第114話 聖女様は商談に臨みます

 供も連れずにやってきた聖女は、外向けの取り繕った物腰で応接間に入って来た。


「失礼にも早朝に押しかけてしまいまして、申し訳ございません」

 楚々とした見た目通りの控えめな笑顔で、丁寧に腰を折り朗らかに挨拶する聖女。その品の良い立ち居振る舞いは、貴族令嬢もかくやという清楚さに満ち溢れている。

 ……ほんの十日前、晩餐会場でモンターノの後頭部を躊躇なく踏みつけた本人とはとても思えない。

 今こうして見てしまうと、踏まれたモンターノ自身でさえ信じられなかった。




 モンターノは形ばかり椅子をすすめ、聖女も素直に応じてモンターノの対面に座った。

 ちょっと警戒しているのが露骨に出過ぎたか、聖女がこちらを見てコロコロ笑う。

「まあ、そんなに用心なさらずとも。別に刺客じゃないのですよ?」

「あ……いやいや、そんなつもりは……」

 慌てて否定するモンターノに、笑顔の聖女はサラリと言い放った。


「そもそも私、虫も殺せぬ乙女なんですから」


 この聖女、調査によればオークを三頭サクッと片付けているはずだが。

(ルブラン、これはゴートランド流のジョークか何かか!?)

(素で言っているのなら、この聖女の頭は相当なモノですよ!)

 間違いない。コイツの中身は頭踏みつけあのときのアイツだ。

 落ち着くどころか余計に緊張しながら、モンターノも腰を下ろす。

「お、お茶をお持ちしました!」

「まあ、ありがとう」

 茶碗を手渡した従者が聖女に微笑みかけられ、耳まで赤くなっているが……。

(おまえ、そいつの中身はサイクロプスでっかいモンスターよりヤバいんじゃぞ!?)

 モンターノはバカな部下に大声で忠告したい。見た目に騙されるなと。

 会議で正体を見ているモンターノやルブランは、むしろ見え透いた猫をかぶっている様子が不気味で仕方ない。


 とにかく今は朝から恐怖体験をしている場合ではないので、大司教は続きを催促することにした。

「……それで、こんな時間に何事ですかな?」

 モンターノに言われて、聖女はあくまで清純キャラで困ったように小首を傾げた。

「実は……」

 チラッと周囲に並ぶ従者を見るので、モンターノは人払いを命じた。

 ……こんな場合でも美少女に未練たらたらに退場していく従者たち。どうでもいいところでいかにもブレマートン派っぽい。




「それで、お話とは?」

 モンターノに急かされ、聖女が袖から書付を出した。

「実はですね……古い友人からちょっと困りごとを相談されまして」

「はあ……?」

 喋り出した聖女の言っている意味が判らず、困惑した大司教と副大司教は眉根を寄せた。


 なぜ友人に相談されたことをこっちブレマートンに相談に来る?

 あれだけ好き勝手やっていると、ゴートランド派の中で立場が無いのかもしれないが……ほぼ知人でさえない他派の幹部に個人的な相談を持って来る方がおかしい事ぐらい、分かるだろうに……。

 しかも重要な会議の最中、朝の準備で忙しい時間に?


 しかし。

 ふとココが手に持つ書付を見たモンターノは、一気に全身の血が引く思いをした。

(ブレマートン派の幹部リスト……!?)

 しかも、行方不明になった連中のだ。

 モンターノが気がついたのを見て取り、清楚を装っていた聖女が薄く笑った。


「下町でギャングの頭目をやっている古い友人から、『歓楽街で外国人旅行者多数を保護しているのだが、引き取り先が分からない』と相談を受けまして……かと思いまして、ご相談に伺ったのです」


 口調だけは丁寧な聖女の話に、モンターノもルブランも、思わずひじ掛けを強く握って悲鳴を押し殺した。

 駆け引きすべき場だが、二人は驚愕の表情を隠せない。いや、もはや駆け引きさえ不可能だ。


 この娘、ゴートランド派で好き勝手をやっているうえに……王国の王太子を顎で使い、王都の暗黒街も支配しているだと……!


 おそらく代表団の行方不明と同時に報告を受けた、密偵部隊の失踪もこいつの仕業に違いない。

 教皇秘書のウォーレス司祭の辣腕は知っていたが……この聖女の方が、手口がヤバい!

(コイツに弱みを見せたら、とんでもない事になる……!)

 この直感は絶対だと思う。

 暖かい時期だというのに背筋を冷たい物が走り、大司教の腕に鳥肌が立った。


 だが。

 そこまで理解はしていても……追いつめられた今のモンターノに、そんな極道聖女からの申し出を断る選択肢は……無かった。




 損得の計算はブレマートン派の得意とするところだ。


 そんな彼らから見て、現状は自殺か無条件降伏かの二択しかない。

 聖女の申し出を断り会議に出席できずに事態が白日の下に曝け出されるか、聖女の黒い力に屈して首根っこを摑まえられるか。

 つまり、どちらに転んでも破滅が待っている。


 まさに究極の選択を迫られているが……自派を守らねばならない身として、自ら公表する道は選べない。

 第三の道を探そうにも、残り時間は二時間弱……いや、一時間半。

 申し出を受ける以外にあと一時間弱で、聖女の手中からバカどもを奪還する方法など無いのだ。


 聖女を恐れて取引を跳ね除ければ、ブレマートン派は会議で立場を失う。

 もしかしたら発言権どころか、今後しばらく大聖堂TOP3の地位さえ格下げになるかもしれない。

 そうなればもちろん、モンターノたち上層部は、全員失脚することになる。


 どちらを選ぶかは、もう考える時間もいらない。

「……わかった。ブレマートン派は今回の会議、盾突かないことを誓おう。とにかく、そいつらを一刻も早く戻してもらえぬか……」

 ガックリうな垂れたモンターノ大司教の降伏宣言に、ココは笑顔を見せて立ち上がった。

「うむ、承知した。羽目を外した連中は、一時間以内に荷馬車で届けさせるわ」

 あとは特に話したいこともない。

 ココは脱力する二人を後にして、ぴらぴらとリストを振りながら出て行った。




「あ、そうだった」

 ……出て行こうとして、ココは応接間の入り口で振り返った。

「身柄引き取りでこいつらの借金肩代わりするのに、王国が押収した賄賂資金使っちゃったんだけどさ……は私が手間賃としてもらっちゃっていいかなあ?」

「……もう、好きにしてくれ……」

 大司教の力ない返事に満足して、今度こそ聖女は西の宮殿を後にした。



   ◆



って金額か?」

 教皇の執務室でココがブレマートン派をやり込めた経緯を説明したら、話を聞いたセシルが呆れて額に手を当てた。

 言われてココも考えてみる。

「そうか……方だから、お釣りとは言わないか」

「そういう意味じゃ無くてな?」

 セシルが出された茶をすすり、ちょっと考えた。

「しかし、ココを甘く見ていた他の大聖堂の連中も震え上がっただろうな」

「そうか?」

 セシルの感想を聞いて、ココは不思議そうだが……。 

「そうですよ。まさか十四歳が、国の情報部やギャング団を手足に使うなんて普通は考えもしませんよ」

 お茶を運んでいるウォーレスが口を挟んだ。

「今までの聖女様で、これだけ力技を使った人はいないんじゃないですかね」

「ふむ?」

 そう言われると、ちょっとココちゃん悪い気はしない。

「ふふふ……奴らも私を子供と見て侮ったのが運の尽きだったな。私も一人前の教皇庁高官なんだから、ちゃんと賄賂を積み上げておけばよかったものを」

 胸を張って自慢げに大人アピールをするココだが、言ってることは大人げない。

 ……というか、大人ならしちゃいけない事を堂々と王子の前で主張している辺りは、まだ子供である。




 教皇がカップを両手で持ちながら、感慨深げにつぶやいた。

「しかし、これで今回の大陸会議は無事に終わるかのう……」

 大陸会議は毎回最後まで、派閥の利害が対立しあって揉めに揉めるのだが……今回はココがあれこれやったおかげで、ずっと先が読めない波乱含みだった。

 逆にそのおかげで対立している余裕もなくなり、ココが裏工作も叩き潰したことでゴートランド派にはいい流れになっている。いつもココに頭を悩ませている教皇にとっては複雑な心境だった。


「スカーレット派はどうなんですかね?」

 ナタリアが指摘する。

 彼らは僧兵団を嫌がらせに寄こしたくらいで、今まで大きな動きは見せていない。王都に潜入させていた密偵をココに潰されているので、その分の意趣返しがあってもおかしくないが……。

「彼らは毎回、主に本会議での遅滞戦術で圧力をかけてきていましたからね。今年はあまりに番狂わせで、対応が後手後手に回っているのかもしれません」

 ウォーレスの分析に、教皇も頷いた。

「毎度毎度スカーレット派は会議でねちねち嫌み、ブレマートン派は裏で買収と傾向が決まっておったからの。その本会議の検討時間が聖女のおかげで半減されたから、奴らも相当に面食らっておるだろうて」

「いや、あれ前半は奴らの自業自得だからな?」

 何はともあれ、大荒れの今年の会議がこれで決着ついてくれればありがたい。

「やれやれ、聖女がモンターノのヤツを踏みつけた時はどうなることかと思ったが……これで枕を高くして寝られるわい」

 教皇の正直すぎる告白に、ナタリアどころかセシルまで苦笑いした。

 



 ……それが儚い願望でしかなかったと、彼らは二日後……方針策定会議の最終日に、思い知らされることになる。

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