第128話 教皇聖下は心配です

「大丈夫かのう……」

 教皇ケイオス七世は拳を額に押し当て、俯きながら呟いた。


 教皇の執務室に早朝から側近やココ、ナタリアが集まっている。今頃は東の宮殿でも、スカーレット派の上層部が同じようにしているはずだ。

 不安そうにぶつぶつ呟いている教皇ジジイを、眠そうなココがぼんやり眺めた。

「どうしたジジイ。まるで女神に祈ってるみたいだな」

「祈っておるんじゃ!」


 聖女様は呑気だが、自分の改選がかかっている教皇は気が気でない。

 特に今回は選挙のやり方が“民衆の投票”という、前代未聞の方法になっている。

 今まで行われてきた教団有権者だけの投票ではないので、いつものように根回しで手ごたえを感じることができない。

「わからぬ……王都の庶民がどちらをどう思っているのか、さっぱりわからぬ」

 平民でも富裕層や教養人などの上流層は、ゴートランド教皇支持で押さえている自信はある。

 元々彼らは教皇自分と交流があるし、ビネージュの民衆指導者として教団が他国地盤の派閥にことへの警戒感もある。

 だが、市民の九割以上は中流以下の庶民なのだ。

 日々を生きることだけで忙しい彼らには、教団の主流をどの派が押さえるかなんてどうでもいい。ビネージュ出身者が押さえている意義とか、魔王退治以来の現体制の自負心プライドなんて庶民の生活には関係無い。

「庶民へのアピールは全然してきておらぬ……本当に、これで大丈夫だったのじゃろうか?」

「ここまで来てそんな泣き言を言ったって、やってないことはもうどうしようもないだろ? くよくよするな」

「おぬしがやるなと言ったんじゃろうが!」


 そう、下層民への宣伝活動はするなと聖女が止めたのだ。

 そちらはココが顔を出すから、教皇は通常業務で顔を売れと言われていた。

 自信ありげに強く言われたので、弱気になっていたこともあって言いなりにしていたのだが……。

 よく考えなくても、社会経験のほとんどない十四歳の少女に自派の命運を託したのは……まずかったかもしれない。


 明らかに過去の選択を後悔している教皇を見て、聖女は自信ありげに薄い胸を叩いた。

「大丈夫だって。きっと」

「“きっと”なのか!?」

「開票が終わらないと絶対はないだろう? なに、もしもジジイが落選したら、私が責任を取って」

「責任を取って?」

「聖女を辞任する」

「それ、おぬしの望み通りじゃろ!? 全然責任を取ったことにならないぞ!?」


 余裕のない教皇に何を言われても、ココは全然緊張感がない。

 器用に一人がけのソファの上で丸くなると、聖女様は皆が唖然とする中で昼寝(朝だけど)の態勢に入った。

「ま、私の見立て通りになると思うから。どっしり構えていろよ」

「そうは言ってもな……」


 聖女の安請け合いが、全く信用できない。


 教皇が不安で肩を落とした時……ノックの音がして、選挙管理に当てられている教皇庁の職員が顔を出した。

「教皇聖下! 王太子殿下が、礼拝堂へ集合するようにとのことでございます!」



   ◆



 明らかに眠そうなココが、何故か生き生きとしている王子に不機嫌に問い質した。

「なあセシル……選挙結果が出るのはまだだいぶ先のはずだよな?」

「それはそうだな。投票自体今からだからな」

「じゃあなんで、礼拝堂に全員集合なんだ? 結果が出るのを執務室選挙事務所で待ってちゃまずいのか?」

 シスター・ベロニカのいない所で二度寝しようと思った途端に移動を促されたので、聖女様は大変虫の居所が悪い。ココちゃん、おねむの時につべこべ言われるのが嫌いなのだ。

 対する王子様はイイ笑顔。

「もう投票に入るからな。これ以上ダメ押しの工作をさせないために、両陣営の関係者にはここで選管スタッフとともに状況を見守っていただく」

 筋は通っているが……その割に、この顔。

「正直に言え。本音はなんだ?」

「我々選挙管理委員会は今日一日、神経使いながら仕事に追われるんだぞ? おまえらだけノンビリさせてたまるか」

「いつ結果ができるかもわからないのに、のんびりくつろいでいられるか」

「ほう?」

 セシルの口元が何か言いたそうにモニョッている。

「ココ、おまえ片頬だけ押さえていたみたいに赤いな? それと、枕で寝ていたにしてはおかしなところに寝癖が付いている……教皇執務室のソファで丸まって寝ていただろ?」

「そういう観察眼は本業政治で使えよ!?」

「カマをかけたら当たりか」

「……この野郎……!」

 歯ぎしりするココを置いておいて、セシルは教皇と大司教を見やった。

「お二方とも、よろしいですな?」

「……承知しました」

「……仰せのままに」

 二人とも、お互いを意識しながら不承々々頷いた。

 

 土壇場の工作云々は抜きにしても、抗争相手ライバルと一日一緒に待機なんて……一瞬たりとも気が抜けないので、正直勘弁してほしい。

 しかし聖女ココの“見えない所でだらけてました”自白のせいで、自分たちだけ密室に引き上げるとも主張しにくくなってしまい……双方のスタッフたちは祭壇前の椅子をそれぞれ集め、いらいらしながら報告が上がるのを待つことになった。


 そんな中、何故か中位参列者の座る辺りへ一人向かうココ。

「どうしました、聖女様?」

 見つけたウォーレスに、ココは足を止めずに背中越しにひらひら手を振った。

「どうせ選管セシルにバレているんだし、結果が出るのは早くて午後だろ? 私は出番が来るまでして英気を養っておくわ」

 そう言うとココは靴を脱ぎ、

「よっこらしょ」

 長椅子に横になった。


「……瞑想って、目を閉じていても寝てはいけないんだよな?」

「当たり前です」

 セシルの問いに、ウォーレスが頷いた。

「あれだけ堂々と寝られると、逆に注意しにくいって判断かな?」

「その辺りの心理は良く分かりませんが……せめて建前上、いびきはかかないで欲しいですね」



   ◆



 貴族や上流・中流市民階級の投票は割と簡単に行われた。

 そもそも人数が少ないというのもあるし、この層はほぼ全員ゴートランド教徒なので所属する教会がある。例外者については地区の教会が投票所として事前に指示されている。

 一番重要なのは彼らは確実に識字者だということ。選挙は配られた投票用紙に記入して箱に入れるだけだから、簡単なものだ。


 面倒なのは露天商や職人、雇われ人、その他何をやっているんだかよくわからない貧民などの下層市民。

 彼らは商店主でさえ文字が書けないのが当たり前。投票をやるにしても、支持する候補者を紙に書けというわけにはいかない。

 なので。

 投票のやり方は地区ごとに住民を集め、どちらを支持するかを挙手で示してもらうことになる。当然その票は後で集計し直せる証拠として残らないので、票数をその場で確実に確定しなくてはならない。 

 そこでセシルは王国の役人にゴートランド派とスカーレット派の神官をそれぞれ付けて、その場で間違いがないことを両派に認めさせるようにした。両派の神官が全部の投票所に派遣できるほどはいないので、足りない分は中立ということでブレマートン派の神官が一人付けられた。

「……これ、うちだけワリを食ってないかの?」

 モンターノ大司教は憮然として文句を言うが、王子様は気にしない。

「参加費だけ払って欠席したようなものですな。ちょうど居合わせたのが身の不幸でしたね」

「まさか大陸会議がこうなるなんて、思わなかったんじゃ……」

 何より“利”を求める気風のブレマートン大聖堂にとって、この圧し掛かってくる無駄働き感がやってられない。

「うちもシスター・トレイシーさえ連れて来ておればなあ……」

 なにやら後悔めいた事を言う大司教を、事情を知らない王太子は怪訝そうに眺めやった。



  ◆



 時々投票結果を知らせる伝令が来る以外は、午前は全く何もなく過ぎた。

 選管スタッフと両陣営の各グループは、特に何か話すこともなくそれぞれの時を過ごす。




 ヴァルケン大司教を囲み、スカーレット派は小声でささやき合う。

「問題は庶民にどの程度、ゴートランド派を支持する者がいるかですな」

「なんだかんだ言ってもおひざ元だからな……盲信する者もいるのは確かだろう」


 庶民は深く考えない。

 ゴートランド派もスカーレット派もどちらもゴートランド教という括りだし、興味が無ければ馴染みがある方に入れてしまうかも知れない。

「暮らしが良くならぬのはゴートランド派の怠慢であることをできるだけアピールしてきたが……」

 そう心配そうな口ぶりで言う者もいるが、全体的には彼らには余裕が見える。


 そもそもこの選挙戦のやり方自体が、十年一日がごとき惰眠を貪るゴートランド派への奇襲攻撃なのだ。

 彼らは教皇勢力には有効な反撃ができないと、そう確信していた。




 一方のゴートランド派は何とも言えない顔色をしている。


 聖女に言われ、選挙期間も普段通りを心がけてきた。

 ただ、いざこういうことになってみると……普段の彼らの活動が庶民の信任を得ているのか、とても自信といえるものが無い。

 しかも庶民層への働きかけは、聖女の“普通の”慰問を増やしただけ。現教皇に投票をお願いしますなんて一言も言っていない。

「この結果が、どう出るか……」

 苦悩する教皇の言葉に、側近たちも言葉が無い。


 そこへ昼寝から覚めたココがひょこっと顔を出した。

「どうだ、“大事なことは他人任せにしちゃいけない”ってことが良く分かっただろ?」

「言い出したおぬしが言うな!?」




 選挙管理委員会のテーブルでは、王都の地図に開票結果の書き込みをする作業を進めている。

 王都全体の見取り図に区域割の赤線が引かれ、それぞれの区画に赤と青で確定した票数を記入していく。全部の区画で同時に挙手選挙をできないため、昼の段階ではまだまだ記入していないマス目が多い。

 その作業を見つめながら、王子の側近ナバロは小声で主に尋ねた。

「今さらですが……殿下、ゴートランド教団の内輪の喧嘩にここまで付き合う必要があったんですか?」

「もちろんさ」

 今日はずっと機嫌が良いセシルも囁き返す。

「見てみろ。この地図、この選挙結果人口調査、王都全域を虱潰しに調査する方法……教団にカネとヒトを出させて、データとノウハウは王国うちが総取りだぞ? こんなおいしい話があるか」

「殿下も人が悪いですな……」

「何を言う」

 セシルはピリピリしつつもやることが無くて、お互い睨み合っている両派を顎で指した。

「人が悪いって言うのはな……“開票を待つ間ヒマだからジジイどもを敢えて集合させて、限界まで神経削って追い詰められているのを第三者の立場から高見の見物をしよう”っていう、この状態の事だ。おかげで楽しく過ごせてる」

「……殿下は人が悪いって言うより、性格が悪いですね」

「ああ、王子なんかに生まれるものじゃないな。素直なイイ子だったのに環境に押し潰されて、ねじ曲がって育ってしまった」

「ここまでくると、生まれついてのものじゃないですかねえ……」



   ◆



 午後も日差しがすっかり傾いてきた頃。


 全ての受け持ち地区を廻り終わった監視員たちも、次第に礼拝堂に待機し始めた。

 監視員の記録と王都の地図に書き込んだ数字を王子たちが確認し、区画に空きが無いことを確認して集計を始める。

 下っ端の役人や派閥に関係ない教皇庁の下級職員はもう用済みだけど、誰一人元の持ち場に戻る者はいない。事ここに至り、結果を知りたいという雰囲気が高まっている。


 動員された王宮の財政担当の役人たちが個別に検算した集計結果を見せ合い、頷き合う。

 最後に念の為にチェックした長が、一枚の紙片を王子へ恭しく差し出した。

「教皇選の結果、この通りになりましたことを女神に誓って報告いたします」

 部下の言葉に頷き、受け取ったセシルが一瞥する。


 そこに載っているのは二人の名前と、二つの数字。読むのに時間などいらない。


 セシル王子は顔をあげると、礼拝堂を埋め尽くす千人もの関係者たちに向き直った。

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