第6話:選ばなかった未来

 ナーガ=ポティトゥのかつて両目が納まっていた場所は大きな窪みと化しており、さらにはそこから真っ黒な液体がダラダラと流れ出していた。そして、何もかも砕いてしまいそうな強靭な顎からはヨダレを垂らしているかのように黒い液体が零れ落ちるばかりである。


 ナーガ=ポティトゥの体内の機能はヨン=ウェンリーの手により、ほぼ全て破壊され、機能不全へと追い込まれる。ヨン=ウェンリーはナーガ=ポティトゥの額から長剣ロング・ソードを抜き、再び鞘にその長剣ロング・ソードを納める。そして、奴の額の上から飛び降り、ナナ=ビュランの下へと歩いて向かっていく。


 ナナ=ビュランが闇の告解コンフェッション・テネーヴァから発した黒い大蛇たちは、ヨン=ウェンリーの水底から湧き出る漆黒の闇スプラッシュ・ダークネスに巻き込まれ、かき消されていた。ナナ=ビュランはハアハアと荒い息遣いで、地面に片膝つく恰好になっていた。


 そんなナナ=ビュランに向かって、ヨン=ウェンリーがさらに接近していく。彼の表情はなんとも言い難い顔つきになっており、悲しいのか嬉しいのかさえわからない。しかし、ひとつ言えることは彼は苦渋にも似た表情となっていたのである。まるで、今からやろうとしていることは、彼が望んでいないかのようにも思えたのである。


「ナナ、ありがとう。そして、さようなら……」


 ヨン=ウェンリーはナナ=ビュランの前で一瞬だけ足を止めて、そして再び歩き出す。彼女の横を通り過ぎ、そのまま祭壇の方へと歩いていく。ナナ=ビュランはヨン=ウェンリーを呼びとめようとしたが、彼のあの表情を見てしまっては、彼にかける言葉を失ってしまったのである。


(ヨンさま、なんでそんなにつらそうな顔をしているの? 何をしようとしているの?)


 ナナ=ビュランは心の中で、この言葉を幾度も連呼していた。しかし、ついぞ、喉からその想いを発することは出来ない。ヨン=ウェンリーが何かを成し遂げようとしていることがなんとなくであるがわかってしまったからだ。男が一度、心に決めてしまったことを女がそれをやめさせることが出来るのか? そんな疑問が彼女の心を支配する。


 ヨン=ウェンリーが祭壇にあがるための階段まで来ると、祭壇の上で浮かぶ直径3ミャートルほどある紅色の球体がブウウウン……という重低音を奏で始める。ナナ=ビュランが祭壇に近づいた時とは対照的な動きを見せる球体であった。


「待つッス! ヨンさんが何かをしようとしているのは理解しているけど、俺はそれでもあんたを止めるッス!」


 ヨン=ウェンリーに待ったをかけたのはシャトゥ=ツナーであった。彼は眼や鼻の穴から血を流しながらも、2本の足に力を込めて、力強く立ち上がる。そして、右手に赦しの光ルミェ・パードゥンを握り、ヨン=ウェンリーがやろうとしていることを力づくでも止めようとするのであった。


 しかし、ヨン=ウェンリーは身体を半身だけ、シャトゥ=ツナーの方に向け、苦渋の表情を見せるのみであった。これは仕方無いことだと言わんばかりに頭を左右に振るヨン=ウェンリーである。


「なんでそんなすまなそうな顔をしているんッスか! あんたはナナの恋人であり、婚約者なんッスよっ! ナナが望まないことをあんたがしてどうするんッスかっ!」


 シャトゥ=ツナーはヨン=ウェンリーの表情を見て、自分には何も出来ない無力感に襲われかけていた。しかし、それでもシャトゥ=ツナーは彼に声をかけ続けた。そうしなければ、取り返しのつかないことになってしまいそうで、そんな結果は誰も望んでいないと、ヨン=ウェンリーに伝えたかったのだ。


「私だって、こんな選択はしたくなかったんだ。だが、そうしなければ、ナナが魔王の器に選ばれてしまうんだっ! 私は自分が愛する女性をこの手で殺すために生まれてきたわけじゃないっ!!」


 ヨン=ウェンリーが喉から引き絞るように、自分の想いを吐露する。その一言が全てを表していた。彼はナナ=ビュランがヒト型種族たち全ての敵になるのを拒み続けてきたことを。


「ヨンさまぁ……。ヨンさまはあたしを傷つけないために戦ってくれていたんだね?」


「ああ、そうだ。察しの良いキミであることに感謝するよ。だから、ナナ。私が真に魔王に生まれ変わるその時に、その瞬間を狙って、私を殺してくれっ!!」


 ナナ=ビュランはヨン=ウェンリーが想いを吐露してくれたことに感謝せずにはいられなかった。ヨン=ウェンリーはいつでもナナ=ビュランを中心に物事を考えてくれていることを再確認できたことが嬉しくてしかたなかった。そして、同時に悲しくて、両目から涙が零れ落ちてしまう。


 だが、そんな2人がわかりあえたという空気に異を唱える人物たちがいた。


「ふざけるなッス! あんたたちはそれで良いかもしれないッスけど、俺はこんな結末、望んでいないッス!」


「そうだみゃー。僕も恋人同士が殺し合う結末は嫌なんだみゃー。僕たちで出来ることがあるなら、手伝うんだみゃー」


「くっくっく。シリアスなシーンをぶち壊すために、神はわたしたちをナナくんと同行するように命じたのかもしれんなっ! それならば、わたしは神の意を汲もうではないかっ!」


 シャトゥ=ツナーだけでなく、ネーコ=オッスゥ、マスク・ド・タイラーがこの沈痛な空気をぶち壊すべく動き出す。ネーコ=オッスゥは両足の骨が砕けているというのに、戦斧バトル・アクスを杖代わりに立ち上がる。マスク・ド・タイラーは両腕があらぬ方向を向いているというのに、無理やり自分の胸の前で腕を組む。3人とも、悲しみはこれ以上、要らぬとばかりに拒否をしたのである。


「ナナは本当に良い仲間に出会えたんだな。私はそれを誇らしく感じるよ……」


「ヨンさん、あんたも俺たちの仲間ッス! だから、なんとかする方法を今からでも一緒に考えるッス!」


「ははっ。シャトゥの言葉を聞いていると勇気をもらえるよ」


 ヨン=ウェンリーは苦渋に満ちた表情が和らぎ、苦笑まじりの顔へと変貌する。その顔を見て、シャトゥ=ツナーは少しだけ気が緩むのであった。


「ナナ、彼を大事にするんだ。彼ならナナを護ってくれるだろう、私が魔王になった後でもだ……」


 シャトゥ=ツナーは油断した自分に歯がみした。ヨン=ウェンリーの意思をくじくことなど出来ていなかったことに。ヨン=ウェンリーは新たな道を選ぶことで、自分の愚かさを認めて苦笑したのではない。彼は自分の馬鹿さ加減を嘲笑しただけである……。

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