第154話 聖女様は自分の過去と向き合います

 霧の中に突然現れた女性の姿。

「あれは……!」

 セシル王子は当然に警戒を強めた。


 人里離れたこんな辺りに、街の住民のような姿の女がいる筈がない。

 それに、絶対に初めて見る女なのにどこかで見たような……。


「……母ちゃん?」

 ココの驚く姿を見て、セシルは女が誰かを悟った。

 

 そして“女”の正体に気付き、慌ててココを止めようとした。

「騙されるな、ココ! そいつはおまえの母親じゃない!」




 セシルが何かを叫んだのは気が付いたけど、全神経が目の前を向いているココは王子が何を叫んだのか、聞こえていなかった。

「母ちゃん!」

『ココ……!』


 ココは今戦場にいるのも忘れ、全力でダッシュする。

 もう半分忘れかけていた懐かしい姿へ。

「母ちゃんっ!」

『ココ……!』

「ダメだココ! そいつはおまえの母じゃない!」

 何度か聞こえていたセシルの警告がやっと意味を持って聞こえたけど、既に遅かった。

「母ちゃーんっ!」

『ココ……!』

 ココは腕を広げる母の元へ全力で駆け寄り……高々と飛び上がって、見事なドロップキックをかました。




『ぐはっ……!?』

 蹴り飛ばされて仰向けに倒れる“母”に、ココは猛烈にスタンピングする。

「てめえ、今さらノコノコ顔出してどういうつもりだ、この野郎!」


 母は懐かしい。


 確かに懐かしい。


 だがそれ以上に、積年の恨みがはるかに勝る。


 這いつくばって逃げようとするところを踏み潰し、横っ腹へ猛烈な蹴りを何度も入れる。

「逃がすか、こら! 十年分の“恩返し”がまだ終わってないぞ!」

『や、止め……!?』

「捨てて逃げたことは理解はする! だが納得できるか! 思い知れ、このぉ!」

 聖女様の暴行は王子が止めるまで続いた。




「おいココ、そいつはおまえの母じゃない!」

 セシルに止められ、ココは我に返った。

「……あれ?」


 言われてみれば、ココが踏みにじっていた“懐かしい母”は、いつの間にか青い肌色の大柄の男に変わっていた。

「……こいつ、誰?」

「俺に聞かれても」


「……く、くくく……この幻魔グラーダの術をよくぞ見破った!」

 よろめきながら男が起き上がった。

 なんかカッコつけてるけど、身体の水平が取れていない辺りを見ると口ほどの余裕は無いようだ。

 まあ、とりあえず。

「おまえ、誰?」

「名乗ったよな!? たった今!?」




「……ふむ」

 男が言うには、今名乗ったらしい。

 でもココちゃん、聞いてなかった。


 ……。


「まあ、そんな些細なことはどうでもいいか」

「そういうところだぞ!? 貴様があれこれ言われるの!?」

「おいおい……初対面の人間にいきなり上から目線で説教とは、いただけないな」

「初対面の相手に失礼をかましまくる貴様に言われたくはないわ!」


 ココについて知ったような口を叩く魔族の男は、ゆらりと両手を上げると不敵に笑った。

「ちょっと人選を誤ってしまったようだが……なら、これならどうだ!」

「なんだ!?」


 男の姿が急に蜃気楼のように揺らめき、そこに立つのは人間の男になった。

 わりと顔はいいが、どこか頼りなさげな若い男……。

『ココ。パパだよ……!』


 もう意識しても思い出せないほどに記憶の薄れた、父の顔……。


 のド真ん中に、ココは宙返りからのかかと落としを放った。


 再び地べたに倒れた幻魔グラーダ……もとい、まぶたの父に。聖女様はさきほどに勝る勢いで激しい暴行を加える。

「もとはと言えば、おまえがフラッフラ後先考えない事ばかりしたせいで私が孤児になったんじゃないか!? 死に晒せ、このクソヤロウ!」

『コイツの家はどうなっているんだ!?』

「テメエの家だろうが、こら!? なに他人の振りをしているんだ、プチ殺すぞ!」

「ココ、そいつ魔族だから。本当に他人だから」




 セシルがココを止めているあいだに四つん這いで逃げたグラーダ。


 ふらりと立ち上がり、フラフラよろめきながらくぐもった笑い声を立てる。

「フ、フフフ……聖女の家庭環境に問題があるのはやはり確かなようだな!」

「“実はおまえを試していたんだ”みたいなポーズで取り繕っても、作戦ミスはバレバレだぞ?」


 ココのツッコミを無視し、グラーダはまた何やら術を発動し始める。

「だが! 直近で世話になっている者を相手に、おまえは剣を振るえるか!?」

「こいつは失敗がはっきりしても、プライドが高くて路線変更できない人種か」

「目的の達成よりも自分のミスを認めたくないって意識が優先されるタイプのヤツだな。こいつが俺の部下なら更迭してる」

 若者二人の辛辣な意見をよそに、グラーダが三度姿を変えた。


『聖女様……私を母だと思って』

 “修道院長シスター・ベロニカ”の頭に“聖なるすりこぎ”がめり込んだ。

「おまえ私をバカにしてるのか!? ババアがそんな事を言うか! それ以前にあのババアに、どこの間抜けが甘えようなんてと思うんだ! 修道院マルグレードに一日いればどんなアホだってそれぐらい理解するぞ!? ババアの顔を見れば、猫の子だって脱走トンズラするわ!」

 

『聖女よ……!』

 ココは“教皇ジジイ”の股間を思い切り蹴り上げて悶絶させると、馬乗りになって“聖なるバールのようなもの”で滅多打ちにした。

「私が今苦労しているのは、そもそもテメエが元凶だ! ケチだわ無茶言うわ、私が一度逃げとかなきゃおまえ魔王討伐に日給銅貨八枚のまま行かせる気満々だっただろ!? プチ殺すじゃ済まさない、ぶち殺してやる!」




 十分に発散した聖女様に王子が一旦ストップをかけて休憩させていると、もう立ち上がれなくて四つん這いになっている魔族が涙目で叫んだ。

「こいつの生育環境には問題がある!」

「今頃何を言ってるんだ、このバカ」

「これくらい、調べた段階で分かるだろ」

「それにしたって、今世話になっている相手にこんなに暴行を加えるか!? 聖女の闇が深すぎる!」

「いや、さすがに目の前でコレだけポンポン変化されたら本人だなんて思わないぞ。むしろ本人にはできないお礼参りを存分にやらせてもらって、その分いいガス抜きになったって言うか……」

 晴れ晴れとした顔で明るくそう言った聖女様は、ふと何かに気が付いた様子でグラーダに頭を下げた。

「うっぷん晴らしにつき合ってくれてありがとう、おじちゃん」

「おじちゃん言うな! お兄さんと呼べぇっ!」

「ギャ? (気になるのはそこか?)」




 多少は回復したらしいグラーダが立ち上がりかけるのを、ココが後ろから蹴飛ばしてもう一度地面に転がした。

「何をするっ!?」

「逆に、なんでそのまま見過ごすと思ったのか訊きたいわ」

 ココがポンポンと掌に“聖なるバールのようなもの”を打ち付けながら魔族の前に立つ。

「ここまでの話の流れから察するに……おまえ、魔王軍の幹部だな!?」

 ビシッとココが推論を突きつけてやると、不逞な魔族になぜか怒鳴り返された。

「今頃何を言っているんだ貴様は!? 最初に俺は名乗ったぞ!? 魔王四将が一人、幻魔グラーダだとな!」

 ココとセシルは顔を見合わせた。

「名前は名乗ったが、自分が幹部だなんて言ってなかったぞ?」

「言わなきゃバレなかったのにな。つくづくバカだな……魔王軍も人材不足のようだ」

「こ、こいつら……言いたい放題言いやがって……!」


 怒りに震える魔王軍の幹部(自称)に、ココは“聖なるバールのようなもの”を突きつけた。

「ま、細かいことはどうでもいいや。こいつは飛んで火にいる夏の虫ってやつだな。さあ、魔王のこもる本拠地について、キリキリ吐いてもらおうか!」

「ふっ、俺がそんな物を怖がるとでも!?」

 ココが付きつける武器とも言えない武器を鼻で笑う魔族を、ココは軽く振りかぶった“ソレ”で一発殴りつける。

「どうだ、怖くなったか?」

 ココちゃんは身体で覚えるトレーニング法が得意です。

 魔族は殴られたところを押さえて悲鳴を上げた。

「お、おま……殴ったな!? まだ話している段階でいきなり殴るか!? 鈍器だぞ、それ! 普通の人間なら死んでたぞ!」

「すでに滅多打ちにしてるんだ。今さら一発二発でグダグダ言うな。……ていうか」

 自分で言いながら、ココは自分のセリフに首を傾げた。

「おまえ、ゴブリンにしてはずいぶん頑丈だな……さすがはゴブリンキングと言ったところか」

「俺はゴブリンじゃない! 魔王四将の魔族だと何度言わせる気だ! ゴブリンは使役しているだけ!」

「それはどうでもいいところなんだけど」

「ふっ、確かにな……そう、大事なのは俺が魔王軍最高幹部の一人と言うことよ」

 ココのツッコミを以外にも魔族は肯定した。

「知っているか? 魔王様と我ら魔王四将はいかなる攻撃でも殺すことができない。勇者の持つ聖剣以外ではな」

「うん?」

 それは伝説でも言われているけれど……今それを言う意味がよく分からない。

「もっと激しくなぶって欲しいってこと?」

「違う!」

 慌てて否定しつつも、グラーダがニィィ……と嫌な笑みを見せた。

「勇者さえ始末すれば、我らは無敵と言うことよ!」

「ぐぁっ!?」

「なんだ!?」

 慌てて振り向いたココが見たものは……。


 いつの間にか魔族が伸ばしていた尾の先端の針で、背中を貫かれたセシルの姿だった。 

 

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