第6話:全否定
ナナ=ビュランはまるで奈落の底に落とされたような気分になっていた。大粒の涙をボロボロと両目から零しながら、両手で両腕の二の腕部分を必死に掴んでいた。ナナ=ビュランは膝を折り、段々と小さくうずくまっていく。
「嘘よ……。そんなの嘘よっ! あんたなんかがヨンさまのはずがないっ!!」
ナナ=ビュランは嗚咽のように喉から声を漏らして、眼の前の男を全否定する。そうしなければ、自分の心が壊れてしまいそうであったからだ。これは心が自衛に動いたとしか言いようが無い現象であった。しかしながら、眼の前の男はヨン=ウェンリーであることには間違いない。ナナ=ビュランは胸をナイフでずたずたに引き裂かれるような痛みに襲われる。
「事実をありのままに受け入れるんだ、ナナ。そうすれば、楽になれるから……」
「うるさいっ! あんたなんか、ヨンさまじゃないっ!」
ナナ=ビュランはふつふつと心の底から、黒い炎がせり上がってくるのを感じた。その黒い炎の名は『憎悪』と言っても過言ではなかった。
「あたしのヨンさまは、皆を傷つけるようなことなんてしないっ! ヨンさまの顔で、ヨンさまの声で、あたしに語り掛けてこないでっ!」
「そんなこと言われてもだね……。私はヨン=ウェンリーなんだよ? それを否定されてはこちらが困るよ……」
「うるさいっ!!」
ナナ=ビュランの瞳には黒い炎が宿っていた。心から這い上がってきた黒く暗い炎は元は
その時であった。彼女の耳、いや、心に直接語り掛けてくる存在が現れたのである。
――貴女は愛する者を否定するの?
(誰が誰を愛しているっていうのっ!)
――貴女の選択は危うい……
(あたしをこれ以上、苦しめる存在は要らないのっ!)
――貴女は私に力を求めるの?
(あたしにこの眼の前の男を消し去る力をちょうだいっ!)
――貴女の選んだ道は、貴女自身を苦しめる……
「
ナナ=ビュランが喉から絞り出すように
「
ナナ=ビュランは両手で
「くっ! ナナ、やめるんだっ! その力に飲み込まれてはいけないっ!」
「うるさいっ! うるさいっ! うるさいーーーっ!!」
ナナ=ビュランは眼の前の男の言葉を全否定した。この世から消え去ってしまえば良いとさえ思っていた。だからこそ、自分の心を真っ黒な炎で焼き焦がし、それすらも力へと変えて、
ヨン=ウェンリーは1歩、また1歩、自分に向かって
しかし、ナナ=ビュランはその紫色の鏡に
黒い蛇たちは紫色の鏡の表面をのたうち回り、食い破り、さらには締め付ける。そして、数秒もしないうちに紫色の鏡の1枚目が砕け散ることになる。ヨン=ウェンリーは食いちぎられた1枚目の紫色の鏡の惨状を見て、2枚目の鏡の厚さを3倍の30センチュミャートルに膨れ上がらせる。
しかし、黒い蛇たちにとって、鏡の厚さなど無関係とばかりに、2枚目の紫色の鏡を侵食し始める。黒い蛇たちは胴体の太さを倍に膨れ上がらせて、紫色の鏡を穿ち、喰らい、締め付け、さらには溶けた飴のようにドロドロに溶かす。
「あああああーーー!」
ナナ=ビュランはさらに雄叫びをあげる。最後の1枚を突き破れば、
「ナナ、やめろッス!!」
ナナ=ビュランが3枚目の紫色の鏡に突進していこうとするのを邪魔するかのように、彼女の腰に腕を絡める存在が居た。それはシャトゥ=ツナーであった。彼は彼女の鬼のような形相を見て、彼女を止めなければならないと感じたのだ。
ナナ=ビュランは両目から血のように紅い涙を流していた。身体をブンブンと左右に振り、シャトゥ=ツナーを振りほどこうとした。しかし、それでもシャトゥ=ツナーはナナ=ビュランの腰を両腕で抱えて、彼女を止めようとした。
「邪魔をしないでっ!!」
「嫌ッス! ナナはそっち側に行っちゃダメなんッス!!」
シャトゥ=ツナーは必死も必死であった。うあああ! と泣き叫ぶナナ=ビュランを彼がもてる力の全てで抑えつけようとした。
「邪魔をするなら、あんたから斬るっ!」
ナナ=ビュランはそう叫ぶと、
その切っ先はナナ=ビュランの右横腹をえぐり、さらにはシャトゥ=ツナーの右肩に突き刺さることになる。そして、黒い蛇たちはあろうことか、主人であるはずのナナ=ビュランの身体を侵食しはじめる。もちろん、シャトゥ=ツナーの右肩に突き刺さった刃先を中心に他の黒い蛇たちも彼の身体を喰らわんと暴れ出すのであった。
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