第23話 聖女様は王子の宿命に震えます
第三十四代聖女のビネージュ王室へのお披露目が行われたのは、指名直後に行う慣例に反して神託から実に三か月も経ってからだった。
公式には日程が合わなくて云々とされていたが、お披露目の場に出られるような立場の人間はみんな判っている。
聖女の氏素性を問題視する声が宮廷にも少なくなくて、調整に手間取ったのだ。
そしてもう一つ、そういう出身のためマナーを突貫教育で叩きこまないと国王に面会できないという事情もあった。
そんな波乱含みで始まったお披露目だったが、幕が開いてみればセレモニーはつつがなく進行していった。含むところがある表情の貴族もいたが、イベントの消化は順調に進んでいく。
水面下では色々あったけど、王室と教団は既に折り合いを済ませている。事ここに至って異議を唱えれば、その双方に楯突くことになる。今日この日が静かなのは、そこまで覚悟して声を出すほど積極的な反対派がいなかった、と言うことだ。
それを確認できただけでも、お披露目の意義はあったと言える。
それだけ裏で手間のかかった式典の中で。
肝心の聖女は実は式典の後半、ほぼ放っておかれていた。
長々と続くお披露目の式典だけれども、聖女の出番は正直言えばほぼ二か所だけ。
国王への謁見と名乗り。
上座と下座を取り換えての、聖女から国王への祝福。
それ以外は宮廷と教団上層部の交流が主な目的で、形式的な儀式の部分が済んでしまえば聖女はもう用済みだ。貴賓席でかしこまって座っている以外にすることがない。
今回は特に聖女が六歳児と幼いので、余計に大人の話など判らない。同じく顔を出しているだけの王太子(八歳)と一緒に並べて置物になっているさまは、まるっきり託児所のそれだった。
その席でココは、隣り合わせて座っていたセシルにこっそり話しかけた。
(なあ、おい)
(……僕?)
ニコニコ黙って笑っていたセシル王子が、ココの呼びかけに怪訝な顔で振り返った。
王子の立場にあるセシルに、こんなぞんざいな口調で話しかけてきたのはこの少女が初めてだ。
(そう)
ココが頷き、首を傾げた。
(おまえ、くっだらねえとか思ってんのになんで座ってられるんだ? そんなに給金いいのか?)
王太子セシルは、聡明な子だった。
少なくとも、愚鈍な大人を侮る態度を見せない程度には
表面に出さないのは、別に相手が気を悪くしないよう配慮していたわけじゃない。八歳の子供にはどうせ理解できないだろうと、横でバカがペラペラしゃべってくれるからだ。
自分の立場は判っているので、今はじっと黙って何も言わない。大人になるまではアテになるヤツ、害になるヤツを見極める。今の内は子供の身では何もできないのだから、本領を発揮するのはそれからでいい。
そんなセシルの思惑を、“可愛い子供”の仮面の上から透かして見たのはココが初めてだった。
……ついでに、
式典が終わって大人たちが宴会を始めたら、動いていい。セシルがお付きに声をかけ、セシルとココは社交の場から抜け出して王宮内へ散策に出かけた。
お供の女官はついてくるけどある程度離れているので、小声で話している分には内容は聞かれない。
城壁の向こうに広がる王都の街並みをテラスから眺めながら、二人は忌憚なく話をした。お目付け役から見たらセシルが眼下の景色をココに解説してやっているように見えただろうけど、しゃべっていたのはお互いの境遇の話だ。
「へえ……給金は特に出ないのか。タダで王子なんて面倒な事をよくやってるな。おまえアレか? 慈善活動家とかいうヤツか?」
ココは当時から口が悪かった。浮浪児からジョブチェンジしたばかりだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
「生まれた時からこの仕事だから、特に考えたことは無かったな……宮殿の外の世界も知らないから、他にできる仕事もないしな……」
八歳にしてすでに達観している王子に、他人にかかわらない主義のココも同情の目を向けた。
「そうなのか……今までピロシキも知らない人生だっただなんて、可哀想にな」
「よくわからないが、そのピロシキって言うのは人生で大事なものなのか?」
「うむ。機会があったらおまえも食べたほうが良いぞ。私はアレに出会って、初めてこの世に生まれてきた意味を知ったんだ」
人の顔色を読むのはココの得意とするところだ。
人間誰でも、よく知らない相手としゃべる時は愛想笑いの仮面をかぶる。そしていないところであれこれ言う。人間と思われていなかった浮浪児のココは、居ないものと扱われている間に横でその二面性をさんざん見てきた。
そういう中で、この自分と同じぐらいの年頃の男の子は独特だった。
内心を隠しているけど自分へ利益を引き寄せようという欲が見えない。
むしろ隠すのは相手に近寄るためではなく、相手を突き放すため。
周りから持ち上げられるのに軽く見られ、そしてそれを見通しているのを身分が上なのに隠している。
そんなのとたまたま? 隣り合わせたので、ココは興味を持ったのだ。
それにしても無給でそんな芸当をさせられているとは驚いた。
「金ももらえないのに働いてるって、バカらしくないのか?」
「王家って言うのは生活費全部が国の金だからなあ……もらっていると言えばもらっているのかな? むしろ雇われているというより飼われているのか?」
「あー、おまえ家畜扱いなのか……食いっぱぐれの心配はないけど際限なく働かされるのか。大変だな」
一生飼い殺しってのもツラい立場だろう。何よりそんな事では、贅沢させてもらっても働いているって実感が乏し過ぎる。
今のココも似たようなものだけど、教会で働くのは十二年と期限がある。住み込み三食付で少しでもお金がもらえるから、まだ割のいい稼ぎ先だろう。
それとは違って、王家に生まれてしまったこの男の子は義務で仕方なくやっているらしい。
セシルと名乗った男の子は、八歳とは思えない悟った笑みでほろ苦く笑った。
「王子って言うのはホント、楽じゃないんだぞ? 庶民なら見過ごされることも、
「給金も出ないのに、まだ他にも縛りがあるのか!?」
聖女はゴクリと喉を鳴らす。
「た、例えば……?」
「そうだな、例えば……」
王子は何もない宙を見つめるように目を細めると、昔日のつらい思い出をたどった。
「……笑顔でセロリを喰わなくちゃならない」
「セロリを!?」
とんでもない情報に驚愕する聖女に、王子は疲れ果てた笑みで頷き返す。
「しかも、丸呑みするとバレるから、最低でも五回は笑顔でよく噛まないとならない」
「それは……! 虐待もいいところだろう!? 子供に要求していいレベルを超えているぞ!」
「仕方ないさ。それが王太子に生まれた俺の宿命だ」
過酷な王族の義務に慄く聖女は、それでも恐る恐る尋ねないわけにはいかない。
「そ、それで……? 他にも、他にも何かさせられるのか!?」
「他には……そうだな」
王子は力なく笑った。
「ブロッコリーもだ」
「ブロッコリーも!? あの緑の悪魔を美味そうに喰うなんて……」
そこまで言ったココは、さらなる可能性に気がついて鳥肌を立てた。
「ま、まさか……ブロッコリーを喰わさせられるということは、まさかカリフラワーも……」
王子のすべてを諦めたような微笑みを見て聖女は自分の想像が間違っていなかったことを悟った。王子が付け加える。
「……そしてホワイトアスパラガスも」
あまりの衝撃に、これ以上訊きたくないと聖女は耳を押さえて呻き声を上げた……。
◆
「そういう話を聞かされてな。まったく、王家の義務ってやつの恐ろしさときたら……あいつの人生はそんなのばっかりなのかと思うと、可哀想でな」
その事を思うと、ココも不憫な気持ちが湧いて来るというものだ。
「ヤツは小憎たらしくはあるが、過酷な立場にあることには同情しているんだ。せめて私ぐらいは、地位じゃなくてあいつ個人を見てやらねばと思ってる」
「そうでしたか……」
恋愛話大好きシスターは頷いた。
彼らの悩みのどうしようもなさは置いておいて……これはもうアレだ。幼馴染で腐れ縁と言うヤツだ。二人が意識しちゃってもおかしくない。うん、傍で見ている分には美味しいシチュエーションだ。
でも口に出しては指摘しない。言えば絶対ココに凄まれるから。
「それにしても、ココ様も結構食べられない野菜がありますのね」
ナタリアの横道に逸れた感想に、ココは王子の話をする時と別種の苦い顔で吐き捨てた。
「あんな連中を野菜に含めるな! 野菜なんかラディッシュやキャベツで十分だ」
「そうですか」
どうやらいまだに嫌いらしい。となると……。
「みじん切りにして混ぜ込んでいる料理長はグッジョブですね」
「……おいナッツ、今なんて言った?」
ガバッと跳ね起きたココを無視して、ナタリアがスケジュール帳を広げる。
「ところで午後の予定ですが」
「だからナッツ、今なんて言った?」
「んもう、いまさらどうでもいいじゃないですか」
「キチンと言えよナッツ!? おまえ今なんて言った!?」
「外出ですからお着換えしましょうねー」
「はっきり言えよっ、ナァッツゥゥゥゥ!?」
◆
ココの昼間の衣装を片付けていたナタリアが、ふと手を止めた。
「そう言えばココ様。殿下は結局協力の報酬を決めずに帰られましたけど、今日の打ち合わせは“勘定”に入らないんですよね?」
ベッドに入ろうとしていたココも、ナタリアに言われて硬直した。
「……そう言えば、あいつの要求がうやむやのまま……あああ、畜生! 今日時間取ってやったのが丸損じゃないか! くそっ、“食い逃げ”された!」
「食い逃げ常習犯のココ様が逃げられる側に回る……“因果は巡る”ですねえ」
「うまいこと言ってるつもりか、ナッツ……」
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