日まで生き延びてきた自負はある。

自分で言うのもなんだが霊媒師としてデビューできるだけの力はあると思う。

それに被害者が出続けているのを傍観したなどと両親が知ったらどれほど怒るか。

「…………」

乗るしかないっしょ。

乗り遅れたバスに。

覚悟を決めてスマホでLINEを起動する。

「ご無沙汰しております。民明書房の篠宮です。心霊写真の件でお話を伺いたく、ジローさんのご都合の良い時にお会いできませんか?」

と送る。

すぐに既読がついて、数秒も待たずに、

「お久しぶりです。助かります。明日、高頼寺の方が来られるので、その前にお会いしたいです。朝イチで民明放送に来てくれますか?」

と来た。

了解の旨を返信してやり取りを終える。

首から下げている御守りが服の中で震えた気がした。

服の上から御守りに手を添え軽く目を閉じる。

今回も守って下さいね、とお願いして目を開ける。

パソコンから離れて大きく伸びをする。

どうせ今日はもう寝られやしない。

明日の朝まで今回の騒動を調べよう。

シャワーを浴びて、外出用のシャツを着て、いつものジーンズを履いて、コーヒーを淹れて、再びパソコンの前に座る。

さて、まずはどこからいきましょうかね。

とりあえずYouTubeに上がっている問題のライブ配信からチェックすることにした。


ジローさんのついた嘘は翌日あっさりバレることとなった。

高頼寺の被害状況を警察が発表し、それをメディアが報じたのだ。

死者3人、重傷者4人、身元不明1人ということが伝えられ、怪談ナイトのツイッターは荒れに荒れた。

私は朝までネットで今回の件について調べて、朝食を取るとすぐに民明放送へ向かった。

9時には民明放送に到着し、受付でジローさんとアポがある旨を伝える。

ジローさんは民明放送の社員ではないので、阿部さんか小林アナに取り次いでもらうよう伝える。

程なくして阿部さんがエレベーターから降りてくるのが見えた。

手を振って合図を送り、近寄ってくる阿部さんに頭を下げて挨拶をする。

「どうもお久しぶりです。篠宮さん」

久しぶりに会った阿部さんは徹夜明けなのか疲れた様子だった。


ジローさんはまだ来ていないらしく、阿部さんに連れられて会議室のような部屋に通された。

すぐに小林アナがやってきて、3人で一連の騒動についてしばらく話していると、ジローさんが会議室に入ってきた。

時刻は9時半。

京都から高頼寺の人が来るのはおそらく昼ごろだろう。

それまで騒動の経緯について改めてジローさんから説明を受けた。

「…………」

メモを取り終えてため息をつく。

ライブ配信に立ち会った霊能者の勧請院さんが意識不明。

勧請院さんの父親の立花さんが死亡。

番組のリスナーさんの中にも自殺者や行方不明者が多数いる模様。

そして高頼寺の僧侶達。

判明しているだけで少なくとも10人以上が被害に遭っている。

そして確定しているだけでも4人の死亡者が出ている。

「…………」

凄まじい被害だ。

心霊現象や祟りで人が死ぬことは稀だ。

怒れる霊であっても人を殺すほどの力を持つモノは少ない。

神域を侵した者にバチが当たって本人はおろか親族にまで障りが出る、なんてこともたまにはあるがそれは神様を怒らせたりした時の話だ。

悪霊や妖怪の類でここまでの被害を引き起こすモノは珍しい。


それにネットで拡散する霊障など聞いたこともない。

が、それに関してはあり得る話だとも思った。

心霊番組なんかを見て恐怖を感じて、その恐怖心によって周りの霊を呼び寄せてしまい、結果として怪奇現象に遭遇する。

あるいは特殊な条件下で、写真や映像に映った霊や妖怪を呼び寄せてしまう。

そんなことも過去にはあった。

今回の件でも同じ説明ができるかもしれない。

ネットでのライブ配信で画面に映った霊の姿を見ることで、その霊に無意識下でコンタクトを取ってしまい、その霊を呼び寄せたのかもしれない。

そうだとしたらまさに現代ならではの現象と言えた。

要するにネット上で肝試しをしたようなものだ。

心霊スポットならぬ心霊ライブ配信によって霊に憑かれたと。


それにしても異常なほどの被害だ。

周りに変なことが起きたり体調を崩したり、そういうよくある霊障は、まあ普通のことであるとしてだ。

霊の姿を画面で見ただけで自殺に追い込むなんて、よほどの悪霊でも中々できるものではない。

それに専門機関である高頼寺の全焼。

これは相当危険な事態であることは間違いなさそうだ。


「どう思います?篠宮さん」

説明を終えたジローさんが問いかけてくる。

私はメモを繰る手を止めてジローさんや阿部さん、小林アナを見回す。

つい今しがた考えた事を説明する。

「…………そういうわけで、まあ要するに……かなり危険な事態だなあと」

「……あり得る……ことなんですね?……ネットで心霊現象が拡散することは」

阿部さんが確認するように聞いてくる。

「あり得ると思います。霊の方からではなく、観てる側から霊にコンタクトを取ってしまって、それで身の回りに呼び寄せてしまう。数少ないケースですけど、まあ過去にありましたね」

今から2年ほど前に、前田さんという男性に起きた出来事を簡単に説明する。

「その男性の場合は、彼自身ではなく彼にかけられた呪いが発動して鬼を呼び寄せたんです。今回はトリガーとなる呪いがありませんので、やっぱり写真に憑いてる霊が画面に映り込んだことがトリガーになったのかなと」

強烈な印象を与えて無意識下でコンタクトを取るように仕向けた。

そしてその繋がりを利用してリスナーさん達の周辺に霊障を起こしたと。

「非常にレアなケースですけど、まあ可能性としては充分かと」

「ということは…リスナーさん達にも被害は出てる?」

今度はジローさんが問いかけてくる。

私は少し間をおいて慎重に答える。

「…………あり得ますね」

ウームと唸ってジローさんは腕組みをして目を閉じた。

そしてしばし黙考した後、「被害の全貌を確認しよう」と言った。

「リスナーさん達の報告を出来る限り集めて、お祓いを受けた受けないの状況も確認して、受けてない人には直接こっちから連絡を入れてお祓いを受けてもらうように頼む」

そう一気に告げた。

「それだと、心霊現象に関しては事故扱いにするっていう局の立場と違ってきませんか?」

阿部さんが疑問を口にする。

「そんなこと言ってられる場合じゃない気がする。責任についてはなんとか回避するにしても、被害がどこまで広がっちゃったのかはちゃんと把握しておきたい」

ジローさんが熱くなっている。

「もうすぐ相楽さんが来る。それで篠宮さんにも相談に乗ってもらって、これからするべきことを決めよう。それまでリスナーさん達の情報をまとめる作業をする。いいかな?」

「まあ、把握するだけなら局としても問題はないかと」

ジローさんの意見に阿部さんも同意する。


「あの…事故扱いって言いましたけど、実際事故の可能性もあるんですよ」

そう言ったら皆の視線が集中した。

「さっきも言いましたけど、心霊番組なんかを観て、怖いなと思う。そうするとその恐怖心に反応して周囲の霊が寄ってきちゃうこともあるんです。リスナーさんの中にもそういうケースもあると思うんですよ」

「なるほど。怪談話をしてると霊が寄ってくるっていう現象ね」

ジローさんが反応する。

「そうですそうです。なので今回の心霊写真に憑りついてる霊が起こした霊障と、たまたま周りの霊が寄ってきちゃった場合の怪奇現象と、二通りのパターンがあると思うんですよ」

フームと考え込むジローさん。

「なるほどね。まあいずれにせよ情報の整理は必要だよね。これから作業するから、篠宮さんは相楽さんが来るまで休憩していてくれますか?」

というので、私も手伝うと答える。

「私はライターですから情報集めるの得意ですし」

そう言うとジローさんが「助かります」と頭を下げてきた。

続いて阿部さんと小林アナも頭を下げる。

「やめてください。暇するよりは全然マシですから」


会議室で各自ノートパソコンを立ち上げてネットの情報を集めていく。

ジローさんはスマホで書き込んだり電話したりしながら作業を進めている。

しばらくそうして時刻は12時になろうかという頃、ふと胸騒ぎがして思わずパソコンから顔を上げる。

ジローさんも阿部さんも小林アナも変わった様子はない。

思い思いに情報収集を続けている。

阿部さんは疲労が限界なのかウトウトしているようだ。

「…………」

気のせいだろうか。

しかし嫌な予感はますます強くなっていく。

漠然とした嫌な感覚に集中する。

周囲の気配や物音に注意を向ける。


「…………!!」


と、いきなり何の脈絡もなく、その感覚の正体に気づいた。

突然胃の中に鉛を押し込まれたような圧迫感に冷や汗が背中を伝う。

タクシーだ。

ソレは今タクシーを降りたんだ。

ドス黒い気配が民明放送の正面口から入ってくるのがわかる。

ここは3階にある会議室だ。

十数メートル離れた下階を這うように蠢くその気配は、民明放送に入ったところで止まっている。

「…………来た」

思わず口から漏れたその言葉を待っていたかのように、会議室の内線電話が鳴った。

その音で阿部さんがビクッと目を覚ました。

小林アナが内線電話に駆け寄って受話器を取る。

「はい、第2会議室です。はい。アナウンス部の小林です。ジローさんですか?こちらにいますよ。ええ。はい。わかりました」

「来たって……」

ジローさんが驚いたようにこちらを見ている。

「ジローさん、相楽さんがいらっしゃったみたいなんで、お迎えに行ってきますね」

そう言って小林さんは会議室から出て行った。

「篠宮さん…何かあったの?」

ジローさんが訝しい様子で聞いてくる。

「いやー…………すごい気配です」

それだけ答える。

ジローさんと阿部さんが息を飲むのがわかった。

ドス黒い気配はエレベーターに乗り込み、この階へと上がってくる。

2、3分もしないうちにソレは会議室の前までやってきた。

小林さんが入ってくる。

続いて1人の小柄な僧侶が会議室に入ってきた。


「……おぇっ!」

突然こみ上げた吐き気に思わずえずいてしまう。

口元を手で押さえ、「失礼しました」と誰にともなく呟く。

皆の視線は僧侶に向いている。

「こんにちは。皆さん、ご無事ですか?」

そう言って頭を下げた僧侶。

その体に後ろから抱きつくように回された2本の腕。

「…………」

こんな状態でここまで来たのか。

腕は背後から僧侶に縋りつくように回されている。

土気色の、生気の感じられない腕。

腕の向こうにあるはずの体や顔は見えない。

腕だけが体にまとわりついているように見える。

「…………」

ずいぶんとまあ、しっかりと憑りついているようだ。

アレが件の悪霊だろう。

服の中で御守りが熱くなっている。

逃げ出したい衝動が頭の中で渦巻いている。

逃げろ逃げろという声が聞こえた気がした。

服の上から御守りに手を添え、ごめんなさい、逃げるわけにはいきませんと念じる。

神様の忠告を無視してまですることは何か。

決まっている。

あの悪霊をなんとかする。

できなければ死人が出る。

死人は私かもしれないしジローさんや小林アナかもしれない。

あるいは阿部さん、または別の誰か。

いずれにせよ私はまだ逃げるわけにはいかないのだ。

ここで逃げたらオカルトライター失格ってもんよ。

そう気合を入れて悪霊の腕をよく見る。


お坊さんの両脇の下から縋りつくように回された土気色の腕。

しっかりと抱きしめ、袈裟に爪を立てている。

実際にアレをされたら痛いだろうなあと思うほどに食い込んだ指先を見つめる。

ジローさん達と二言三言会話して、ジローさんが私をお坊さんに紹介してくれる。

「こちらは系列の出版社の編集者で篠宮さんといいます。オカルトライターをやっていて、色々と相談に乗ってもらっています」

篠宮です、と言って軽く頭を下げる。

お坊さんも合わせて頭を下げてくれる。

「相楽と申します。京都の高頼寺というお寺の者ですが、寺が燃えてしまったので、今は一介の僧侶ですかね」

そう言って疲れた顔で私を見た。

普段はさぞ精悍な顔をしているのだろう。

袈裟から覗いている首元は筋肉がしっかりと付いている。

日焼けした顔に太い眉毛も、その風貌に一層の迫力を加えている。

しかし今はその姿に力強さのかけらもない。

昨夜の火災を無事に生き延びた唯一の僧侶。

ここまでしっかりと悪霊を背負っているということは、おそらくそのために生かされたのだろう。

「あの……ご自分の状態は……」

「はい。理解しています」

「そう…ですか……」

私の問いを最後まで聞くことなく即答する。

どうやら本当に自分がどんなことになってるか理解しているようだ。

周りの皆はそのやり取りの意味を理解しているはずもなく、私と相楽さんを見比べて困惑している。

「と…とりあえず座ってください。相楽さんもお疲れでしょうから」

阿部さんが着席を促す。

私達はそれぞれのパソコンの前に戻って座った。

相楽さんは私の隣の席に着席する。

唯一の荷物である大きめの手提げ鞄を膝の上に乗せている。

私と相楽さんの対面にパソコンを挟んでジローさん達が座っている。

私は椅子を回して相楽さんに向き合うように座った。


「それで……」

ジローさんが口火を切る。

「相楽さん、お寺のほうは?」

「はい。完全に焼け落ちました。ニュースで見たかもしれませんが」

相楽さんはくたびれた様子だが、しっかりとした口調で答えている。

「亡くなった方もいらっしゃるとのことで…申し訳ないです……申し訳ありません…!」

そう言って深々と頭を下げるジローさん。

阿部さんも小林アナも頭を下げている。

「いやいや。どうぞ…頭を上げてください」

相楽さんの様子は変わらない。

「ウチの寺では今までもこういったモノの供養は散々やってきたんですから。危険なモノであると充分に認識して対処していた……はずなんですがね。まあとにかく…我々が未熟だったと。皆さんの責任ではありませんので、どうぞお顔を上げてください」

そう言われてようやく顔を上げるジローさん達。

「それで……わかったことというのは…?」

ジローさんが再度話を振る。

「はい。まずは問題の写真を持ってきているのですが、ご覧になりますか?」

「…………」

ジローさんは答えに困っているようだ。

当たり前だ。

見たくないのだろう。

「ああ、今更見たところで事態が変化することはありませんよ。見ようが見るまいが皆さん、すでに呪いは受けてしまっている。一度お祓いしたぐらいではどうにもならんでしょうから」

うぅ…と小林アナが呻いた。

阿部さんは固まってしまっているようだ。

「で…では……見せていただけますか」

ジローさんが言った。

相楽さんが私に視線をよこす。

「構いませんよ。そのつもりで来ましたから」

そう言って頷いてみせる。

では、と言って相楽さんは鞄の中から3枚の写真を取り出した。


机の上に並べられたのは3枚の写真だった。

一つは黒髪の若い女性が朗らかに微笑む写真。

比較的最近の物のようで色は鮮明だ。

紅葉が赤く色づいた山を背景にカメラに向かって立ち、上半身だけが写っている、なんてことはないスナップ写真だ。


一つは老婆が小さな男の子と手を繋いで立っている写真。

昭和初期か大正時代のような、時代を感じさせる色合いの古い写真で、畳敷きの部屋でカメラを向いて立っている。

後ろには襖と神棚が写っているだけの、これまた古いというだけでなんの変哲も無い、昔の家族写真のようだ。


一つは風景写真で山全体を黒い霧が覆っている写真。

明け方の霧が立ち込める山々が綺麗だったので撮りましたというような、ただの風景写真に見える。

そこに写っているのが黒い霧でなければ。


「…………」

誰も口を開かない。

黙って机の上に並べられた3枚の写真を眺めている。

「これが…手に負えないっていう……?」

相楽さんに問いかける。

「はい。すさまじい火事で箱も寺も焼けているのに、なぜか焦げひとつつかずに綺麗に残っています。昨夜は火の勢いがすごくて、なんとか外に飛び出したんですが、気がつくとその3枚を手に持っていたんです。もちろん避難の最中は大混乱で、その3枚を持ち出す暇もつもりもありませんでした」

相楽さんは淡々と続ける。

「その時点では、箱の中にあった怪異の中心はその3枚であると断定していたわけで、持ち出すなんて考えられないのに、なぜか持っていたんです。それで私は理解しました。その3枚を持ち出すために、私が選ばれたのだと」

「怪異の中心……」

阿部さんがオウム返しにつぶやく。

「はい。箱の中の写真を調べる過程で、いくつかの手法で写真1枚1枚の背景を探っていったんです。それらはほぼ解明できていました。それから、その箱自体を調べると奇妙なことがわかりました」

ここからが本題か。

記者の直感が集中を促す。


「蓋の表面に招霊の咒語(呪語)が書かれていたのに気づきましたか?」

相楽さんがジローさんに問いかける。

「いや……ちょっとそれは……気づきませんでした」

ジローさんは困惑といった感じだ。

「表面に梵字で書かれていたんです。細かくて模様かと思ったかもしれませんが、あれには意味がある」

梵字。

ただの写真屋さんの箱にそんなものが書かれてあるわけないか。

元の持ち主は密教系の信仰を持っていたのだろうか。

「招霊の咒語。霊を招き寄せて儀式を行う際に書かれる文字ですね。魔除けの反対です」

嫌な予感がする。

「そして蓋の内側には特殊な細工を施して封筒が貼りつけてありました。外にいる霊からは見えないように、意味を持って細工された封筒の中身は清明桔梗の札、ようするに魔除けのお札が入っていたんです」

んん?…んー?

やばそうだぞこれは。

「外からは霊を招き寄せて箱の中に誘導し、内側からは出られないように魔除けのお札で蓋をする。ようするにあの箱の持ち主は意図的に霊を集めていたわけです」

まじないか。

明らかになんらかの呪術だ。

「そして長年に渡って心霊写真を収集して、それも箱の中に収めていった。もうわかりますよね。長い年月をかけてあの箱の中に霊を詰め込んで何をしようとしたのかは不明ですが、確実に意図を持って作られた危険な呪物であることは間違いない」


「…………」

相楽さんが言葉を切ると途端に静寂が訪れる。

「……蠱毒(こどく)……」

ジローさんが呟く。

「その通りです」

相楽さんが短く答える。

「何十年という歳月を経て箱の中で霊達は混じり合い、食らい合った。そして最後に勝者となったのがこの3枚の写真です」

「ちょっと待ってください。他の写真にも霊は憑いてました」

ジローさんが疑問を口にする。

「もちろん食われずに残った心霊写真もありました。しかしそれらも今はその3枚の一部となっています。支配下にあると言いますか。その3枚の写真は3枚で1つです。別個の存在でありながら互いに干渉しあい、食らいあいながらも依存しあっている。長い時間をかけて混じり合った結果、この状態で1つの妖(あやかし)と化したようです」

妖怪化。

霊が年月やその衝動によって姿形を変えることがある。

誰かに何かを伝えたい衝動が強すぎて口が裂けてしまった女の妖怪や、帰らぬ相手を待ち焦がれて首が伸びてしまった首長の妖怪。

九十九神は年月によって道具に魂が宿ったものだし、人形などには最初から魂が宿ってしまうこともある。

そういう変化が箱の中で起きていた。

それもおそらく何者かが意図を持って強制的に。

「それって良くないことですよね」

相楽さんに問いかける。

少し声音に棘が混じったかもしれない。

相楽さんは説明してくれているだけなのに申し訳ない。

「はい。良くないどころかとんでもない外法ですよ。関わる人の安全も霊の尊厳も顧みない最悪の外法、邪法と言ったほうがいい」

相楽さんの語気が荒くなる。

「心霊写真として現れるくらいだから伝えたいことがあったんでしょう。恨みも後悔もあったはずです。それらを癒して解きほぐすのが我々生きている者の務めです。それをよりによって溜め込んでなおも苦しめるなど……あってはならない」

相楽さんが無念そうに顔をしかめて首を振る。

「…………」

再び沈黙が訪れる。

相楽さんに抱きつく悪霊の両腕を見る。

土気色の不気味な腕。

悪意を隠そうともしないドス黒い気配が滲むその両腕も、そう言われてみると哀れに思う部分もある。

無念を残して成仏できずにいただけなのに、邪法によって他の霊達と食い合わされるハメになり、何十年もかけてグツグツと煮え立つように霊同士がせめぎ合い、混ざり合ったのだ。

「…………」

だが危険なモノであることは間違いない。

この写真が存在しているだけで周りに被害を及ぼしてしまう。

怨念を解くことができるのか、あるいは封印できるのか、あるいは神様の力によって祓い清めることができるのか。

いずれにせよ何とかして対応しなければならない。


「その箱の持ち主はすでに亡くなっているんですが、ご家族には話が聞けるはずです。これから会いに行きますか?」

そう相楽さんに聞いてみた。

「はい。是非に」

「えーと…麦かぼちゃさん…でしたっけ。連絡取れますか?」

ジローさんにも聞く。

「うん。問題ないよ。さっきもLINEでやり取りしてたんだけど、麦かぼちゃさんも色々悩んでて、篠宮さんにも会ってもらいたい。ここに来てもらう?」

「お願いします。できればご家族も」

とんでもない邪法を使っていた人物の家族だ。

果たしてどんな人達なのか。

不測の事態になってもいいように覚悟しておく必要があるだろう。

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