第62話 聖女様は後片付けに苦慮します
報告を聞いた男は、信じられないと言いたげに何度か首を振った。
「どういうことだ、トーマス。最大に警戒して当たれと申し付けたはずだが」
「はっ、確かに承りました」
諜報部の工作部門を司る子爵は不機嫌さを増す上司を前に、とてもじゃないが顔を上げる勇気を出せなかった。ましてや、目を合わせるなど。
「実施に際しては現場の調査も重ね、殿下の動きで作戦を変えられるように様々な検討も致しました。実行に当たっては、王都で動かせる者はすべて投入致しまして……」
「それだけの事をやって、セシルごときにしてやられたと? 王国諜報部の能力は全く大したものだな。二十人以上を投入して、まさか失敗どころか返り討ちとは!」
「はっ、面目次第もございません……ただ」
平謝りの子爵は、言い訳もできない失態の中でも一つ弁解したいことがあった。批判は甘んじて受けなければならないが、自分たちのミスや相手の幸運では説明できないことがあるからだ。
「我らの慢心や怠慢、あるいは殿下が上手であった。それらのありきたりな理由ではない、何らかの要因が現場で発生したのは確かです。殿下が虎口を脱した。実行部隊が敗れた。それは事実として認めるとして……殿下側の態勢から見て二十人を超えるこちらの手の者を、一人も脱出させずに討ち取ることなどできる筈がありません」
スパイのボスも、まさか部下が聖女に追い込み漁で根絶やしにされたとは思いつかなかった。
「王宮から殿下の警護が駆け付け、またなぜか教会の兵が出動したのも確認しましたが……こやつらが現地に到着したのは既に騒ぎが収まった後。一帯を封鎖して現場検証を行っていたようですが、戦闘は無かったとのことです」
その頃には彼の部下は全員、簀巻きになっていたので。
「……セシルを助けた何者かがいる。そういうわけか?」
ココちゃんです。
「はい。それも、かなりの戦力を持った手練れの者たちが」
ジャッカル一味、身の丈以上の高評価で政界デビュー。
「ううむ……」
問題提起され、男は難しい顔をして唸り声を上げた。
「セシルめが個人で何らかの組織を作ったとは思えないが……完全に不意を打った奇襲を切り抜けたのも事実か。あやつにどれほどの手札があるのか」
セシルがお忍びで街へ出る情報を元に暗殺を仕掛けたが、フリーハンドで動けるのは向こうも同じと言うことだ。逆に、街でこそセシルが戦力を用意できる可能性が浮上した。そうなると今後の動きも話が変わってくる。
こちらも向こうも王宮にいるのだから、いつでも襲い放題と思うのは素人だ。
暗殺と言うのはただの力押しではいけない。黒幕を特定できる証拠を残さず、まるで事故にでも遭ったかのように不運で斃れた形にしなければいけない。
最高の警備が敷かれているセシルの居室へ手勢を引き連れ強襲をかけては、討ち取ったとしても返す刀で自分たちが裁かれてしまう。世間の非難も無視して堂々と押しつぶす力があるのなら、それは暗殺ではなく粛清と言う。
「こうなると、むしろ王宮内であやつを出し抜く方策が必要か……」
恐縮する子爵に退出を許すと、ラグロス公ゲルハルドは虚空を見据えて次の一手を考え始めた。
◆
囚人のような……というかそのものの恰好で帰還したココ。
彼女が帰って来て最初にさせられたのは、お説教を聞くことではなかった。
「目を離した隙にココ様が抜け出して、その上街で暗殺者に襲われたっていうものだから……もう手が付けられないんだよう」
急ぎ足のシスター・アデリアに説明を受けながら、ココもどうしたものだか頭が痛い。
ナタリアの部屋に到着してみると、まさに首を吊る寸前のナタリアと止めるドロテアが押し問答している所だった。
「私が、私が礼拝堂に籠っていたばっかりに……目を離したらココ様がどこか行っちゃうのはわかってたはずなのにいぃぃぃ!」
「おちついて~。ナタリアが気を付けていても~ココ様を~、止められるはずが無いじゃない~!」
「私が! 私が酔った勢いで不敬なことをしなければぁぁぁ!」
「大丈夫よ~! 関係者しか~見てなかったんだから~! ほら、樽出し原酒持ってきたから~。飲んで忘れましょ~!」
扉からそっと覗いたココがぼやく。
「私の躾は犬以下のようだな」
「自分じゃそんな可愛いものだと思ってたんですか? ナタリアの不敬な事って何でしょう?」
「あー、アレかな? 泥酔した勢いで尻文字書いて遊んでてさあ。ついつい文字数がちょうど良かったから、ライラってやっちゃったんだよね」
「女神様の聖名をお尻で!? ナタリアが!?」
ココがサラッとバラした内容にアデリアが驚いて小さく叫ぶ。
アデリアもナタリアも信仰心は薄いが……さすがに女神の名を酒の余興でみだりに穢すのは、親の肖像画を土足で踏みつけるくらいには良心が咎める。
ちなみにココの信仰心の無さは別格。下手をすればジャッカルよりひどい。
「そりゃあ、ナタリアも礼拝堂で半日も懺悔するはずだよ……」
アデリアがため息とともに吐いた嘆きに、いないはずの三人目の声が同意した。
「そうですね。それは確かに正気の沙汰と思えませんね」
振り返らなくても、誰かわかる。
いや。マルグレード女子修道院に起居している者なら、わからなければおかしい。
アデリアは覗き込んだポーズのまま硬直し、ココは……全力疾走しようとして寸前に襟首を掴まれた。
「反省はどうしました?」
「ま、待て、シスター・ベロニカ! ナッツも悪気はなかったんだ!」
「シスター・ナタリアは、ですね。聖女様はいかがでしょうか」
修道院長は状況のデリケートさも斟酌せずにココを引きずってナタリアの部屋に入ると、ドロテアと揉み合っていたナタリアをそのまま引きずりおろし、四人を床に正座させる。
「さて」
部屋に唯一ある椅子にどっかりと座ると、
「聖女様は無断外出と酒宴の乱行と逃亡未遂について。シスター・ナタリアは酒乱と戒律で禁止されている自殺未遂について。それぞれの行いについて、じっくりと話し合いたいと思います」
「話し合いって、一方通行は“合い”じゃないだろ……」
「何か言われましたか? 聖女様」
「いいえ」
視線でココを黙らせた院長に、ドロテアが恐る恐る手をあげて発言の機会を求めた。
「何か? シスター・ドロテア」
「あの~……私たちは~何で一緒に~……?」
「シスター・ドロテアは」
院長は彼女の手元に目をやった。
「禁制品の無断持ち込みと他人へ勧めたことです」
「うわぉ……」
「あの、それじゃ私は……?」
「シスター・アデリアは」
風紀の鬼は軽くメガネを直した。
「他人の私室の覗き見について、です」
「そ、それはナタリアを心配してですね!? ココ様に止めてもらおうと説明をしていたからで……」
「つまり私が聖女様たちに、最初に何をご理解いただきたいかと申しますと」
アデリアの弁解を遮ると、シスター・ベロニカは
「今、私は非常に機嫌が悪いということです」
四人は無言で俯き、憂鬱な
◆
「良かった……」
わずか四日ほどで直ったアジトを見回し、ジャッカルは感無量だった。
今回はココを怒らせた時と違い王子を助けての損害と言うことで、修復工事は王太子の方でやってくれる事になった。
向こうで手配されてやってきたシャムロックとか言う技師と大工の集団が、納期が短いせいか手際よく頑張ってくれた。大人数で一斉に作業する様は壮観でさえあった。
既に片付けに入っている職人たちを眺めていると、全体の監督をしていたシャムロック老がジャッカルに声をかけてきた。
「あー、君、君」
「あ、俺っすか?」
「うむ。一通り機能の説明をしたいのでいいかね?」
機能? 説明?
おかしな言葉が出てきたが、訳も分からず頷いたジャッカル……に、老人は生き生きと“機能”の説明を始めた。“例の棚”を指し示す。
「まずこれだ。聖女様が二度もピンチを救ったという
「関節!?」
「ほれ、ここを叩くとな」
技師がまだ空の棚の支柱を棍棒で叩くと、簡単に支柱がくの字に折れて棚の段が一斉に下を向いた。
「なにこれ!?」
「もちろん、終わった後にこうやって起こせばそのまま再利用可能! いちいち壊さなくても済むぞ!」
「いや、ココに勝手に壊されたんで! 好きで壊したわけじゃねえから!」
「それから各入口の下には隠した段差が! いざと言う時は踏み石を撤去すればミニ落とし穴が姿を現す! 敵が入ってくるとき、まさかの一歩目で目測を誤ってすっ転ぶという寸法じゃ!」
「いや、そんなの年に何回出番があるわけ!?」
「さらに! この壁のここを触ると一見普通の壁にどんでん返しが! そしてこのレバーを引くと隠し扉から秘密の小部屋に入れるぞ!」
「おい、ちょっと待て!? 俺のアジトをなに魔改造してるんだジジイ!?」
「さらにさらに! 各面の壁には隠した覗き穴をそれぞれ設置で、外側の監視も室内から楽々できて死角無し! 極めつけはこれ!このロープを引けば、吊り天井が落ちてくる! 死なばもろともの時には便利じゃぞ!?」
「便利じゃぞ、じゃねえよ! どこの組織の秘密基地だ、これは!? ……おいまさか、あのクソ王子が街に遊びに来るときに避難所にするつもりじゃねえだろな!?」
「いいのう、秘密基地! 時間があればもっとギミックを仕込みたかったんじゃが……あああ、うちも母ちゃんに反対されなければ男のロマンをもっと盛り込めたのに!」
「ジジイの願望でおかしなアジトを作るんじゃねえ! クソッ、あのバカ王子も人選考えろ!? ああもう、やっぱりココに関わるとロクなことがねえぇぇぇ!」
ジャッカルのアジトに“機能”が活躍する出番はあるのか。それは神のみぞ知る。
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